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★クリスマスが近くなるとシャコバサボテン満開

シャコバサボテン
     左右に紅白のシャコバサボテン。もう15年目ぐらいになる。

新築する際、風呂場を南面に配置したので冬場は温室状態になります。
バスタブのすぐ上が窓ですから、窓辺の花は入浴時に顔の近くになり、入浴するのが楽しみです。
ポインセチアほどのクリスマスカラー(赤と緑)ではありませんが、クリスマスだなぁと感じます。

クリスマスは救世主(イエス)の誕生を祝ったものですが、中世キリスト教は邪教の祝日だとしてたびたび弾圧していました。
そもそも聖書にはイエスの誕生日は何月何日かを触れていません。
当時のローマ帝国で広く信じられていたミトラ教の冬至の祭りが12月25日であり、威勢の衰えた太陽が新しく復活する日とされていました。
古代ゲルマン人も冬至の祭りをしていました。
太陽の復活=新しい救世主の誕生はキリスト教神学に詳しくない古代ローマ人やゲルマンの一般庶民がそれまでの宗教の祭日を自分らに都合よくのっとったものでした。
だから邪教の祭日として非難されていました。
しかし人々の新しい時代が来るという願いがまさりました。

さて、今年はコロナコロナで1年が過ぎました。
そして貧富の差が拡大し、貧富の差に怒る人々からの差別も拡大しました。フェイクニュースが氾濫し、対立が激化しました。
逆に平和を愛し、事実を確かめ、差別を悲しみ、差別をなくすことを誓う人々も増えました。

ジョンレノンの暗殺40年だそうで、バイデン新大統領誕生にイマジンが自然発生的に歌われていました。
国境も宗教も肌の色による差別もない世界を想像してご覧と呼びかけた歌でした。
ジョンレノンの歌には彼らしいクリスマスソングがあります。
“ハッピークリスマス(戦争は終わった)“です。

イマジンほど有名ではありませんが、聞いたことがあるという曲だとは思います。
今年のクリスマスほどこの歌がふさわしい曲はないように思います。
新しい年は争いがなく皆が平和で過ごせますようにという歌です。
上記“ハッピークリスマス(戦争は終わった)“をクリックするとユーチューブで曲が流れます。
一度,聴いてみてください。
イマジンと同じ思想が流れていることに気がつくはずです。
人々が争いのない平和な世界で暮らしていけること--愛こそすべてです。



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★今日21日は冬至。柚子湯ですね。

花柚子
     今年の柚子(花柚子)は豊作です。

12月21日は昼の時間が一番短い冬至です。太陽の南中高度が一番低い日だとも言います。
一年を24に分けた二十四節季では今年の冬至は12月21日(月曜日)から1月4日(月曜日)までとなります。1日だけではなく、この15日間を冬至と言うんですね。
冬至を過ぎれば立春まで小寒、大寒と続き、ますます寒くなりますが、日脚(ひあし)は日ごとに伸びていきます。
真っ暗闇の時代は過ぎた、日差しが戻りつつあるぞとしてこの冬至の期間を「一陽来福」ともいいます。勇気が湧いてくる良い言葉だと思います。

庭の柚子をいくつか取って、今夜はゆっくり柚子湯に入ることにしましょう。
体の芯から温まりますし、その香りでリラックスします。
ややピリピリしますが、乾燥した皮膚にも良いようです。ぐっすり眠れることでしょう。

使い終わった柚子はどうしますか?
びちょびちょのまま生ごみへ直行では地域のごみ処理場が迷惑するに違いありません。
ネットに入れて干してから、半乾きの状態でバスルームの水垢取りに使います。
余るようでしたらキッチンなど水回りにも使えます。
オレンジ洗浄剤と同じようにアルカリ性のこびりついた汚れによく効きます。

汚れた柚子の皮はそれからどうします?
刻んで乾かし、生ごみたい肥置き場へ行きます。
あるいはミキサーで粉砕して、畑の除虫材として使用します。
殺虫剤ではありません。匂い、香りで害虫を追い払うだけですが、まぁ気休め程度にはなります。

そうそう、今夜は木星と土星が397年ぶりに大接近する日です。
夕刻、ベランダから眺めてみたら木星の輝きが強すぎて、土星が見えにくい。それでもくっきりと見えました。
今夜はほとんど重なって見えましたが、ここ数日は接近している木星・土星が南西の低い空、17:30頃に見えるはずです。
見逃した人は暇を作って日暮れて暗くなった南西の低い夜空を眺めてください。
だれにでもアレだなとわかる強い光の星が木星です。
さすが天空の王者ジュピターの名を負う惑星です。

★睦沢町・妙楽寺の大日如来

大日如来
    大日如来坐像、座高279cm

何もないがある、というキャッチコピーのいすみ市はそれでも国道が通り、鉄道も通っています。ところがいすみ市の隣町・睦沢町は国道も鉄道もなく高速道路もない町です。
今は田舎町ですが、上総国一宮・玉前神社がある外房の一宮町、江戸時代には城下町だった中房の大多喜町と隣接していて関係が深く、一宮と大多喜を結ぶ県道150号が昔からの古い街道で、由緒ある遺跡神社仏閣が多い落ち着いた町です。

妙楽寺はちょっと小高い山の上にあり、かつては天台宗・東国密教の一大拠点だったといわれています。
現代では周辺の森は千葉県の指定天然記念物となっており、樹齢200とか300年のスダジイや珍しいシダ類などの植物をはじめ多くの鳥類や昆虫類も多数生息しています。訪れた日もたぶんコゲラでしょうね。木をつつくドラミングが聞こえてきました。すがすがしい雰囲気の中に大日堂はありました。

そんな妙楽寺には平安後期の作だという丈六(じょうろく)の大日如来像が伝わっているというので参観に行きました。
丈六とはお釈迦様の身長が1丈6尺(約4.85メートル)あったという伝説があり、1丈6尺の高さの仏像を丈六といいますが、座像の場合は半分の8尺に作っても丈六といいます。
大日如来は平安時代に最も信仰を集めた仏様で、ここの仏像は像高279cmの座像ですから、ちょっとびっくりするような大きさです。往時の妙楽寺の繁栄がしのばれます。

大日如来坐像の開帳は毎年2月第1日曜日だけです。訪れたこの日は、参拝客もお寺の方もだれもいませんでしたが、大日堂の扉を開けて中へ入ると自動的に灯がつき、格子越しに拝観できるようになっていました。
平安後期の定朝様(じょうちょうよう)と呼ばれるふくよかでいて威厳のあるご尊顔でした。
その左右に不動明王像と毘沙門天像が安置されていましたが、これも威厳がありました。
わざわざ拝観に来た甲斐があったと満足しました。

この仏像が古都奈良や鎌倉にあったならば、おそらくもっと世間に知られていたことでしょう。
「何もない」睦沢町に素晴らしい仏像がありました。
拝観料はありませんからお賽銭を少々入れておきました。
わずかなお賽銭ではとてもお寺や文化財を維持していくのは難しいだろうななどと、いらぬ心配をしてしまいました。


★いすみ市近くの長南町にある前方後円墳、(能満寺古墳)

能満寺古墳
 全長74m。外房随一の大きさ。後円部の方が高いが、奥なので低く写っている。

いすみ市は大昔、伊自牟あるいは伊甚と表記され、イジムあるいはイジミと呼ばれていました。
夷隅川と一宮川の流域が古代の伊甚国の領域で、房総半島太平洋側の有力国でした。

その伊甚国の首長の墳墓とみなされているのが画像の前方後円墳です。
丘陵の上に盛り土で作られ、そこからは当時は統治下の田園風景を眺められたことでしょう。
そうとうな権力者だったことが想像できます。

前方後円墳とは四角形(方形)の古墳と円形の古墳を合体させた鍵穴みたいな形状の古墳です。
方形の部分で祭祀を行い、円形部に埋葬したようで、ここの古墳でも円形部で舟形木炭槨と呼ばれる特殊な埋葬施設と銅鏡、銅の矢じり、鉄の刀、玉類、鉄製道具類などの副葬品が見つかりました。

世間ではまったく有名じゃない古墳で、いすみ在住の人々も知らない人の方が多いと思います。
わたしも川崎の自宅といすみの何有荘の間を往復する途中で、能満寺古墳の看板を何度見かけても、たいして興味を抱きませんでした。
今回のコロナ騒ぎの外出自粛にあきあきして、近くの見落としてきた場所を訪れてみようと思った次第です。
今回の訪問で、思わぬ拾い物と言いますか、良い遺跡に巡り合えたと思っています。
天台宗能満寺の横、竹林とシイ林に囲まれたとてもすがすがしい空間でした。

長南町の教育委員会が建てた平成27年の看板には、4世紀の古墳で昭和22年の明治大学による発掘で後円部に木炭槨があったと記されています。
ところが同じ長南町教育委員会の平成3年の看板には、古墳は5世紀初頭で木炭槨があったのは後方部だと記されています。
二つ並んで建てられている看板の内容は矛盾しています。たぶん平成3年の看板が間違っています。前方後円墳に「後方部」などありえません。5世紀ではなく4世紀の古墳なのでしょう。
矛盾した看板がそのまま立っているのはおかしいと思わないのはおかしいと思います。

古代の伊甚国は現在では、いすみ市のほか、大多喜町、一宮町、睦沢町、長南町、長柄町、茂原市の一部などに細分化されています。
行政区域が違うと他の地区の特産品や名所旧跡なども全く紹介されないのが普通です。
いすみ市のパンフには能満寺遺跡について一行も触れていません、

いすみ市に古墳がない(少ない)のには理由があります。
一つは破壊されてしまったこと。外房線三門(みかど)駅近くにあった円墳は外房線が開通する際に邪魔だとして撤去されてしまいました。
二つ目の理由は伊甚国以南の夷隅川流域は、大和の中央連合政府に献上され、伊甚国首長の手を離れて朝廷直轄地に編入されてしまったこと。その事情は日本書記「安閑天皇」にあります。
強大な豪族がいなければ巨大な古墳もない。せいぜい小さな円墳しかなかったのに、それも邪魔だと撤去されてしまった地域がいすみ市なのです。

“ここには 「何もない」 がある” とは地元のローカル線いすみ鉄道のキャッチコピーですが、まさにいい得て妙の感が致します。
しかし、豪族が栄華を誇った古代社会があったことは確かです。