★竹取物語と房総半島 


  千葉県長生郡長南町蔵持(クラモチ)地区 

かぐや姫の映画が話題になっています。
この映画のあらすじは古典の『竹取物語』にほぼ忠実で、五人の貴公子が求愛に来る場面があります。
原文では
――石つくりの御子、くらもちの皇子、右大臣あべのみむらじ、大納言大伴のみゆき、中納言いそのかみのまろたり――となっています。

このうち後者三人は実在の人物とみてほぼ間違いないようです。
      作中の人物---------実在のモデル
   右大臣あべのみむらじ――――右大臣 従二位 阿倍御主人(あべ の みうし)
   大納言大伴のみゆき―――――大納言 正二位 大伴御行(おおとも の みゆき)
   中納言いそのかみのまろたり-大納言 正三位 石上麻呂(いそのかみ の まろ)
奈良時代の直前、藤原宮での大宝元年(701)のそうそうたるメンバーです。

すると前者二人、石つくりの御子、くらもちの皇子も架空の人物ではなく、直接名指しはしていないが、あの人だと暗示されているのではないかと疑われます。
江戸時代の国学者・加納諸平が、石つくりの御子を左大臣多治比島(たじひのしま)、くらもちの皇子を大納言 正三位 藤原不比等(ふじわらのふひと)と推定したのは、いずれも母方が石作氏、車持氏であるからです。

藤原不比等は鎌足の二男で、母は車持与志古娘(くるまもちの-よしこのいらつめ)
車持氏は中央政界では無名ですが、関東の豪族で、千葉県にも所領があったようです。画像の蔵持がその一つです。
「くらもち」を漢字でどう書くのか、庫持、蔵持と書く場合があり、長南の蔵持地区は古くは車持と書いたことが知られています。

藤原氏の祖・鎌足は大化の改新の前は単なる中小貴族であり、中臣氏といいました。
その出身は千葉県かと推測されています。
たとえば木更津市には鎌足小中学校があり、出生地はここだという伝説があります。
香取・鹿島の神官出身だったことはほぼ定説として良いでしょう。
そしていすみ市岬町谷上地区に鎮座する谷上神社は藤原氏の祖先神である天児屋根命(アメノコヤネノミコト)をご祭神としています。
鎌足と車持氏はともに千葉県に接点がありました。

くらもちの皇子はかぐや姫から蓬莱の玉の枝を持って来いと言われ、金銀で飾ったニセモノを作って差し出しますが、職人たちが代金をよこせと押しかけてきたのでニセモノとばれてしまいます。
ここにも車持氏との接点があります。
長南町蔵持地区の近くに野見金山があり、ノミと金属の山と解せますし、字鍛冶屋谷という地域があり、かつて金属産業従事者がいたことが推測されます。
つまり、車持氏は金属工芸品を扱う人々を配下に持っていたからこそ、不比等は母方のツテでニセモノを調達することができたと物語の中で暗示され、セコイ男だとからかわれているのです。

くらもちの皇子は藤原不比等とみてまず間違いないでしょう。
竹取物語の作者は不明ですが、当時の政界中央の人々をみなコケにしているのですから、中央政界から締め出された教養のある人物だったと推定されます。

 
 

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