★今日は大みそか

母子草
    春の七草、ハハコグサ(母子草)です

本年中、とりとめのないブログにお付き合いいただきありがとうございました。

本日は大みそか。漢字で書けば大晦日です。
晦日は本来は新月前日の「月の出ない暗い日」という意味でした。

旧暦では月末の31日は存在せず、30日か29日でした。
月末の三十日を「 み.そ.か 」と読み、1年最後の晦日は大みそ日。

だから12月31日を「おおみそか」と読むのは本来はありえませんが、月末ならば29日だろうが31日だろうが「みそか」で良いらしい。

今日は旧暦ではまだ師走(12月)の三日。ところが新暦ではもう正月になっちゃうんですね。
旧暦の12月は新暦では1月です。この点が重要になるので記憶してください。

明治になって急に強制的に旧暦が廃止され、西暦が採用されたのは、明治政府にお金がなかったから。
武士は年俸制でしたが、お金がないので官吏(役人=公務員)を月給制に切り替え、分割払いにしました。
さらに頭が痛かったのは、来年はうるう年だと分かったからです。今日のように2月末日が1日増えるのではなく、うるう月といって1か月分丸々ふえます。このままだと1年に13回も給料を払わねばなりません。そんな余裕は政府にはない。

そこで誰だか頭の良いヤツが考えた。西暦に切り替えてしまえばうるう月の給料をカットできるだけでなく旧暦12月の給料を新暦1月の給料だとして支給すれば、あわせて二か月分の給料が節約できる。そうだ名案だ。早速そうしよう―――こうしてあわただしく新暦が採用されたのでした。

旧暦には旧暦の良い点もあったのですが、教育を通じて徹底的に無視されました。
たとえば、時は元禄14年12月14日――ご存知、赤穂浪士の討ち入りの日はほぼ満月の夜のことでした。月が出ていれば明るい夜でした。しかも前日からの雪明り。
満月の夜って、懐中電灯がいらないくらい明るいとは、こちらに来てから体感しました。
月明かりを利用した襲撃だとは現代人にはピンとこない人が多いでしょうね。

本能寺で織田信長が打たれたのは、闇夜の夜襲だったということはその日付から分かります。
天正10年6月2日。新月の翌日でほぼ闇夜でした。
旧暦だと、「その日」を追体験できることが便利です。

画像は春の七草のひとつ、ハハコグサ。
うすい緑でスプーン型の葉とツブツブの黄色い花が特徴。
春の…と言いながら、房総では1年中見ることができます。

若い葉を摘んでゆで、細かく切っておかかでも振りかけて醤油味でいただくのが簡単です。
昔の江戸の草餅は、この母子草の葉を利用しましたが、元禄のころ、ヨモギの葉を利用した人がいて、色よし、香りよし、味よし、滋養分ありとして売り出して大当たり。

以後、江戸の草餅はヨミギ利用が一般化しました。
ハハコグサの場合、ややスジが気になるけれど、すりつぶしてお餅に混ぜれば気にならない。
うすい緑色でパンチ力に欠きますが、上品な感じのするお団子になります。
小豆あんこをまぶしていただけば最高です。


 
 
スポンサーサイト

★師走になればスイセンの花

スイセン
   日本水仙の花が咲き揃いはじめた

スイセンを水仙と書くことは誰でも知っていますが、それが音読み、つまり中国語読みだということに注意を払う人はあまりいません。
平安末期から鎌倉時代にかけて中国の南宋から移植された外来種で、和名はありません。
なのに、すっかり日本の景色に溶けあっています。
房総では11月から咲き始め、春先までずっと咲いています。

ヒガンバナ科スイセン属の多年草で、一度植えればほとんど世話なし。野生化しています。
球根、葉に毒があり、毎年ニラと間違えての食中毒事件が起きて世間を騒がせます。

学名は「Narcissus tazetta var. chinensis」ナルキッサス タゼッタ ファ シネンシス
ナルキッソスはギリシャ神話に登場する美少年の名前。水面に映る自分の姿に恋い焦がれて衰弱死した少年。自己愛・ナルシシズムの語源。
タゼッタは、イタリア語で「小さなコーヒー茶碗」だそうで、中央の黄色い花びら。
シネンシスは、「中国の」という意味。
つまり、日本では「日本水仙」と言っているけれど、学名は「中国水仙」となっています。

ナルキッソスが亡くなった場所に咲いた花――水辺に咲いた花だから水仙だというのですが、
ナルキッソスを本当に「水仙」と訳したのかどうか、少々疑問に感じていました。

中国にこんな伝説があることを最近知りました。
―――ある冬の寒い日、貧しい老婆の家に一人の乞食が食を乞うて訪れた。老婆は気の毒に思い、残っていたご飯を惜しまずに与えた。
満腹した乞食は、あなたの田はどこにあるのか、案内してほしいという。老婆がこっちだよと案内すると、なんと乞食は田に食べたご飯を吐き出した。驚く老婆に「これからは花を売って暮らしなさい」と告げると、近くの湖に身を投じて消えた。
翌年、吐き出した飯粒から芽が出て花が咲き、老婆はその花を売って豊かに暮らすことができた。あの乞食は仙人だったのかと老婆は思った。湖に消えた仙人が残してくれた花なので「水仙花」呼ばれることになった。―――

吐き出した飯粒から水仙が生まれたとは、あまりきれいな話ではありませんが
日本神話では、スサノオを歓待するためにオオゲツ姫が鼻や口、尻から様々な食材を取り出して調理したとあります。
スサノオはそれを汚い・無礼だとして姫を切り殺すのですが、古代人の心性では、食物や有用な物、きれいな花などは神様の体内から産まれたと信じていました。
その点で、吐いた飯粒から水仙が生まれたとする伝説は古代神話と共通するものがあります。
それを汚いと感じるスサノオは現代人に近い心性です。

「水仙」とは中国語ですから、水仙の語源としては中国の伝説のほうがすっきり納得できます。


 
 

★戦国時代末期の「和泉要害」城跡地

和泉要害
    スーパーレオ駐車場から見た要害跡地。左手が人工的な急斜面の特徴。

戦国時代末期、現在のいすみ市に相当する地域を治めていたのは土岐氏で、土岐氏と言えば鎌倉時代からの名門で特に美濃国で栄えました。
しかし、美濃土岐氏はマムシの異名を持つ斎藤道山に追われて没落します。

明智光秀の前半生ははっきりしませんが、美濃土岐の一族を自称していました。
その家紋は桔梗紋で、織田信長は本能寺の変では桔梗紋の旗差し物に囲まれて光秀の反乱だと悟ったと言われています。
いすみ土岐氏の家紋もまた桔梗紋でした。
光秀の意図は滅びた土岐氏を再興するところにあったとみてよいでしょう。

いすみ土岐氏の先祖は流れ流れて房総半島に定着し、はじめは安房の里見氏に仕え、やがて頭角を現し、土岐弾正少弼為頼は「里見三羽ガラス」と呼ばれるほどになりました。
しかし、そうであればこそ野心も人一倍あったのでしょう。里見氏と手切れて独立し、里見氏とは敵対関係にあった小田原の北条氏と同盟します。

そうは許さじと里見側の攻撃は厳しくなります。南の御宿から、あるいは西の大多喜から攻撃を開始します。
北側からは、現在の長生郡に威を張っていた武田氏の攻撃も繰り返され、どちらの方向から誰が攻め寄せてくるか気の休まる暇もなかったことでしょう。
  
東側は断崖と遠浅の続く太平洋で、防衛上はやや安心できます。
ドカリの波と地元で呼ばれる荒波の海岸ですから、当時の船では大軍を運ぶのは困難です。
とはいえ土岐氏にとっては油断は大敵ですから、東側の防衛拠点として設置したのが画像の
「和泉要害」です。

いすみ市夷隅の万木城を拠点とする土岐氏を海上から攻めるとなると、上陸推定地は御宿、大原、大東の三カ所が考えられます。
「和泉要害」は現在の太東漁港から続く昔からの一間(180cm)道路が続く先にあります。
この狭い山道を封鎖すれば敵の進軍を阻止し粉砕することができるでしょう。その拠点です。

敵は現在の国道128号を進軍するかもしれませんが、当時この付近は湿地帯で行軍には不向きです。
しかし、その場合にも対応できる立地条件にあります。

画像を見て、あぁやはり房総の城跡だと特徴づける光景が見られます。
山頂部の左側が急に傾斜していますね。
戦国時代、房総の山城には石垣がなく、人工的に山を削って砦としました。
石垣を築き天守を建てたのは信長以後の話。房総にはその流儀は伝わっていなかった。
この急斜面で守られた難攻不落の砦が「和泉要害」でした。

いまではここが城跡(砦跡)だと知っている人は地元でもほとんどいなくなりました。
延寿寺というお寺がそこにあります。
なんとなく触れがたい特別な場所だという意識から放置され、やがて神社やお寺の敷地になるんでしょうね。

和泉要害で、どれほどの戦闘があったのか、記録は全く残っておりません。
1590年の小田原北条氏滅亡とともに、この和泉要害の歴史も終わりました。








 

★外房の海苔雑煮

海苔雑煮
     ネット画像をまねして作ってみました

房総半島の太平洋岸では地元の「ハバ海苔」をつかった雑煮がソールフード、故郷の味だそうです。
海苔(ノリ)と言えば、浅草海苔、山本山タイプの海苔か岩海苔の佃煮ぐらいしかなじみがありませんが、外房ではいろいろな海苔が採集されます。

ハバノリという海苔は、ハバをきかすというダジャレからか、特に正月に珍重されました。
ところが昨今は不漁で、さっぱり市場に出回りません。
ネット通販では3枚で3500円。何かの間違いじゃないかと思うほどの高値です。

やむなく「地のり」なるものを購入し、たっぷりの海苔を使った雑煮にしてみました。
出汁だけで具なし。真っ黒けの雑煮でしたがこれがけっこう結構いけます。(画像なし)
画像なしではさみしいので、翌日、蒲鉾と伊達巻を飾って画像にしてみました。

これもまたgoodで、入れる具は各家庭ごとにバリエーション、定番があるとききました。
根菜類や、魚介類、何を具にしても大丈夫だと思います。
「ハバ海苔」じゃないけど、おいしいから「地のり」で満足です。

海苔からはたっぷりと出汁が出るのだと先だってのNHKガッテンで言っていました。
海苔には多くのアミノ酸が含まれ、このアミノ酸は昆布出汁のグルタミン酸と同じ成分で、
カツオ節の旨味成分のイノシン酸と組み合わさると、最高の旨味になるんだとか。

カツオだしを使った海苔雑煮はだからウマイのだと納得します。
真っ黒けというなじみのない雑煮ですが、その旨さは見た目の悪さをはるかに上回ります。
真っ黒けでもイカスミパスタなんてありますからね。
真っ黒な海苔雑煮がいいんですよ―――外房のソールフードが少しわかった気がします。
明日は里山の餅つき。真っ黒けの雑煮をお出しすることにしましょう。

「地のり」は地元大原産。ほぼ同様な「磯のり」は内房産。どちらも手ごろな価格です。
しいて文句を言えば、何という海苔なのか、その品種名がどちらも表記なし。

地元で大豆を買うとき、何という品種ですかと聞いても「大豆です」という返事しかないことがあります。
サツマイモはさすがに最近は紅東、鳴門金時などと品種名が表示されるようになりました。
地元の海苔だから地のり、磯で採ってきたから磯のり――でも、都会から来た人にも販路を広げようとするならば、品種名を書くことはこれからは必須になることでしょう。

たとえば東京湾の浅草海苔は激減し、近縁種が浅草海苔の名前で流通しています。
それは厳密にはマガイモノです。――規制法令がないからOKなのかしら。
大切なことは昔ながらの浅草海苔なのか、そうではないのか、そこを消費者としては知りたい。

今食べている海苔は何という海苔なのか知りたいと思います。
内房で浅草海苔が激減し、外房でハバ海苔が激減した、その理由が知りたいところです。
そうすれば豊かな浅草海苔、ハバ海苔復活の手立ても見えてくることでしょう。


  

★お汁粉を作った

田舎汁粉

先日、「餅つきをしたから」 と知人のAさんが、つき立てお餅を届けてくれました。
もう師走ですね。あちこちで餅つきの話を聞きます。

里山の会でも今月の末にセンターの大掃除を兼ねて餅つきがあり、新年になると正月の行事として餅つきが恒例になっています。
その時は手作り納豆を持参するつもりです。あんこはU夫人が持参するでしょう。

それはそれとして、冷蔵庫に死蔵されていた小豆を使ってあんこを作ってみました。
それに湯を足して簡易お汁粉(画像)にしていただきました。
できたてのお餅にできたてのお汁粉、おいしいに決まっています。

小豆は1袋300g。一度1リットルの水を入れ、煮こぼしアクを抜きます。
あらためて900ccの水で活力鍋。沸騰したら弱火で20分。
ピンが降りたら砂糖250gを加えます。適当な砂糖がなかったので氷砂糖で代用。
放置しておけば溶けますが、はやく食べたかったので多少加熱しました。

小豆は事前に水に浸す必要がなく、活力鍋ならばほとんどスイッチポンだけで出来上がります。
本当に便利な調理器具です。

冬至には小豆粥(カユ)や小豆・カボチャの煮物を出す地域があるんだそうです。
小豆の赤色が邪気を払うとして珍重されました。
小豆のお汁粉だってインフルやノロをやっつける威力があるに違いない――そう信じていただきました。

冬至には小豆。そして立春に(節分)には大豆。
豆類を食べる機会が最近はめっきり減りましたが、日本人の生活に不可欠の栄養食品でした。
豆類の持つ多様な栄養素が、「邪気を払う」とされた根拠かもしれません。

寒さに縮こまり弱った体に小豆粥や小豆カボチャが、特効薬として体力回復に役に立ったのだとすれば、冬至の食習慣は迷信として切り捨てるのは惜しいことです。
たぶん餅つきも単なる伝統行事ではなく、根拠があることなのだと思います。


 

★12/21は冬至。一陽来復

柚子
      今年も柚子風呂に入れます(庭の柚子の実)

今年(2016年)の冬至は12月21日。1年でもっとも昼が短く、夜が長い日です。
この日以後、昼(陽気)が勢力を盛り返し、徐々に昼の時間が長くなります。
そして昼夜の勢力が拮抗するのが春分(秋分)です。

1年の始まりをどこに置くか、洋の東西を問わず、冬至だと多くの古代人は考えました。
死にそうだった太陽が復活する日だ――という考え方です。
1年の季節の変化を昼夜の時間差で考える人たちです。
クリスマスはもともとゲルマン民族の大みそかと新年の祭りでした。

一方、1年の季節を寒暖の差で考える民族もいます。
日本人はこちらに属し、いくら明日から日脚が伸びるから新年だと言われてもピンと来ません。
冬至の後は小寒、大寒と続く厳冬で、節分を過ぎるとようやく立春。
節分で鬼を追い出してこそ、新年(新春)おめでとうございます—となるのがしっくりした肌感覚です。
日本の春は卒業式・入学式、コブシの花・桜の花が新年と重なります。

ところが古代中国では冬至新年でした。
古代中国の科学文献である『易経』によれば、冬至を含む月が子丑寅…の子(ネ)の月とされています。つまり正月。
しかし秦の始皇帝のころから、暖かくなってから、つまり寅の月が正月とされました。
そこから二重基準というか、昼夜の長さの1年と寒暖の差の1年とが共存するようになりました。
中国文化圏の日本もその影響下で、二重基準の中で生活してきました。

冬至は陰気が極まり、陽に反転する日。
周囲は陰に満ちていようとも、陽が初めてちょこっと顔を出す日。
それで『一陽来復』といいます。冬至から春分までが『一陽来復』。
小寒でも大寒でもじっと我慢して春が来るのを待とうという合言葉でしょう。

その冬至の日からは運気の上昇も願って様々な風習が生まれました。
柚子は太陽のシンボルで、陽気に満ちた柚子湯が尊ばれました。
冬至が湯治、柚子が融通が効くとしゃれました。なによりも鮮烈な香気が邪気を払うとされたのですね。
つまり柚子湯に入ればご本人も太陽と同じく再生するであろうという信仰の一種です。

「運」を呼び込むために「ん」のつくものを食べる「運盛り」という風習もありました。
南瓜(ナンキン)=カボチャ、蓮根(レンコン)、人参(ニンジン)、銀杏(ギンナン)、金柑(キンカン)、寒天(カンテン)、饂飩(ウンドン)=うどんの7種類は、名前に「ん」が2つずつ含まれていることから「冬至の七種(ナナクサ)」と言って人気がありました。

今日スーパーに行ったらカボチャと柚子が大売り出しでした。
まだ少しは家族のために、冬至の運盛り七草に気を配る人がいるようです。


 
 

★153km先の富士山夕景

富士山2
    何有荘前、大正堰越しに富士山が見える

移住する前、外房から富士山が見えるとは考えたこともなく、最初は目を疑いました。
地元の人にしてみれば、見えるのが当たり前ですから、見えたからと言って別にはしゃいだり、興奮したりしませんが、移住者からすればびっくりです。

わたしがカメラを構えていると犬の散歩の若い人が来ました。
「今日は良い天気でしたねぇ」なんて話して、あそこに見えるのが富士山ですと指し示すとエー、アー、あれですか?と驚いていました。
つくづくいすみ市って不思議な場所だなと思います。

いすみの外海で漁をしている漁師さんによると、船からはっきりと富士山が見えると言っていました。
富士山が見えるのは空気が澄んだ冬です。2020オリンピックは夏場ですから富士山を見るのは厳しいかもしれませんが、サーフ会場から富士山が冬場なら見えるはずです。
サーフしながら、富士山が見えたら素晴らしいですね。

葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」は実はいすみ市の海がモチーフになっているのではないかと推測しています。
富士山4

1.東海道神奈川宿の湊からあの方向で富士山は見えない。
2.神奈川沖、つまり多少沖合に出て、神奈川宿方面を見返れば富士山はあの位置で見える。
3.しかし、富士山が遠方に過ぎる。もっと近くに大きく見えるはずだ。
4.神奈川沖に出たとしても、江戸湾であのような大波は起きない。
  仮に起きたとしたら、船は出ない。出航見合わせのはず。
5.船に乗っている客は商人らしい。すると木更津=神奈川の船客か?
6.木更津付近から見た景色を「神奈川沖」と称してもウソとは言い切れない。
7.しかし木更津も江戸湾だから大波は来ない。つまり神奈川沖にあのような大波はない。
8.北斎はいすみ市に来たことがあり、波の伊八の彫刻を見たことがある。
  一つは行元寺の『波に宝珠』であり、一つは飯綱寺の『波に龍』。
9.いすみ市のドカリの波と言われる大波の彼方にある富士山を北斎は見たのではないか。
10.木更津・江戸を結ぶ船便を木更津で見た時、北斎は外房のドカリの波が思い浮かび、
そんな波が来たら商人たちは肝を冷やすだろうなぁとアイデアがひらめいた。
11.北斎のこのシリーズの版画は事実上、東海道からの景色と銘打っているわけですから
  木更津とも外房とも表記できず『神奈川沖』にならざるを得なかった――。

富士山を見ただけでも感激するのに、大波と一緒であったらどれほど素晴らしいことでしょう。
ましてそこに金の亡者の商人がうずくまって神仏の加護を祈っている――北斎という人の性格がにじみ出た絵だなぁと思います。

そんなドカリの波の素晴らしさを表現したくて『神奈川沖』と偽って北斎は発表しました。
その大波が世界から評価されて2020のサーフ会場になりました。
ようやく外房のドカリの波が世に知られるようになり、門外漢ながらうれしく思います。

富士山距離jpg
富士山―何有荘の地理画像。測ったら153kmでした。

★キッチンとガラス磨きのエコ掃除

炭酸
    左=最近はやりのセスキ炭酸ソーダ、 右=重曹

昔は何でも雑巾とバケツ。
きつめに絞った雑巾で雑巾がけや、あらゆる拭き掃除をしたものですが、最近は100均で優れたグッズが購入できます。

重曹はNaHCO3で炭酸水素ナトリウム。別名が重炭酸ナトリウムまたは重炭酸曹達(ソーダー)。
重炭酸曹達を略して重曹。食品添加物であったり、エコ洗剤で大活躍しています。

近頃、エコ洗剤の新手として人気上昇中がセスキ炭酸ソーダ。
炭酸ナトリウムNH2CO3と炭酸水素ナトリウムが1:1で構成されているそうです。
5年前と比べると今はずいぶん安くなりました。

どちらもアルカリ性の化学物質ですが、カビキラーほど危険物質ではありません。
ちょいちょいと使う分にはゴム手袋なんて面倒だからしません。

重曹は水に溶けにくい。お湯で溶かす方が良い。
お湯500ccにスプーン少1程度。たくさん入れても後で粉を吹いてしまいます。
溶けにくいのでゴシゴシと磨き粉効果がある。鍋の焦げ付き、茶渋落としなどに利用。
窓ガラスは重曹水+T字型ワイパーが一番簡単。これが一番ピカピカになります。
玄関の姿見鏡も重曹水が良いでしょう。

セスキの方がアルカリ度は高く水にも溶けやすく、重曹よりやや強力です。
使い方は袋に書いてあるけれど、水500ccにセスキにスプーン少1。
こちらはキッチンの油汚れ、つまり換気扇やコンロ、グリルなど。
ひどい場合はスプレーしてラップして1時間。ゆるんだらボロ切れ(ウェス)でぬぐいます。

セスキは手垢の汚れ、泥汚れ、シャツの襟首・袖口の洗濯にも使えます。
床掃除にも使えます。
つまり重曹よりも高機能なので人気が出てきたのだと思います。

それにしても、まぁ覚えきれないというか、書いていて嫌になりました。
昔みたいにバケツに雑巾でいいじゃないか…。

そのバケツにちょっとばかりセスキを入れれば高能率で
そんなおっかない薬品はイヤだという人は(それは誤解ですが)重曹にすればよい。
それで少しは能率が上がります。

台所用洗剤だって手指がひどく荒れる人がいます。
重曹もセスキもそう強くはありませんがアルカリ性です。
扱っていて手指がヌルヌルしてきたなぁと感じたらすぐ洗い流すか、最初から手袋をしておいた方が良いでしょう。

年末年始は大忙し。でも大忙しをするから人生にメリハリが付きますね。
年神様をお迎えしたり、親族が集まったり――しゃっきりとお客様をお迎えしたいものです。


 

★100円グッズで風呂場の鏡の大掃除

掃除グッズ
  左から激落ち君、ダイヤモンドパッド、スプレー、T字型ワイパー、お酢

大掃除の季節です。
できるだけ手間をかけないで、きれいに仕上げたいものです。

風呂場の鏡
風呂場の鏡が曇るのは二つの理由があります。第一に浴室と鏡本体の温度差による結露。二つ目は鏡表面の汚れによる曇り。

どんなにきれいな鏡でも鏡が冷たすぎると結露します。それは冷たいビールを入れたコップの表面が結露するのと同じ。
したがって鏡を暖めれば解決します。高級・高価な洗面所や浴室の鏡の裏にはヒーターが付いており、スイッチオンで曇りが取れます。
そんなのが付いていない何有荘の鏡は何回かお湯をかけるか、お湯に浸したタオルを張り付けて鏡を暖めます。
すぐタオルが冷えてしまうのは、それだけ鏡が冷えているからです。何回かお湯タオルを張り替えれば解決します。

面倒なのは鏡表面に付着した汚れ。この汚れに浴室の水分、湿気が付着して曇ります。
主に体を洗った時の石鹸カス、皮脂カスですから、水に漬けた激落ち君で丁寧に磨けば落ちます。

劇的に落ちるのが100均のダイヤモンドパッドで、これも水に漬けて鏡の表面をくるくる回しながら磨くと、汚れにひっかかる抵抗感と抵抗音がして汚れが落ちるのが実感できます。
力を入れすぎると鏡の表面を傷つけてしまうので、ほどほどに。
汚れが落ちたらお湯を流してT字型ワイパーできれいにしておきましょう。

化学的な方法で汚れを浮かしてから、きれいにする方法もあります。
100均のお酢で十分です。お酢を100均のスプレーでスプレーし、100均のラップを1時間ほどして汚れを浮かし、後はそのラップを丸めて、あるいは激落ち君で磨けばOK。

お酢でなく、クエン酸があればお酢を買うことはありません。
掃除用クエン酸も100均に置いてあります。

撥水性の被膜を鏡に塗る方法も試したことがありますが、
汚れがひどくなる前に、こまめに掃除する――のが王道だとつくづく思います。
お風呂から出る前に、壁や鏡にお湯をかけ、T字型ワイパーで水を切っておくことをお勧めします。

クエン酸は、酸ですからアルカリ性物質に反応します。
だから水垢、石鹸カス、アンモニア臭――台所シンク、風呂、トイレの大掃除に使います。
電気ポットの底にできる水垢にも効果的です。
ただし、酸ですから後処理として水で流しておかないと錆びることがあるそうです。

実は家庭の汚れの70%は重曹で落ちるそうで、重曹も100均に置いてあります。
押してダメなら引いてみな、と言いますが、クエン酸でダメなら重曹を使うのも手です。
コーヒー茶碗や電気ポットの渋は重曹を磨き粉のように使っても落ちます。
ひどい汚れは重曹で磨いてクエン酸をかけるとジュワジュワ発泡して汚れが取れる場合があります。

でもそんなひどい汚れは台所用泡ハイターを使った方が簡単です。
「混ぜるな危険」の強力物質ですが、たまには使ってもバチは当たらないでしょう。


 
 

★2020オリンピック サーフィン 一宮海岸に決定

志田下
      一宮東浪見(トラミ)の釣ケ崎海岸はサーファーの聖地

何有荘から車で10分ほどの海岸、地元では釣ケ崎海岸というけれど、サーファーは志田下(シダシタ)という、いわば業界用語で全国的に知られた海岸です。
この海岸が2020のサーフィン会場になったとIOCから発表がありました。
4年後の話ですが、たぶん地元は大混雑することでしょう。

志田下という理由は近くに志田商店があったからだそうで、一宮町の一宮川からいすみ市の太東海水浴場までが九十九里浜の最南部にあたり、どこもサーフィンができますが、とりわけ優れた波が来る場所が「マツイさん」=松井さんの家の前のポイント、「馬小屋前」=乗馬クラブの前のポイント、「シダトラ」=志田下と東浪見の中間などとその筋では言われてきたようです。

平日のこの日、多くのサーファーが来ていました。
画像のように大きな鳥居があり、ここは上総国一宮である玉前(タマサキ)神社の祭場で、上総十二社祭りという例大祭の時は周辺の神輿が集結し浜降り神事が執行される場所です。
ところが9月の例大祭以外の時は完全にサーファーに占拠されていると言っても良いでしょう。

波乗りの全国大会なども開催される場所で、プロサーファーお気に入りの場所ですから、初心者は冷たい目で見られ、邪魔者扱いにされるという話も聞いたことがあります。
ドカリと呼ぶ大波が来て、チューブの中をサーファーがボードで波を乗りきる姿を見ると、シロウト眼にも素晴らしいものだと感激いたします。

何年か前まではさびれた場所だったのです。最近は駐車場が舗装化され、トイレもでき、町当局がサーファーを呼び込んで町を活性化させようとしていることがわかります。
たしかに町の人口は多少増加し、その多くがサーファーで、サーフショップやサーファー相手のしゃれた飲食店がずらりと並んでいます。

オリンピック前にいくつかの問題点も指摘されています。
東京から一宮までの特急列車が日に数本しかないこと、高速道路から東浪見海岸までの連絡道路が心細いこと、宿泊施設が足りないこと、駐車場不足。
何よりも観覧席が全くと言っていいほどないこと。津波避難場所の不足…。

ただし、周辺には広い防砂林、海浜キャンプ場があり、ここを再開発すれば何とかなると思います。
これでガッポリ儲かるぞ、と胸残用を弾いている連中もいることでしょう。
大規模開発は利権がらみで、頭の黒いネズミの活躍場所です。

玉前神社ではオリンピックがらみではありませんが、最近は「波乗り守り」なるものを頒布しています。
北条政子も祈願したという安産の神様だったのですが、最近はサーファーの神様として売り出し中です。頭の良い人がいたのでしょうね。
サーファーだけではなく、だれでも人生には荒波がつきもので、その荒波を無事乗り切るお守りだそうです。

いすみ市の誘致活動はやや遅れていると思います。
志田下といすみ市太東海岸とは隣接していますがどうするのでしょうか。
いすみ市では少し離れた三軒屋海岸がサーフポイントとして有名ですから、どう志田下と連携するか問われることでしょう。

ご近所の飯縄寺は「波の伊八」の彫刻で有名で、住職さんは常々このお寺はサーファーさんの守り寺だよとおっしゃっていました。
玉前神社の二番煎じになりますが、この辺もセールスポイントになるかもしれません。