★正月準備、松飾り

松1

  今年は青竹左右1本に飾ってみました

『古事記』によれば太古の昔は岩も草木も言葉を話したといいます。
鶴や亀、ネコやキツネだって、年老いた動物は特別な能力を持つとつい最近まで信じられてきました。
年月を経た巨木は現代でもご神木として尊敬の対象になり、巨木に触れるとなぜか安心感に包まれます。

そういう日本的な伝統の中で、常緑である松は特別な地位を占めてきました。
常緑であることから永遠、常盤の象徴であり、松は祀る・待つに通じます

幽玄の芸能である能の舞台背景は必ず老松が描かれています。
若い松は若松様と呼ばれ、生命力の象徴とされました。
花札1月は若松の図柄で、おめでたいことのシンボルであります。
陸前高田の 奇跡の一本松 は、松だからこそ余計人々の特別な共感を呼んだのでしょう。

門松は年神様を招くための装飾で、どうぞここからいらしてください、お待ちしておりました―――という意味が込められています。
基本は松ですから、簡略した門松は若松の枝1本でもよろしい。
そこに藁で作った輪を飾り,紙垂(シデ)を付ければ、敷地内は清浄・神聖な空間となり、神様を迎えるのにふさわしい。

竹笹も常緑で、神聖な植物とされました。
七夕様や地鎮祭には不可欠ですし、年末の大掃除は寺社では竹笹を使います。
門松に竹笹をも使うことは江戸時代から一般的になりました。

今回、里山から孟宗竹を切り出し、180cmを2本そろえて一対としました。
その中ほどに小さな穴をあけ、購入した若松と輪飾りをつけました。
少し豪華にと近所の熊笹とナンテンも添えてみました。

ナンテンも 難を転じる として正月用のおめでたい植物です。
赤と緑のクリスマスカラーはお正月にも似合います。

松飾りの上記画像は28日。本日は29日で、29日に飾るのは嫌がられました。
29が 二重苦 と読めるからで、29日の松は 二重苦を待つ みたいだから。

それで頑張って28日にセットしましたが、29はもともと駄じゃれの語呂合わせ。
単なる縁起担ぎですから、昨今は気にしない人が増えました。
気にしないで良いと思います。

さて正月には親族がおおぜい集まります。
これからの二日間、お節の準備で大忙しとなります。
とりあえず、わたしが担当の栗きんとんはできあがって冷蔵庫に収まりました。
買い物にも行かなくちゃいけないし、道路もスーパーも大混雑です。


 
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★枯れ尾花で卓上ブラシ作り

卓上ブラシ

尾花とはススキのこと。
幽霊の正体見たり枯れ尾花――幽霊が手招きしているのかと恐れたがなんとススキだった--。
穂のつき方が動物の尾のように見えるので 尾花です。

今の時期、風が強いとススキの穂綿、ガマの穂綿、オギの穂綿、その他雑草の穂綿が飛び交い、それはちょっと見には不思議な光景ですが、網戸に引っかかると掃除がたいへん面倒、始末に困ります。

穂綿を全部飛ばしてしまったススキの枯れ穂を集めて卓上ブラシを作りました。

  1. 7~8本集めて一束とします。
       ところどころ木工ボンドを着けてばらばらにならぬようにします。
       タコ糸で仮留めします。
  2. これを3束作り、まとめて1本の卓上ブラシとなります。
  3. 3束まとめて、柄の部分をタコ糸でぐるぐる巻きにしました。
  4 .穂の先、柄の末を切りそろえて出来上がり。

柄の部分には竹ひごを入れて強化してあります。
その竹ひごは タコ焼きを買った時の付属の竹串。

ススキの穂は単体だと頼りないのですが、これだけ集めるとかなり丈夫で 弾力性もありす。
卓上のパン屑、消しゴムカスなど サッサッサと掃き掃除に便利です。
枯れ尾花の今の時期が卓上ブラシ作りに最適ですから、暇だったらお試しあれ。

原材料費タダみたいなものですから、タコ糸に色を付けたりして 民芸品ぽくすれば 意外と観光客に売れるんじゃないかと思ったりします。

ホームセンターで売っている竹ぼうきは みんな東南アジア製になってしまいました。
その分、安いけれど質は雑です。
この際、卓上ブラシぐらいなら シロウトにも作れます。
きっちり作れば優れもの。
made in Japan の心意気を それぞれの家庭でも味わえれば良いですね。


 


 

★初めての大腸内視鏡検査

朝食昼食晩飯
  グリコ製の検査用食『エニマクリン』 朝おかゆ・昼ハンバーグ・晩スープ

行政の健康診断の結果、検便に潜血反応+とのことで大腸検査を受けることにしました。
痔だろうと思いましたが、この際、きちんと検査を受ければ余分な心配をしないで済みます。

検査日の予約をしたときに2階の売店で検査食を購入させられました。
検査前日はこのレトルト食品で我慢しなければなりません。
   朝食は鮭フレーク入りのおかゆとお吸い物
   昼食はちょっと豪華に豆腐ハンバーグ、おかゆ、お吸い物
   夕食はコーンスープ

この日だけのことだと思えば少々味が薄くても、少々まずくても、少々量が少なくても我慢できます。まぁまぁの味と量でした。
夜の9時に下剤を飲んで、その日は就寝。
夜中に便意で目覚めるかと思いきや、朝までぐっすり寝られました。

朝のトイレは3回。これなら病院に着く間にトイレを探さなくてもすみそうです。
8:30受付ですが 8:10に着きました。
地域の拠点病院ですからもう先客が20人ぐらい。早起きの高齢者が多い。

8:35ぐらいに呼び出されて内視鏡の待合室に入りました。
この日はわたしを含めて3人。
2リットルの「経口腸管洗浄剤」を2時間かけて飲むように指示がありました。要するに下剤ですね。
まずいポカリスエットみたいな味でした。ちびちび飲むよりもコップ1杯分はぐびぐび飲んでしまった方が苦労が少ない。

1時間ほどたつと連続してトイレに駆け込むことになりました。待合室には個室トイレが2つあるので助かります。
朝から何も食べていないので、とうとう何も出なくなった午後1:30から検査が始まりました。3人の中ではわたしが1番。朝早く来た甲斐があります。

お尻部分に穴が開いた緑色のデカパンにはきかえ、ベッドに左を下にして寝、ひざを曲げ、お尻を突き出していると、肛門にゼリー状の潤滑剤を塗って検査が始まります。
その前に、腕に弛緩剤なんでしょうかね。注射されました。
以前、痔の検査をしたときにはお尻丸出しでしたが、デカパンをはいているだけで安心感があります。

スコープを挿入するときはウッときます。どんどん挿入していくとグッと我慢する場所もあり、ちょっと待ってと声をかけたら、体勢を仰向けに変更され、少し良くなりました。
腸の空間を広げるため空気が送り込まれるのですが、それで腸が膨れ、不快感が増すようです。

スコープ画像を見せてくれると思っていたのにそれはありませんでした。
30分ほどで検査は終わり、検査結果の説明日を予約して終了です。
会計は9560円。

検査中にポリープと憩室があると告げられました。
検査結果はどうなるのか、考えたってどうなることではありません。
夕食は奮発してすき焼きにしました。
何でもおいしく食べられる健康が一番ですね。


 

★年末の花--ロウバイ

蝋梅
    里山にロウバイが咲き始めました

12月の別名が師走とはよく知られていますが、臘月(ロウゲツ)という別名もあります。
年末である臘月に咲く花だから 蝋梅(ロウバイ)というのでしょうか、もうロウバイの花が咲いていました。

まるでロウ細工のようにつややかな花なので ロウバイ だという説もあります。
確かにやや人工的な装飾花、蝋細工、紙細工でできた花のような印象もあります。
実際に触ってみれば、もちろん花びらはやわらかく、本当の花なんだと思いますが。

手元の花図鑑によれば新年の最初に咲く花として紹介されています。
しかし、旧暦でいえば年末の花になります。
旧暦では本日12月23日はまだ11月の13日。
旧暦で臘月になるのは1月10日からですから、西暦でいえば確かに新年に咲く花です。

1年を締めくくる花なのか、新年の門出を祝う花なのか、悩ましいところです。
正月用の切り花に使われる例をあまり知りませんから、本当は年末の花なのでしょう。
紅白の梅の花に先立ち、良い香りのする素敵な梅の花です。

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今日12月23日は天皇誕生日。
天皇がまだ15歳の皇太子であった1948年(昭和23年)の本日、12月23日に戦犯7名の死刑が執行されました。 
処刑された7人の遺体は横浜の久保山斎場で火葬され、遺骨は砕かれて灰にされ、米軍によりまとめて空から東京湾に捨てられました。

大日本帝国の指導者が戦犯として起訴されたのは1946年(昭和21年)4月29日(昭和天皇の誕生日)ですから、起訴・処刑の日にち設定に連合軍の天皇に対する悪意というか敵意を感じます。
今日はそんな日だと指摘するマスコミはありませんでした。

古代から連綿と続く天皇制が歴史上最大の危機を迎えたのが敗戦時でしょう。
米国がソ連との対抗上、ヒロヒト氏を駒として生かして使う方がメリットがあると判断して、戦争責任を負わされることなく過ぎました。

しかし、天皇が政治・軍事にかかわれば天皇制そのものが危うくなる――そんなことを15歳のアキヒト氏は深く学んだのではないでしょうか。
戦前の政治・軍事はすべて天皇の名で行われました。
そのことにも深い反省というか、心の痛みがあることをアキヒト氏の行動からうかがわれます。
歴代政府が旧軍兵士の遺骨収集さえさぼっている中で、両陛下は戦没者慰霊の旅を続けてきました。

慰霊の対象は将兵のみならず、国内外のすべての戦争犠牲者に及びます。
今年2015年の談話では、戦争に動員された民間の船員・漁民の戦争被害について語られました。
政府が民間人の犠牲には補償問題を恐れて言及しないことと比較すると、きわめて良心的な発言で、アキヒト氏の誠実さを感じます。

国民とともに歩む皇室という理念があるのでしょう。
ひどい災害があるとつねに両陛下は慰問に出かけられました。
避難場所の体育館でひざを折り、被災者と向き合う姿をみると偉い立派な人だなと思います。

天皇を再び担ぎ上げて政治利用しようとする不届きな輩(ヤカラ)が多くなってきました。
それはアキヒト氏にとっては迷惑至極のことでしょう。



★サネカズラの赤い実

サネカズラ
   飯縄寺の裏、雑木の中で発見。晩秋から初冬にかけて目立つ。

真っ赤な実が印象的なツタで、その実はおいしそうに見えますが、おいしくないといいます。
幕末に来た外国人にはとても珍しいツタだったようで、学名は Kadsura japonica カヅラ ジャポニカ。
「日本の葛」 と命名されました。

サネとは木の実のこと、あるいは中心、核を意味します。サネカズラは 実葛、核葛。
鎌倉第三代将軍の名前は源実朝。サネトモと読むのはご承知の通りです。
平家物語に斉藤別当実盛(サイトウ ベットウ サネモリ)という老武者が登場しますが、真盛と書く場合があります。それと同様にサネカズラを 真葛 と書く場合もあるようです。

美男葛 ビナンカズラ という別名でも知られています。
皮を傷つけると粘液が出てくるので、それをシャンプー替わりや整髪料に使ったという話です。
それじゃ 美女は使わなかったのか と突っ込んでもしょうがない。

近所の直販所で ビナンカズラ が鉢植えで売りに出されていました。
高さ50cmほどの盆栽仕立てで、かなり高価でした。
画像のように、野に行けばいくらでも見られますが、手元で育てたい人もいるのでしょう。

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    名にし負(オ)はば 逢坂山(アウサカヤマ)のさねかづら
              人に知られで くるよしもがな
                            三条右大臣(百人一首25番)

この歌の場合、サネカズラのサネを 小寝(サネ) と掛けています。
ちょっと一緒に寝たいものだ。人に知られぬように引き寄せる方法はないものか――という平安貴族の好色性丸出しの歌です。

サネの他、さまざまな技巧が施されておりますが、右大臣が特定女性を思い浮かべてこの歌を詠んだとは限りません。
あまり誠実さとか真実味が感じられませんから、俺は歌を作るのがうまいのだと周囲の人に自慢するために 即興でふざけて作った歌のような気がします。

たとえ優れた技巧を駆使した歌であっても、こんな歌が 和歌ベスト100 になるわけがありません。
藤原定家が百人一首を選んだ基準は、良い歌かどうかではなく、ある意図があって取捨選択したのだろうと推測できます。

その意図とは1番天智天皇から始まり、99番後鳥羽院、100番順徳院で終わっていることに垣間見えます。
承久の乱により後鳥羽院は壱岐島、順徳院は佐渡島に流罪となり、許されることなく島で没します。

偉大な天智天皇から始まった王朝は 新興の鎌倉武士の横暴によって 今まさに滅びようとしている。
歌の道で王朝に仕えてきた定家は 「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」(軍事はわたしには無関係) として中立を装い、結果として恩人でもある両院を見捨てました。

両院が島で没したという報を聞いた定家は深く悔やむところがあったのでしょう。
それが百人一首撰集の動機となります。

定家は王朝で編纂された勅撰和歌集の中から百首選び、それを縦横十首ずつ並べることにより絵巻物というかタペストリーを編むことを決意します。
浮き上がってくる歌に描かれた景色は、王朝の和歌文化のパトロンであり、和歌の名手であった故後鳥羽院のサロン・水無瀬離宮をほうふつとさせるものでした。

しかもその百首は上下左右の四首、互いに「合わせ言葉・共通語句」によって結びついています。
具体的に述べましょう。特定の方法で百首を並び替えると

名にしおば――の上に位置する歌は 2春過ぎて夏来にけらし―の歌で、「来」と「山」が共通語句。
下に位置する 47八重むぐら茂れる宿の――の歌とは「人」「来」が共通。
右に位置する 66もろともにあはれと思へ――「山」「知」「人」
左に位置する 62夜をこめて鳥のそら音は――「逢坂」を共通語句としている歌です。

このように百首すべてが隣り合う歌と共通語句・合わせ言葉を持ち、しかも全体として往時の水無瀬離宮を思い起させる景色となる歌が並ぶという、空前絶後の百首選びでした。

その目的のためには、人麻呂の歌であっても最優秀歌は捨て、あしびきの山鳥の尾の――が選定されることになり、三条右大臣歌のように技巧にすぎる歌であっても採用されました。

これは1981年発行、青木書店『百人一首』(林直道著)で述べられた説で、もう35年前の話になるのですね。
まだわたしも若かった頃に読んだ本です。
最近、本箱を整理してまた見つけ、なつかしく読み返しました。

林氏は文学者でないために国文学会からは完全に無視されていますが、百人一首について氏以上の説明をした文学者を知りません。


 
 

★飯縄寺の稚児行列

稚児行列
    
今日は朝から ドン ドン と花火がなりました。
おや、今日は何かあるのかな そうだ飯縄寺さんの稚児行列だ と気が付きました。

むかしは都会地でも小学校の運動会の朝は合図のドンがなったものです。
朝のドン、開会のドン、昼のドン、午後の部開始のドン、終了のドン。

朝からウルサイとクレームでもついたのでしょうね。
予算の関係もあるし、お祭り行事の ドン は絶滅しました。
だからいすみ市でドンを聞いたときは、とても懐かしく、心うきうきしてきます。

初代・波の伊八の彫刻「牛若丸と大天狗の図」で有名な飯縄寺は飯縄大権現を祀る天狗のお寺として知られています。

天狗に化身する大権現様は風を操り、火や水、波を自在に操ることができます。
そのため、戦国時代は戦争勝利の神であり、江戸時代になると火防(ヒブセ)の神として大いに信仰されました。
ちなみに最近はサーファーの守護神だとか。

毎年、師走の15日(月)は「煤取御開帳(すすとりごかいちょう)」が行われます。
古から防火・防盗の御加持祈祷が行われてきました。
参拝者は霊験あらたかな火防のお札をいただいて帰り、あくる年1年の家内安全のお札としました。

その御開帳に合わせて稚児行列も行われます。
それにしても 今年はちょっと参加者が少なかった。
お稚児さんの数とお坊さんの数と同じくらいです。

たぶん檀家でなくとも、地域住民でなくともお寺さんに申し込めば参加できると思います。
きらびやかな衣装や冠は貸してくれます。
年齢制限は知りませんが、見たところ入学前の子らのようでした。

わたしも川崎在住だったころ、稚児行列に参加したことがあります。
よく覚えていないけれど 平安時代風の衣装にお化粧を施された記憶があります。

屋台だって出てるんですよ。
灯台クラブのタコ飯を買って帰りました。

「煤取御開帳」の声を聞くと今年も残すところあと半月。
大掃除をしなくちゃ、年賀状を書かなくちゃ。おせちを作らなくちゃ。
この1年に感謝し、平安な1年を迎えたいものです。


 
 

★ヤマドリの尾のしだり尾の  人麻呂

ヤマドリ
    ヤマドリはキジに似ているが キジより地味で尾は長い
    いすみ市でも目撃情報がありますが、まだ出会ったことはありません。

    画像元→●


正月が近いせいか、某新聞に百人一首・柿本人麻呂の歌がのっていました。
むかし、正月には百人一首でカルタとりをしたものです。
もっとも子どもが小さいときは もっぱら 坊主めくり でしたが。

天智、持統と続く三番目の歌は、歌聖と呼ばれた柿本人麻呂。

     あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
               長々し夜を ひとりかも寝む   柿本人麿

この歌が人麻呂歌だということにずっと違和感がありました。
なにせ 前半の五七五は すべて「長い」にかかる修飾語で、歌の本体は後半の七七だけ。
――長い夜を一人寝じゃ寂しいなぁ、あの人は今頃どうしているのだろう――

人麻呂といえば

    東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ 
    淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ                           

など秀歌はあまたあるのに あしひきの――が最優秀歌に選ばれたのが不審でした。
平明な風景描写の中にそっと自分の心情をひそませる――そんな人麻呂の歌風とは異なる技巧が勝った歌だという印象がありました。

この歌は本当に人麻呂の歌なのかという疑問は万葉集を読むとさらに深まります。

  2802 思へども 思ひもかねつ あしひきの 山鳥の尾の 長きこの夜を

この歌に引き続き、「ある本に歌いていわく」 として次の歌が掲載されています。

     あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む

これは百人一首の人麻呂歌と同一です。
万葉集では あしひきの--の歌は詠み人知らず、作者不詳の歌でした。
定家がこの歌を人麻呂歌であるとしたは理由は何も語られていません。

さて 「一人寝」をテーマにした歌を詠むときに なぜヤマドリが登場するのでしょうか。
単にヤマドリの尾が長いことから、一人寝は時間がすごく長く感じられる そのことを導き出すために登場したのでしょうか。

ヤマドリは縄張り意識がとても強い鳥で、オスだろうとメスだろうと縄張りに侵入すると猛然と闘い追い払うのだそうです。
つまり単独行動を好む鳥で、オスメスが接触するのは繁殖期に限られ、それもその一瞬だけであり、すぐまた別行動になるのだとか。

昔の人はその生態を知っていたのかどうか、オスメスは夜になると谷を隔てて独り寂しく寝ると信じられてきました。
寂しく一人寝をするとき、まるでヤマドリのようだな と苦笑するのが当時の常識でした。

したがってこの歌は、まるでヤマドリのように一人寂しく寝るという意味を含んでいます。
前半の五七五は序詞で、後半の七七だけが本体だという解釈は誤りだったわけです。

百人一首第3番歌は、人麻呂歌かどうかは疑問ながら、全体として二重三重に意味を込め技巧を凝らした歌でした。
万葉時代の歌であっても新古今の時代だからこそ、定家によってその技巧が再評価されたものかと思われます。


 
 

★花見?いや 枯野見です

葦原
    夷隅川、河口の湿地帯では葦原、荻原が広がる

もう旧聞に属することですが、京都・苔寺に訪れる外国人にバスの中でガイドさんが、
――これから行く西芳寺の庭園は花が一輪もない名園で、別名が苔寺。特に雨の日に訪れるのが素晴らしい――
こう説明すると、みな冗談だと思ってゲラゲラ笑うのだそうです。

百花繚乱、花いっぱいの庭園がすばらしいという固定概念があるようです。
苔むした庭など、みすぼらしいと思うのでしょうね

房総半島の紅葉は遅く、今年はちょうど今頃(12/11)がさかりのようですが
今日の季節外れの大嵐でみな散っちゃったかもしれません。

日本人は春は桜、秋は紅葉を見るために出かけるのが好きです。
全山、真っ赤に染まる秋の景色は絢爛豪華ですばらしいものがあります。

その一方で、何もない景色にひかれるという感性も脈々とあります。

        見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ     藤原定家

苫屋とはスゲや茅で屋根をふいた漁民の作業小屋のことですから、ボロ屋です。
何もない海辺のモノトーンの世界の中にも 人間の営みを感じさせる苫屋がひっそりと建っている景色に定家は深く感じ入ってしまいました。

        旅に病んで夢は枯野をかけめぐる    芭蕉

芭蕉の病中の句で、芭蕉はまだまだ旅を続けたいようです。元禄七年旧暦十月八日の句。
寒々とした枯野というよりも、風がなく日があたる広々とした野原ならば枯草だってあたたかい。
早く元気になって新しい発見の旅に出かけたいという句でしょうね。

辞世の句と考えると、死を悟り、身は魂魄となっても旅を続けるぞ という壮絶な句になってしまうのですが、それは考えすぎのような気がします。

さて、いすみ市出身の歌人、矢代東村の歌

        潮風に ひがな一日吹かれてる こゝの岬の枯草のいろ

東村は大原東村の出身ですから こゝの岬とは太東埼ではなく、大原八幡岬のことでしょう。
大原漁港が立派な漁港に整備されたのは戦後のことですから、当時、塩田川河口付近は広大な葦原、あるいは荻原であったと想像できます。

東京での生活に疲れた東村は、久しぶりに帰省し、何もない景色を眺めながら やはり故郷が一番良いと心温めているのでしょう。

何もないところからすべてが始まる――何もないことは単なる荒地ではありません。
ここにはあらゆる可能性が秘められています。
ゼロからまた始めればいいじゃないか
――実際、春になればこの枯野だって また瑞々しい青葉が萌え出てくるに違いありません。


 
 

★まだ12月なのに、もう菜の花が

菜の花
     もう満開という風情です

菜の花といえば春を代表する花です。
ところが いすみ市では何か所か もう菜の花が咲いています。

折しもCOP21、地球温暖化対策のパリ会議が開かれていますから 思わず地球温暖化の影響か と考えてしまいます。
あるいは 狂い咲き とでもいうのでしょうか。

しかし冷静に考えてみれば 何か所でそろって咲いているのは おかしい。

地球温暖化でも 狂い咲きでもなく
“寒咲き菜の花” という種類の菜の花ではないかと 思われます。
品種改良がすすみ、路地でも 9月播き・12月開花の寒咲き菜の花が 栽培されるようになりました。

一足早く春の気分を味わえる寒咲き菜の花ですが ちょっと早すぎる気がします。
冬至はまだだし、寒の入りは1月になってから。

これからますます寒くなるのに菜の花じゃ 菜の花がかわいそう。
たぶん お正月用切り花として栽培されているのではないかと思います。

さて、こちらの画像は 正真正銘の季節を間違えた花。
芝桜 スミレ
          芝桜                 たちつぼスミレ

おいおい、ちょっと気が早いんじゃないの と呼びかけたくなりますが、
たしかに春の花が咲くと 気分は少し暖まります。


 
 

★突然に味覚障害

        ガイアロックス
        ガイアロックスというミネラルウォーターでやや改善

相方さんの話です。
どうも舌がピリピリすることがあるなぁと思っていたら、ある日突然、調理中に味がわからなくなりました。
何を味見しても 苦い のです。

経験とカンだけで味付けしたから、味の保証はないヨ。どう? 食べられる? と言うじゃないですか。
もちろん、おいしかったのですが、どうしたのでしょうか、心配です。

相方さんはたまたま歯医者に行く機会があり、歯医者さんに相談したら、ひどく心配してくださり、
検査してみましょうかということで、口腔内を点検し
ドイツ製だというベッドに横たわって、心電図検査みたいにラインをつながれて検査が始まりました。

先生の見立てでは ミネラル不足 で この検査でどのミネラルが不足しているのか、一つひとつ調べるようです。
その結果、32種類のミネラルのうち、9種類で不足と出ました。
見立て通り 亜鉛、鉄、マグネシウムなどです。

先生からミネラル不足を補うサプリとして画像の ガイアロックス を勧められました。
2000mlで8000円です。高いですねぇ。
1日60mlを何回かに分けて飲みますから、33日分です。


それでも背に腹は代えられず、購入しました。
で、結果というと 味覚が戻りました。
完全復活ではありません。
時々は おかしいな と思うことがあるようです。

それにしても 納得できないのは ミネラル不足だという診断です。
三食粗食ではあっても、むしろミネラルたっぷりの食事を心がけてきました。

味覚障害の原因をネットで調べれば あれこれ書いてありますが、思い当たることはありません。
ほぼ同じ食事をしている二人のうち、一人だけ発症となると
これは 個体差 ということになるのでしょう。

食事内容に問題がなければ、ミネラルを吸収する体調に問題があったのかもしれません。
でも特に忙しすぎたとか、精神的に追い詰められているとか 睡眠不足など これといった体調不良も思い浮かびません。

原因不明でミネラル不足状態ならば、原因不明でまた復活することもきっとあるでしょう。
ミネラル供給のサプリとして ユーグレナ なんか宣伝していますね。
ユーグレナの方がたぶん安い。

薬とかサプリのたぐいは日ごろからあまり信じていないのですが、困ったときは頼らざるを得ませんね。