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★討ち入りは西暦に直せば1月30日

忠臣蔵
    忠臣蔵のクライマックス場面

元禄15年12月14日はもちろん旧暦表記です。明治以来の西暦に直せば1703年1月30日のことでした。
2月1日が東京圏では中学入試日です。今頃の時期になると忠臣蔵と雪の入試を思い出します。
この時期は東京でも雪が舞うことが多い。今日は晴れだけど、すごく寒い日です。

赤穂浪士の吉良邸押し込み殺人事件は忠臣蔵として日本人の心性に大きな影響を与えました。
庶民は圧倒的に浪士の味方で大喝采だったことは史実のようです。

時は犬公方の綱吉の時代。人間よりも犬の方が大事なのかと幕政に対する不満が鬱積していました。
そこへ浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介は無罪――不公平じゃないか。幕府を恐れず主君の仇討とは近頃見かけぬ立派な行いだと幕政批判は一層高まりました。

この事件は今でも謎が多いのです。内匠頭は何に怒ったのか――賄賂を断ったから意地悪されたと歌舞伎は演じ、観客は浅野ひいきにぐっと傾きました。でも裏付け資料はありません。
浅野・吉良の確執の原因を浅野は一切を黙秘し、吉良は思い当たらないとしたので、今日でもそれは不明です。

わたしが不審に思っているのは、浪士たちが無事本懐を遂げ、泉岳寺まで凱旋行進をしたことです。
幕府は不満分子である浪士たちの動向をつかんでいなかったのでしょうか。信じられません。
幕府は仇討を黙認しただけではなく、むしろ援助したと考える方が理にかないます。

吉良邸が丸の内から本所に強制移住させられたことは浪士にとってラッキーでした。
川向うで蔵屋敷と空き地が多く、幕府の警戒が緩い地域です。
上野介は身の危険を感じ、実の息子が婿入りした米沢藩邸に入り浸っていた――吉良邸にはめったに帰らなかった――それなのに14日は在宅とどうして知りえたか――大高源吾の手柄ということになっていますが、それは本当か?

事件後、吉良家は領地没収、当主の吉良義周(18歳)は高島藩お預け、座敷牢状態で21歳で病没。
つまりお家断絶。

幕府は吉良家を見殺しにすることで幕政批判を回避する、これで喧嘩両成敗になったでしょう、文句あるかという状態を作り出したのが本当の事情じゃないかと思っています。


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★ロウバイの花咲く頃

roubai2.jpg
      近所でロウバイが満開でした

いつもと違う散歩コースを歩いていたら、満開の蝋梅(ロウバイ)に出会いました。あたりに良い香りが漂っています。
思わず立ち止まってしげしげと眺めていたら、おうちの方が出てきたのであいさつしました。立派な蝋梅ですねとお話したら、枝を数本カットして持たせてくれました。今、玄関で良い香りを振りまいています。

川崎にいたころはTVでロウバイが放映されるとそそくさと見物に出かけたものですが、いすみ市ではときおり庭で咲いているロウバイを見かけます。それですっかり出不精になってしまいました。
それにしても、このお宅のロウバイは大きくて見事でした。

ロウバイはまるでロウ紙の造花のような雰囲気なのでロウバイと言うのかと思いますが、
実は、臘月(ロウゲツ)の頃に咲く、梅に似た花なのでロウバイ(蝋梅)なのだそうです。
臘月とは旧暦十二月の異名。

古代中国で1年最後の狩猟納めの祭礼を“臘(ロウ)”といい、その祭礼がある月だから十二月の異名が臘月なのだとか。ロウソクのロウとは無関係です。
冬至から数えて3回目の戌の日が臘の祭礼日。
調べてみると、今年でいえば、本日、1月25日が冬至から数えて3回目の戌の日でした。
つまり、旧暦でいえば、本日はまだ12月、臘月二十日ということになります。

俳句の世界では季語という規則があります。
ロウバイは冬の季語。小寒から大寒にかけての季語だそうで、ほぼ臘月と重なります。
2月4日の立春を過ぎればもう春ですから、ロウバイを詠んではいけないようです。

冬至から比べるとずいぶん日差しが伸びてきました。
寒さは一番厳しい“大寒“ですが、もうすぐ立春だとロウバイが教えてくれます。
旧暦の元日は、今年は立春の翌日、2月5日。

満開のロウバイを見ると、なんとなく励まされているような気がします。
春はもうそこまで来ていると。


 

★あけましておめでとうございます。

謹賀新年
  何有荘前、大正堰の水仙

アッという間に、もう7日になってしまい、松の内も終了です。

元旦の朝はかなり厚い雲で覆われ、今年の初日は望めませんでした。
いつもはごった返す太東崎灯台も閑散としていたようです。

元旦の昼からは例年のように親戚が集まり、小学生も含めて総勢12人の大宴会です。
夕刻、皆さんがお帰りになる頃、トイレでひと騒動ありました。
水が流れていかないのです。
少し時間をおけば引きますが、連続するとあふれ出そうです。
以前も同じようなことがあったので、年末から気を付けてはいたのですが…。

二日の朝、汚水用排水溝のフタを開けて点検すると、2番目の桝があふれ出そうで、3番目の桝には水が流れていません。
つまり、2番と3番の間が詰まっていると判断できます。
いろいろ試しましたが、手を突っ込んで邪魔物を除くのが一番効果的でした。

何が原因だったと思いますか?想定外のものでした。
それは 木の根 。近くに植えたチェリーセージの根がぎっしり詰まっておりました。
これを取り除いたらすべて勢いよく流れていきました。ヤレヤレ、疲れた。

後でネットで調べてみると、根で詰まることは、わりと良くあるトラブルのようでした。
部品と部品のちょっとした隙間から根が入り込んで増殖するようです。
排水管を完全に掘り起こして、部品と部品の間を完全にテープでブロックする作業はもう少し暖かくなってからすることにしましょう。
とりあえず、チェリーセージやその他の植物はかわいそうだけど撤去しました。

初詣は夷隅町の国吉神社に行きました。
ここの主な神様はタケミナカタで、大国主命の息子。信濃の国、諏訪大社の神様で、天皇家に対する出雲の国譲りに最後まで反対した神様です。
国吉神社の昔の名前は諏訪神社でした。

いすみ市がむかし、伊自牟(イジム)国と呼ばれていたころ、その国王は国造(クニツクリ)と呼ばれており、
出雲国造とは同族だと『日本書紀』にあります。
6世紀ごろ、大和朝廷の策略に落ちて直轄地を屯倉(ミヤケ)として割譲する羽目になります。
いわば小さな出雲の国譲りですね。

朝廷からの使者を迎える御殿の仮屋を建てたのが現在の刈谷地区だとか。
そこに鎮座していたのが諏訪神社。現在の国吉神社。
いすみ市では由緒が古い神社になります。

2019年5月に天皇の代替わり儀式があります。
天皇家のご先祖が天皇として日本を掌握する前、日本列島は出雲系、物部系が仕切っていた――ここ、いすみ市も出雲系だったんだよなと思います。
上総国一宮の玉崎神社の仲間である地元の玉崎神社は物部氏が今でも神主を務めているのだとか。
天皇家以前からの列島の古い歴史が残っている地域です。