★上総国一の山・大福山の白鳥神社 


  
先週、梅が瀬渓谷を歩いたもう一つの目的が近くの大福山にある白鳥神社を参拝することでした。
大福というおいしそうな名前は遠くから見ると山容が大福のように見えるからだそうで、もう少しりりしい名前としては兜山(カブトヤマ)とも呼ばれていました。
そしてもっと古くは権現山という名であったのは、飛鳥時代、役行者(エンノギョウジャ)がこの山に来て蔵王権現を祀ったからだそうで、周辺の村落共同の雨乞いの山であったことによります。
ここは古くから信仰の山であり、神仏習合の修験道の行者の修業の山でもありました。上総国の最高峰でもあります。(もっとも標高は292mにすぎませんが)

立派な彫刻がほどこされた拝殿・本殿の右側に四つの小さな石造祠(ホコラ)が並んでいます。
左側から山神神社、愛宕神社、疱瘡神社、橘神社。(画像はありません)
房総には山神神社が多いのには驚かされますが、愛宕神社は火の神様、水の神様で防火と恵みの神様ですから山神様の一種と見ることができます。この信仰を広めたのは修験道の行者たちでしょう。
疱瘡神社があるのは疱瘡(天然痘)が恐るべき伝染力で周辺の村人たちを恐怖に落としいれた地域の歴史を物語っています。当時は神頼みでした。
右端の橘神社のご祭神は弟橘姫(オトタチバナ ヒメ)。日本武尊(ヤマトタケルノ ミコト)の愛妾です。
日本武尊が東征の折、神奈川県横須賀近くの走水(ハシリミズ)から房総半島に向かう時に海神の怒りを買って遭難しかけると入水して尊を助けたという伝説の女性です。

さて、本体の白鳥神社は日本武尊がご祭神で、日本武尊が東征の帰途、病に倒れて白鳥になったという伝説に基づきます。日本武尊=白鳥伝説は房総半島に非常に多く、興味深いことにそのいずれもが砂鉄に関連していることです。

大福山白鳥神社からほぼ真西に地図をたどると鹿野山白鳥神社があります。
同じ緯度をさらに西にたどると走水神社になります。つまり三つの日本武尊神社は同一緯度上にあります。ある種のレイラインでしょうかね。
この緯度を逆に東にたどると外房の大原で、大原で最も古い神社の一つが瀧内神社であり、緯度はやや南にずれているものの、ここも日本武尊がご祭神です。

走水海岸は砂鉄海岸です。
鹿野山(カノウサン)は「金生山 カノウサン」と呼ばれるくらいの砂鉄の山です。
大原海岸は砂浜が黒い海岸で、それはヘドロではなく砂鉄です。
ではレイラインの中央に位置する上総国最高峰の大福山はどうでしょうか。
私の見る限り(たいした眼力はありませんが)、ここは砂鉄の山です。
梅が瀬渓谷に流れ込む山道沿いの沢は明らかに砂鉄が沈殿して黒くなっています。
長い年月を経て砂鉄は梅が瀬渓谷に流れて養老川に運ばれます。そして養老川河口海岸を豊かな砂鉄の海岸にしてきました。

大福山山頂に白鳥神社がある謎はほぼ解けたと思います。
ここは砂鉄を求めて東征してきたヤマト侵略軍が現地勢力を制圧して上総を手中に収めたそのシンボルとして上総一の山・砂鉄の山=大福山の頂上に征服記念のヤマト神社を創建したものでしょう。
      何有荘のブログで鹿野山・日本武尊関係→●

こうして上総は全体としてヤマトの直轄地同然となり、平安時代初期には蝦夷(エミシ=東北地方)侵略の拠点、前線基地となっていきます。

 
 

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