上総十二社(2)・鵜羽神社-2- 


   古い井戸があり、これが重要な意味を持っている

房総で最も古く由緒ある浜降り神事(神輿が海岸に降りる)は上総十二社祭と言われ、上総一の宮・玉前神社を中心とした十二の神社の共同の祭りとして行われます。
勇壮な裸祭りで多くの観光客が集まりますが、その祭は睦沢町の鵜羽神社の、「十日祭(トオカマチ)」から始まると先週述べました。
その祭は古くからの伝統に従い、前回述べたように、興味深い神事が繰り広げられます。

三柱の神様をご祭神としていますが、事実上、鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の神社として祭礼は執行されます。だからといってご祭神はウガヤ唯一と割り切るにはなお疑問が残る神社です。

古代社会において貴族の男性は子育てに関与しません。いや母親だってあまり関与しません。
それは英国でも同じようです。未来の王様ジョージ君誕生で大騒ぎですが、ウイリアム王子夫妻は、乳母を置かないで子育てすると報道されていました。
新しい王室のあり方を象徴する新しい方針です。

睦沢町の鵜羽神社は、実は乳母神社、姥神社とも言われるほど子育てに関係ある神社です。
上総十二社祭に先立つ9月8日に、鵜羽神社では“御漱(オミスリ)祭”があります。二基の神輿の下を幼い子を抱えた婦人がくぐり、甘酒を頂いて帰ります。母乳の出がよくなり、幼児は健康で上部に育つと伝えられています。
ということは、ご祭神は男性神であるよりも女性神である方がふさわしい。

すると姉の子・ウガヤを守り育てた玉依姫こそが本来のご祭神ではないのか、という疑問が湧きます。玉前神社では玉依姫を姥神様という言い方もしています。しかし、「十日祭神事」はウガヤがタマヨリのもとに通う神事だという伝承も無視できません。
ご祭神は男性神なのか、女性神なのか、謎は解けません。

さて、そこに画像の井戸の謎が加わります。
この井戸は太平洋につながっているという伝承があります。(多少の塩気があるのでしょうか?)
ウガヤとタマヨリの四人の子どもは大変やんちゃでこの井戸を通って外房海岸(東浪見海岸か)で遊んだと言われています。そのうちの一人が後の神武天皇だということになっています。
それで9月13日の例大祭の日は十二社の神々が東浪見の海岸に集まってみんなではしゃぐのだとも言い伝えられています。

ところで、井戸や池の水が実は地下で他の場所と繋がっているという伝承は全国各地にあります。
有名な所では奈良東大寺のお水取りの水は若狭神宮寺からの水だと伝えられています。
この近辺では、玉前神社の井戸と太東の池がつながっているという伝説もあります。(参照:何有荘のブログ2012.6.25
鵜羽神社の井戸が太平洋と繋がっているという伝承も同類と考えられます。
とても古い伝承なのでしょう。

この井戸は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説が加わって謎は複雑になります。
ヤマトタケルの軍勢がが蝦夷(エミシ)征伐のためにここを通過した際、岩から染み出る水で喉を潤したと伝えられています。
鵜羽神社の住所が睦沢の岩井であるのはこの故事によるとされています。

ところが、ヤマトタケルがご先祖の神武をここで祀ったという話はありません。
つまり、ヤマトタケルの時代、この地ではウガヤやタマヨリの伝説があったかどうか疑わしい。
ウガヤ・タマヨリ伝説は後の時代に付け加えられたのではないかと疑われているのです。

いずれにせよ、水道などの公共施設がなかった時代、清水が出る場所でこそ人々は生きていけます。
そこはとても神聖な場所でした。
人々がその場所に神社を建設し、地域の人々の生活を保障する場として祭礼を欠かさなかったことは容易に想像できます。そして村人の子どもたちの健やかな成長にも霊験あらたかな神様として尊崇されてきたのでしょう。

わたしの勝手な想像ですが、村の生活を維持するとても大切な清水の神様=山の神様として尊敬されてきたのが原初的な形態ではないかと睨んでいます。
都会ではお神輿を担いでいる若者に何の神様のお神輿かを尋ねてもほとんど知りません。〇〇神社の神様だとしか知らず、神様の固有名詞を知りません。
固有名詞を知らなくとも何の問題もありません。わたしたちの神様だ、で十分でしょう。

昔からの伝統ある神社ですから、知恵者によってあれやこれやの由緒が付加され、ますます権威ある神社になりましたが、それゆえにそれぞれの由緒伝説が矛盾し、食い違うことになりました。

地元の人には大変失礼なことを書き連ねてきましたが、ヨソから移住してきた者として眺めてみると、不思議な神社だ、謎の神社だというのが率直な印象です。

 
 

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