★今年のサフラン第1号

サフラン

小学生だったころ、球根の水栽培をした思い出があります。
ヒアシンスだったように思います。
最近は水栽培は流行っていないようで、ホームセンターに行っても水栽培容器は見かけることはありません。

チューリップだのクロッカスなど花の名前を覚えたのもその頃でした。
日本風ではない花の姿と名前にわくわくしたものでした。

サフランの花を初めて見た時に何となく親近感というか、既視感があったのはクロッカスに似ていたからですね。
調べてみると確かにクロッカスの仲間でした。

薄紫の花びら、真っ赤なメシベ、黄色のオシベという鮮やかな色彩の対比。
この三色は皇帝や女王など最高権力者が特に好む色です。
松葉のような細い葉がバラバラと生えてくるのも変わっているというか、異国情緒があります。

赤いメシベは3本あるように見えますが、メシベが3本もあるわけがありません。
根元で1本につながっているので、「メシベは1本」です。

この赤いメシベを開花したらすぐ採集するのは惜しい気がします。
でも、しょうがない。
採集して乾燥させてサフランライスかパエリアに利用するように保存しておきます。

スパイスコーナーでサフランを探すと、目が飛び出るほど高額なので買いません。
一度、球根を求めれば何年かは花が咲き、赤いメシベを多数収穫できます。

手入れを良くすれば毎年花咲かせることも可能でしょうね。
花が終わって葉が茂り、葉が枯れてきたら掘り上げて保存し、翌年にまた植える――
ということですが、植える場所がなく、そのため毎年、植える場所が違います。

画像は掘り残した場所から芽を出し、開花したものです。
そういえば、去年ここに植えたなぁと思い出しました。
なまじ手を入れない方がいいのかもしれません。

大きくて立派な花だ咲きました。
これで今年もサフランに不自由しないで暮らせます。

 
 
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★上総一ノ宮駅に引き込み線があった頃(2)

   射撃場2
   まだ引き込み線がない昭和9年の陸軍作成の地図
   一宮・東浪見海岸は陸軍の実弾射撃場だった
   円形ハッチング部分が着弾危険区域


米国が原子爆弾を開発している時、日本軍は巨大な紙風船を作り、その風船に爆弾をくくりつけて米国本土を攻撃するという奇想天外な作戦を計画していました。

その風船爆弾の発射基地が一宮にありました。
作戦は実行に移され、昭和19年11月から翌年の春まで9300発が放たれたそうです。
基地跡は今では住宅地と化し、その面影はありませんが、微高地に記念碑がたっています。

九十九里浜の最南端に位置する一宮・東浪見(トラミ)海岸は当時、それこそ何もない海岸で、広い砂浜に荒い波が押し寄せ、背後は小高い海岸砂丘が連なり、そこは松林となっておりました。

今はサーファーのメッカとも言われ、多くのサーファーでにぎわう平和な海岸ですが、当時もそうだったわけではありません。
この海岸は大正末期から陸軍の実弾射撃場として利用されてきました。
もっとも陸軍専用ではなく、射撃がない時は地元の漁師も利用していた海岸です。

昭和9年に、海岸沖の洋上で大原の漁師が二日連続して流れ弾に当たる事件が起きました。
その顛末の報告書が国立公文書館アジア歴史資料センターに残されています。
防衛省防衛研究所蔵書の中の『陸軍省-大日記乙輯』の、昭和9年9月25日付け文書で
一宮演習場に於て実弾射撃演習中漁夫受傷に関する件』です。

上記画像はその文書に添付されていたものです。
その文書の中に憲兵隊の報告書もあり、当時の一宮・東浪見海岸の様子が記述されています。
以下、その記述を現代文風に少しアレンジして引用します。

――射撃場所 千葉県長生郡一宮町海岸
15,6年前より歩兵学校実弾射撃実施以来、陸軍部隊学校の演習は逐年増加し、現在においては野戦重砲兵学校・騎兵学校・下志津飛行学校・飛行第五連隊・戦車第二連隊・騎兵第十五連隊・陸軍造兵廠等あり。これらの部隊・学校は射撃前一週間ないし五、六日前、関係町村当局に実施に関し一般漁民に示達すべき通牒を発し、一か月平均十日ないし十五,六日間、各種射撃を実施しつつあり―――

同報告書によれば、生活に困窮した漁民が好漁場である同海岸沖に出漁することがままあり、今後は関係町村、漁業組合に演習日時を徹底するとともに赤旗を立てて演習中であることを示し、見張りもたてるなどの対策をとるとしています。

風船爆弾基地建設の約10年前の事件ですが、その当時から事実上、民間人立ち入り禁止の海岸であり、陸軍各部隊がそれぞれのスケジュールに沿って実弾演習をする海岸だったことが分かります。

対米風船爆弾基地をどこに建設するか?
風船はジェット気流の偏西風にのせるのですから太平洋岸であるのは当然として
陸軍に縁が深く、土地勘があり勝手知ったる一宮の海岸が選ばれることになります。

さらに、一宮が基地に選ばれた理由が二つあるとわたしは推測しています。
一つは幕末の頃、ここは開明的な幕臣加納氏が治める一宮藩でした。
諸外国に対抗するためには海防が必須と考え、1854年の江戸のお台場建設に先立ち、1844年に独自に砲台を設置しました。

その砲台が設置されたのがこの海岸であり、当時はまだその大砲が残っていました。
尊王攘夷の記念碑的な砲台跡地に対米戦勝利の風船爆弾基地が建設されたのでしょう。

二つめの理由は、この海岸を見渡すことができる高さ7m前後の微高地、それはこの地域特有の海岸砂丘なのですが、そこに陸軍の上原元帥の別荘があったことです。

上原勇作(うえはら ゆうさく、安政3年(1856)-昭和8年(1933)は陸軍大臣、教育総監、参謀総長を歴任して 元帥という陸軍の超大物です。

想像をたくましくすれば、別荘滞在中の元帥が実弾射撃演習中の若い将兵の姿を目にしてあれこれアドバイスしたことはあり得ることです。
風船爆弾実施の責任者が、「上原元帥、我らを見守りたまえ」 という願いを込めたとしてもおかしくはありません。

元帥別荘の北隣の敷地、そこは江戸末期の 「南陣所」 という尊王攘夷ゆかりの字(アザ)地名の場所ですが、そこに風船爆弾の兵舎や兵器廠が建てられたと言います。

   字・邸地
          歴史を刻む旧「字」地名 
                                                     つづく

★これがウワサの健康食品 キヌアとチアシード

キヌア
    知人からハワイに住む娘さんからのプレゼントのおすそ分け

≪キヌア≫
袋には英語でキノアとありますが、日本ではスペイン語風にキヌアというのが普通です。キヌアはアワ・ヒエに良く似た小粒の雑穀で南米アンデス地方が原産。

中南米はブラジルを除いてスペイン語。スペイン語でキヌアだがハワイは英語。
ハワイのスーパーで購入したそうで、だから英語の表記です。

キヌアは栄養価が非常に高く、またアミノ酸のバランスが優れていることより、近年、欧米で注目され、日本でも知る人ぞ知る、の健康食品として注目されています。

≪チアシード≫
これも欧米でダイエット食品として大人気の商品だそうです。
南米原産でチアというミントの仲間の種。ゴマより細かい粒々で栄養も豊富。水分を含むと何倍にも膨らむので満腹感があり、ダイエット効果が高いのだそうです。

我が家が健康に気を遣っている家庭だと見込んだのでしょう。健康食品をおすそ分けしてくれました。
食べ続ける習慣がなければ、その効果もあまりないのでしょうが、
せっかくの高価なプレゼントですから、食べ方をググって一番簡単な方法で頂いてみました。

≪キヌア≫はお米1合に大さじ一杯程度混ぜて普通に炊きました。
白米に粒々が混じっていますが、食べにくくはありません。

キビを混ぜて炊いたような食感・食味ですから毎日食べることも苦になりません。
黒米や豆と一緒に炊いたご飯や、栗ご飯、サツマイモご飯や山菜ごはん、ようするに混ぜご飯の具の一種にしてしまうのが一番簡単な食べ方です。

≪チアシード≫はヨーグルトにトッピングしてグルグルかき混ぜて少し時間を置きます。
すると種の周りがゼリー化してきて食べやすくなりました。
これもクセがありませんから、一般向け、大衆的なダイエット食品ということもうなづけます。

チアシードは細かい粒々なので、味噌汁や納豆にパラパラと混ぜていただくのも簡単です。
味が淡白ですから、どのように食べるか、調理者の腕とアイデアしだいの食材だと思いました。

自分からは積極的に購入しない商品ですが、プレゼントされたおかげで思わぬ体験ができました。
ありがとうございます。


 

 
 

★10月の野の花、トリカブト

トリカブト
    ヤマトリカブトではなく、ツクバトリカブトらしい

手入れに行き届いた庭の花は美しいけれど、野草だってこんなに美しい。
美しい野草を手元に置き、品種改良をしたのが園芸品種。
山野の食べられる植物――野草を手元に置き、品種改良して効率的に育てたのが野菜。

だから本来はみな、山野の野草でした。
犬も猫も、牛も豚ももともとは野生動物でした。
イネも小麦もトウモロコシも芋もみんな野生のものを改良したものです。
そこから人類の農業が始まりました。

そんな現代社会でも山野を歩けば野生の花に出会えます。
いすみ市に自生のトリカブトが咲いているのを見た時は本当に驚きました。

江戸時代、トリカブトは鎮痛剤として利用され、その主な産地は富士裾野だと何かの本で読んだことがあります。
実物をはじめて見たのは神奈川県の丹沢でした。
海浜植物が多く、人家近くの外房の山野に自生しているとは思いもしませんでした。

花びらや茎葉を含め全草に毒がありますが、特に猛毒なのが根。
その根を採集して乾燥させたものが漢方で言う附子(ブシ、ブス)。
毒にも薬にもなる典型例です。

トリカブト殺人事件なんてありましたね。
妻が急死し、後妻も、三度目の妻も急死した事件はトリカブトを使った連続保険金詐欺事件として、TV、週刊誌を多いににぎわせました。
こうして、トリカブトの名を知らぬ人はいなくなりました。

だからトリカブトに触るのも恐ろしいと思う人もいますが、触っただけで死ぬことはありません。
有毒植物は身近にたくさんあります。

秋の彼岸花、お正月の福寿草、春の水仙、梅雨のあじさい、夏の夾竹桃…。
どれも有毒ですが、恐れる人なんかいません。 (それも問題ですが)
汁に触れるとかぶれる場合があるけれど、食べなければ無害です。

野草が一番美しく思えるのは山道でふと出会った時。
そんな自然環境が残っているということは素晴らしいことです。


 
 

★逆光のガマの穂綿

蒲の穂
   夕方の散歩道。逆光を浴びた蒲の穂綿が美しい。

ススキの穂が蘇芳色から銀白色に変わり、ホワホワになってくると秋が深まってきたことを感じます。
同じ頃、湿地帯の蒲の穂もホワホワの綿毛に変化してきます。

蒲の穂がこんな風に変化するとは、こちらに来るまで全く知りませんでした。
文部省唱歌 『大黒様』 の歌詞にある蒲の穂綿とはこのホワホワの綿毛のことなのでしょう。
この穂綿ならば、ワニに皮をはがされて赤裸になったシロウサギ(素兎)のただれた肌を包帯のようにしてくるまれば良いという大黒様の指示も納得がいきます。

しかし作詞者の石原和三郎は漢方薬の知識がなかったようです。
肌の切り傷、火傷、ただれに効くのは蒲の黄色の花粉であり、穂綿ではありません。
ガマの黄色の花粉を漢方で『蒲黄』といいます。

古事記原文では「即取其水門之蒲黄、敷散而、輾轉其上者、汝身如本膚必差」
――河口の蒲の黄色い花粉を取って敷き散らかし、その上に寝転べば汝の身体は必ず本来の肌になるであろう―――
『蒲黄』だとちゃんと書いてあります。

それなのに、穂綿と書いてしまったのは石原の思い込みであり、文部省の役人も歌詞の誤りをうっかり見過ごしたのでしょう。
明治初期はそう簡単に『古事記』が入手できず、原文と照合するのは困難だったのかもしれません。

今、手元に『古事記』を持っていますが、ページをめくるよりネットで調べる方がずっと簡単になりました。
便利な時代になりましたが、間違った情報もあっという間に広がる時代です。

マンションの基礎杭打ちデータのコピペなんかも簡単ですからね。
信頼で成り立っている世の中で、信頼を裏切る事態があちこち出てくるのは、どこか間違っている、どこか無理がかかっている証拠なのでしょう。


 
 

★モズの季節、ヒヨドリの季節

モズ♀
     画像にしてみたらモズのメスでした

真っ赤に柿が熟し、青空に映えると秋も深まって来たなと実感します。
収穫されることもなく、いたずらに地に落下してつぶれている柿を見るのは残念なことです

今頃の季節になると山野で大騒ぎしているのがモズとヒヨドリ。
林の中で集団となり、ピーピー騒ぎながら追いかけっこをしているのがヒヨドリ。
電線の上や木のテッペンで周囲を見渡しながら、尾を上下に振っているのがモズ。

モズは百舌鳥と書きます。
物まねが上手い鳥で、先日はジュンジュンとスズメの声を太くしたような声で鳴く鳥がいたので、何だろうと見たらモズでした。

モズは高い場所が好きで、キーキー、キチキチキチと大きな声で縄張りを主張します。
それで、別名が 「もず吉」。

どうもモズらしいと思いながらシャッターを切ったのですが、なにせ被写体が遠いので確信が持てませんでした。
尻尾をあまり振らないし、尻尾がやや短いし、鳴いているし…。

画像にしてみたら、やはりおなじみのモズとは少し違います。
全体に薄茶色で羽の模様にメリハリがありません。
しかし、うっすらと目の周囲にモズ特有の模様が確認でき、クチバシも鋭い。

「モズ、メス」で画像検索をかけたらピッタシ、ビンゴでした。
モズのメスを確認したのは初めてです。
これからは、「あれはモズのメスだね」 だなんてシッタカして教えることができそうです。

参考画像 モズのオス  Ee2a7748_6.jpg



★上総一ノ宮駅に引き込み線があった頃(1)

一宮トロッコ
    昭和20年当時の地図には引き込み線が明示されている
    海岸に沿った県道30号ほか2本の道路は当時まだ砂浜だった


上総一ノ宮駅1番線ホームから大原方面を眺めると、(踏切から見ても同じですが)、線路が左カーブに分岐していることが分かります。

分岐したレールはそこまでしか現在は残っていません。
終戦まで駅から伸びた引き込み線はぐるりと半弧を描き、現在の町役場あたりからまっすぐ東(海岸方面)へ進み、防風林に突き当たって250mほど南下したら終点でした。(上記地図画像参照)


東京の京浜急行電鉄の蒲田駅から海岸へ分岐する路線があります。川崎からも海岸方面へ分岐する路線があります。
それぞれ穴守稲荷、川崎大師への参詣客を運ぶ路線でした。
現在は羽田空港、川崎工場地帯への路線として活用されています。

では上総一ノ宮から海岸への分岐は海水浴客を運ぶためのものでしょうか。
いえ、違います。
海岸に建設された風船爆弾発射基地への風船や水素ボンベ、爆弾などの軍需物資を運ぶためのものでした。

風船爆弾とは巨大な風船を作り、上空のジェット気流に乗せて米国本土を攻撃した作戦で
第1大隊が茨城県の五浦海岸、第2大隊は千葉県一宮、そして第3大隊が福島県勿来に配備されました。

1大隊は2~3個中隊で構成され、1個中隊に2個小隊があり、1個小隊は3個発射分隊がありました。
各発射分隊はそれぞれ1つの発射台を担当 (Wikipedia) していましたから、2個中隊が配置された一宮には発射台が合計 12基あったことになります。

配置された軍人は一宮の場合、将校が26名前後、下士官46名前後、兵が約380名前後ですから、合計450余名が新しくできたこの基地に所属していました。
相当な人数になります。

これだけの人数が駐屯し続けるのですから、地元の負担も大きかったことでしょう。
一宮町のみならず、周辺の各町村も分担しました。

岬町のUさんは、古沢小学校には風船爆弾の兵隊さんが入り、夜になると将校さんが風呂をもらいに来たと言います。
昔はもち米の保存食としてアラレを作って干していたが、一夜にしてアラレが無くなったことがあった。腹をへらした兵隊が盗んだんだろうとも言います。

古沢小学校から一宮海岸までは直線で約7km。歩いて通うにはだいぶ距離がありますが、この証言から、かなり広範囲に駐屯したことがわかります。

おなじく岬町のSさんの証言によれば、学校が兵隊さんに取られてしまったので、わたしら子どもたちは近くのお寺で授業した、のだそうです。

軍としてはいつまでも学校を占拠していると地元の反発が怖いので、宿舎を新たに建設したようですが、どこにどれくらいの規模の兵舎ができたか、詳細は不明です。

現在、一宮駅から町役場を通り、海岸まで続くまっすぐな道は戦争末期の軍用道路であり、かつて存在した線路を撤去して併せ、往復2車線の道路としてきれいに整備したものです。




 

★イチジクの赤ワイン煮

イチジクワイン煮
  厚手深めのフライパンで仕上げました

素材のイチジクは例によって五平山農園さんの加工用完熟イチジク。
フレッシュでも十分甘いので、加えた砂糖は重量比で15%。

砂糖と赤ワイン以外は何も加えません。
イチジクの味がダイレクトに味わえる赤ワイン煮です。

完熟なので煮崩れしないようにと弱火でじっくり仕上げました。
イチジクからたっぷりと水分が出てくるので、投入する赤ワインはヒタヒタだと多い。
姿が3/4ほど隠れる程度。

小一時間ほど煮込むので、煮崩れしないように皮は付けたままにしました。
皮ごと食べるとワイルドで、とてもおいしい。
また長時間の煮込みで、アルコール分はほぼ飛んでいます。

月末に東京から現役バリバリのお客さんが遊びに来るので、早く退職した方が楽しいぜと見せびらかすための一品です。

★五平山農園はソーラーシェリング
         DSCN0527.jpg

ご主人の藤江さんは自然エネルギーの活用に熱心で、ソーラーパネルの設置と農園との共存を実践しています。
ソーラーパネルを農園上部の空間に適度な間隔を置いて設置してあるので、日差しも風も吹きぬける農園です。

太陽の角度に合わせてパネルの向きを変え、効率的に発電します。
パネル下のブルーベリーの生育には全く問題がないそうです。

ソーラーパネル発電の固定価格買い取り制度の発足で、いすみ市の空き地にパネルがずらりと並ぶ光景が目立つようになりました。
自然の景色と人工的なパネルの密集・乱立はそこだけ不自然で違和感が残ります。
その点で五平山農園のパネルは違和感がなく、近代的な農園の感じがただよいます。

 

★電子レンジで簡単、イチジクジャム作り

イチジクジャム1イチジクジャム2
  イチジクをぶつ切りにし、煮込んでビン詰め

ジャムにするには完熟イチジクが良いでしょう。
五平山農園さんのイチジクがお気に入りなので、農園を訪ねて直接購入しました。

車で30分。最近は地元感覚が少し身につき、車で30分? 近いじゃん、隣みたいなもんだよと思うようになりました。
事前に電話連絡しておいたのは言うまでもありません。

1kg購入希望だったのですが、いろいろおしゃべりし、共通の知人がいることが分かったりして、たくさんオマケしてくれました。ありがたいことです。
田舎暮らしの良し悪しは、良い人間関係を作れるかどうかが左右します。
おかげさまで、良い人間関係が循環しています。

さて本題のジャム作り。
難題1。イチジクの皮をむくか、むかないか?
    皮付きの方が栄養価は高いと思います。でも食感、見た目ではむいた方が上質。

難題2.砂糖の量はどれくらい?
    砂糖が多い方が保存性が高い。でもそうすると素材の味は砂糖に隠れがち。

難題3.鍋で煮詰めるか、電子レンジを使うか?
    仕上げに責任を持つなら鍋に付き添って。気楽に作るなら電子レンジ。

では具体的に今回の手順を公開。
 1.イチジクの尻尾を切り落として手で皮をむき
 2.頭の方のしつこい皮はナイフで皮をむき、
 3.むき残った皮の小片は面倒なのでそのまま。気にしない。
 4.皮をむいたイチジク8個で435g、砂糖約80g。完熟なので砂糖は少量が良い。
 5.電子レンジ600wで3分を5回。様子を見てこれで良いと思ったら出来上がり。
 6.途中でレモン果汁半分分を投入しました。

ざく切りしたイチジク(画像左)に砂糖を加えて1時間もすれば水がずいぶん滲みだしてきます。
砂糖添加でイチジクもヨレヨレになるので、加熱は砂糖添加の数時間後が望ましい。
驚くほどイチジクから水分が出るので、なかなか煮詰まらない。
途中でレモン汁を添加したが、添加時期は最初か途中か最後か、良くわかりません。
ちょっとゆるいか程度で火を落とし、煮沸消毒したビンに封入して出来上がりです。
見た目も味もすばらしいイチジクジャムになりました。

定年退職後、することがないと悩む人がいるそうです。
悩むことはありません。
自分好みのジャムを作れば、それだけで少しは周囲から認められ、誉められます。
そんな些細なことでも生きがいになりますヨ。



 

★イチジクのハーフドライを作る

ドライイチジク
    イチジクを縦に分割して日に干せば良い

梨に柿、イチジクに栗。いすみ市は素敵な秋の恵みの名産地でもあります。
地元の五平山農園の加工用イチジクを農産物直販店で購入しました。

ワイン煮用と書いてありましたが、もちろんそのままがぶりといただいて問題ありません。
期待通りの味で大満足。だから毎年、五平山さんから購入しています。
残りをハーフドライにしてみました。

イチジクの加工はパウンドケーキ、ワイン煮、ジャムなどいろいろ思いつきますが
ハーフドライが一番簡単ですね。

  1.よく洗って水を切り、
  2.尻尾を切って縦4分割。
  3.これを天日で干せば出来上がり。

オーブンや電子レンジを使えば数時間でできますが、無駄なエネルギーは使わない。
ここ数日、乾燥注意報が出ていますから数日干せば出来上がります。

1日たっただけでもハーフドライの雰囲気がつき、甘さが凝縮して増します。
つまみ食いをしていればすぐなくなってしまいますからじっと我慢。
4日ぐらい干すのが適切でしょう。
もっとも、どれほどドライにするかはお好みです。

食べきれない分は自家製干し柿と同じです。
ジップロックに入れて空気をできるだけ抜いて冷蔵庫保存。
長期保存ならばカラカラに乾かしてから冷凍保管ですが、
忘れてしまいデッドストックになってしまうから、ハーフドライが一番良い。

保存用にと思ったのにぺろりとみんな食べてしまいました。