★ゴーヤもいろいろ

ゴーヤいろいろ
    
一番上のゴーヤは長さ45cmで巨大。中の2本は色も形も普通サイズ。下の3本は小型サイズで、いくら待っても大きくならず、放置しておけばこのサイズで黄色く過熟します。

最近、ホームセンターでは何種類ものゴーヤの苗や種が売り出され、わけもわからず購入した各種のゴーヤがグリーンカーテンで実をつけています。
味の差は鈍感なので区別がつきません。
どれも同じように調理しています。

先だって、 「ゴーヤの佃煮」 を紹介しました。
これはなかなか評判が良くてあちこちにおすそ分けで喜ばれています。
日持ちがしますから大量消費にちょうど良いと思います。

今日紹介するのは、温かいソーメン、冷たいソーメンの汁にゴーヤを利用しました。
温かい  冷たい汁

温かいソーメンは、つゆに温玉、ゴーヤ、シイタケ、ニンジンの炒め物が入っています。
冷たいソーメンは、つけ汁にゴーヤ ミニトマト、ツナ缶のツナ、ゴマを加えてあります。

ゴーヤはチャンプルーと決めつけず、何にでも利用してみると、どうにかなります。
生のままでもOKですが、軽くゆでた方が苦みが柔らかくなります。
苦みが身上とは言え、あまり強すぎるよりもマイルドの方が食べやすいと思います。

「ツナマヨゴーヤ、ミニトマト添え」 なんかも簡単で食がすすみます。
なにせ、ゴーヤもトマトも豊作で、せっせと食べねばなりません。
工夫すれば、アキがきません。
せっかくの夏野菜ですから、無駄にはしないようにしましょう。


 
 
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★映画『ジャイアンツ』を思い出した。

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 ロックハドソン、エリザベステーラー、ジェームスディーン。トップスター共演の大河ドラマ

中学・高校時代には「映画音楽」というジャンルがあり、よくラジオで聞いていました。
ジェームスディーンの「エデンの東」がヒットチャートの連続一位を続けていたのを覚えています。

そのジェームスディーンの最後の映画が「ジャイアンツ」で1956年の映画ですから、わたしが見たのはリバイバル上映だったのでしょう。
ディミトリーティオムキンの「ジャイアンツ」のテーマソングはとても好きでした。

いくつも印象的な場面がありますが、ラスト近く、南部の超巨大な牧場主であり、油田会社の社長も兼ねるロックハドソンが、かつての雇用人で今や飛ぶ鳥を落とす勢いの石油王(ジェームスディーン)のパーティに招待され、意気消沈して帰る途中で立ち寄ったレストランの場面。
そこでメキシコ人がメキシコ人であるがゆえに入店を断られます。ロックハドソンが間に立ちますがマスターと殴り合いのけんかになり、打ちのめされます。
その時、バックに流れていた曲が 「テキサスの黄色いバラ」。
今思えば南北戦争の時の南軍の軍歌、行進曲です。もともとはメキシコ民謡だそうです。
この曲も何度もEPレコードで聞いた覚えがあります。

屋敷に戻ったロックハドソンは打撲の跡を妻のエリザベステーラーに介抱されますが、俺の人生は何一つうまくいかなかったとぼやきます。
妻は私の人生もダメだったと思っていたが、今日、あなたの闘う姿を見てあなたを誇らしく思った、わたしの人生は失敗ではなかったと夫に語りかけます。

南部の大富豪であるロックハドソンも成金石油王のジェームスディーンも人種差別主義者です。
しかしロックハドソンの息子はメキシコ人を妻とし、家業は継がないと宣言しています。そんな息子を苦々しく思ってきたのですが、ジェームスディーンに息子の妻がバカにされ、ジェームスディーンと争います。その後で息子はあんな成金などどうでも良い、問題はパパのような良識のある人の偏見だと告げます。それがこたえたのでした。

そしてレストランの場面です。メキシコ人を差別する支配人にロックハドソンは心から怒りに燃えて戦ったのです。そして打ちのめされた。
そんなダンナを奥さんは褒めたたえ誇りに思うと告げたのでした。

それが1956年の映画です。
今年は2017年ですから、61年前の映画で、アカデミー賞をとりました。
アメリカはもうずーっと、南北戦争を経てからもずうーっと人種差別と闘ってきたのですね。

今回のアメリカの事件で、多くの人々が白人至上主義に反対の声明を出しました。
心の心底から人種差別・民族差別に反対する伝統があるのです。

マルチンルサーキングの1963年のワシントン公民権運動の大行進だ成功を収めるには、映画「ジャイアンツ」など地道な努力、キャンペーンがあったのだと思います。

1956年の映画ではロックハドソンは打ちのめされた。しかし妻はそれを誇りに思い夫を称えた。
若かったわたしは映画で、超富豪だって(つまり誰だって)民族人種の平等に目覚めるのだと励まされたような気がしました。
そして歴史はその方向に進みました。

ジャイムススチュアート監督の「ジャイアンツ」はそのテーマソングとともに私の記憶に残る映画です。


  

★バジルソース作り

バジル
             左=バジル    右=ハイビスカス

バジルの葉が使い切れなかったら バジルソースにして保存します。
ジェノベーゼなんていうしゃれた名前がありますが、バジルソースがわかりやすい。
ピザやパスタに使います。魚や肉のソテーやフライにも使います。

【材料】 ①バジル 35g  ②にんにく大1片  ③松の実 50g  ④エキストラバージンオイル 100cc
     ⑤塩 小匙1/2
   ※最低限、バジルの葉と塩、オリーブオイルだけで良いのだけれど、
    コクや深みを出すためにニンニクや松の実を加えてあります。
    塩を塩コショウに変えたり、松の実の代わりにパルメザンチーズを使っても良いでしょう。

【作り方】
  1.バジルの葉はできるだけ細かく(適当に)刻みます。
  2.すべてをミキサーに入れて攪拌粉砕すれば出来上がり。
  3.熱湯消毒したビンに詰めて冷蔵庫保管。
  4.あるいはジップロックに薄く延ばして入れて冷凍庫保管。適当に割って使います。

バジルはけっこう育てるのに神経を使います。虫がつきます。
おいしい野菜は虫にとってもおいしいのかもしれません。
土壌に問題があり、株の成長がゆがみ、弱っているのかもしれません。
弱みを抱えている植物には猛烈に虫がつくことは確かです。

それで鉢植えにして室内でこの株は育てました。
葉の具合など毎日点検していますから順調に育ちました。
葉を順に使っていても使い切れません。

主にピザに使いますが、マルゲリータなんてバジルが黒くなって涙です。
葉を包丁で切るから黒くなるとか、水気があると黒くなるなどと言われていますがわからない。
バジルソースにすれば少しはマシ。緑が保たれるでしょう。
ちょっとカッコイイしね。
作ってみるに値します。
       バジルソース バジルソース



 
 

★ジャコウアゲハの幼虫

ジャコウ幼虫
   ウマノスズクサ(馬の鈴草)だけを食べる

ジャコウアゲハとはアゲハの仲間で、オスがジャコウの香りを放つことが命名の由来ですが、そんな香りは嗅いだことがありません。
クロアゲハに似たすっきりした姿のアゲハです。

ジャコウアゲハはウマノスズクサというツル性の雑草だけしか食べません。
この雑草にはアリストロキア酸という毒があり、ジャコウアゲハはこれを食べても死にません。
毒と共存する特殊な身体を獲得し、幼虫も成虫もその毒を体内に貯めているので、天敵も寄り付かないといいます。

アゲハモドキという蛾がいます。ジャコウアゲハにそっくりな姿がその名前の由来です。
ジャコウアゲハそっくりに擬態すれば天敵に狙われないと進化したちゃっかり者の蛾です。

ところが神様の采配は微妙です。
アリストロキア酸に強い寄生蜂やクモが少数ながら天敵として存在します。
ウノノスズクサしか食べないので、その草がなければ飢え死にです。
雑草刈りで刈られることが多く、各地でウマノスズクサは激減しています。
かなり食欲旺盛で、その1株に多数の幼虫がいると葉不足から共食いを始めます。
その株が小さければ、結局だれも生き延びることはできません。

画像の幼虫は某所の小さなウマノスズクサに産み付けられていた卵を何有荘のウマノスズクサに移したものが、大きく育ったものです。
二匹いたはずなのに一匹しか見当たりません。
食草があれば無事育つというのでもなさそうです。
この一匹はなんとか美しい蝶に大変身してもらいたいものだと応援しています。

*****

いすみ市役所での展示『いすみ市の戦争遺跡』が新聞に載りました。
     千葉日報87 001     IMG.jpg
    千葉日報・県南版(8月7日)       朝日新聞・千葉版(8月9日)

今は平和な景色が広がるいすみ市も72年前は本土防衛の最前線でした。
わたしたちの展示によって、昔を知る人々が戦時中の苦労を語りだすきっかけになれば良いなと思っています。
その苦しみ、悲しみ、怒りがあったからこそ戦後の平和が続いてきました。
その思いを語り継ぐ時代になりました。


 


 
 

★黄色くなったゴーヤは捨てないで

ゴーヤ1
    真っ赤なルビーのような種

この真っ赤なゼリー状の部分はとても甘くて、小型のガラスの器などに入れて出せば、ちょっとしゃれたデザートです。
もちろん中の種はたべられません。
洗って乾かして保存しておけば、来年、芽を出すかもしれません。

黄色くなった果肉は生食できます。もう苦みがほんの少ししか残っていません。
だから、スライスして野菜サラダの彩りに添えることができます。
まだ黄色くなりかけで、しっかりした体型を持っているならば数分間ゆでた方が良いでしょう。

ゆでたゴーヤのスライスをマヨネーズで食べても、ポン酢で食べてもお好みです。
ジャムにするという方もいるようです。

一番簡単な使い道はジュースです。
画像は黄色いゴーヤとバナナ、それをりんごジュースで割ったものです。
        ゴーヤジュース

ゴーヤのストレートは飲んだことがありません。
合わせるのは、バナナ、りんご、桃、パイナップルなど何でもOK。
牛乳で割ったり、飲むヨーグルトで割ったりするのもお好みです。

黄色くなったゴーヤをこのまま放置すると、パックリ実が割れて中の真っ赤な種が見えて、何やら不気味な雰囲気です。
やがてボトッっと落ちてアリが群がります。
しかし、これが正常なゴーヤの一生です。
芽が出て花が咲き、実ができたら熟れて種を落して一生を終えます。

私たちが利用するゴーヤはまだ未熟な果実で、だからこそ青くて苦みがあります。
果実をねらう鳥たちに、苦いぞと信号を送り、未熟な種子を守ります。

種子が熟すと、おいしそうだろうと色で野鳥を誘い、食べてみれば苦くなく、ついでに種まで飲み込んで、その種は真っ赤なゼリー質に包まれているので飲み込みやすい。そして糞と一緒にどこかに排泄してもらえば、ゴーヤの子孫繁栄が保証されるという段取りです。

もっとも食材としてのゴーヤは苦みが身上ですから、黄色くなる前の青いゴーヤが一番良い。
ビタミンCも青い方がずっと多い。
黄色くなる前に採集しましょう。


 
 

★ブルーベリーのジャム作り 活力鍋で

ブルーベリージャム

知人からブルーベリーをたくさん頂きました。
知人は知り合いの方の庭で大量に収穫したそうで、そのおすそ分けだと言っていました。
軸をとり、きれいに洗っての差し入れなので恐縮しました。

【材料】  ①ブルーベリー1120g  ②三温糖450g  ③レモン1個

【作り方】
 1.ブルーベリーと三温糖それにレモン果汁を活力鍋に入れ1時間放置。
   長時間放置すればするほど果汁がにじみ出てくる。
   急ぐ時は、時をおかずに軽くかき混ぜるだけでも良い。
 2.活力鍋で強火。オモリが触れだしたら、軽く触れる程度の加熱で2分。自然冷却。
   普通の圧力鍋ならば10分程度だろうか。
   ブルーベリーの皮はけっこう強いので、煮崩す感じの加熱が必要。
 3.フタを開けると果汁が驚くほど出ている。これを中火でアクをとりながら煮詰める。
   焦げ付かぬよう気を遣いながらのこの作業が一番面倒。
 4.熱湯消毒したビンに詰めて出来上がり。

普段は電子レンジでチャカチカャッとジャムを作ります。アク取りも煮詰めるのも電子レンジの方がずっと簡単です。
が、今回はブルーベリーの量が1kgを越えています。そんな大きな耐熱ボールを持っていないので活力鍋で作りました。

アサヒ軽金属の活力鍋は普通の圧力鍋よりも圧が高いので、加熱時間が少なくて済みます。
その分高価ですが、メンテもしっかりしており、使い捨ての調理器具ではありません。

さて瓶詰が5個できました。
これに手作りシールを貼って冷凍庫保管です。
これだけあれば1年分ですが、友人知人に分けたりすると喜ばれます。
けっきょく、お土産用のジャム作りみたいなものです。

いすみ市はブルーベリーの産地でもあり、ブルーベリーを育てている方は多い。
何有荘でも育てていましたが、手入れが悪くて枯れてしまいました。
最近は購入するか、頂き物か、不自由しないのはうれしいことです。
産地のそばで暮らすというのはいいことです。

****

暑いですねぇ…。室温31℃、外気温35℃。何もやる気がしません。
調べてみたら昨年も今日は猛暑日でした。
すでに8月7日の立秋は過ぎたのに、地獄のような残暑です。

72年前、一瞬の閃光とともにこの世に、まさに地獄が出現しました。
“正義の爆弾”は72年後の今年、ようやく人類と共存不可能と国際的に認定されました。
日本政府がその先頭に立って世界の平和を実現することを望みます。



 

★戦争末期、人間魚雷“回天”基地が大原にもあった。

人間魚雷回天断面図
     回天断面図 魚雷に乗り込み敵艦に突入する兵器

東京芸術座が8月15日から 『父を騙(ダマ)す 72年目の遺言』 を上演するといくつかの新聞で取り上げられていました。
認知症になりかけた父を騙して施設に入れようとする家族に対し、すべてを忘れ去る前にこれだけは語り残したいと、父が語り始めたことが人間魚雷“回天” です。

それとは別に2年前の8月15日にあるブログで、「18歳 回天特攻隊員の遺書」が掲載されました。

―――

お母さん、
私は後3時間で祖国のために散っていきます。  


胸は日本晴れ。 
本当ですよお母さん。
少しも怖くない。  

しかしね、
時間があったので考えてみましたら、
少し寂しくなってきました。

それは、
今日私が戦死する、通知が届く。 
お父さんは男だからわかっていただけると思います。  


が、お母さん。 

お母さんは女だから、
優しいから、
涙が出るのでありませんか。

弟や妹たちも
兄ちゃんが死んだといって
寂しく思うでしょうね。
 

お母さん。

こんなことを考えてみましたら、
私も人の子。やはり寂しい。

しかしお母さん。
考えて見てください。 
 
今日私が、
特攻隊で行かなければ、
どうなると思いますか。  

戦争は
この日本本土まで迫って、
この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。


母さん

今日私が特攻隊で行かなければ、
年をとられたお父さんまで、
銃をとるようになりますよ。


だからね、お母さん。  


今日私が戦死したからといって
どうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。 
お母さんは優しい人だから。  


お母さん、

私はどんな敵だって怖くはありません。


私が一番怖いのは、
母さんの涙です。

―――

わたしが住むいすみ市の大原にも漁港に隣接して巨大な地下回天基地が建設されました。
回天が格納され、港内にレールで引き出されるための開口部が一つだけ残っています。
大原回天跡地

幸いなことにと言って良いのかどうか、特殊魚雷回天を載せた輸送船が大原に向かう途中で米軍の攻撃を受けたのか、敷設された機雷に触れたのか沈没しました。

大原で待機していた特攻隊員は不完全燃焼のまま終戦を迎えました。
わたしの叔父(93歳)も予科練崩れで、戦後はいろいろあったようです。
今は、戦争なんかない方が良い、平和が一番だよと言っているのは遺言のようなものだと心して聞いています。


 
 

★岬町出身、田中哲郎上飛曹(20歳)の手紙 

銀河陸幕
  田中さんが搭乗し戦死した海軍の「銀河陸爆機」(画像元Wiki)

戦争末期、菊水作戦と称する特攻攻撃が行われました。
作戦は第一号(1945年4月6日-11日)から第十号(6月21日-22日)まで実施され、その後も終戦までの間、断続的に特攻が続けられました。
沖縄諸島周辺でのこの特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死しました。

その戦死者の中に岬町宮前出身の田中哲郎さんがいました。
――戦没年月日はS20.04.07。戦没場所は沖縄方面――と『岬町史』にあります。

上飛曹でしたが、戦死による階級特進で海軍少尉となりました。
4月7日の神風特攻隊は、*第四銀河隊/宮崎 *第四建武隊/鹿屋 *第三御楯隊706部隊/宮崎の三隊が出撃しています。
そのうち、第三御盾隊706部隊 に田中哲郎さんの名前が見えます。航空局委託練習生第13期とあり、海軍が開発した「銀河陸爆」に搭乗して帰らぬ人となりました。

――――

早苗ちゃん 風邪をひかないか、元気で、毎日、日参に又学校に行って居りますか。
寒いから気をつけなければいけないよ。
早苗ちゃんが病気になると兄さん、うんと心配しちゃうからね病気になんか成るんじゃないよ。
雪が降ったことがあるかい。兄さんの居る処は時々降るよ。此処には高い高い山が有るんだよ。
ホラあすこに見えるタイトウミサキの山を、二十くらい積んだ山がね。
こんな高い山、早苗ちゃん見たこと有るかい。なに、有る、どこで、なあんだ、ユメでかい。
・・・・そしてねこの山はずっと前から、雪の着物を着て真っ白だよ。だからずいぶん寒いよ。
だけど兄さんなんか平気だよ。どうして、それはね、どんどん駆け足やったり、体操やったりするからだよ。
だから早苗ちゃんもどんどん運動するんだよ。そうするとあたたかくなるし、病気なんかにもならなくなるよ。
だけど、早苗ちゃんは女だから、あばれたりしちゃだめだよ。
喜久ちゃんをたたいたり、おとうさんやおかあさんの言ふことはよく聞くね。
それからもうひとつ幹ちゃんをよく見てやるんだよ。ずいぶん大きく成っただろうね。
かはいいだろう。早苗ちゃん勉強するんだよ。もうじき三年生になるんだものね。
この間、愛子ちゃんから、かはいい手紙が来たよ。早苗ちゃんも喜久ちゃんと書いて、くださいね。
兄さん、待っているよ。

兄さんはね毎日元気で赤いトンボのような飛行機にのって飛んで居るよ。
小さな舟や白いホを上げたホカケブネやいろんな形をした島のういた青い青い海の上や村の上
町の上をブンブンとね。 では早苗ちゃん手紙を待って居るよ。
  
                              ――文書発信元はここ
――――――

田中哲郎さんの手紙は遺書という体裁ではありませんし、雪が積もっている山など書かれていると、そこはどこか? と思います。
兵士は今どこでどんな任務をこなしているかを家族に連絡することが許されません。
赤とんぼのような飛行機で訓練しているということは、家族はもしや特攻隊かと不安に思うに違いありません。
わざと今は九州にいることをはぐらかし、妹に対し優しく話しかけるような手紙を書いています。
家族に心配をかけまいとする優しい性格の方だったのだろうと推察いたします。

4月7日は戦艦大和が沖縄方面へ特攻出撃し、坊の岬沖で撃沈された日でもありました。
駆逐艦8隻、巡洋艦1隻を従えた大和は僚艦5隻を含め3721名とともに海に沈みました。

今思えば無謀な戦争で、勝つ見込みのない戦争を続けてました。
国民全員が死を覚悟する“一億玉砕”が政府=軍部の合言葉でした。

その苦い経験から自衛隊の最高指導者は文民、つまり軍人ではないと規定されています。
ところが文民であるアベ氏やイナダ氏が「日報」を隠し、「戦闘」という言葉を「武力衝突」といい変え、自衛隊員に戦闘状態の現地にとどまることを強制しました。
文民統制(シビリアンコントロール)という歯止めが効いていない状況です。

破棄したはずの「日報」が出てきた背景には、明らかに制服組によるアベ・イナダ不信感が潜んでいます。
制服組(軍人)でさえ、文民であるアベ氏やイナダ氏は危険人物だ、部下を死地に追い込んでいる好戦的司令官だと反発したのでしょう。

憲法9条を改正した偉大な首相との名誉欲しさのために、自衛隊員の犠牲を考えずに突っ走るアベ首相。
自衛隊員も昔と変わらず田中哲郎さんのように家族思いの方が多いと思います。
現在の9条を守り抜くことが、平和な日本を守り抜くこと、自衛隊員の命を守り抜くことにつながることでしょう。


 

★ゴーヤの佃煮

ゴーヤの佃煮

まだいすみ市に定住せずに通っていたころ、夕食を食べた地元の食堂でみかけない佃煮が出されました。
これはもしかしたらゴーヤなのかとおかみさんにたずね、そのレシピを聞き取りました。
その後、自分で工夫したり、最近はググって他の人のレシピを参考にしたりしました。

私好みの、面倒くさくなく手軽で美味しい佃煮レシピは 【農家のレシピ】ゴーヤの佃煮 でした。
以下、ほぼ丸ごとパクリです。

【材料】
ゴーヤ 500g  醤油 50cc  砂糖 100g 酢 40g カツオ節 10g  ゴマ 適量

【作り方】
 1.ゴーヤは縦に切ってスプーンなどで種と中の綿を取り除きます。
 2.2ミリくらいに薄く切り、熱湯にいれサッと茹で、水けをしっかりと絞ります。
 3.砂糖、醤油、酢をあわせて沸騰させ、その中にゴーヤを入れて中火で煮ます
 4.汁気がなくなるまで煮込み、最後にかつお節とゴマを入れば出来上がりです。

このレシピの良い所は、特別な材料は必要とせず、今、台所にあるもので出来上がる点。
ゴーヤは油物、あるいはたんぱく質と相性が良いと言われます。
だから豚肉、じゃこ、豆腐、揚げ豆腐、卵などとよくコラボされます。

ゴーヤチャンプルなんか典型的ですね。
当時はゴーヤチャンプルしか知りませんでした。
でも冷蔵庫にいつも豚肉、じゃこ、豆腐があるとはかぎりません。
カツオ節さえあれば成り立つ和風の定番 “佃煮” はゴーヤの消費方法として優秀です。

アレンジは何とでもできることが、また魅力です。
  合わせられる食材は豚肉や豆腐の他に、エノキ、シイタケ細切り、ひき肉、ドライトマトなど。
  味付けの変化:味噌味、唐辛子少々、柚子胡椒少々など。

考えるだけならば、無料で自由ですから、あれやこれや想像の翼を広げるのは楽しいことです。
失敗したって実被害はありません。
これはうまそうだ、という組み合わせが煮詰まったら実際に作ってみましょう。
うまくいったら、心ひそかに自慢です。


 

★いすみ市大原庁舎で「いすみ市の戦争遺跡」展示

戦争遺跡展示
      市庁舎ロビーにて

いすみ市は非核平和都市宣言をしている自治体で、毎年、8月になると戦争と平和に関する何らかの行事を行っています。
今年は広島の原爆資料館から資料をお借りして『原爆の絵展』が開かれています。
8月1日~16日。土日祝日を除く。

この展示の一画をお借りして 「いすみ市の戦争遺跡」 が展示されました。
市民の方から市役所に 「岬町の戦争遺跡を調べている人がいる」 と電話があり、市役所から 「9条の会岬」 に連絡があり、そこから私の方に連絡が入りました。

わざわざ市役所の人が二人見えて、協力を依頼されましたので、断るわけにもいかず承諾しました。
いすみ市からは市内全図を頂き、そこに戦争遺跡と関連施設を書き込み、画像もラミネート加工してはりました 

また一昨年の 『岬町戦跡ツアー』 関連資料とスナップ写真も展示しました。

記入してみると結構あることに驚きます。
普段は戦争による傷跡などまるで気にならないのどかな田舎ですが
色々あったんだろうなぁと思います。

さいたま市では、「梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ」 という俳句が、恒例となっている公民館だよりの俳句欄への掲載を拒否されるという事件がありました。
アベ首相が憲法改正を日程に上げる中、首相の意向に反する俳句だと公民館が忖度して掲載拒否になったものでしょう。

いすみ市では9条の会であっても差別せず、戦争遺跡の資料公開を認め、促したのはありがたいことだと思います。
ただ、戦争遺跡とは意見、政治信条ではなく、事実ですからね。
自衛隊海外派兵賛成の人でも、戦争遺跡がここにある、あったという事実は否定できません。
その事実から現代を生きるわたしたちが、何を学び取るかが問われているのでしょう。

今回の展示資料には載せませんでしたが、いすみ市岬町地区には4カ所の「忠魂碑」があります。
岬地区4カ村出身の戦死者の名前が刻まれています。
ある日突然、赤紙(召集令状)1枚で軍隊に編入され、そのまま帰還できなかった若者の名前が刻まれています。

今日の平和は数多くの若者や、巻き込まれた一般市民の犠牲の上に築かれました。
いわば、平和のための人柱として犠牲になったと言っても良いでしょう。

国際政治の緊張・軋轢の解決手段として戦争をすることを私たちは永久に放棄しました。
国家利益のため、あるいは首相の個人的名誉のために、国民・自衛隊員に死ねと命じることは人道に反すると学んだのでした。

ことし も暑い8月になりました。
わたしの叔母(母の妹)は夏の夜空に開く花火の音が嫌いだと言っておりました。
焼夷弾の音を思い出すからだそうです。
夏の花火を心から楽しめる、そんな時代が永久に続けばいいなと思います。