上総十二社(1)・鵜羽神社-1-


 上総裸祭り(十二社祭)はこの鵜羽神社の神事から始まる 
   
上総十二社とは上総一の宮・玉前神社を中心とし、祭神玉依姫命とその一族の神々を祀る12の神社を指し、秋の例大祭の上総十二社祭は神輿の勇壮な浜降り神事でよく知られています。

旧社格 村社
御祭神 彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)---山幸彦
    豐玉姫命(トヨタマヒメノミコト)------海神の娘
    鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)-両者の息子
鎮座地 千葉県長生郡睦沢町岩井

秋の例大祭は9月13日ですが、3日前の鵜羽神社の「十日祭(トオカマチ)」から始まります。
10日午後、二基の神輿が神社を出発し、途中で玉前神社から遣わされた神職・白丁(ハクチョウ) などの出迎えを受けて行進します。
行列が玉前神社境内に入ると、旛(ハタ)持ち・広鉾(ヒロホコ)持ちが鬨(トキ)の声を挙げ、神輿は猛然と玉垣を三周します。

神輿が神楽殿に据えられると、待ち受けていた子どもを連れた親たちが神輿の下をくぐります。無病息災・健康成長を祈願する昔からの風習で、 鵜羽神様を姥神(ウバガミ)様と解しての子育ての祈願です。

神楽殿で上総神楽が奏されると、神輿を境内の一隅に移し、献饌ののち、玉前と鵜羽の宮司が神輿を挟んで大麻で神輿を祓い合う。
さらに幣殿に移して、オホリとよぶ舌状の餅四七枚とカスカミと呼ぶ魚のボラの粕漬けを献じ、やがて神輿を開扉して玉前・鵜羽両祭神の「御霊合わせ」を行います。

この後、鵜羽の神輿は町内の八雲神社に渡り、 鵜羽から龍形餅を供え、次いで本社へ帰ります。

この一連の複雑な行事が何を意味し、何を象徴しているのか実はよくわかっていません。
一の宮・玉前神社と岩井の鵜羽神社が密接な関係にあることだけは確かです。

「十日祭」は玉前神社側からは「御迎祭」と呼ばれ、両社の神官立会いの下での「御霊合わせ」が神事の中核ですが、何という神様と何という神様の御霊合わせなのかがはっきりしません。
観光行事的にはロマンチックに、玉依姫様の所に夫たる鵜茅葺不合様がお通いになる、つまり太古の「通い婚」を再現している行事だ、ということで納得している部分も多いのですが…。
確かに鵜羽(ウバ)は容易に産屋(ウブヤ)や鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を連想させます。

しかし、鵜羽神社からお見えになる神様は二座だから二基の神輿でお見えになるのですし、お迎えする玉前神社の御祭神も二座ございます。
『古事記』『日本書紀』と整合的に解釈すれば、鵜羽神社からは彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)と豐玉姫命(トヨタマヒメノミコト)の二座。玉前神社側は玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)と鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の二座ですっきりし、ご親族四柱がご集合する祭で良いはずですが、どうも祭としてはそれでは気合が入りません。

不思議なことに玉前神社では鵜茅葺不合命を山の神とし、海の神である玉依姫に一目ぼれして結婚し、神武天皇など四兄弟が生まれたとしています。
山の神と海の神の結婚と言えば、山幸彦(=彦火火出見命)と豊玉姫の結婚だと考えるのが通常でしょう。
二人の間の子・鵜茅葺不合命は叔母・玉依姫に育てられ、やがて結婚するのですから「一目ぼれ」というのも合点がいきません。

鵜茅葺不合命の祖母はコノハナサクヤ姫で山の神であり、母は豊玉姫で海の神。
鵜茅葺不合命は山の神と海の神の血を引いているのであって、彼を「山の神」と規定すること自体に無理があります。

神様の固有名詞を外し、『古事記』や『日本書紀』にとらわれず、単に山の神と海の神との出会いと結婚というストーリーにすればややすっきりします。
この祭の本来の姿はこのような意外と単純なものだったのではないかと思っています。

               この項、来週金曜日につづく
 
 

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