★上総広常、お手植えの大銀杏(イチョウ)

龍泉寺
   瀧泉寺(大原1987)は国道沿いにあり、二本の巨大な銀杏が目を引く

1000年以上の歴史を持つ大原の古刹で、大原の船主など大金持ちが檀家だと聞いています。
大原の親神さま・鹿島神社の別当寺として、神仏混淆時代から権威あるお寺でした。
国道128号を大原から御宿に向かう途中、貝須賀信号のすぐ先あります。
駐車場もすごく広い。
別名を“貝須賀銀杏寺”といい、大銀杏がシンボルとなっているお寺です。
入り口近くに石碑があり、“銀杏樹由来”と刻まれていました。

――当寺は嘉祥年間布施郷名熊に開基。天台宗に属す。平広常その地に築城のみぎり、鬼門除けとして当地に移し建立。貝須賀山普門院瀧泉寺と命名し、広常自ら門前に銀杏樹の植樹をしたと伝えられる。現今、亭々(テイテイ)として天にそびえる老木、すなわちこれなり―――

1180年、打倒平家の兵を挙げたがあえなく敗残の将となった源頼朝を関東最大の軍事力で支えたのが平広常。通称・上総広常(カズサ ヒロツネ)。
上総地域を地盤としていたから上総広常で、朝廷から与えられた職名から上総権介(カズサゴンノスケ)、省略して上総介(カズサノスケ)とも呼ばれます。
事実上、上総国の国主、最高権力者でした。

頼朝に対する謀反の疑いで暗殺されたのが1183年。その領地は没収されました。
その後まもなく無実と判明しましたが、領地が子孫に返還されることはありませんでした。
最初から仕組まれた暗殺劇だったと思います。

地元の武士団から信頼と尊敬を集めていたと思われるのは、広常関連の伝説が各地に残ることで推測されます。
地元としてはその非業の死を悼み、広常を顕彰する意味合いがあるのでしょう。
画像・瀧泉寺のお手植えの大銀杏もその一つです。

さて、水を差すようですがいくつか蛇足。
まず寺名です。正式には瀧泉寺ですから、略すとなると滝泉寺のはずなのに地元では龍泉寺となっているのは不適当。
「りゅうせんじ」と読むことから、瀧と龍を混同して定着してしまったのでしょう。
寺名の由来は背後の山に枯れない泉があり、瀧(タキ)となって流れていたことによります。

次に、鬼門除けで建立されたとする点。
鬼門の方角は丑寅、つまり東北の方向です。
江戸城にとって上野の寛永寺。京都御所では比叡山延暦寺が東北に位置して鬼門封じ・鬼門除けの寺院になっています。
ところが推定されている布施名熊の広常館から見てここは東北とは言い難い。むしろ東です。
だとすると、広常館は推定位置よりもさらに南になければならなくなります。
つまり、鬼門除けの瀧泉寺という伝承と広常館跡という伝承が相互に矛盾しています。
ただ当時、有数の寺院であった当寺と上総一の有力者・広常の間に持ちつ持たれつの深い関係があったことは事実でしょう

最後に「お手植えの銀杏」が正しいとすると樹齢が800年ということになります。
確かに立派な大銀杏で、樹齢数百年とは思いますが、本当に樹齢800年の銀杏かどうか。
立派な大銀杏ゆえに、広常お手植えという伝説が後付されたのではないかと思います。
つまりそれほど広常は後の時代になっても地元からは愛されている人物だったのだと推測しています。

少なくとも、頼朝公が弁当の割り箸を地面に挿したら大きな杉の木になったという当地に伝わる伝説よりは信憑性が高い伝説ではあります。


 


 
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