★春一番、2月17日

ホトケノザ
    ホトケノザ
立春を過ぎた後、日本海に低気圧が発達すると、暖かく強い南風が吹く――それが 「春一番」。
「春一番」 という単語が 歳時記 に初めて掲載されたのが1959年というから驚きます。
すごく新しい単語だったのですね。
初めて新聞に登場したのが1963年2月15日の朝日新聞朝刊。

その耳新しい単語が一挙にメジャーな単語になったのは1976年3月1日に発売されたキャンディーズの 『春一番』 からでしょう。
ミニスカートの女子3人組が歌う 『春一番』 は熱狂的な支持を受けました。

作詞作曲 穂口雄右 唄 キャンディーズ
今でもそのメロディーと映像は鮮明に思い出すことができます。

  雪がとけて川になって 流れていきます。
    つくしの子がはずかしげに 顔を出します。
     もうすぐ春ですね。ちょっと気取ってみませんか。

いすみ市でも 今年の春一番が吹き荒れました。
でも、つくしの子はまだですね。
いすみ市の春の野の花は、画像のホトケノザとヒメオドリコソウがちょうど盛りを過ぎたころです。

ホトケノザは仏の座で、その葉がまるで仏様の丸座布団みたいだという印象から命名。
春の七草のホトケノザとは別物で、食用にはなりません。
春の七草のホトケノザはコオニタビラコというキク科の植物で、この名も越冬状態の葉の姿が仏様の丸座布団のイメージからきています。
名前がかぶっていても、昔の人はあまり気にしなかったようです。

こちらがヒメオドリコソウ。
ヒメオドリコソウ
白い花のオドリコソウより小型なのでヒメオドリコソウ。
ホトケノザもヒメオドリコソウも同じシソ科で、同じような唇口花という特殊な形の花を咲かせます。
花の色も形も同じで、同じような場所で、同じような時期に咲き、姿全体の大きさも同じくらいですから、混同する人がけっこう多いのも無理ありません。

春一番の後は また寒さがぶり返すのが常のようです。
昨日は20℃だったのに、明晩は雪だとか気象予報士が言っていました。

暖かさと寒さが不規則に繰り返し押し寄せる――それが春の景色であり、人生の苦難もそんなもんなのでしょうね。
暖かくなるだけマシです。がんばんなくちゃ。


 
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★牡蠣(カキ)のオイル漬け

オイスターオイル漬け
    うま味を閉じ込めてさらにプラス

牡蠣の本場は数々あれど、兵庫県赤穂市坂越(サコシ)湾の牡蠣は天下一品です。
そのプチプチの牡蠣を知人が贈ってくれました。
定番の酢ガキ、カキフライ、焼きガキ、蒸しガキ、てんぷら…

どのように調理してもおいしいのですが、今回はオイル漬けにしてみました。

   1.カキの下処理:よく洗ってザルにとり、両面に軽く塩を振って5分経過。
     再び水洗い。ペーパータオルで水気をきっちりとっておく。
  2.フライパンにオリーブオイル300cc、ニンニク3片、輪切り唐辛子と粒胡椒を少々。
     じっくり弱火で熱し、泡が出てきたらカキを投入。
  3.カキに火が通ったら引き上げる。ここがポイント。加熱しすぎない。
  4.オイルに塩、醬油を少々、ベイリーフを加えて混ぜ、粗熱が取れるのを待つ。
  5.粗熱が取れたら消毒した保存ビン、またはジップロックにて冷蔵庫保管。

家庭で作るオイスターオイル漬けですから1週間程度で食べきっちゃう方が良いでしょう。
日本酒やワインのお友、パンやパスタのおかず。何に仕立ててもOK。

食べるときにはレモン片があるとおしゃれ。
牡蠣殻の上に載せて出せば、これはもう気分は WEST COAST ですな。
ダイニングを暗くして、ジャズでもかけてみましょうか。

 
 

★すっきりとした青空、見るもおぞましき

赤杉
   旧桑田村の鎮守様の参道

画像は里山再生活動をしている桑田地区の鎮守様、前玉(サキタマ)神社参道の杉並木です。
ご覧のように杉の葉の先が赤く覆われており、もちろん花粉です。
昔は春になるのが待ち遠しかったのに、最近は春になるのが恐ろしい。

帽子をかぶり、マスクをし、眼鏡をかけてまるで不審者のごとき服装で外出。
まるでイスラム教徒のようないでたちの女性も見かけます。
うがい、手洗いは風邪予防だけではなく、花粉症予防、軽減のためでも必須でしょう。

建築用木材の輸入自由化が1964年。
燃料が薪炭からガス石油にかわる燃料革命の時期とも重なり、国産木材は放置され、当時植樹されていた杉・檜木が一斉に適齢期になって花粉をまき散らすようになりました。

所得倍増論の時代であり、戦後の焼け野原から近代国家に生まれ変わったツケがこんな風に花粉症になって国民に回ってくるとは、当時は考えませんでしたね。

さて、明後日(18日土曜)が「雨水」――雨水がぬるみ草木が芽吹き始める頃、です。
ようやく春らしくなりますが、彼岸までは寒さのぶり返しがあると昔の人は言いました。

気温の変化とは無関係にキッチリと冬から夏への変化を示しているのが星座です。
冬の星座は豪華で、夏の星座はにぎやか。
中間の春はあまり注目されませんが、冬夏どちらも見ることができるのが春の夜です。

今の時期、日没とともに金星が西の空に輝き、東南の位置に冬の星座であるオリオン座や大犬座のシリウスを見ることができます。
オリオンやシリウスが西の空に沈むのが午前0時過ぎ。

一方、夏の星座の代表格であるさそり座が午前4時には東の空に登っています。
狩りの名手で傲慢なオリオンはサソリに殺されたため、今でもサソリが出ると逃げ隠れ、サソリはオリオンを追い続けている、というのがギリシャローマの星座物語。

オリオンが沈みサソリが出てくる、なるほど春の夜は冬と夏の中間なんだと思います。

 

★鶴ヶ城、亀ヶ城跡地

鶴が城
    椎木堰、中原堰に囲まれた中央部が城跡

戦国時代、いすみ市のほぼ全域を支配したのは土岐氏。
その主城が夷隅町の万木城で、岬町には鶴ヶ城、亀ヶ城と呼ばれる出城が画像半島状の中央部にありました。

鶴、亀というおめでたい命名ですが、実際、当時はこの地に鶴が舞い、亀が生息していただろうと推測できます。
乳幼児死亡率が高かった時代、戦乱に明け暮れた時代では長寿・長命を祈願して鶴、亀と名付けることはNHK、女城主井伊直虎の幼馴染の名前としても登場しています。

非常に特徴的な形の二つの農業堰は現在では左側を椎木堰、右側を中原堰と言います。
古い地図を見ると椎木堰は椎木古谷、中原堰は鶴ヶ城でした。
今は消えてしまった小字(アザ)地名には亀ヶ城、亀ヶ谷、屋敷台などがあり、かつて城があったことが偲ばれます。

おそらくこの半島状の台地(標高24m~40m)の東西部分に鶴ヶ城、亀ヶ城という二つの城塞が築かれていたのでしょう。
万木城の北東方面の守備の要(カナメ)であり、一宮や長南方面からの敵の侵入を防ぐ城塞でした。

昔の街道はどこを通っていたか、現代の常識で考えてはいけません。
昔は隣村に通うにも尾根筋の道を選びました。
一宮や長南から敵が攻め込むルートを押さえる絶好の位置にこの城塞がありました。
周囲は低湿地ですからう回路は不可能。難攻不落の城塞でした。

1590年、ほぼ関東全域を支配していた北条氏が滅びると、北条氏配下の房総の各豪族たちの諸城は怒涛の如く進軍してきた秀吉方徳川軍になすすべもありませんでした。
48の城があっという間に滅びたので「いろは崩し」と言われています。

万木城の当主・土岐氏も戦わずに逃亡したのですから、鶴ヶ城、亀ヶ城は言わずもがなです。
以後、廃城となり今日では笹薮に覆われ、往時の姿を思い起こす遺跡はほとんどありません。

この半島状台地からの景色、あるいは台地を見渡す周囲からの景色は画像のようになかなか風光明媚なものです。
民家や少数ながら別荘が散見できます。
しかし、現在では一宮方面に続く山道はもはや廃道となり、通じてはいません。
この台地の民家・別荘に通う道は太東駅方面からの、南からの細道ですが、この細道が急坂で道幅も狭く、車1台すれ違えないような道ですから開発が進まないのも無理はありません。
乱開発されるよりマシだ、と言えなくもありませんが…。

入口に相当する旧字(アザ)地名は調べた結果、「小滝」と判明しました。
岬町には旧「中滝 ナカタキ」村があり、隣町は「大多喜=大滝」ですから、大中小の滝がそろいました。
房総の山々は低く、華厳の滝や那智の滝のような壮大な滝はありませんが、
江戸時代の地元の人から見れば、大滝も中滝も小滝もある自慢の地域だったのでしょう。




 

★手作り本醸造味醂は簡単です

味醂
      4リットル梅酒用のビンに仕込みました。

毎年、味醂を作っています。もう十年以上になります。
時期は味噌つくりの前後、味噌を仕込んだ勢いで仕込みます。
今の時期ならば近所の産直店で米麹が手に入りますから。

【材料】  35度焼酎 700cc   米麹 500g   もち米 3合

わたしはこの材料比を753(シチゴサン)と覚えています。
しかし、レシピによってその差は大きく、焼酎は600~900cc、麹は200~600g、もち米は2~3合。つまり、どう作っても味醂になるようですから、失敗の心配はありません。

【作り方】
  1.もち米は半日以上浸水。おこわ機能で炊く。または白米目盛り2.5で普通に炊飯。
    炊くときにお酒をおチョコ1杯を加えろというレシピもあるが、しなくてもOK。
  2.粗熱が取れたら消毒したビンにもち米ご飯を移し
  3.焼酎をドボドボ加えてよく混ぜる。
  4.ここで検温。60℃以下になっていたら
  5.麹をほぐしては混ぜ、ほぐしては混ぜて仕込みは完了。
  6.スーパーのビニ袋をかぶせ、冷暗所で3~6か月後が楽しみです。

味醂は甘いお酒です。
だったら、日本酒に砂糖を加えればそれでいいじゃん、と思える人はそれで良いと思います。

本醸造味醂は発酵食品ではなく、麹菌はアルコールによって死滅しますが、米麹中の酵素が働いて、もち米のデンプンやタンパク質が分解されてブドウ糖やオリゴ糖などの多種類の糖類、各種アミノ酸、有機酸、香気成分などが生成され、本みりん特有の風味が形成されます。
砂糖の単純な甘さとは質が違います。

料理で味醂を使う主な理由は、煮崩れ防止、テリとツヤを出すためにだと思います。
肉や魚の臭みを飛ばす効果もあります。ふっくら仕上がる効果もあります。
そばつゆにも使われています。
味醂を加えることで、そばつゆや煮汁が適度な粘度を増し、素材に絡みつくようになります。

味醂風調味料ではなく、酒税を払ってでも本物の本醸造味醂を味わってみましょう。
世界遺産、日本料理を縁の下で支えているのが味醂です。
作り方はいたって簡単で失敗はしませんから、どうぞお試しあれ。

自家製味醂を作って酒税法違反で捕まった人の話は聞いたことがありませんが、それが嫌な人は、
塩を重量比で2%加えておけばお酒ではない、調味料だとして通用するようです。

そういえば、子どもの頃、正月には家族そろってお屠蘇を頂いたものでした。
屠蘇散という薬草ティーバックを味醂に浸潤させた薬草酒だったのですね。
現代では、養命酒とか陶陶酒も味醂ベースの薬草酒らしい。

手作り味醂で自家製薬草酒ってなんか素敵な感じがします。


 
 

★庭の初物・フキノトウ

初フキノトウ
     顔を出したフキノトウ

立春を過ぎればどんなに寒くとも春の景色を見つけることができます。
庭でフキノトウが顔を出したのを見つけました。
枯葉や雑草などを始末しているときに、その陰に隠れているのを発見してうれしくなりました。

原野山林だったこの土地を購入した時からの先住民なのでしょう。
植えた覚えがないのに年々勢力範囲を広げています。
あまり見栄えは良くありませんが、家族二人でいただく分には十分な量が収穫できます。

まだ皮をかぶっている状態で地際で収穫すると苦みがあまりありません。
日光に当たると苦み成分が増えるのでしょう。
冬の野生動物はエサ不足で、イノシシなど野生動物こそ春を待ち望んでいたはずです。
フキノトウもタケノコと同じで、地表に顔を出せば、すぐに見つかり、新鮮なエサになってしまいます。
足がなく逃げることができない植物は、苦みを増してエサにはならないぞと自己主張して自分を守ります。

ところが人間はアクの抜き方を知っているので、春の恵みを存分に味わえるのですね。
春の苦みこそ春の味だし、デトックスにも良いのだとか。
春には春が旬のものをいただく、そんな贅沢ができるのが田舎暮らしです。

フキノトウを漢字で書けば 「蕗の薹」
トウという漢字がやけに難しい。ちなみに巨大化すると
草かんむりを取ると「臺」になり、現在の漢字表記では「台」
漢字は表音文字であり表意文字であるという特徴からすると「臺」も「薹」は発音はダイ、タイ。
これをトウと読むのは無理があり、トウは訓読み、つまり和語だというのが定説です。

ところが古代日本語に関心のある朴炳植(パクピョンシク)氏は『日本古代史を斬る』(学習研究社)で
「臺」も「薹」も古代韓国語で「ト」と読んでいたと主張しています。
その当否はわたしは知る由もありませんが、古代韓国語がそのまま日本語になったとすると少し興味がわきます。
トウという和語はなんとなくしっくりきませんでした。
トウだけでは意味不明で、外来語の雰囲気(漢語)の雰囲気があります。

さてそこから、ますます横道にそれますが、邪馬台国どこにあったかという論争があります。
邪馬台国はヤマタイコクと読むのが普通ですが、魏志倭人伝原文では邪馬壹国であり、古代韓国語で読めば、壹もトと読んだから、ヤマト国になるのだといいます。
 
若いころ読んだ本ですが、ヤマタイではなくヤマトだという主張でした。
フキノトウは「蕗の薹」。蕗の「塔」ではありません。
あるいは、そんなところに古代史の謎を紐解くヒントがあるのかもしれません。
いやいや、そんなクダライことを考えるよりも酢味噌で食べるか天ぷらか重要でしょう。


 
 

★冬の水たんぼ 

水たんぼ
     水が張られた、ただの枯れた田んぼにみえるが

冬でも田んぼの水を落さない田んぼを「冬水たんぼ」というのだと、地元の自然を守る会の人から教わりました。

ここは夷隅川河口左岸(北)の田んぼで、いすみ市がコウノトリを呼び込んでコウノトリと共生する田んぼのお米という付加価値を付けて地元のお米を売り出そうとする、その計画が発表される前から、冬は水たんぼでした。

いわば冬水たんぼの老舗(シニセ)ですから、野鳥たちも良く知っています。
画像ではほとんどわかりませんが鳥たちが来ています。
車で脇を通過したらまったく気づかないでしょう。歩行者だってその気で探さなければ見落とすと思います。こんな鳥が何羽も来ていました。
タゲリタシギ
           タゲリ                   タシギ

タゲリは水のない田んぼにもいます。地面を蹴とばして、驚いて地面から飛び出した虫を食べるから 田蹴りでタゲリ。
タシギは田んぼによくいる鴫だから田鴫でタシギ。

湘南の大磯に「鴫立庵」があります。
西行法師が  心なき 身にもあはれは しられけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮
と詠んだのが大磯の近くだったそうで、このシギはタシギだったろうと言われています。

タシギは茶色のまだら模様が枯葉の中では保護色となり、人が来るとじっと動かず風景の一部になりきります。
しかし、あまりに近くなるとバッと飛び立ち逃げ去ります。鴫たつ沢とはそんな景色なのでしょう。

水をはった田んぼには微生物が多く住み、イトミミズやドジョウなど小生物も多い。それをねらって鳥が集まり、フンを落として帰る――それが田んぼの肥料となる。雑草もまた鳥たちのエサとなる。
やがて水ぬるめば蛙の大合唱。蛙は害虫を食べ続けてくれる。
微生物と鳥やミミズのフンなどがうまく絡み合えばトロトロの田んぼになって雑草さえ生えないと自然農法家は言います。

自然農法の実践家によれば、農薬は百害あって一利なし、化学肥料はいらないと言います。
上手に付き合えば除草剤だって不要だとも言います。

でもまねして始めてみた人は大変な苦労だった。やはり文明の力は借りたっていいじゃないかと言います。
難しいもんですね。