★疱瘡(ホウソウ)神社(5)疱瘡大明神 


  長志香取神社境内の疱瘡大明神  

いすみ市長志はいすみ市でも純粋に農村地帯に当たり、左右に田んぼが広がった国道をドライブするのは気持ちの良いものです。
やがて長志上区公会堂を西に折れると突き当りに香取神社が見え、そこまでは一車線の農業用直線道路で、対向車が来ないことを祈ります。

香取神社は古びていますがこれまた立派な神社で、二抱えもあるご神木が何本もあるので数百年の歴史があるのでしょう。
この神社の裏手に崖をくり貫いて末社が三社ほどあります。一番右側の小型の石造りの祠(ホコラ)には「疱瘡大明神」と刻まれており、建主は「長志本村中」。右側には「文政四年」とありますから1821年のことになります。

日本では、人間と社会に多大なる利益をもたらすのは神。甚大な損害もたらすのも神。すさまじい勢いで人知を超えた存在はすべて神様になります。
いったん流行すると手におえない疱瘡(天然痘)は人類史上まれにみる凶悪な疫病で、まさに“疫病神”、疱瘡神によってもたらされると信じられていました。

この疫病神は“疱瘡大明神”として拝み奉(タテマツ)ることによって、疱瘡を鎮める偉大な“医療神”に変化します。
それは“怨霊”が神として尊敬され丁寧に扱われると機嫌がよくなり“守護神”に変化すると信じられたことと同じです。

菅原道真の怨霊が天神様として学問の神様になったように、疫病神も疱瘡大明神に出世すれば疫病を抑え込む神様になってくれると信じたのですね。
大明神という称号は、豊臣秀吉が死後、豊国大明神と称されたのが有名ですから疱瘡の神様もたいしたものです。

そんな大明神に願掛けせねばならぬほど江戸末期には、一見するとのどかな農村地帯にも疱瘡が大流行して死者が続出したのでしょう。
今生きている人々の一縷(ル)の望みとして“疱瘡大明神”がありました。

日本で初めて種痘が普及するのは1849年、佐賀鍋島藩において。
千葉県でも同年末には佐倉藩の順天堂で無料接種が行われますが、副作用も大きく、当時は牛を利用したワクチンであったために“種痘を受けると牛になる”と恐れられました。
1821年当時の長志村の人々は天然痘ワクチンの話など夢にも思わなかったことでしょう。
国民全体が種痘を受けるようになったのは明治42(1909)年の「種痘法」成立以後のことです。

1972年夏ごろには「疱瘡はほぼ制圧された」のですが、まれに起きる接種による副作用の方が多いとして種痘が次々に中止になります。
それ以後生まれた人は接種を受けていないので、腕の接種跡があるかないかでアラフォー世代の年齢がある程度推察できてしまいます。

 

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