★モクレンもコブシも花盛り

モクレン
コブシ
        上=モクレン(木蓮)    下=紅コブシ(紅辛夷)

寒いですねぇ。今朝は霙(ミゾレ)でした。
海に近い何有荘の地区は温暖で、雪を見るのは今シーズン初めてのことです。

いすみ市では梅が終わりソメイヨシノが花開く前、あちこちに純白のモクレンが目立ちます。
大ぶりの樹に幾多の花を咲かす姿は大変豪華でおおらかな感じがし、背筋が伸びる思いです。
コブシも咲く時期ですが、いすみ市ではあまり多くありません。白モクレンが圧倒的に多い。

車で通りかかるとモクレンかコブシか判別しがたい時もあります。
見た目で大きな花ならモクレンで、コブシはやや小型ですが見慣れないと判別は難しい。

一番簡単な判別法は花の向きです。
モクレンはどの花も必ず天を向いて咲きます。しかも、やや北向きに。
日の当たる南側の方が花びらの育ちが良く、そのためググッと北向きに片寄るのです。

コブシは花の咲く方向はてんでんバラバラ。
右向き・左向き、上向き・下向き勝手に咲いているので、モクレンと区別できます。

モクレンはチューリップのようにカップ型で花が咲き、コブシはパッと展開して咲きます。
咲いた花の形で判別します。
しかし、モクレンでも終期になると展開してしまう。
コブシは1枚1枚の花びらの幅がモクレンよりも狭く、華奢(キャシャ)な感じがします。
モクレンの花びらは大型なのでモッタリしているので区別できますが、慣れないと難しい。

もしも近くでゆっくり観察できるならば、コブシは花の付け根に1枚の葉がついています。
モクレンは枝から花のみなので、付け根に葉のあるなしで区別できます。
ところが花の終期になるとどちらも葉が出て伸びてきてしまいます。

つまり、確実に判別するのは花の咲き始めから盛りまでが容易だということです。
花が終わってしまうと、どこにモクレンがあったかコブシがあったか、まったくわからなくなってしまいます。

今まで花咲かす機会がなく、有象無象(ウゾウムゾウ)に埋もれて暮らすわたしたちにも、年に1度、花咲かす姿を見せることによって春が来たぞと明るい希望の灯をともしてくれます。
よし、頑張って今年こそ花を咲かすぞ決意を新たにします。
春は希望の季節です。



 
スポンサーサイト

★初タケノコまだまだ小さいが

新タケノコ

東京では桜の開花宣言。
全国で一番早かった。
鹿児島よりも高知よりも早く、東京がヒートアイランドであることを、はからずも証明してしまいました。
房総いすみ市の桜はまだまだです。月末ごろでしょうか。

わたしたちが手を入れ、管理している竹林のタケノコを収穫しました。
記録を見ると昨年より半月遅れで、しかも小さい。
いずれも地中に埋まっていますから、すり足で竹林を進み、靴底に当たる触感でタケノコを見つけます。
師匠ともいえる先輩が3本見つける間に、わたしたちは1本見つけられるかどうか。

タケノコはアクがあるので――というのが常識ですが、地中にあったタケノコはアクがありません。
日に当たるとアクが生まれます。
地中から先端が顔を見せるようになると、イノシシなど野生動物に発見されやすくなり、掘り起こされてエサになってしまいます。
タケノコはそうはさせじとばかり、アクを生産して「エグイゾ」 と発信して全滅を防ぐ自然の妙技です。

画像のタケノコは地中タケノコで、しかも収穫後、数時間しかたっていませんからあく抜きの必要はありません。
皮をむくと実体はほんの小さなものですが中身がぎっしり詰まっています。
節と節の間がほとんどありません。
下ゆでして薄味で煮てみましたが、味があまりしみこみません。
一晩、漬けこんだらいい味になりました。
すごく柔らかくて上品な味です。

さて、今朝の外気温は3℃。またまた冬に逆戻り。
1860年の3月24日は旧暦の桃の節句3月3日。
この朝、雪が降りしきる桜田門外で井伊大老が暗殺されました。
だから今日25日は雪が降らなかっただけマシかもしれません。
タケノコが小さいのも、そんな年もあるさですね。


 
 

★ヤブカンゾウ―――春の野草

ヤブカンゾウ若芽
     特徴的な葉の若い芽吹き

ヤブカンゾウはニッコウキスゲの仲間で、その若い芽や花のツボミはすぐれた山菜です。
そのおいしさは野生鹿が証明しています。
日光キスゲ平のキスゲが野生鹿に食べつくされたことがありました。

鹿ヤイノシシ、ヒヨドリなどは美味しいものをよく承知しています。
ヤブカンゾウは野草としては超一流の味です。
と言っても野草独特のニガ味、渋味があるわけではありません。
繊維質が固く,スジが気になることもありません。

野草というよりも、ほのかにネギの味と香り、食感がある野菜であるという印象です。
画像はもう食べられる大きさです。もう少し育った方が量多く採集できます。
地中に小刀を入れ、根元から切り取ります。

この姿のまま食べたい誘惑にかられますが、葉と葉の間に土や汚れがありますから
1枚1枚取り外してよく水洗いします。

鍋に塩少々、水をはって沸騰させ、30秒程度さっとゆでます。
ザルにあげ、冷水で冷やし、水を絞って食べやすい長さに切りそろえます。

さて、そこからはお好み次第。
天ぷら、お浸し、酢の物、胡麻和え、卵とじ、バターソテーなどなど。
鰹節やシラス、すりゴマをまぶしてお醤油たらりが一番簡単ですかね。

画像は酢味噌和え。やや甘めの酢味噌にしました。
切り方はちょっと短めになりすぎました。5cmぐらいで切っても大丈夫です。

       ヤブカンゾウ酢味噌

★春の野の味――ツクシの煮びたし

DSC01306.jpg

先週あたりから、ツクシが芽を出し、今週末はボコボコ出始めました。
もう、あちこちでウグイスが鳴いていますから、春になったのだと実感します。
20日がお彼岸の中日です。季節は確実にめぐってきています。

<ツクシの採集>
  1.ワンコちゃんの散歩道のツクシは避けた方が良いでしょう。
  2.穂先が固く締まっている若いツクシが良いが、丈が短く軸が細いのが欠点。
  3.背が高く軸が太い大きなツクシは穂先が開き、アクが強すぎるのが欠点。
  4.だから若いツクシを多数収穫し、ツクシらしさを味わい、
    大きなツクシは量(カサ)を増やすために採集し、その穂先は切り捨てる。

<ツクシの下処理>
  1.まず全部水洗いで、ゴミや土・泥、雑草を除いてから、ザルにあける。 
  2.ハカマをはずすのが一番面倒な作業で、アクが手指に着くと、なかなか落ちない。
    とっておきの方法が、左右の指先を酢に浸してからハカマをはずすこと。
    これで手指は汚れない。
  3.指先用の残った酢と塩少々を入れたたっぷりの水にツクシを浸し、時々かき混ぜる。
  4.30~60分すればかなりアクが抜けている。浸した水は緑色。花粉の色でしょう。
  5.沸騰した湯にツクシを15秒ほど入れて下ゆでし、冷水にとる。

<ツクシを煮る>
  1.出汁、醤油、味醂、酒、砂糖で味付け。その量はツクシの量によるでしょう。
   今回はツクシ60本に対し、出汁100cc、醤油:味醂:酒:砂糖が大匙2:2:1:2。
    面倒くさければダシ入り麵つゆを利用すれば簡単です。
  2.弱~中火で10~15分煮込み、そのまま自然冷却で味をしみこませて完成。

味付けはやや濃いめが良いでしょう。ご飯のおかずにもお酒のアテにもなります。
削り節をまぶす、玉子とじの具材、ピザトーストの具材、冷奴の添え物などバリエーションは工夫次第、お好み次第。
余った漬け汁は豚コマの煮汁に再利用しました。

春の野に出てツクシ摘み―――これは春の到来を楽しむ昔ながらの日本人のイベントです。
早春を代表するフキノトウに苦みがあるように、ツクシにも苦みがあります。
冬の間に縮こまった体を活性化させるには苦みが良いのだと昔の人は言いました。
ツクシが手に入る環境ならば、ぜひツクシ摘みをお楽しみください。



 

★絶滅危惧種の卵嚢、二種

山椒魚アカガエル
     トウキョウサンショウウオ、       ニホンアカガエル

梅の花が盛りを過ぎ、木蓮の純白の花が咲きだすと、トウキョウサンショウウオ(東京山椒魚)やニホンアカガエルが(日本赤蛙)が水辺に卵を産み始めます。

トウキョウサンショウウオ(東京山椒魚)は魚と名付けられていても魚類ではありません。
蛙(カエル)と同じ両生類で、外見はイモリに似ており気弱な生き物です。
頭に東京-とあるのは、最初に東京で発見されたからで、別に東京だけに住んでいるわけではありません。
しかし、東京をはじめ近県各地で数が激減し、千葉県では絶滅危惧種に指定されています。

子ども時代はオタマジャクシで育ち、手が出て足が出ると、尻尾を残したまま近くの山林の腐葉土などに潜り込みます。だから日中に成体を探し出すのはかなりむずかしく、卵が産みつけられた現場を見て、まだこんなにいたんだ、ここにも住んでいるんだと思います。

ニホンアカガエルには、よく似たヤマアカガエル(山赤蛙)がいます。
背中の筋(スジ)模様が少し違うだけですから、日本赤-か山赤-か、判別に苦労しましたが、本当は苦労することはありませんでした。

というのもいすみ市の野山、畑にいるアカガエルはどれも日本赤-ばかりのようです。
山道や畑で出会ったアカガエルは日本赤-だと断定して良いでしょう。

子ども時代はオタマジャクシで育ち、手が出て足が出て、尻尾がなくなりそうな時期に近くの山林、畑の草むらに移動します。
千葉県の絶滅危惧種ですが、いすみ市ではごく普通のカエルです。
ゴチャゴチャ、ピョンピョンいると、つい貴重種だということを忘れてしまいます。

多数いるから安心していると、本当に絶滅してしまいます。
ゲンゴロウ、タガメやミズスマシを探しましたが、いすみ市でももうゲンゴロウは絶滅しました。
タガメやミズスマシも見たことはありません。
農薬が用水路に流れ込み、毒殺されてしまったのでしょう。

クロメダカは下水道みたいな用水路でかろうじて生き残っています。
今の子どもたちは、“メダカの学校“ なんて言われても何のことだか理解できないかもしれません。

豊かな自然、多様な動植物が共生する自然を子どもたちに残すのは現代を生きる大人たちの責務だと思っています。

 
 

★雪が降っても春は春。

シュンラン2
      野山に咲いた春の妖精、春蘭(シュンラン)

先だっては4月中旬の気温と言いながら、今日はまたえらく寒い日です。
箱根は雪、銚子でも雪だとか。外気温を見たら5℃でした。みぞれになるかもしれません。

その先だっての暖かい日に野山を歩いていて見つけたのが画像の春蘭。
アンダーアングルで撮りましたから花の形がわかりますが、歩行者目線では花びら上部の黄緑色しか見えません。
花の高さも20cm程度ですから、探す気で探さないとなかなか見つからないものです。

2週間ほど前にもこの道を歩いて探した時は見つけられませんでした。
千葉県では絶滅危惧種に指定されているわけではないので、この道以外でも咲いているのでしょうが、春蘭が咲いていたよという話はあまり聞きません。

昔は里でも普通に見かける野草だったようで、ツボミはサッと湯通ししてお浸しに。花はホワイトリカーにつけて花酒に。また花を塩漬けにし花湯として飲んだとモノの本にはありますが
たった数株しかない春蘭をそんな風に食べちゃうわけにはいきませんね。

昨年よりは株数が減りました。
その年の気候などによって株数が増えたり減ったりするものでしょうか。
このままこの山道から消えてしまうのではなく、どんどん増えてもらいたいと思いますが、どうすればよいのか見当もつきません。


 
 

★これは絶品、ワラサのナメロウ

ワラサのナメロウ
          醤油のもろみで味付け
ナメロウとは房総半島の漁師料理。
新鮮な鯵(アジ)を長ネギ、生姜、大葉などと一緒にたたけば出来上がり。
火を通したものはサンガ焼きと呼ばれ、
サンガもナメロウも最近は素材も味付けもバリエーションが多く、観光客にも人気のある料理。

先日、大原の漁師・拓さんから立派なワラサを頂きました。
さっそく3枚におろし、一部は刺身、一部は塩麴漬け、一部は煮物で楽しみます。
さて、骨身に残った「ナカオチ」をスプーンでこそげ落して作ったのが画像のナメロウ。

味付けは普通は味噌(ミソ)味ですが、いすみ市の若い人たちが自家製醤油を作った、その搾りかすを頂いてあったので、それを使ってみました。
つまり、主材料は友人・知人からの頂き物で絶品料理ができました。感謝。
こんどなんかでお返ししなくちゃね。

<ワラサのナメロウ、作り方>

  1.ナカオチをスプーンでこそげとり、さらに包丁でたたくと粘りが出てくる。
  2.長ネギ、生姜のみじん切りを混ぜる。
  3.味付けは塩少々と醤油のもろみ(醬油製造の搾りカス)適量。日本酒少々。
  4.全部を万遍なく混ぜ、再度たたき、葉の形に整え、金ゴマを振れば完成。

もともとは房総の漁師さんが船の上でチャカチャカっと作るマカナイ料理ですから簡単です。
お酒はやっぱり日本酒が良いでしょう。ちびちびと。
残ったらアツアツ白ご飯にのせて、お茶をぶっかければ、絶品お茶漬けになります。

いすみ市って良い所ですね。
20年ほど前、いつか都会を脱出しようとあちこち調べていました。

海の近くか、山の近くか? 
海の近くの方が美味しいものが沢山あるという結論になりました。
では伊豆か、房総か?
伊豆への道路は超混雑して渋滞します。それで房総。
房総でも観光地はやはり混みます。
それで “何もない” といわれる当時の夷隅郡岬町を選びました。
なるべく静かな場所が良いと思っていました。

何もないどころか豊かな自然がありました。
海の幸、山の幸、里の幸。うっすらとだけど天の川が見える。希少種の小動物・植物。
画像には撮れませんでしたが、今日はミサゴが飛んでいました。
ミサゴは英語でオスプレイ。あの醜悪な垂直離着陸機ではなく、本物のオスプレイです。

昔ながらの助け合いの精神と豊かな人情がありました。
多種多芸、なんでも教えてくれます。
昔の長屋の住民のごとく、余ったものはおすそ分けで、品物がぐるぐる回ります。
本当にいい場所に越してきたものだと思います。


 
 

★ビワの葉風呂に入ろう

ビワの葉1
     傷・汚れのないきれいな葉を使う

裏庭では植えた覚えのないビワが大きく育ち、隣家に枝葉を伸ばすようになりました。
ビワの実は勝手に取って食べてください、と言い添えてきましたが、やはり気になります。
隣家に伸びた枝葉をカットすることにしました。

ビワの葉は薬草茶の原料になり、ビワの葉風呂の入浴剤になります。
剪定枝を燃えるゴミに出すのはもったいない。

 1.おろした枝葉から色形が整い、虫食いや傷のない葉を採集します。
 2.1回に使う葉は1~2枚もあれば十分です。
 3.良く洗ってハサミで8mm幅程度に刻み、100均で購入した大型お茶パックに詰め込み
 4.500cc程度の水で煮出すと鮮やかな赤茶色の煮汁がとれます。
 5.この煮汁は草木染に利用できますが、今回はお風呂用。
 6.お茶パックと煮汁をバスタブに入れれば出来上がり。
     ビワの葉煮汁
         ビワの葉煮出し汁

生葉を使いましたが、葉を乾燥保存しておけばいつでも使えて便利です。
ビワの葉風呂に入ると肌がツルツルすべすべになるのが実感できます。
だから肌荒れ、あせも、湿疹、ニキビ、アトピーなど肌トラブルや皮膚病の治療に効果があると言われています。

実際、連日の乾燥注意報で肌がカサカサになり、あちこち痒(カユ)かったのに、入浴後は痒みがピタリと止まりました。

薬局に行けば薬草茶のコーナーにビワ茶があり、それを使ってビワ風呂も作れますが、
いすみ市ならば庭にビワのある家は多いし、空き地や野山にあったりします。
わざわざお金を出して購入することもないでしょう。

ズラリと並んださまざまな薬草茶もいすみ市ならばたいていその薬草・山菜が手に入ります。
薬草ならばどの薬草でも、薬草風呂を味わえます。



 
 

★春のラッパ水仙2種

水仙1水仙2
     庭には何種類か水仙がありますが、名前は忘れました。

年末から咲いていた “日本水仙” はもう終わり
今の時期はラッパ水仙が庭で咲いています。
西洋種ですから何度名前を聞いてもすぐ名前を忘れてしまいます。

昨日3/5は啓蟄で(ケイチツ)した。
大地が温もり、地中の虫どもが穴をあけて顔を出し始める時期と言われています。

蛙も蛇も虫偏が付きますから、古代中国の感覚では虫の仲間です。
そして昨日は暖かな日で、初めて蛙の声を聴きました。
鳴き声から察するに、シュレーゲルアオガエルだと思います。

そしてもう一つ、「春告鳥」 と言われるウグイスの初鳴きがありました。
ジッ、ジッと鳴くのを地鳴きと言いますが、地鳴きに混ざって時折ホーホケキョ。
若い鳥なのか、まだ不器用な鳴き声でした。
ようやく春らしくなり、カエルやウグイスが浮かれて試し鳴きをしてみたのでしょう。

旧暦ではまだ寒い如月(キサラギ)で、もう半月ほどたつとようやく春の彼岸の中日になります。
春のお彼岸のお墓参りには庭の水仙を仏花としてお供えしてきました。
格式と伝統あるお寺で、正式には松なのですが、最近はどのお墓もきれいな花で飾られるようになりました。
供養される人、供養する人が花でも良いと思うならばそれで良いと思います。

桜の開花予報では開花は3月下旬、満開は4月上旬だとか。
旧暦弥生(ヤヨイ)はじつは3月28日が一日(ツイタチ)です。
桜、桜、弥生の空は見渡す限り――今年は文字通り、弥生の空の桜を楽しめそうです。



 

★江戸防衛の高速運河

小名木川
  Wikiより転載:小名木川全体の空中写真。西の隅田川から東の旧中川を直線で結ぶ。

2月の中頃に腰を痛め、ベッドにいる時間が増えました。
暇つぶしに寝転んで読んだ本が知人から借りた『日本史の謎は地形で解ける』(竹村公太郎 PHP文庫)があり、目からウロコでおもしろかった。

家康が秀吉の命令で北条氏の旧領を与えるからと江戸に移されたのは1590年のことでした。
江戸に着いた家康家臣団は、そのあまりにも貧しくひどい景色に激高したと言います。
江戸城のすぐ前は海で、西も東も広大な低湿地帯で人が住む場所はありませんでした。
難攻不落・鉄壁の守りの大阪城とは地理的条件は雲泥の差です。

そのころはまだ秀吉は健在だったし、東北の伊達氏は天下をうかがう気配がありました。
豊臣・伊達・南蛮の反徳川勢力が一斉に江戸を攻撃すれば防ぎようがない「死地」でした。
家康は華麗な居城を作るのは後回しにし、江戸防衛の三つの巨大プロジェクトを命じました。

一つ目は江戸湾に流れ込んでいた利根川を銚子方面へと付け替える「利根川東遷工事」です。
これは江戸を洪水から守るとためと言われていますが、竹村氏は本当の目的は江戸防衛の軍事工事だった言います。
南下する伊達軍を坂東太郎(利根川)でくい止めるのが隠れた狙いだったといいます。

外房九十九里浜の中央に東金市があります。
ここを家康は鷹狩と称して二度訪れており、その経路は「御成街道」といいます。
その道路は昼夜兼行で3日でできた、とうわさされる突貫工事でした。

江戸から東金までほぼ直線の御成街道は、家康の鷹狩のためと称していますが、たった二度の鷹狩でもう東金には来なかったのは権力者の気まぐれでしょうか。
低湿地帯を何万という軍勢が通過するのは不可能です。
竹村氏は徳川軍を素早く房総に展開するための軍用道路だったといいます。
武田信玄が建設した棒道(直線道路)と同じだと考えると良いでしょう。

そして画像の小名木川開削工事です。
当時、ここは低湿地帯で、当時の海岸に沿って直線の運河を作ったのは、船橋の塩を江戸に運ぶためと称していますが、大量の軍事物資を船で房総へ運ぶことが真の目的だったと言います。
低湿地帯の水はけを良くし、掘削でできた土砂は埋め立てに使う一石四鳥の計画でした。

家康が江戸に着任して真っ先に行った工事が、利根川東遷、御成街道、小名木川の工事でした。
それは江戸防衛の必要最低限の緊急工事だったともいえるでしょう。
江戸城と城下町が本格的に整備されるのは1615年豊臣氏が滅亡し、世の中が落ち着いてからでした。

以上、竹村氏の説をかいつまんで紹介しました。
家康の江戸防衛の深慮遠謀に感心した次第です。
わたしは民生安定の土木工事だと思っていましたから、裏には軍事目的があったとは驚きです。

竹村氏は触れておりませんが、江戸湾入口にある館山藩(里見氏)が些細なことで山陰へ追い出されて滅亡するのは大坂夏の陣の直前、1614年のことでした。
家康が関東を留守にしたとき、外様の里見氏が謀反するのを事前に防ぐ目的だったのでしょう。

歴史が専門ではなく、土木工学が専門の竹村氏から見た日本史の姿は、どの項目を見ても「そういう見方が成立するのか!」という驚きの連続でした。