★春の野で若菜摘む 


   ハハコグサ(春の七草ではゴギョウという)

南房総のスイセンが3週間遅れで満開となったと報道されていました。
いわゆる“春の七草”も遅れに遅れ、ようやくゴギョウ(五行、母子草)が顔を見せる程度です。
昨日は大雪の予報がはずれて雨。
植物にとっては恵みの雨となり、カエルたちにとっては目覚めを促す雨となりました。
桜田門外で井伊大老が暗殺されたのは新暦で言えば3月24日ですから、春とはいえ、まだこれからも大雪ということはありえます。

  君がため 春の野に出でて 若菜つむ、わが衣手に 雪は降りつつ     光孝天皇

光孝天皇は実際には袖をぬらさず、お付の者に命じて採集した若菜を誰かさんにプレゼントした時に添えた和歌だと思われます。
若菜は冬のものみな枯れている野にいち早く芽生え、生命力があるとして尊重されました。

あなたの健康、不老長寿を祈ります。あなたのために私が雪の中で摘んできました--という内容ですから“君がため”の“君”とは女性と見た方が自然でしょう。

歌の作者、光孝天皇は第58代天皇、まだ親王時代の歌です。
前任の第57代天皇は陽成院で、百人一首の次の歌の作者として知られています。

  つくばねの 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる

その陽成院は7歳で即位し、15歳で退位します。
やんちゃな天皇で、宮中での殺人事件に関与したらしく、時の朝廷の実力者であった藤原基経によって若くして強制的に退位させられました。
次の天皇を誰にするか、基経が擁立した人物に人々は驚きました。なんと三代も前の第54代仁明天皇の第3皇子・時康だったのです。
当時としては老齢の55歳での即位は異例です。
朝廷内の傍流としてひっそり暮らしてきた親王を基経は御しやすい人物と見たのでしょう。
実際、即位後は政治をすべて基経に任せたと伝えられています。

そして陽成院の子孫は誰一人として天皇に即位することはありませんでした。
こうして藤原氏独裁が不動のものとなっていきます。

光孝天皇がまだ若く、時康親王だった頃の“君がため―”の歌には暗さはまったくありません。
青年貴公子のはつらつとした輝きが感じられます。
その後の人生を考えると、果たして天皇になったことは良かったのかどうか。
“君がため―”の歌の頃が一番良かったと思っていたのではないでしょうか。

  

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