★日之子坂(ヒノコザカ)古戦場跡 


  標識が倒れたままになっている右手の道を進む

日之子坂古戦場とは天正17年(1589)4月、長南の武田信栄と夷隅(イスミ)の土岐頼春との間に行われた戦闘で、武田方が惨敗した山道です。

千葉県長生郡睦沢町教育委員会の『むつざわの伝説』に次のようにあります。
――日之子坂は大上から夷隅町須賀谷に通ずる坂道で、東北は上之郷、東南は市野々に接しています。
道に添う畑地や芝地に無数の小砂利石があるのは、戦闘に使った矢玉といい、「庁南より飯を馬につけて来たりけるが、士卒多く討たれ逃げ走りて食する人なく、ここに飯を捨てかえる」場所を飯盛山と呼んでいます。
山田谷には、数百年を得た松の木が数本あって、団子松の名があります。飯盛山とともに兵糧にちなむ名称でしょう。庁南・万木の戦に関する史跡や伝説は日之子坂だけでなく、佐貫、芝原から小野田等に小字名として馬坂、火矢の谷、君が谷、馬洗井戸、要害、死亡澤等が挙げられ、当時をしのばせています。――

尾根伝いのこの道は側を通る広域農道ができるまでは地域の人々の生活道路でしたが、今はだれも通る人がいなくなり荒れたままになっていました。
それを散歩道として一部復活させたのが、「握手の森」の行政一成さんとその仲間たちで、毎年、「日の子坂ウォーク」が行われてもう10年になるでしょうか。
わたしは新聞報道で知りました。

先日、実際に歩いてみると、敷地境界測量が行われたばかりで境界区分標があちこちに打ちこまれており、大変歩きやすい道でした。
しかし、戦闘に使われたという小砂利石が散らばっている様子は確認できません。

歩き始めて間もなく、「首塚」になります。行政一成さんたちが作成したラミネート加工された紙の標識が傍らにありますが、なければまったく気づかずに通り過ぎてしいます。合戦で命を落とした戦士を埋葬した場所だそうです。
ということはこの付近に戦死者の遺体が散乱していたのでしょうか。地元では亡霊が出るとのウワサがまことしやかに伝わっているそうです。

「飯盛山」とは飯を捨てて逃げかえったからとの伝説ですが、これは史実とは違うでしょう。
各地に同名の山があり、飯を盛ったように見える山の意です。
同様に「団子松」も兵糧にちなんだ名称ではなく、村境にある大きな松の下で周辺の部落の代表者が集まって協議した=談合をしたことにちなむものと思われます。

やがて山道は下り坂となり、夷隅町側に入ると倒木や雑草におおわれ、前進するのがためらわれます。
もう少しで須賀谷に出るはずですが、あきらめて引き返しました。
山道を人が通れるように維持管理するのは大変な作業量です。
どのハイキングコースも安心して歩けるのは、毎年メンテを欠かさない山番や地元の人がいるからこそです。感謝しなくちゃね。
このコースが須賀谷まで貫通していないのは、そのような理由なのでしょう。

        天正17年の戦闘→●  
        
日之子坂入口の地図はこちら

   

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