★たとえ1/120000でも力になる

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         8/30 国会前 戦争法案反対の人の群れ 画像元➔毎日新聞

今日の集会、どの駅で降りるか、一番近い『国会議事堂前』にしようか、それとも『霞が関』にするか『永田町』にするか、迷った理由は駅を降りてからの混雑具合の予想です。

雨模様だから人出は減り、『国会議事堂前』からでも大丈夫だろうという予想は外れました。
電車を降りてからのホームは人また人の波。ぎっしり詰まってなかなか動かず、地上の出口に到着するのに30分を要しました。

酸欠気味で苦しく、地上近くなったらようやく新鮮な空気が流れ込んで救われました。

地上に出たら出たで、すでに歩道は満員。車道の一部が車両規制されて参加者に供されています。
さて、知った顔はいないか?
集合場所の議員会館前に行けば、と思いましたが、この人の波の中で探すのはほぼ不可能。

中高年の参加者が多い中で、若い参加者が頑張っているのが目立ちます。
『肉球新党 猫の生活が第一』というグループが宣伝しておりました。若い女性たちが掲げていた大きなプラカードとビラにはこう書いてありました。

安倍ニモマケズ
石破ニモマケズ
高村ニモ公明ヤ維新ニモマケヌ
平和ナココロヲモチ
欲ハナク
決シテ諦メズ
イツモ官邸前デ抗議シテヰル

東ニ解釈改憲ガアレバ
行ッテ猫パンチ
西ニ集団的自衛権容認アレバ
行ッテ爪ヲトギ
南ニ米軍基地ガアレバ
行ッテココカラナクナレトイヒ
北ニ領土争ヒヤ紛争ガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキニモ集会ニイキ
デモノトキハオロオロアルキ
デクノボートヨバレ
ホメラレモセズ  
クニモサレズ

サウイフ猫ニ
ワタシハナリタイ
                肉球新党 猫の生活が第一


おなじみの日蓮宗のうちわ太鼓のほかに、少数ながら創価学会の青黄赤の三色旗にも出会いました。
キリスト教系の人はたくさん来ていたようです。
見たことも聞いたこともない仏教系の団体も プラカードを掲げて来ていました。
車いすの人も白杖の人もエスコートされながら来ていました。

当日は国会周辺、七つの地下鉄路線の八か所の下車口が案内されていました。
おそらくどの下車口からも人があふれ出ていたことでしょう。
主催者から参加者12万人と報告があり、参加者は歓声を上げ、拍手をして見知らぬ者どうしで喜び合いました。

その数の多さゆえ
とても画像のメイン会場まではたどり着けず、外務省を横に見ながら引き上げました。
帰りの電車は疲れて寝ました。

警察庁の発表だと国会周辺合わせて参加者は3万だとか。
そんな数を発表すれば、警察が不偏不党の中立ではないことがバレ、警察の信頼性が低下するとは考えないのかしら。

警察は何とかして戦争反対の人々の数を過小評価して宣伝したいのでしょう。
現場にいた人は、3万と12万、どちらの数が実数に近いかを肌で知っています。

そしてわたしたちのような小さな人間も 数集まれば現実の政治を動かす力になるかもしれないという確信と勇気を与えてくれる集会でした。


 
 
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★やっと見つけたガガイモの花

ガガイモ
     太東崎灯台への道にて。ヘクソカズラと似た環境で育つツル性植物。

ガガイモってどんな植物だかご存知ですか?
小学生の時に出雲神話の話を読んでから、どんなものかと興味を抱き、それから半世紀ぶりに出会えました。
出会ったのはいつもの太東埼灯台への道。
毎年、見ていたはずなのに気づかないものですねぇ。

出雲神話のスーパースター、オオナムチ(大穴牟遅=大国主)にはスクナヒコナ((少彦名)という相棒がいました。
ガガイモの種の殻を船として海から現れ、オオナムチと共に国土を整え、やがて粟(アワ)の葉に乗り、その葉にはじかれて常世国(トコヨノクニ)に去って行ったという神様です。

つまり大変小さな神様ですが、各地で難病退治・医薬の神様あるいはお酒の神様、温泉の神様として知られています。

オオナムチはこの小さな神様と初めて出合った時、スクナヒコナが名前を名乗らなかったので、だれかこの神様の名前を知らぬかと周囲にたずねました。
するとヒキガエルが田んぼのカカシなら知っているでしょうと答え、カカシはカミムスビの子でスクナヒコナだと教えます。

その後、この二柱の神様は意気投合して義兄弟になり、国土の形成と国家の経営に尽力し、オオナムチはその功により、大国主という称号を与えられます。
天皇家のご先祖たちが倭国を統一する前の神話です。

スクナヒコナは途中で常世に去ってしまったので、今ではさほどメジャーな神様ではありませんが、全国的に信仰されていた形跡が各地の風土記や民話に残されています。

そのスクナヒコナが乗ってきたというガガイモの船とはどんなものなのか。
一寸法師が乗っていたお椀の船より小さな船だったことは想像できます。

それを見てみたいと思って半世紀。
ようやく花を見つけました。
この雑草地帯が草刈り機で刈られなければ この秋には実が稔り、殻が割れて ガガイモの船を見ることができるでしょう。
それが楽しみです。


 
 

★夏の終わりに咲く花、センニンソウ

センニンソウ
     クレマチスの仲間、美しいが有毒植物

雑草が生い茂っているような、野生状態の道にはセンニンソウ(仙人草)が咲き始めました。
ツル性植物で、自分だけ陽の光をいっぱい浴びようと、他の植物の上に覆いかぶさって白い花を咲かせます。

センニンソウが咲きだすと夏休みはもう終りに近づいたという兆しです。
耳を澄ませば野の虫の音もにぎやかになっているはずです。

純白のとてもきれいな花ですが有毒です。
何有荘の庭にも最近、生えるようになっていますから繁殖力は強いのかもしれません。

野に行けば普通に見られるので、庭で育てようとは思いません。
引きちぎろうとするとなかなかシブトイ。
手袋をしているのならともかく、素手で引きちぎるのはやめた方が良い。
茎葉から流れ出る液にひどくかぶれる場合があるそうです。

センニンソウの別名が、ウマクワズ(馬食わず)、ウマノハコボシ(馬の歯こぼし)。
馬は本能的に毒草と察して食べないからウマクワズ。
ところが葉をカットして他の馬草と一緒にしてしまうと食べちゃうことがある。すると馬の歯がガタガタ・ヨレヨレになってしまうのだとか。

自然界は危険がいっぱいだ。
何が危険かを伝えていくのは大人の仕事。
どうすれば危険から身を守れるかを伝えるのも大人の仕事。
そんなこと知らなかった、じゃすまないことは多々ありますからね。

さて、知らなくても困らない、どうでも良い話。
画像のセンニンソウには花びらがない。
画像を見て、4枚の花びらがあるでしょ、と言うのはシロウトさん。
4枚の花びらに見えるのは花びら(花弁)ではなく、ガク(萼)だというのが有名中学校入試問題の正解。

こんなことを知っていても ガクがある とは言わないでしょうに、日本の教育はあいかわらず些細なことにこだわっているようです。


 
 

★村上祥子さんのバナナ酢を作ってみた

バナナ酢
      バナナ+お酢+砂糖 だから超簡単

野菜や果物の酢漬けは健康に良い保存食として昔から親しまれてきました。

画像のバナナ酢は村上祥子さん考案のバナナ酢。
どこに彼女のオリジナル性があるのかというと、電子レンジでチンすることで翌日から食せるという点にあるようです。

<材料>
   ①バナナ 1本100g程度   ②砂糖100g    ③お酢200cc

<作り方>
 1.バナナを1cm前後で輪切り。消毒したビンに入れ、
 2.砂糖とお酢を入れ、
 3.フタをしないでレンチン (600wで30秒)
 4.すぐに蓋をしめて12時間放置でできあがり。

砂糖は黒砂糖やグラニュー糖、氷砂糖でも白砂糖でもかまわないらしい。画像は白砂糖。
お酢も好みで良いらしい。画像はリンゴ酢。黒酢だと強力な感じがします。

バナナは2週間で取り出すこと。毎日一つずつ食べて行けば取り出す手間が省けます。
常温保存可能といいますが、冷蔵庫が安心ですね。

ある本によればバナナ酢は、耳鳴り・難聴に効く と言いますし、別の本によれば 高脂血症に良くダイエット効果がある と言います。
信じる者は救われる? それじゃ作ってみるかと思い立ちました。

1日3回朝昼晩に大さじ1杯程度を使うのだそうです。
バナナ+砂糖の甘味でマイルドになっているので、そのまま飲めますが、水や炭酸水で薄めれば飲みやすい。

お酢を料理に使えば醤油を控えめにして、つまり塩分控えめにすることができますから 調理に使うのが良いと思います。



 

★夏の名残のスイカ

スイカ
          直径10数cmだったが甘くておいしかった

家庭菜園にも手前味噌、親バカというものがあるに違いない。
買ってきたスイカよりもおいしく感じるから不思議です。

苗を買ってきて庭の畑の隅に植えたけれど、雑草に紛れて知らぬうちに実ができていました。
カラスに狙わぬように雑草をかぶせてカモフラージュしておき、先日、収穫して食べました。

コダマスイカですから、小さくて当たり前ですが、それにしても小さい。
植えた場所の土があまり肥えていなかったことと 今年の夏の雨不足によるのでしょう。

苗を植えておけば放置されていても 文句も言わず嘆きもせず 実を結ぶのが植物の持つ力なのでしょう。感心します。
お日様の力にも感謝です。冷夏よりは酷暑の方が適した作物なのでしょう。

台風のせいでここ数日はしのぎやすい日々が続いています。
昼間、海岸に出てみると大荒れで、霧のように波しぶきが散っていました。
夜になると太平洋の荒波の音がここまでとどろいてきます。

先日、ようやく飼育しているスズムシが鳴きました。例年よりも1週間遅れです。
庭の虫も元気よく鳴き始めています。
ツヅレサセコウロギ、エンマコウロギ、オカメコウロギ、そしてカネタタキ。

昨日は立秋から数えて15日、今は“処暑”――暑さが和らぐ頃という意味です。
厳しい暑さは峠を越し、朝夕は涼風が吹き始め、いすみ市では早朝に白い霧がたつことが多くなりました。
虫の音と共に秋の気配を感じます。

新米ができたヨ、と声がかかり、1袋30kgをゲットしてきました。
ついでに某農家さんのブドウ棚で収穫した大きな紫色のブドウも大量にいただきました。
これは 手作りブドウ酒 にして仲間の皆さんに味わってもらう予定です。
たぶんそのつもりで わたしの所にブドウが大量に回ってきたのでしょう

やがて大原町、一宮町、岬町も秋祭りの季節になります。
平和が続くからこそ、秋の収穫と祭りを心の底から楽しめるのじゃありませんか。
月末、30日には友人に誘われて久しぶりに上京。
国会前に行ってきます。


 
 

★三門駅前に軍需工場があった時代

三門駅2
      砂鉄工場敷地、関連図

JR外房線三門駅は乗客数が少なく、職員さえ常駐しない駅ですが、70年前は駅前に大きな砂鉄精錬の軍需工場があり、大いににぎわった時代がありました。

1930年代、日本が中国大陸に軍を進めている時、それを憂慮した国際社会から厳しい批判を受けますが、日本の出した答は国際連盟の脱退でした。

反省しない日本に対する次の一手がABCD包囲網。
A=アメリカ、B=ブリテン=イギリス、C=チャイナ=中華民国 D=ダッチ=オランダなど、国際社会がそろって日本に対する経済制裁を実施します。
そのため鉄鉱石や石油、ボーキサイトなどが日本に入らなくなります。

現代では、核開発疑惑のイランに対する経済制裁、北朝鮮に対する経済封鎖、ウクライナ紛争にからみロシアはずしなどに日本も包囲網に参加しています。

育鵬社の中学生用社会科教科書では、先の戦争について、ABCD包囲網に対する独立自衛のための戦争だった、つまり侵略戦争ではなかったと生徒に仕込みたいようです。

祖父・岸信介氏を尊敬する安倍晋三氏は「断じて侵略戦争ではない」という祖父の言葉を信じ、ポツダム宣言など読む必要もないと思っていたことがポロリと国会答弁で出てしまいました。
その決定的答弁をNHKは報道しませんでした。さすがNHK。

さて、鉄がなければ兵器は作れませんから、家庭の鍋釜やお寺の鐘まで国家に差し出しました。
原油がなければ戦闘機もバスも動きません。
神州不滅を信じた日本の子どもたちは松脂を集めまわったものです。原油代わりにと。

いすみ市の海岸は日本武尊の頃から有名な砂鉄の産地です。
その砂鉄を軍部が利用しないはずがありません。
住民は朝から晩まで砂鉄収拾に動員されました。

現在の大原海水浴場から一の宮町の東浪見海岸までいたるところで海岸が掘られて砂鉄が集められました。
東亜特殊製鋼株式会社、海軍の管理工場。
地元住民が採鉱夫や工場建設、製鋼に携わりました。大原高女の女学生や国民学校高等科の児童まで動員されました。

地元のYさんは 「夫が招集され、子どもを抱え食べるために就職した。朝4時ころから夜の11時ごろまで働いたこともある。粗末な服で冬には股にもヒビができ、日給は55銭だった」と言います。(大原町史)
海岸での真夏の作業や厳寒時の作業は過酷な労働でしたが、神風が吹くことを信じていました。

当時小学生だったSさんは同級生に朝鮮人の子がいたことを覚えています。真冬でも裸足で通学している貧しさで、父親は三門工場の建設に携わっていたようだといいます。

海岸には砂鉄と砂を分離する乾式、湿式の選鉱小屋が建ち、砂鉄を50~100kg入る箱に入れ、集積場まで天秤棒で運び、そこからトロッコに載せて工場まで運びました。

そのトロッコ軌道跡は岬町と大原町の境界線に現在でも残っています。
はじめは人力でトロッコを押していましたが、後に小型の薪式蒸気機関車となります。

工場では、製団、焼結、焼成の過程をへた砂鉄は豆炭状の粗鋼となり、京浜工業地帯や内房の製鉄所へ貨車で運ばれました。

最盛期には従業員700人の大工場ですが、田舎の工場ですから米軍による重点的な爆撃指定地にはなりませんでした。
それでも全国の大都市が焦土となれば、次はいすみ市のような田舎も爆撃対象になります。
橋や鉄道などのインフラは重点的に攻撃され続けましたし、米軍戦闘機による機銃掃射や余った爆弾の投下などで大変な被害を受けます。
8月10日の空襲では三門の砂鉄工場、長者駅が標的になり炎上しました。
13日には深堀、14日は大原漁港、大原駅。
そして終戦の日15日にも三門や大多喜に空襲がありました。

米軍は軍事施設や軍需工場だけではなく、市民を痛めつけ、市民を殺し、市民の戦意喪失をねらっていましたから、市民の被害は拡大する一方でした。
わたしが生まれる前、今から70年前の話です。

それから70年、諸外国と一発の砲火を交えることなく過ぎました。
明治維新以来、平和が70年続いたのは初めてです。
あと30年続けば、合計100年間の平和。人類史上稀有の出来事です。
戦争を放棄した国の国民として これからも誇り高く生きていきたいものです。


 

★せっかくだからカジメ風呂に入りましょうか

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     これが海藻のカジメです

大原の伊勢えび漁師の拓さんちに朝早く海老取り網のメンテ作業に出かけることがあります。
伊勢海老はすでには網からずされていますが、大量の藻屑やカニ、ヤドカリなどが付着しているので、これをはずし、次回の漁に使えるように準備する作業です。

アカエイやサメが引っ掛かっている時もありますが、アイナメやタイ、カニ、ホラガイなどがかかっていると、これは作業者が山分けにします。

Tさんは紅色藻類を畑の肥料にともらって帰ります。
ワカメは欲しい人がもらって帰りますが、カジメなど褐色藻類はたいてい捨てられます。
ところがKさんはカジメを入浴剤にすると言ってもらって帰ります。
それで真似して、もらって帰り、カジメ風呂にしてみました。

根は岩の残骸をしっかりつかんでいるので切り捨て
葉の部分は付着している雑物を洗い流したら、バスタブに入れて湯を張ればできあがり。

ヨード色(濃い茶色)のカジメ風呂は、川崎や東京の温泉――黒湯の成分と基本的に同じだそうです。
あの黒い湯は古代のカジメが地中に閉じ込められ、地下水に溶け込んだものを利用しているのだから当然です。

ほのかに磯の香りがし、肌がスベスベになり、体があたたまります。
黒めの湯に入っていると気分はもう温泉。
だから40℃以下のぬるめの湯でゆっくりとつかり、疲れを取り、新陳代謝を活発にするのが夏バテ解消の風呂の入り方でしょう。

湯船の中でカジメを揉めばまだまだエキスが出てくるし、
湯船の中でカジメで体を拭えばワイルドな気分になります。
そんな時は浴室の照明を最小限にするのが南国気分で良いですね。

カジメを乾燥保存すれば、たぶん、冬場でもカジメ風呂に入れることでしょう。
こんど拓さんちに行ったらたくさんカジメをゲットしてくることにしましょう。

             漁師工房拓→●



 



★桐の実がなる気節

桐
   鈴なりに実ができ始めた。晩秋になるにつれて茶色の実となる

桐ダンス、桐の箱、桐の下駄でなじみだった桐材も最近はとんと見かけなくなりました。
昔は女の子が生まれると桐の苗木を植え、嫁入りのときにその桐でタンスを作ったという話を聞いたことがあります。
そんな風習もなくなり、庭木の桐を見かけることはほとんどありませんが、岬町では時々見かけることができます。

4月下旬に咲く花はうっかり画像を取り損ねました。
7月下旬に種ができ始め、8月中旬には画像のようにずいぶん目立つようになりました。
わたしは桐紋(五三桐、七五桐)の上部の文様は桐の種だと思い込んでいましたが、本当は花三つ、花五つ、花七つをデザインしたものだそうです。

もう一つ勘違いしていたのは、桐が花札では12月の花ですから、桐の花は年末、西暦では1月ごろに咲く――と思い込んでいました。
花札はシャレで12月は桐になったようです。
「ピンからキリまで」とは「最初から最後まで」という意味ですから、花札の最後はキリ=桐でおさめました。

桐の花など見たこともなく、江戸時代のシャレにも思い至らず、12月の花だと思い込んでいましたが、岬町に来て初めてその勘違いにきづきました。

桐紋と言えば豊臣秀吉の家紋として有名ですが、教科書に載っている織田信長の肖像画も良く見ると信長は桐紋をつけています。
織田家の家紋は「木瓜 モッコウ」のはずなのに変ですね。
       信長
       織田信長肖像画(原本:室町時代 長興寺所蔵) 画像元→●

後鳥羽天皇の頃から菊花が天皇家の紋になり、桐紋は皇室の第二の紋になりました。
後醍醐天皇は、建武の新政の初期、足利尊氏に感謝して桐紋の使用を許可しました。
以後、足利氏は二引両が家紋ですが、権威の象徴として桐紋を利用しました。
信長が桐紋の裃をつけているのは 足利義昭を助けて将軍職に就けた際に、義昭が信長に桐紋の使用を許可したからでしょう。感謝して使えという意味です。

秀吉がいつから桐紋を使い始めたかは諸説あります。

江戸時代になると徳川氏の三つ葉葵紋を徳川氏以外は勝手に使えませんが、菊紋、桐紋の使用は制限が無くなりました。
明治になって菊紋の庶民使用は禁じられましたが、桐紋はさほどうるさく制限されなかったようです。
だから庶民なのに桐紋の家も少なくありません。

明治以後、菊紋は皇室、桐紋は国家機関のマークとして好んで使用されました。
国鉄(JRの前身)のマークは「桐に動輪」。
筑波大学のマークは桐。その前身・東京高等師範のマークをそのまま使用しています。
500円玉も桐紋ですね。

安倍首相が記者会見する時の演台にも桐紋がついています。
偉い人が勲章をもらう時があります。格式が高いのは菊花ですが、桐花勲章はややレベルが下がります。

人間はあれこれと桐の花に思いを込めてきました。
桐の花にとってはそれは無意味、無関係。
しかし、日本文化に多大な影響を残している桐なのに 菊や桜と比べるとあまりに地味。
もう少し注目されても良い樹木でしょう。


 
 

★納豆には何をいれますか?

納豆1納豆2
  青大豆の自家製引き割り納豆に酢玉ねぎと釜揚げシラス。しっかりかき混ぜる。

引き割りといっても乾燥大豆を引き割ったものではなく、蒸し大豆を野菜カッターで刻んで引き割り風にして納豆菌をつけています。その方が簡単。

納豆用の極小大豆が手元になく、かといって味噌用の大粒大豆だと、納豆菌の着きが悪く、味は大豆らしくておいしいのですが糸引きが弱いのです。
輸出用に糸を引かない納豆が開発されたと報道されていましたが、糸を引かない納豆なんて…と、つい思ってしまいます。

ウチにあるのは味噌・豆腐用の青大豆。これを蒸し煮した上で、野菜カッターで刻むと引き割っぽくなり、大豆の表面積が大きくなります。
すると納豆菌の着きが良くなり、大豆に納豆菌がしみ込みやすくなります。
したがって、糸引きも大変よくなります。

納豆菌は今は特別な菌を購入せず、市販の納豆を大スプーン半分程度利用して納豆を作っています。
メーカーによって使う納豆菌が違い、それが糸引きの良し悪しも左右するようです。
だから自分好みの市販の納豆を見つけ出して選ぶことも大切でしょう。

菌をつけてからの熟成温度と時間によっても糸引きの良し悪しは左右されます。
不十分ならば糸引きは当然悪い。
かといって過剰でも悪くなります。どうやら自己消費してしまうらしい。
アンモニア臭も出てきてしまって困ります。

どれくらいが適当かは、経験しか答えは出ないと思います。
何有荘では40℃高湿度で20時間の保温熟成しています。

さて、納豆に入れる具ですが、以前はゴマとオカカが定番でした。
最近は酢玉ねぎとシラスが定番で、時々これにヨーグルトがプラスされます。
もちろん、醤油も少々使います。

酢玉ねぎとは玉ねぎのみじん切りをビンに入れて酢で充たしましたもの。
通常の酢玉ねぎの玉ねぎはスライス、酢の他に蜂蜜など使いますが、気にしない。
酢玉ねぎの酢で、味付けがマイルドになります。
納豆+酢玉ねぎで血液サラサラ―――を期待しての一品です。


 
 

★レモングラスの三つ編みリース

レモングラス
     こんな具合にできたら後はお好みで

レモングラスはハーブティーにするのが一番良い利用法だと思いますが
東南アジアに旅行した人は、ナンプラーなど煮物の下味などに利用する人が最近は増えているようです。

蒸し暑い東南アジア原産のハーブで、防虫効果があり、現地の人はいぶして蚊遣りにすることがあるそうです。
消えないようにいぶすのは難しく、それはまだ成功していません。
アルコール浸潤液を作り、防虫スプレーにして使ったことは何回かあります。

防虫効果を利用してレモングラスのミサンガを作っている人がいました。
それではと今回、リースを作ってみました。
室内に飾っておけば、多少の防虫効果があるかもしれません。

20数本が一束。それを3等分して三つ編みにしていきます。
乾燥しきった葉よりもフレッシュの方が作りやすい。

一人で作るには根元をガッチリ紐で括って、どこかに固定して編むのが良いと思いますが
助手を用意し、助手に根元をしっかり持ってもらって編む方が簡単で良いと思います。

ゴボウやダイコンのようなまっすぐな三つ編みではなく、
最初から円になるように、力を加え、形を整えながら三つ編みにしていきます。

端まで三つ編みできたら、両端をワイヤーでしっかり止めます。
両端を自然な感じにカットすれば出来上がり。

これをリースの土台として様々なデコレーションで飾っても良し
ちょっとリボンだけで飾るシンプルなリースでも良いでしょう。
三つ編みの雰囲気が、それだけでも美しく感じます。

問題は今の時期ですからね。お盆の時期はまだまだ高温多湿。カビないか、です。
まぁ、やってみないと分からない。
カビなかったらご喝采、というところです。