★かつて大原に海中桜があった 


 1998年の海中桜           漁港に面して海中桜の碑
                         桜画像はこちらから引用→●

大原漁港の南側に小高い八幡岬があり、戦国時代には小浜(オバマ)城がありました。そこからの景色は太平洋が丸く見えるほど見事なもので、眼下には漁港の漁船が豆粒のようによく見えます。

大原漁港は裸祭りが有名で、伝えられた祭り唄は数々ありますが、次のような唄もあるそうです。

   小浜港に来てみやしゃんせ 根のない桜に花が咲く
   小浜横浦一度はおいで 根のない桜に花が咲く

昔から港には、出入りする船が海面下の岩礁を避けられるように、航路を示す「みおつくし(澪標)」が立てられていました。
ただの棒杭や竹が使われることが多い中で、大原では豪快にも山里から切り出された山桜が岩礁に立てられ、数年間はそのままで花が咲いたと伝えられています。
枯れれば新しい桜が立てられるという伝統がいつから始まったか定かではありません。
小浜横浦地域が大原海水浴場になった明治大正の頃にはまだあり、昭和になってコンクリの大原漁港になった頃にその伝統は終わったようです。

大正時代に大原を訪れた江見水蔭(エミ スイイン)には『海中桜』という小説があります。
―――天正年間(約400年前)、難攻不落の小浜城攻略法を信之助という侍が探索に来た。彼は浜の娘二人と親しくなり、娘は信之助のために城の断崖の高さや裏道を探るなどのスパイ活動に従事する。
秘密を探り当てたら一人は海中に松を立て、一人は桜を立てることになっていた。
しかし一人は城方に見つかり断崖から身を投じて自害する。一人は海中に桜を立て終わった時、横恋慕していた浜の若者に刺される。
娘は桜の木にしがみつき「信之助様、体は死んでも心は死ねぬ。澪標(みおつくし)の桜が花を持ったらそれは私だと思ってくださりませ」と言って息を引き取った。―――

女心を利用するなんて信之助はなんと卑劣な男だと思うけれど、当時は悲恋物語として多くの人の涙を誘ったといいます。
もちろん小説だから、それが海中桜の起源とは言えません。
「みおつくし」を「身を尽くし」に読み替えることによって生まれた悲恋物語です。
ずいぶん前に銚子漁港を舞台にした「澪つくし」という朝ドラが沢口靖子主演でヒットしました。
百人一首にも、みおつくしが出てきますね。

  わびぬれば 今はた同じ 難波なる
                  みをつくしても 逢はむとぞ思ふ   元良親王

さて1998年4月14日の読売新聞に大原の海中桜が10日に開花したという記事が載りました。
大原町観光物産協会が夷隅郡市自然を守る会と協力して、海中桜を再現させようとした実験だそうで、消波ブロックの間に立てた直径22cm、高さ14mの桜が画像のように見事に満開となりました。
海中に設置された根のない桜が実際に花咲くと実証されて実験は終わりましたが、できれば昔のように毎年海中桜を見たいものです。

画像の「海中桜記念碑」は大原漁港前、食事処である「船頭の台所」近くの道路沿いにあります。
碑文の中には江見水蔭の小説から一節が刻まれていますが、そもそもそんな所に碑があるとは地元の土産物売り場のおばさんも知りませんでした。
いすみ市・大原は宣伝がヘタですね。
もっとも、そこがこの地域の良い所でもありますが…。

 

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