★疱瘡(ホウソウ)神社(4)大国主神社 


    疱瘡神が合祀されている

わたしが住むいすみ市の隣、大多喜町には徳川四天王の一人として有名な本多忠勝の居城・大多喜城があります。
小田原城陥落の後、北条氏配下だった房総に進駐して反乱分子を制圧した忠勝の居城で、房総半島全体に睨みを効かせるために10万石が与えられました。
その外堀を形成しているのが夷隅川で、城の付近は特に急峻な渓谷をなし、天然の要害でもありました。

房総半島中部の中核都市として江戸時代は発展し、現在も少しはその面影が残るので“房総の小江戸”とも言われます。
その大多喜城からは南西の方角になりますから、風水で言えば“裏鬼門”に当たる場所、夷隅川の外側に西部田(ニシベタ)部落があり、そこに大国主神社があります。

房総半島は実に不思議な地域で、古事記、日本書紀に登場する神々を祀っている神社が数多いので驚きます。
夷隅町国吉には出雲大社があり、日御碕神社があり、大多喜には大国主神社があるわけです。
大国主と言えば因幡の素兎(シロウサギ)が有名で、大国主は“日本の医療の神様”といえます。

医療の神様の境内に“疱瘡神”が合祀されているのは納得のいく話です。
合祀というからには元々は独立した神社あるいは神様だったのでしょうが、では元々はどこにあったのかと聞いても土地の人でもわかりませんでした。

大国主神社は昔の「大多喜街道」沿いに鎮守しています。
今は少し離れた場所に国道が通り、この街道は忘れられたかの印象がある道ですが、往時は大多喜に行き来する旅人が必ず通る重要な道でした。

そして疱瘡という当時の致命的な病気は流行病(ハヤリヤマイ)であり、外部の人間、つまりよそ者からもたらされるという認識がありました。
何年か前のSARS騒ぎを思い出してください。成田はSFみたいな防具に身を包んだ検疫官が活躍し、修学旅行が中止になった学校もありました。
ある種の流行病は外部から来る――これは人類が経験から学んだ事実です。
ところが人の出入りを遮断することはほとんど不可能。
神頼みとなります。

それで城下から離れた村はずれに「疱瘡神」と刻んだ岩を設置することによって霊的な防疫拠点としたものです。
夷隅川を渡って大多喜市街に入る前に阻止する、それがここの疱瘡神に期待された任務でしょう。
大国主神社に合祀された疱瘡神の元の位置はわかりませんが、街道沿いにあったことは容易に察せられます。

罹患した人は軽く治まることを祈り、無事な人も罹患しないことを祈ったものです。
致死率40%。治癒しても片目あるいは両目を失明し、全身に醜いアバタができた病気でした。
ジェンナーによる種痘法が確立するまで人類はなすすべがなかったのです。

今は疱瘡神に祈る人もいなくなり、その存在自体が忘れ去られようとしています。
もしも神社参詣の折に疱瘡神を見かけたら「長い間、お疲れ様でした。今はもうおかげさまで疱瘡になる人はいなくなりました。ありがとうございました」と一声かけてあげたいものです。

 

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