★上総広常の館跡(1)布施の殿台

広常館跡
    高台の畑の中に 「上総介平広常館址」 の石碑が建っている。

県道174号176号が合流する下布施交差点を西へ細道に入ると名熊の公民館になります。ここに車を置かせてもらいさらに西へ。用水路のような川が落合川で下流は夷隅川に流れ込みます。
往時はもっと広い川で広常館を守る掘割の役割をしていたことでしょう。

橋を渡り左(南)へ折れ、川沿いの道を歩くと、右手に立派な杉の木が見えます。「頼朝の箸杉」 で、源頼朝がここで食事をとり、箸にした杉木を挿したら巨木になったと伝えられています。
この辺は 「堀之内」という字地名ですから、城郭の一部だったのでしょう。

右手に 「公用坂」 を分け、道がカーブした所に 「小児守観世音菩薩」 が祀られています。
コモリ カンゼオンボサツ、とでも読むのでしょうか。
広常の息子・岳太郎が落合川で水死したため、その菩提を弔い、小児の無事成長を願うために祀られていると石碑にありました。
細い階段を上った先に古い社殿がありますが、中はのぞけませんでした。もっともご本尊はただの板切れだそうですが…。階段の上り口に新しいお地蔵様があります。

カーブを曲がると字地名は 「根古屋」 になり、下級武士が詰めていた場所らしい。
もともとは 「寝小屋」 の意味です。
道は牛舎の間に続き、ほぼ直角に右に曲がります。ここが 「大手門」。
坂道を登って突き当たると先祖が広常の重臣だったというW氏の住居になります。
一瞬戸惑いますが、右手に細道が切られており、ここを登っていくと畑になり、その中にポツンと大原町文化財保護委員会が建てた画像の石碑があります。

眼下に布施の田んぼが広がり景色がすばらしい。
お殿様(広常)が住んでいた高台だから“殿台”と昔から言いならわしてきた場所です。
広常はここから布施の豊かな農地を眺めていたのでしょうか。
殿台見学はW氏の敷地の中を通ることになるので、家人がいらしたら挨拶しておくべきでしょうね。
それにしても案内板の一つもないので、気の弱い人は石碑にたどり着けません。

碑のある高台を前殿台といい、大手門からW氏の民家への坂道の反対(左)側が奥殿台になります。
更にその奥が「ようがん台」。これは要害台がなまった地名と思われます。
ようがん台の下の字地名は 「櫓(ヤグラ)下」 だから、ようがん台には櫓があったのでしょう。
確認してきませんでしたが、櫓跡や大井戸跡もあるという話です。

この台地は周辺の山地と連続しておらず、はほぼ独立しているので城塞を構えるには適地と思われます。
前面には落合川があって堀となり、背面は深い谷になっています。この谷を 「瀧泉地谷 リュウセンチヤツ」といい、谷の向かいの山が「寺山」。
大手門近くの落合川に架かる橋は 「瀧泉地橋」 です。

大原にある 瀧泉寺 はかつてここに存在したが広常館を守る鬼門封じのために大原に移転した、という伝説を紹介しましたが、その伝説と符合します。
あからさまに言えば、館を構築するから立ち退いてもらったということなのでしょうが…。

かつて源頼朝傘下の軍団の中で最大規模を誇り、頼朝擁立の功労者でありながら無実の罪で粛清された悲劇の武将・上総介広常の館はどこにあったのか?

布施の殿台にあったという文献資料は乏しく、発掘調査も行われておりませんが、地元の人々はここにあったと信じて疑いません。
こに来たのは二度目ですが、古い資料で字地名を調べ、周辺の地理にも少しは目が届くようになってみると、ここにあったという説に味方したくなります。

文献では 「上総国長柄郡一宮柳沢城」 とあるので、隣町の一宮では広常館一宮説を譲りません。
来週は一宮説を調べてみたいと思います。

       箸杉    こもり観音
            頼朝の箸杉             小児守観世音菩薩入口



 
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