★夷隅町、夜泣き地蔵の民話

夜泣き地蔵
  大多喜といすみを結ぶ国道465号沿いにある祠(ホコラ)

通称“夜泣き地蔵”といわれ、夷隅町の説明板が建っています。

―――行川と増田の境に丸太橋が架けられ「夜泣き橋」といわれていました。この橋のたもとに小さな祠があり昔から小児が夜泣きして困るとこの祠に詣で、この小石をいただき小児の枕の下に入れると夜泣きが治ると言い伝えられ、夜泣きが治ると小石を二つにして返すならわしがある。―――

お地蔵様が夜泣きをするのではなく、赤ちゃんの夜泣きを治すお地蔵様です。
ところが祠の中にはお地蔵様はいらっしゃらない。
川原石のような細長い丸い石が中央にあり、「夜鳴霊神」とあります。
この石がご神体であることはまず間違いないでしょう。
すると、本来は夜泣きを治める神様であったものが、いつの間にかお地蔵様にすり代わってしまったようです。
お地蔵様は赤ちゃんを救う仏様でもありますから、その辺で混同があったのでしょう。

この祠に関して、地元の「夷隅民話の会」の会長・斎藤弥四郎さんが『夜泣き地蔵』という題で大変素晴らしい話を発表しています。
少し長いですが全文転載いたします。

――― 夷隅町、増田と行川(なめかわ)の境に小さな川が流れている。この川近くに「夜泣き地蔵」と呼ばれる小さな祠(ほこら)がまつられている。この祠には次のような話が伝えられている。

 むかしむかしのことだ。京の都の戦さで負け、この地まで落ちのびてきた夫婦がいた。身分の高い人らしく、錦の着物を身につけていたが、長い逃亡生活に錦の着物も、汗と泥にまみれていた。夫の顔は無精ひげにおおわれ、左足に傷を負い、足を引きずっている。妻は頬(ほほ)がこけ、よごれた長い髪は風に乱れ、乳飲み子を抱いていた。

 「もう一歩も前に進むことができません」
 「なにを申す。都からこの辺境まで逃げ延びてきたではないか」
 「……この3日間、満足に食べ物さえ口にしていません。赤ん坊もおなかをすかせて泣いてばかりいます」
 「……………」
 妻の言葉に夫はだまってしまった。あたたかな春の風に小鳥の声がきこえてきた。2人はだまったままだった。

 妻が青空に映えた桜の花を見ながら、口を開いた。
 「都も桜の季節でしょうねぇ」
 「ああ、都の桜も咲くころだね」
 「……都の生活……楽しかったです」
 「ああ、楽しかったね。おまえと過ごした都での生活、今は夢のようだ」
 「あなたと初めてお会いしたのは、ちょうど、このような春でしたね。……新録におおわれ、桜がさき、小鳥が鳴き……」
 「わしも、君に初めて会ったのを、きのうのことのように思い出すよ」
 「まあ、うれしい。あの日のことおぼえていらっしゃいますか………」
 「若菜をつむ君の姿、美しく可愛かったねぇ。わしはその日以来、君のことが頭からはなれなくなったのじゃ」
 「私こそ、あなたさまの凛々(りり)しいお姿を目にしたあの日は、眠れませんでした」
 「ははは……そうだったのか、うれしいことを言ってくれるのぅ」
 二人は遠い都での生活を思い出し、しばし疲れを忘れていた。都の話ははずんだ。はじめて二人が出会った桜の春、水遊びをした夏、紅葉狩りの秋、嵐山の雪……。
 二人の顔はうっとりとしておだやかであった。
 ………………
 ……時が流れた。
 「都に帰りましょう」
 「都に?」
 「そう、都にです」
 「……敵が……」
 「敵」という言葉に現実にもどされ、顔はけわしくなった。
 また沈黙がつづき、小鳥の声と川音と春風があたりを支配した。
 ………………
  妻が口を開いた
 「都に帰りましょう」
 「帰ろうか………」
 「……このまま死んだら、魂になって都に帰れるでしょうか………それも二人が出会ったあの都に………」
 「二人が出会ったあの時代に……….」
 「楽しかったあのころに………」
 ………………
二人の声は涙声にかわっていた。
 「帰りたい。もう一度帰りたい、都に……あなたと出会ったあのころに……」
 突然、妻が泣き叫んだ。夫は妻を抱いた。二人は泣き続けた。

 やがて、赤ん坊の泣き声で、二人はわれに返った。
 「この子をどうしましょう」
 「二人のために赤ん坊の命をうばうことは………..」
 「どうすればいいんです」
 「……………」
 「三人一緒に死んだほうが幸せです」
 「いや、この子にも生きる権利がある………この子は生かしてやりたい」
 「………そうですね。このような桜の美しさも、この子はまだ目にしたことがなく、私たちのような恋も知らないのです。この子の人生はこれから……」
 「……………」
 「この橋のたもとに置いておけば、通りがかりの人がひろって……育ててくれるのでは………」

 妻は着物をぬいで赤ん坊をつつんだ。そうして胸から紅(あか)いお守り袋を取り出すと、赤ん坊のふところに入れ、赤ん坊を草むらの上にそっと置いた。
 二人は、手をとりあって、近くの川に入って行った。
 桜の花が、はらはら散った。

 その後、残された赤ん坊は、大多喜城下に向かっていた旅人に発見されたが、やせおとろえて亡くなっていた。
 不思議なことがおこったのは、その後だ。日暮れに、この橋を通ると赤ん坊の泣き声が聞こえてくるという。野良仕事を終えてかえってくるお百姓さん。今夜の宿を求めて足早に急ぐ旅人が哀(かな)しげに泣く赤ん坊の声を聞いたといううわさがひろまった。
 「あの泣き声は捨てられた赤ん坊のなげきだろう」
 「ほんとうにかわいそうに」 ……とあわれんだ。
 「赤ん坊を弔(とむら)ってやろう」
 ということになり、橋のたもとに小さな祠(ほこら)を建てて、冥福(めいふく)を祈った。それ以来、泣き声は聞こえなくなった。その後もここを通る人たちは赤ん坊の冥福を祈った。
 「赤ん坊があの世に行くには、三途の川という河原を渡らなければならないという。その時、小石を積み上げながら渡るという。しかし鬼がじゃまをして小石の山を崩していく。そこで、現世の人が小石を積んで、赤ん坊を助けようとする」
 という言い伝えがある。それで祠のそばには小石が積み上げられた。
 やがて、野良仕事で疲れて帰って夕食のしたくをし、夜なべ仕事をする農家の女たちが夜中に赤ん坊が泣いた時に
 「赤ん坊よ、野良仕事で疲れているんだ。せめて泣かないでおくれ」
 という願いから、祠のお参りをするようになったという。この祠をおがむと不思議なことに、火のついたように泣いていた赤ん坊も泣き止んだという。今も祠は「夜泣き地蔵」とよばれ、道ばたに祭られている。―――

夜泣きは若い夫婦にとって“危機”ともなる重大問題です。
夫は協力しないばかりか「どうにかしろ」と怒り出す。あるいはグーグー寝ているか寝たふりか。妻は孤軍奮闘で全責任を背負い込まざるをえません。
精神的にも肉体的にも疲弊し…。
そんな時、このお地蔵さんは役に立つらしく、祠の中には小石がいくつも奉納されています。

欧米では「夜泣き」という単語すらないと聞いたことがあります。
赤ん坊は別室で寝ているので大泣きしても気にならないのだとか。
授乳の時間以外はホッテおかれるので、場合によっては「サイレントベービー」という無感動な赤ちゃんになるとも聞いたことがあります。

その点、日本の母子関係は濃密すぎるという批判がありますが、母子が仲良くても相互依存関係でなければ良いことだ、と思います。
困った時の神頼み――夜泣きの赤ちゃんをダッコしてこの祠にお参りすれば泣き止むことがあったのでしょう。ホッとして母親の精神が安定すれば子育てに良い影響があります。
そんな経験的な知恵が現代でも続いていることが、祠に置かれた小石で示されています。


 
 
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