★桑田の小さな祠・小御嶽(コミタケ)神社 

小御嶽神社
  背後のご神木に当たる二本のシイの木がすばらしい

明治になって小さな祠(ホコラ)や神社は統廃合されて有力な神社にまとめて祀られました。
それなのに、この小御嶽神社は小さな祠ですが、隣接する前玉(サキタマ)神社とは別に存在するのは、それだけ地域の人に愛され、信仰されているからでしょう。

ハイキングコースのような参道はきれいに整備され、左右はアリドオシの大群落になっています。
画像のように「小御嶽神社」の石碑が建ち、こぎれいな祠があり、その背後に「富士山」と刻んだ石碑があります。
御嶽神社は木曾の御嶽山(オンタケサン)、奥多摩の武蔵御嶽山(ミタケヤマ)が有名ですから、「小御嶽神社」もその流れかと思ったら違いました。

「小御嶽神社」とは富士山吉田口五合目にある神社で、現在の富士山の山容ができるずっと昔の古富士山ともいうべき場所にあります。
ご祭神は磐長(イワナガ)姫。
山の神様の娘で、富士山を象徴する木花開耶(コノハナサクヤ)姫の姉君に当たります。

神話では、天皇の祖先にあたるニニギが山で美しい娘(コノハナサクヤ)に出会って一目ぼれ。父であるオオヤマツミに娘をくれるよう頼むと、父は姉のイワナガも一緒にもらってくれと言います。ニニギがイワナガに会ってみると醜い娘だった。
それで姉をつき返すと、オオヤマツミは怒って、永遠の命を得られるようにとイワナガを与えたのに何ってことだ。お前の命は花のように短いであろうと告げた。こうして天皇の命は短い運命になったとあります。

この神話は“バナナ型神話”という人の命に限りがある理由を説明する神話に属します。
バナナと石とどちらかを選べと言われた人類の祖先はバナナを選んでしまったという南方系の神話と基本的に同類です。

妹君の木花開耶姫を祭る神社が浅間神社で、これは全国各地に無数と言っていいほど数多くありますが、永遠を象徴する磐長姫を単独で祭る神社はそう多くはありません。
富士吉田口五合目の小御嶽神社はその珍しい例で、今回調べて初めてそう知りました。

この神話の舞台は実は富士山ではなく、南九州の霧島連山付近だと思われますが、朝廷の神話に採用され、地方神話から日本神話に格上げされました。
やがて平安前期、864年(貞観6年)から866年(貞観8年)にかけて富士山が大爆発を起こした時、あわてた朝廷が富士山に木花開耶姫を祭るように命じ、神様の力で噴火を押さえようとしました。世界文化遺産富士山の始まりです。

江戸時代には富士登山が庶民の間でブームとなります。
スポーツ登山ではなく信仰目的の登山で、ロッコンショージョ、オヤマハアンタイと掛け声を交わしながら登ったそうです。この掛け声の最初の部分、ロッコンショーがドッコイショという言葉の語源です。
六根清浄(ロッコンショウジョウ)の六根とは仏教用語で眼・耳・鼻・舌・皮膚・心を指し、それを清浄にするために苦しい登山という修業をしました。無我になって登るということでしょう。

江戸時代から、おそらく大正か昭和の初めころまで桑田村の人々は講(コウ)というグループを作って代表を富士登山に送り出した、その記念神社だと思われます。
富士山まで実際には行かれない村人のために、ここに小御嶽神社を建立して、心身の穢れを払い、自身と家族の幸福の永遠を祈願したものでしょう。
社域は現在もきれいに清掃され、気持ちの良い場所です。
パワースポットと言っても良いでしょう。
     地図はこちら→●

 

 
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