★たぶん、生ごみから生まれたカボチャ

かぼちゃ
    植えた覚えのないカボチャが育って収穫

雑草園と化しているミントの間から、由緒ありげな芽が出てきました。
この芽は何だ、と思っている間にどんどんツルが成長し、花も咲き、どう考えてもこれはカボチャです。

植えた覚えはありません。
おそらくこの場所にカボチャの種を捨てたか、どうかして芽が出てきたのでしょう。
ツルが四方八方に自由気まま伸び、オス花メス花もたくさん咲きましたが、育てる実は三つに制限しました。
画像のその一つ。

知人はだいぶ前ですが、捨てたジャガイモの皮からジャガイモが育って収穫した、と誇らしげに語っていました。
そんなことってあるのですね。

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こちらに定住生活をするようになると、都会生活であった時とは比較にならないほど大量の生ごみが発生しました。
都会は魚も野菜も食材は下処理して販売されていますが、田舎では下処理するだけで大量の残渣が発生します。

面倒なのは魚肉類や調理残渣で、これはハエやコウカアブなどが煩いので、従来は『トロ箱生ごみ堆肥』で発酵分解処理して生ごみ堆肥にしてきました。
翌日には60℃~70℃に発熱して生ゴミは清潔で優秀な堆肥に移行していきます。

ところが処理量が多くなるとトロ箱では追いつかず、今年から自称『バケツコンポスト』を庭に置いて処理しています。
よく行政のパンフで見かける、大型バケツを逆にして設置するタイプではなく
普通の20ℓポリバケツです。

バケツの下側面にドリルで何か所も穴を開け、底を切り取れば工作は完了。
地面に穴を掘ってバケツを半分埋め込み、上からポイポイ生ごみを投入し、発酵促進剤をパラパラと掛けておけば、かなり効果的に発酵分解していきます。

ネットをかぶせていても害虫がもぐりこんできます。
ハエやアブのウジが発生した場合は、石灰を撒いておけば全滅します。

市販の大型コンポストの最大の欠点は生ごみが発酵分解した時に生じる水分の逃げ場がないことです。
そのためコンポストの内部は、水分過剰で見るもおぞましい姿になり、異臭も発生し、ウジも発生します。
それを効果的に防ぐには土をかぶせることですが、そんなことを毎日してはいられません。

『バケツコンポスト』の底を抜き、周囲に穴を開けたのは発酵分解時の水分を効果的に地面に逃がすためにであり、その効果はありました。

ただトロ箱堆肥箱と比べると発酵温度が常温に近く、その分、分解が不十分のようですから、バケツの8割程度になったら土をかぶせて寝かせる必要があります。

そんな苦労もありますが、家庭で発生した生ごみの処理を行政にお願いしてしまうなんてことはしないですみます。



 
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★早くも、こうべをたれる 稲穂かな

早場米
   千葉は早場米の産地。ここの田んぼはことさら早い

新米が高く売れるからでしょうか、千葉県は早い時期に収穫できる米(早場米)の作付面積が広く、もう一部の田んぼでは、稲穂の頭が垂れ下がりはじめました。
品種はたぶん千葉特産の 「ふさおとめ」
8月中旬、お盆のころには新米が店頭に並びます。
稲刈りは秋、という季節感はだんだん通用しなくなっているようです。

昨日は一日中、霧がたちこめて過ごしやすかったのですが、今日朝からまた酷暑が復活するようです。
しかし、気象予報士の森さんは、この暑さももう峠を越え、あと1週間我慢すれば、8月は気温が下がる…かもしれない と言っていました。。

そういえば、今日(7/29)は旧暦では6月14日。
六月は水無月(ミナヅキ)で、庭の野菜も熱中症ぎみ。
夕方には打ち水を兼ねて庭に散水しています。
そして旧暦では4・5・6月が夏に相当し、
二十四節気という区分でいうと、今はちょうど 「土用」 がすぎた 「大暑」。
最高に暑い時期ということになります。

絶好調を過ぎれば下り坂になるのは世の習い。
今年は旧暦6/24、新暦で8月8日が早くも 「立秋」 となります。
森さんは一言も二十四節気の話をしていませんが、森さんの予報は二十四節気の流れと軌を一にしています。

夏の暑さも、あと一週間前後の我慢だと目標を設定されると、我慢する気にもなれます。
もちろん、8月になっても 残暑厳しき日々が続くことも予想されますが、

スズムシも まもなく鳴き始めるはずです。
スズムシが鳴き始めれば、どんなに暑くとも季節は秋だと言って良いでしょう。
早場米の稲刈りは季節感が合わない、と文句を言っても 8/8を過ぎれば暦の上では、もう秋なんだからしょうがない。

時代と共に季節感が移ろい変わっても、それを嘆くのではなく、その事実・実態を認めれば良いだけの話です。
8月になったから、もうすぐ稲刈りだね――それが現代の季節感になりました。


 
 

★ブラックベリーでジャムづくり

ブラックベリー
     約500gほど収穫して、グラニュー糖200g

里山仲間のUさんから、「ブラックベリー摘みに来ない?」と有難い電話がありました。
ほいほい出かけて、ついでにブルーベリー700gも摘んでニコニコ顔で帰宅しました。

ブルーベリーもブラックベリーも歩きながら少し摘んで食べるのが一番おいしく思います。
時間制限つきで食べ放題…という趣向は、何か食い散らかしを勧めているようであまり好きではありません。
今回はゆっくりと、おしゃべりしながらの収穫で 楽しい時間でした。

手作りブラックベリージャムには多くの場合、小さな種がそのまま入っています。
ゴマ粒程度の大きさですから Uさんは、そんなの気にならないと言います。
欧米人なんかブドウの種だって気にせずに丸飲みするそうです

でも今回は手間暇かけて粒を除くことにしました。
したがって、砂糖を加えるタイミングは一番最後です。

  1. 軽い塩水で丁寧に洗い、汚れなどを除きます。
  2. 軽く水を切って、そのままホウロウの鍋に入れて、弱火で加熱。
  3. 水分が出てきますから、強火にして煮崩します。
  4.目の細かいザルで、丁寧に種粒をこします。これが大変。
  5..こした果汁に砂糖を加えて粘度が出るまで煮詰めれば出来上がり。
   レモン果汁は加えないでも大丈夫。

ブラックベリー本来の味がする甘酸っぱいジャムになりました。
なめらかで上品な味です。

重量比でブラックベリーと同量の砂糖を加えれば早く粘度が上がるし保存性がUPします。
でも砂糖が多いほどブラックベリーの味が隠れますから、保存性が劣っても砂糖は控えめにしています。
10%程度の砂糖しか加えないという知人もいます。
どれほどの量の砂糖かは、やはり作り手の好みであり、特権です。

種

さて、ザルには種粒の他にこしきれなかった果肉もたっぷり付着しています。
これをお湯で洗い流し、砂糖を加えるとブラックベリージュースになります。
種を捨てるのはジュースを作ってからでも遅くありません。
もちろん、最期に残った種だって、生ごみ堆肥でもうひと頑張してもらいましょう。

クラッカーヨーグルト
   ジャムはクラッカーに載せたり、ヨーグルトに合わせたり 幸せな時間です


★夏の海岸はスカシユリの季節

スカシユリ
      スカシユリは市の花に指定されています。


画像は太東漁港で撮影。
高さ15mほどの断崖の中ほど、10m付近に咲いていました。
垂直に近い断崖でどうやって生き延びて子孫をふやしているのか、たいしたものです。
左上の丸い葉はツワブキ。

ツワブキとスカシユリは断崖のような海岸地帯に多く、太東漁港や大原漁港脇の断崖にはあちこちで咲いています。

ところが、同じいすみ市でも、沖積平野部分の野山ではあまり見かけません。
海岸に棲息する種類ですから、それは当然ともいえるでしょう。
それゆえ、千葉県では自然海岸が人工海岸に置き換えられるにしたがって生息地が激減し、
今やレッドデータ―ブックに搭載されてしまいました。絶滅危惧種です。

スカシユリの群落地として、地元では有名な太東灯台近くの「海浜植物群落」が国指定の史跡に指定されています。
ここが断崖ではなく、海岸砂丘が進化した野原なので、その気になれば手に取ることができる場所、つまり珍しい場所だからでしょうか。
しかし、太東漁港、大原漁港へ行けば、指定地区ではないけれど周辺の断崖でよく見かけます。
太東岬にもありますが、海から眺めなければ見つからない場所です。

関東地方は今日も快晴。猛烈な暑さになると気象予報士がTVで騒いでいます。
ところが、岬町では今朝は濃霧。
朝の気温は24℃で、むしろ寒いくらいでした。

毎日、こんな朝なら良いのですが
今朝は、朝の4時から枕もとでヒグラシが大声でカナカナカナ…と鳴きだし、ビックリして目覚めてしまいました。
寝室の小窓は開け放して寝ているので、耳元で響き、何事かと思いました。

こんな近くで鳴いたのは初めてで、しかもこんなに大声で鳴くとは初めて知りました。
ミンミンやアブラゼミよりも大声です。
遠くでカナカナと鳴くのを聞くのは風情がありますが、枕もとでは勘弁願いたいものです。


 

 

★大原の水神社と防空壕 探索記

防空壕跡
    ゴミ捨て場と化した「防空壕」

大原のとある食堂で頼んだ定食を待つ間、壁に貼られていたB4サイズの「小浜まち歩きガイド」に目が止まりました。
小浜とは昔からの大原町のコアな地域。
かつて小浜城があり、丹が浦という自然の良港を中心に栄え、小浜八幡、広田神社があり、街並みも漁村らしさを今でも保っている地域です。

「ガイド」には、むかし銭湯があった場所、旅館があった場所などがマークされ、
昭和、明治の時間旅行をしてみませんか、とあります。

その「ガイド」に「小浜城あと」や「大原平和の鐘」と同じ大きさの活字で「防空壕跡」とあるので驚きました。そんな立派な防空壕があったのか?
早速出かけてみました。

場所は丹が浦の西80mほど、水神社の近くです。
車を根方区民会館に置いて徒歩で探索。
かつて「防空壕」であったような洞穴はすぐに発見できました。奥行きはあまりなくゴミが詰まっているようです。
これかな? と思いつつ、水神社を探したけれど見つかりません。

ウロウロしていたら地元の人に不審がられました。
「水神社を探しているのです」と言うと、この辺に神社などないと言うじゃありませんか。
「いや、地図には書いてあります」とyahoo地図を見せると、
しげしげと眺め、この山の上に祠(ホコラ)みたいのがあったけど、それかな、と示唆されました。

高さ10mほどの小山で、参道と思しき道もありますがジャングル状態。
途中、倒れた墓石のような石もありました。頂上まで行きましたが何もありません。
景色は開け、眼下に小浜地区が一望できます。

海辺の近く、このような小高い場所には昔、水難除けの「水神社」が祀られたものです。
確かにここがかつての 「水神社」 だったのでしょう。
氏子集団もはっきりせず、見捨てられたまま数十年が過ぎたように思われました。
ここの水神社について「 大原町史」 は一行の記載もありません。

位置関係からすると、どうやらこの水神社の真下に防空壕が掘られたらしい。
「防空壕だったのですか」と聞くと、「いや、あれはこの地区と丹が浦を結ぶトンネルだよ」と言います。

丹が浦はかつてイワシ漁でにぎわいました。上記「ガイド」にも丹が浦に水揚げされた大漁のイワシの写真が掲載されています。
丹が浦で水揚げされたイワシをこの地区に運ぶための最短経路として掘られたトンネルだったといいます。
そのトンネルが戦時中は臨時の避難壕としても利用されたというのが真相ではないでしょうか。
小浜城址と同等の大きさの活字で示す史跡・防空壕としての価値がここにあるかどうか。

上記「ガイド」には、小浜八幡下にあった戦時中の特攻隊基地跡の記載はありません。
昔の人々を驚かせた 「海中桜」 の記載もありません。
海中桜の記念碑は「船頭の台所」というお店の前の通りにあります。
この通りこそが昔の大原漁港の海岸線であり、メインストリートでした。
その気で眺めれば、ここがかつての浜辺だった痕跡はいくつもあるのに記載はありません。

上記「ガイド」は、今は事実上存在しない水神社の記号を「卍」で記しています。
卍は寺院マークですから、初歩的な誤りです。
この 「ガイド」 には発行元も電話番号も記されてはいません。

旧大原町のグラフティーとして貴重な写真を多数掲載しており、その古い写真を見るだけでも感心します。カラー印刷の立派な資料で、予算も手間ひまもかけただろうなと想像できます。
それだけに、いくつかの欠点を目にしても、それを伝える手段がないのが残念なことです。

      小浜ガイド

 
 

★月桂樹の葉をドライにして

ベイリーフ
     手作り乾燥用網に並べ、数日でできあがり

月桂樹は意外と株が乱立します。
枝葉の伸びる力も強く、狭い庭なので放置しておくと混み合って見苦しくなるので時々、強剪定してやります
剪定枝葉を捨てるのはモッタイナイので、ドライにしてみました。

若葉や固すぎる葉は避ける。良さげな葉を選んで収穫
水洗いの後、サッと湯通しして冷水に取り、
ペーパータオルで水気を拭き取って、網に乗せて乾燥
カリカリバリバリ。しっかり乾燥させないとカビます。
ジップロックに入れて冷凍庫保管。

普段は庭木から葉を摘んできて使っています。つまりフレッシュの葉の利用。
常緑樹ですから、いつでも使えて便利です。

以前、枝葉ごとドライにしてキッチンにぶら下げて使ったりしましたが、乾燥するにつれ葉が茶色になり、何か使いづらい気分になります。
枯葉になるのだから茶色の葉になるのは当たり前なのですが…。

いったん湯通しすることによって退色をかなり防げます。
そして冷凍庫ですから、まさに冷暗所。茶色の枯葉のごとき月桂樹ではありません。
ドライにしても緑色の月桂樹は、ちょっとしたプレゼントにもなって便利です。

きちんと乾燥されていれば、空き缶などで常温保存も可能ですが、乾燥材を入れておいた方が良いでしょう。

乾燥した葉を刻み、熱湯3分で月桂茶になります。
お風呂に入れるとハーバルバス。

剪定した枝を丸めたリースが月桂冠。
勝利・栄光・名誉のシンボルで、リースを飾れば多少の消臭効果もあります。




 
 

★海から陸地を眺めれば絶景が続く

海岸断崖
    山脈をスッパッと切り取ったような断崖が連なるいすみ市大原・岩船海岸

大原のイセエビ漁師の拓さんからメールがはいっていました。
――明日、いラ研の女子を乗せて船を出すから、一緒に乗ってみないか――

いラ研とは NPOいすみライフスタイル研究所 の略称で、活気のある地元にするために、“次世代の田舎生活” を活発に提案しています。→●
何有荘のエコな暮らし方という企画でご一緒してから親しくしています。

漁師の拓さんの船は14人乗り。イセエビが禁漁の今の時期は釣り船として活躍しています。
でも、先日の鯵釣りフェスタでは不漁だったと愚痴っていました。
海に行けばいつでも釣れるっていうもんじゃない。いくら探しても魚がいない日もある。海が荒れれば陸でじっと海を見つめて待ち続けるしかない―――

漁師も生きていくのは大変だと語っていましたが、今日は気楽な海の散歩みたいなもので、バッチリ晴天。ご機嫌です。
多少のうねりはありますが、まぁ画像のようにベタナギ。絶好の航海日和です。
いラ研女子ははしゃぎながら念入りの日焼け止め対策にご執心。

大原漁港から南下して岩船までの往復70分。
海流に逆らって南下する時は時間がかかり、波しぶきも大きい。北上時はスムーズです。
西に陸地を見て進みます。
漁港脇の丹が浦を過ぎれば、真夏の濃い緑色、鬱蒼とした山脈が続き、人家はほんの少しだけ。
海に面したわずかな平地部分にへばりついた小さな漁村です。

その山脈(ヤマナミ)が、まるで巨人が巨大な包丁でケーキをスパッと切り分けたような断崖になって続いている景色に気づきます。
その断崖が、大なり小なり、一直線になって繋がっていることも気になります。

もしも地上にこのような一直線になる地形があれば、まっさきに断層を疑うのですが、
この地域で断層の話は聞いたことがありません。

すると、これは黒潮が気の遠くなるような長い時間をかけて山脈をまっすぐに切り取ったと考えるのが妥当でしょう。
波が作った断崖を “海食崖 カイショクガイ ” といいます。
強い波で山脈の裾が洗われて崩れると、上部が崩れ落ちて切り立った崖になるのが海食崖。

大原から岩船まではかつて大きな半島部であったが、黒潮によって半島部の先端が最初に削られ、しだいに半島の根元にむかって徐々に削られ、とうとう今では、半島はなくなってしまい、断崖だけが残った…。
黒潮の流れにそって一直線の断崖が続くのは、そのような理由だと想像しています。

今船が進んでいる場所から、陸地近くにはうかつに近づけないいと拓さんはいいます。
海面下に岩礁地帯があり、そこは伊勢海老の良い漁場だそうです。
その危険な岩礁地帯とは、かつて半島だった場所が波で崩され、海に沈んでいる場所なのでしょう。

さて、大原漁港に戻り、今度は北上して太東埼往復の約60分間。
景色は一変して砂浜の海岸が続きます。
千葉県第二の大河・夷隅川の河口に当たり、黒潮と夷隅川が運んだ土砂で複雑な海浜地形が作られています。

この砂浜がアカウミガメの産卵地であり、サーファーの天国でもあります。
海の波も南下岩船コースと比べるとずっと穏やかです。
拓さんが 「イワシの大群だ 」と叫びました。
海がうっすらと黒くなっている場所がそうだそうです。拓さんは魚群探知機で正確に場所を把握できます。

大原漁港への帰り船。黒潮に逆らうからか、やや波が荒くなりました。
拓さんが、ホラ、富士山が見えるヨ、雪がないから真っ黒だけどと言います。

たのしいクルージングが終わりました。ありがとうございます。
海から眺めるいすみ市の景色は、地上の景色とは全く違いました。
新鮮な発見です。風も飛び散るシブキも酷暑の中ではさわやかでした。

いラ研さんは、このクルージングをタネに何か企画を考えているようです。
拓さんの 漁師工房拓 では8月になると伊勢えび漁が始まります。

わたちたちも、網のごみ取りのお手伝いに通って、網にかかったあれこれをゲットするのが楽しみな季節となります。



 

★梅雨が明ければ蒲(ガマ)の季節

蒲
    葦原に混じって、あちこちに生えています

梅雨が明け、毎日朝から30℃を越えているとさすがにまいります。
外気温36℃、室温30℃。おまけに今日は風もない。
農業用遮光ネットを張りめぐらし、建物が蓄熱するのを防いでいます。
ネットの下は思いのほか涼しく感じますから、遮光ネットは安価でお奨めです。

さて画像はおなじみの蒲(ガマ)。
夷隅川の河口付近は昔の氾濫原で、今でも所々に湿地帯が残り、葦原が広がっています。
その一部でガマが育っています。毎年必ず同じ場所とも限らないのが不思議です。

フランクフルトソーセージのような穂は蒲の微細なメス花がギュッと詰まっている状態で、
オス花は軸の先端にまとまってへばりついてます。
トウモロコシも上部にオス花、下部がメス花ですね。それに似ている構造です。
       雄花雌花

まもなく受粉の季節で、ガマを刈り取って穂をはたくと、黄色い花粉が取れます。
この花粉が 「ホオウ 穂黄」。漢方の生薬で、止血剤、鎮痛剤、利尿剤として用いられます。
皮をはがれて赤裸にされた 「因幡のシロ兎」 を大国様が救護したのは、季節としては今頃の季節、梅雨明けの頃だったと推定できます。

文部省唱歌では 「蒲の穂綿 ホワタ にくるまれば…」 となっているのは作詞者(石原和三郎)のカン違い。検定した文部省の役人の不見識。
ガマが結実して、ムクムクのホワタになるのは秋口から冬にかけてなので、季節が異なります。
全身ホワタに包まれる姿を、包帯でグルグル巻きにした姿と重ねたのでしょう。

この唱歌は、白ウサギ、赤ハダカ という色彩の対比も見事です。
ただし、『古事記』原文の 「素兎」 を 「白兎」 にしてしまい、原文から遠くなりました。
「素兎」の読み方はシロウサギ ですが、「白」 の意味はありません。
「素人」=シロウトに白の意味がないのと同じです。
それなのに誤解が広がり定着し、鳥取県には白兎神社、白兎海岸まであります。

素面=シラフ、白木=シラキという単語は酔って赤い顔をしていない、化粧していない、塗料を塗っていない素肌の状態、生地のままの状態を示しています。そこに白い= white の意味はありません。

「素手・素足」 とは手袋や靴下をつけていない状態ですから 「素兎」 とは毛がまったくない裸の状態で、毛はむしり取られたのですから、血だらけだったことでしょう。

止血・鎮痛効果のあるガマの花粉=穂黄を処方するのは適切でした。
それゆえ、大黒様=大国主命は日本医療の先駆者・神様だと考えられています。

治癒して毛が伸びてくるとその毛は何色ですか?
ペット用の白兎は江戸時代に輸入された西洋種であり、それが今では普通のウサギです。
日本在来種の毛の色は薄茶色であり、白いウサギではありません。

いすみ市にも薄茶色の野ウサギが出没し、野菜をかじって逃げていきます。
野で見つけるとカワイイのですが、農家からは嫌われています。


 
 

★ヤブカンゾウは金針菜

ヤブカンゾウ
     ヤブカンゾウ、いすみ市ではいたるところで見かけます。

金針菜とは中華の食材で、その実体はヤブカンゾウの蕾(ツボミ)を乾燥させた食品。
水に戻して使いますが、今の時期はフレッシュなツボミを簡単に入手できます。
一日花で次から次に咲きますから、遠慮しないでツボミを採集しましょう。

ちょっと洗って乾燥させれば保存食品になりますが、それはしたことがありません。
フレッシュで食べられる食材はフレッシュで使えば良いじゃないですか。
使い方は シシトウ と同じように少し火を通せば何でもOK。

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     たくさん収穫しました             ゆでて、三杯酢が一番簡単

金針菜天ぷらホタテ金針菜
    天ぷらもいいですね           ホタテとシイタケと合わせてサッと煮醤油味

不思議な食感で、ぬめりがあります。おいしいですよ。
タダの食材ですから、路傍に咲いていたら少し失敬してみましょう。

野草の食材としては、野草とは思えぬ1級品。
味噌汁の具にするとか、冷やし中華の具にするとか、応用は自由自在です。


 

★天然記念物ヒメハルゼミの声を聴きに行く

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     いすみ鉄道・上総中川駅下車 妙泉寺山門

ヒメハルゼミはいすみ市の隣町の茂原では国指定の天然記念物ですから、小学生が熱心に保護・観察活動をしています。
西隣の大多喜町では麻面原高原のヒメハルゼミの鳴き声が環境庁選定の「日本の残したい音風景100選」の地になっています。

いすみ市でも妙泉寺のヒメハルゼミが市指定の天然記念物になっています。
ところが、何のアクションもしていないので、ほとんど誰も知りません。

太東埼ではもう朝夕になると、カナカナ…とヒグラシゼミが鳴き始めました。
ヒメハルゼミもヒグラシ同様、朝夕に鳴きますので、いつ出かけても聞こえるというわけではありません。
しかもハルゼミの名前のとおり、夏になればもう消えてしまいます。
妙泉寺の場合、6月下旬から鳴き始め、7月20日ごろが限界でしょうか。
16:30~17:30ごろが良いと思います。

ヒグラシに姿かたちが似たセミで、大きさはヒグラシの2/3程度のちいさなセミです。
1匹鳴き出すと全員が一斉に鳴き出すという変わった習性があります。
目をこらしても なかなか発見できません。
その鳴き声は アンテナがはずれたTVのノイズような 「騒音」 に近いものです。

今から71年前、1944年7月10日、墨田区本所にあった外手(ソトデ)国民学校の6年生女子児童50名がこの妙泉寺に到着しました。
サイパン陥落の後、都市部の児童の集団疎開が始まり、本所地区の各学校は千葉県が割り当てられ、外出の6年女子児童には妙泉寺が指定されました。

朝早く両国駅を立ち、蘇我駅で外房線に乗り換え、大原駅で木原線に乗り換え、上総中川駅下車の長い旅でした。
妙泉寺に着いた彼女たちを大歓迎で迎えたのがヒメハルゼミの大合唱であったはずです。
墨田区本所界隈(カイワイ)とのあまりに違う自然環境に驚いたことでしょう。

やがて年を越すと、卒業式は学校に戻って行うことが決まり 3月になると妙泉寺に別れを告げ、父母の待つ墨田区に帰りました。やっぱり自宅で寝るのが一番良いと思ったことでしょう。
そして3月10日の未明、B29の東京大空襲となります。およそ10万人が一晩で焼殺されるという未曽有の被害が出ました。
墨田に戻っていた彼女たちもその多くが犠牲になりました。

戦争では大量殺人の犯人が英雄として称えられます。
東京大空襲作戦の責任者はカーチス ルメイ少将。後の大将。

蛇足ですが、敵対した日米は、戦後は同盟関係になります。
1964年に当時の佐藤栄作首相は 「鬼畜ルメイ」 に勲一等旭日章を贈りました。
日米友好に尽力したからだそうです。
ルメイ氏自身も叙勲には当惑したでしょうね。昭和天皇は勲章親授式に出なかったそうです。

愚かな人間の行為とそれに伴う悲喜劇―――そんなこととは無関係に今年もヒメハルゼミは鳴き続けていました。
わたしたちが大自然に癒され励まされるのは、いつも変わらぬ健気(ケナゲ)な姿に理想を見るからなのでしょう。