★上総十二社(10)伊自牟(イジム)国造(クニノミヤツコ)の大失態 


 大正堰の亀。親子でしょうか。本文とは関係ありません 

まだ日本が倭国といった頃、分かれて百余国といわれるほど各地に独立した小国家がありましたが、やがてヤマトが各国の上に立ち、支配権を握ることになります。
いすみ市とその周辺は伊自牟国(イジムノクニ)といい、国王はヤマトから国造と呼ばれました。国を造った人というニュアンスがあります。
その範囲は夷隅川と一宮川の流域であり、上総国埴生郡(千葉県長生郡・茂原市の一部)、夷隅郡(いすみ市・勝浦市)にあたります。

安閑天皇の時と『日本書紀』は言いますから、およそ6世紀に起きた事件がありました。
伊自牟国造の伊甚稚子(イジムノ ワクコ)は中央政府から「秘宝の珠」を見せろと要求されます。
ワクコは「なに言ってやんでぇ」と思ったのか、それとも「見せたら献上せよと言われちゃう」と疑ったのか、上京要求を無視していました。
しかし重なる要求にしぶしぶ出かけてみると、都では出頭命令違反の罪で尋問にかけるというウワサが広がっており、ワクコは急に恐ろしくなって逃げ出します。ところが都は不案内なので、あわてて逃げ込んだ先が運悪く、皇后の屋敷だった。
皇后は突然の侵入者に卒倒してしまいます。ワクコは捕えられ、厳しい尋問を受けます。都へ遅参した罪の上に皇后宮殿侵入罪が加わり、必死に弁明しました。
その結果、国の一部を割いて皇后の屯倉(ミヤケ)として献上するということで許されました。もちろん大切な珠も取り上げられてしまったことでしょう。

当時、ヤマトの中央政府は各地の豪族の力をそぎ、統一国家を目指し、各地に朝廷の直轄地である屯倉を設置していました。伊自牟国に設置するには口実が必要です。政府の仕掛けたワナにまんまとはまってしまったのですから、政府にとっては予想以上のできで、おろかな国造の代表例として記録に残されたものでしょう。

房総半島の国造はワクコもそうですが、その多くが出雲系氏族ですから、中央政府としては潜在的反乱分子として気に食わなかった点と、東国の豊かな土地を接収して政府の財政基盤を強化する狙いがあったと思います。
こうして房総半島はしだいにヤマトの勢力下に置かれ、未だ政府に服属しない東北地方征服の前線基地として位置づけられていきます。

屯倉が置かれた場所はいすみ市夷隅町国吉付近と想定されています。
つまり伊自牟国の西半分、夷隅川流域が政府直轄地になってしまったようです。
東半分の一宮川流域には74mの巨大古墳があるのに、夷隅川流域には目ぼしい古墳がないのは政府直轄地になり有力な地方豪族が排除されたからでしょう。

さて、政府が見せろと要求した「珠」とは何か?
学者の多くが真珠と推定していますが、わたしは学者じゃないので勝手に想像できます。
おそらく「真珠と瑪瑙(メノウ)、あるいは琥珀」の二種類だったろうと思っています。

白と赤の宝石、これは太平洋から昇る月と太陽を象徴します。
月と太陽を自由に操作できれば潮の干満を自由に操作できます。
神話では山幸彦が海神から贈与された「潮満玉、潮干玉」で海幸彦を圧倒して服属させます。
上総十二社では多くの神社が山幸彦(本名:ヒコホホデミ)を祭っています。
ならば伊自牟の神社(玉前神社)がこの「潮満玉、潮干玉」を所持していてもおかしくはありません。その秘宝に中央政府が興味を示し、取り上げてしまおうと考えた。
だからワクコは出頭を渋った。

「潮満玉、潮干玉」を玉前神社が所持していた文献資料はありません。
しかし下総国一宮神宮・香取神宮の縁社である側高(ソバタカ)神社には、“側高の神様が陸奥国の馬を盗み、怒った陸奥の神様が追いかけてきたが「潮満玉、潮干玉」で追い払った”と言う伝説があります。
ならば上総一宮(玉前神社)も「潮満玉、潮干玉」の宝玉を所持していたと考えるのは、そう不当な推測ではないでしょう。
「潮満玉、潮干玉」伝説は当時の海洋漁労民族に共通する伝説だったと考えられます。

外房の雄国として発展した伊自牟国は国土の半分を朝廷に召し上げられ、さらに秘蔵の宝玉を奪われました。
国運は衰退に向かいますが、玉前神社は起死回生の大胆なプランを練っていました。

                                    つづく

補足
房総半島の古墳で最も華麗な出土品を誇るのが内房の金鈴塚古墳で、 純金製の鈴の他、琥珀製の棗(ナツメ)玉や瑪瑙製の勾玉が発見されています。内房に琥珀や瑪瑙は産出しないので、当時、海上(ウナカミ)国と言われた千葉県銚子の産だろうと推測できます。
銚子から伊自牟国までは九十九里浜でつながっていますから、伊自牟の海岸に琥珀や瑪瑙が漂着したことは十分な可能性があります。

 

  

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