★『母さんたずねて』の歌碑――行元寺 

母さんたずねて
              齋藤信夫作詞    海沼実作曲

    まいごのまいごの こすずめは
        おせどのやぶで
     母さんたずねて よんだけど
         さらさらつめたい かぜばかり
                      かぜばかり

    まいごのまいごの こすずめは
        お寺のやねで
     母さんどこよと きいたけど
         ぽくぽく木魚の 音ばかり
                     音ばかり

    まいごのまいごの こすずめは
       お山のかげで
      母さんさがして ないたけど
          きらきら夕日の かげばかり
                      かげばかり
                               曲:YouTube→●

「まいごのこすずめ」 とは戦争末期、行元寺に学童疎開していた東京本所の外手(ソトデ)国民学校(現墨田区立外手小学校)4年女子約80名のことです。
昭和19年、戦局は怪しくなり、大都会の小学生は半ば強制的に集団学童疎開となりました。
中学生は労働力として期待されて残され、乳幼児は対象ではありません。

二泊三日の修学旅行なら楽しみでしょうが、家族と別れていつ帰れるとも知れぬ集団疎開です。
少国民として頑張るようにとよくよく言い聞かされての疎開生活であっても、家族恋しさに人知れず泣く10歳の少女たちの生活がそこにありました。

昭和19年8月28日。学校集合。両国駅から列車に乗り、蘇我そして大原で乗り換え、木原線上総中川駅下車。夏の強い照り返しの日差しの中、3.7kmの道のりを歩いて行元寺着。
引率は18歳の桜井敏子先生ただ一人。先生も心細くて泣きたい気持ちだったことでしょう。

幸いなことに住職はじめ、地元荻原と千町村の方々は親切で、食糧難の時代にあってもいろいろ野菜など持ち寄り大切にされ、時には自宅の風呂に招かれることもあったといいます。

朝6時起床。蒲団の片付け掃除、東京の父母に向かって礼。ラジオ体操、食事、宮城遥拝、勉学と続きます。
もっとも机も椅子も黒板もなく、本堂の床に正座しての勉強です。

外手国民学校の児童600余人は行元寺のほか、夷隅町、大多喜町の各寺院に学年別・男女別に分宿しておりました。
そのうち、いすみ市大原布施の長福寺にいた6年男子約100名と夷隅町中川の妙泉寺にいた6年女子約 50名は翌年3月に入ると帰京することになりました。
その話を伝え聞いた下級生たちはうらやましく思ったことでしょう。旧制中学・高等女学校への進学準備のためであり、小学校卒業式を母校で行うためにです。
ところがこの帰京が児童の運命を悲劇に追いやることになります。

3月10日東京大空襲。墨田区は炎の海と化し、一夜にして10万人が焼殺されました。
帰京した6年生男女とその家族も。子どもを疎開させていた両親たちも。
木造家屋がよく燃えるようにとゼリー状のガソリンを詰めた焼夷弾を風の強い日に雨あられと落としました。当日は陸軍記念日、祝日でした。
米軍の作戦指揮を執ったのはカーチス ルメイ少将。蛇足ですが彼は戦後、佐藤栄作首相によって1964年に勲一等旭日章の叙勲を受けております。日米友好に尽力したとのことで。

本所は焼け野原になったとの報告を、集団疎開中の児童はどのような思いで聞いたのでしょうか。それとも知らされなかったのでしょうか。東京大空襲のウワサは瞬く間に日本中に広まりましたから、児童に何も知らせないということはできなかったことでしょう。
疎開中の児童はその多くが一夜にして戦争孤児になってしまったものと思われます。

やがて5月23日。外手の児童は再び列車に乗り、岩手県花巻温泉のさらに奥、湯口村に再疎開になります。
九十九里浜や相模湾が米軍上陸地と想定され、続々と将兵が送り込まれてきた時期です。
地元の人の中にはなぜ東京の子どもばかり疎開させる、地元の子どもは置き去りかと憤る人もいたそうです。

さて冒頭の歌に戻ります。
こすずめたちは戦争さえなければいすみ市に来ることもなかったし、両親とともに暖かい家庭で暮らすことができたでしょう。
東京に帰ればお母さんが待っているのではなく、父も母も兄も姉ももはや会うことができない。
帰るべき家を失い、頼るべき家族を失ったから 「まいごのこすずめ」 と表現されました。
名前を読んでもさらさらと風が吹くだけという描写には深い思いが積もっています。

こすずめたちはその後、しばらくたってから行元寺で同窓会を開いたと聞いています。
荻原や千町の人々から暖かく迎えられていたという思い出があるのでしょう。

墨田区といすみ市にはこのような関係があったため、現在も仲良くしており、
毎年の墨田祭にはいすみ市からも出店が出ます。
わたしたちも里山産の黒米を持って販売に出かけます。
なんで墨田区なんだと思っていましたが、このような縁があったのでした。



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