★ヨモギでジェノベーゼ、作り方

ヨモギ
    キク科の植物だから菊の葉に似ている。葉の裏が白いことが特徴。

3月31日はゴロ合わせでサンサイの日、山菜の日だそうです。
この時期の山菜の代表格がヨモギ。
草餅に使うのが普通ですが、おひたしやみそ汁の具にもなります。
今回はバジルの代りにジェノベーゼ風に仕立ててみました。

【材料】
  ①よもぎの葉 50g    ②松の実 20g    ③ニンニク1/2片
  ④オリーブオイル 100cc  ⑤バター少々     ⑥塩 少々

【作り方】
 ①よもぎの穂先を摘み取って、葉だけにしてきれいに洗う。
 ②鍋に熱湯を沸かし、塩を入れ、ヨモギをさっと茹でて絞り、刻みます。
 ③松の実と刻んだニンニクをフライパンで軽く炒る。
 ④全部混ぜ、オリーブオイルを少しずつ加えてプロセッサーにかける。
 ⑤ペースト状になったら出来上がり。

手間を省いて軸も使ったら筋が残って、ペーストにするのにかえって手間がかかってしまいました。葉だけ使うのが正解でしょう。
それぞれの素材の分量は適当ですからお好みの量で。どうにかなるものです。
ピザトーストに利用し、残りはビンに詰めて冷蔵庫保管にしました。

ピザジェノベーゼ
      よもぎペーストはピザに合う        瓶詰冷蔵庫保存
次回の利用法ははグリーンパスタでしょうかね。

山菜を摘む時、良くわからないときは手をださないのが原則です。
毎年、毒草を食べて中毒を起こす人がいます。
ニラと間違えて水仙の葉を食べてしまったなんて話を聞くと情けなくなります。

ヨモギは葉の裏が白いので判別が容易ですが、それでも似た毒草があります。
キツネノボタン、クサノオウは強力な毒草で、いすみ市では普通の野草ですから、間違ったら大変です。
花が咲けばその区別は明瞭。でも春の野草として利用するのは花咲く前、葉だけの時。
ヨモギだけでもしっかり覚えれば、名前は知らぬとも葉の感じがちょっと違うと気づくものです。



 
スポンサーサイト

★豆の花も満開、三種類

カラスノエンドウそらまめ絹サヤ
       カラスノエンドウ           ソラマメ          絹サヤ     

いすみ市の桜も満開に近づき、モクレンやコブシはもう開き過ぎ。
あらゆる花が一斉に花開く季節は、花粉さえ飛ばなければ最高に素晴らしいのですがね。

どうやら今年からヒノキ花粉にやられているらしい。
鼻がぐずつき、咳くしゃみ、頭も春霞、すっきりしません。
花粉症の人の悩みを少しは理解できるようになりました。

花粉を気にしながら庭に出てみると

ソラマメが満開。今年のソラマメはできが良く、プロ農家の方がウチより良いと驚いていました。
ヒメオドリコソウが繁っている畝の中で元気に育っています。
カモミールも混植だからか、アブラムシもよりつかず、気が楽です。

隣りの畝では絹サヤが咲いています。
今年は白花です。これも収穫が期待できそうです。
その畝ではカラスノエンドウも花盛り。
雑草共生の畝でも困りません。
あまりに伸びすぎたら地際でカット。根には根粒バクテリアがついて窒素同化作用をしてくれているはずです。

どれもマメ科の花だから似ています。
これから藤の花、都草の季節で、これもマメ科。
ニセアカシアもマメ科だから花の形は同じ。

仔細に観察してみると、けっこうマメ科植物が周囲に多いので驚きます。


太東埼――陸軍砲兵隊陣地跡(1)

碑1 碑2
     羅津要塞重砲兵聨隊記念碑        同 拡大画像

いすみ市立長者小学校の校門を入ると右手に砲兵連隊の碑「羅津要塞重砲兵聨隊内地転用本部並第一中隊」が建っています。平成の時代になってから旧将兵が記念植樹をした、その記念碑です。

「羅津」とは朝鮮半島の東北端に位置する土地で、「ラツ」と読みますが、現地ではナジンと読みます。旧満州国建国後、羅津はソ連の国境に近く、満州と日本の中継地として重要な地となり、砲台を備えた要塞地帯になりました。
現在は先鋒地区と共に羅先(ナソン)経済特区となり、金日成・金正日の巨大な銅像が建っている事でも有名です。

1944年7月末に、本土の防衛強化のため一部の部隊を残し、連隊の主力部隊は本土に戻され、崎山隊長率いる部隊が長者小学校に駐屯してきたのは初秋の頃だといいます。長い間風呂にも入らなかったためか、夷隅川で子どものように水に戯れていたといいます。

すでに軍事上の勝敗は明らかでしたが、いつまでたっても日本は降伏せずに1億玉砕を叫んでおり、米軍は本土上陸、地上戦を計画しておりました。その際、防備の厳しい東京湾には侵攻せず、相模湾か九十九里浜が上陸地点になると、日米双方とも睨んでおりました。

部隊は,和泉と中原の山中を切り開いて砲台を据え,アメリカ軍の上陸に備えました。
太東埼に連なる和泉志茂の陣地は南が開け、日在海岸を敵の上陸地と想定して「野砲」を設置。
中原吉附の陣地は北方の九十九里浜に向けて「カノン砲」が設置されました。

    野砲
    改造三八式野砲 画像元wiki


和泉志茂地区の陣地は太東埼南端に築かれ、眼下に大原八幡岬まで続く和泉浦・日在浦が一望に見渡せますから、敵前上陸阻止の絶好の位置を占めていました。
八幡岬まで10kmもありませんから、野砲で十分対応できます。
ついでながら、大原八幡岬には特攻魚雷・回天の地下基地が作られました。

日在浦
   太東埼から日在浦、大原八幡岬を望む。左の小山に砲台が築かれた。

部隊の最初の仕事は志茂部落から山頂までの通路を切り開くことでした。もちろん重機などありません。ツルハシで岩盤をうがち、スコップですくい、モッコで土砂を運び出さねばなりません。
野砲は敵機の目をくらませるために山腹に穴を掘り、格納していたようです。
地元の人の話では、山頂にコンクリ製のドームがあり、ひと教室分程度のコンクリ広場があり、かなりしっかりした防空壕のような通路が山腹を縫うようにつながっていたといいます。

陣地が完成するのは1945年のことですから、1年未満の突貫作業で構築したことになります。
部隊は退役した在郷軍人を招集して砲術の訓練をしたといいますから、いざとなれば国民総ぐるみで闘うつもりだったのでしょう。
しかし米軍の上陸はなく、戦争は突然終了して軍人は撤収し、陣地は廃墟となりました。

軍が撤収した後は地元の子どもたちの遊び場になり、やがて台風による土砂崩れで崩落し、危険だからと立ち入り禁止になり、70年の年月を経た今、地元の人にも忘れ去られてしまいました。

現在も遺構は一部残っているようですが、現地を見たところ、山頂に至る通路は見当たりません。
篠竹やメダケ・雑木が生い茂り、とてもじゃないが登れません。
一見したところでは手入れの行き届かない山林原野です。そこに戦争遺跡が残っているとは、だれも気付かないことでしょう。


 

★ツワブキでキャラブキを作る

ツワブキ
     ツワブキの若い茎葉は柔らかい毛でおおわれている

キャラブキというと野フキ(蕗)で作ることが普通です。
ところが九州の人たちはキャラブキはツワブキで作るのだそうです。
  
        つわぶき2
      ツヤがあり、輝く葉だからツヤブキだという説もあります

こちらでも太東漁港や大原漁港付近には野生のツワブキ(石蕗)がけっこう自生しているので採集には事欠きません。
今が季節ですから、ツワブキでキャラブキを作ってみました。

ツワブキだって若い茎葉の方が柔らかくておいしいに決まっています。
画像のようにうぶ毛か綿毛のような柔らかい毛でおおわれた茎葉が今年の茎葉です。
この点を押さえれば、後はフキから作るキャラブキと作りかたは基本的に同じ。

 1.根元で切り取り、葉も落とし、よく洗います。
 2.数分間、軽く熱湯でゆでて皮をむきやすくします。
 3.真ん中でポキンと折れば、上下とも皮はするりとむけます。
 4.残った皮は爪を立てて端を摘まめばこれもするりとむけます。
 5.適当な長さに切り分け、塩一つまみの冷水に一晩さらしこんでアク抜き。
 6.若草色だった茎は一晩で濃い茶色になっていました。
 7.一度煮こぼしてから、生協で購入したダシマカセからの出汁と砂糖で下味をつけ
 8.醤油・酒・みりんで煮詰めれば出来上がり。

キャラブキ3

画像のように真っ黒けでツヤツヤ。
見た目よりもずっと柔らかい。
伽羅(キャラ)色とは仏教用語で黒。だから「黒く仕上げた蕗」の意味でキャラブキ。
伽羅木とは超一流の香木。玄妙な香りが致します。
そんな意味も含めてのキャラブキという命名なのでしょう。
確かに、伽羅香木のような高級な雰囲気が漂っています。

フキのように中空ではなく、茎はぎっしり中身が詰まっています。
また、フキよりもずっと茎の太さが太いので、食べ甲斐があります。
当然のことながら食感はずいぶん違いまし、調味料が同じでも素材の味が異なります。

調理の面倒臭さはフキと同じですから、一度、ツワブキでキャラブキを作ってみることをお勧めいたします。茎が太い分だけ、作業は楽なはずです。
ツワブキの若い茎葉は6月ごろまで採集・利用できることでしょう。



 

★初タケノコの若竹煮

土佐煮
       「木の芽」の代りに「野みつば」

早くに母親を亡くした姪が、「下の子が高校に合格したから」と言って、叔父であるわたしの家に二人で遊びに来ました。
それで里山の竹林に案内し、タケノコ掘りを体験してもらいました。
まだタケノコは芽を出しておらず、竹林をすり足で歩きながら、枯れた笹葉の下の芽の感触を足裏で確かめて掘り出します。
目でタケノコを発見するのではなく、足裏で発見するのですから、なかなか大変です。

全身が地中にあるのでエグ味はまったくありません。
刺身でも食べられますが、明日帰宅とのことですから 一応 ヌカで下ゆでして持たせました。

ついでに私たちも初物をゲット。
若竹煮にしました。
昆布とかつおの出汁。調味料は酒・みりん・醤油。
出汁を効かせた薄味で、木の芽と若布(ワカメ)がつきます。
ところがまだ春浅く、木の芽は出ていない。それで野三つ葉を飾りました。
画像のようにしっかり間が詰まった穂先は柔らかく、春の味がします。

食品を買うのではなく、素材を竹林で収穫してくる生活っていいですね。
お金はかからないし、何よりも自然がすがすがしい。
素材が海にも山にも野原にも、あちこちにあるのが、いすみ市の田舎暮らしです。

*****

筍と書いてジュン、タケノコと読みます。
では草カンムリのない旬の読み方は?―――――シュン、またはジュン。
「ハシリ、シュン、ナゴリ」のシュンで、最盛期という意味になります。
~週間、~月間とはよく聞く単語。では~旬間(ジュンカン)とは何?
―――――約10日間のこと。1か月は3旬間です。
タケノコは勢いが強く、10日もすれば手が届かくなる――それで筍。
竹から生まれたかぐや姫がずんずん成長したという話はタケノコのイメージですね。


 

★スイバでジャム作り

スイバ
      春はまだロゼッタ状態。この頃採集するのが良い。

東京・横浜から桜の開花便りがありましたが、房総のいすみ市ではまだツボミは固い。
大都市の開花が早いのは、コンクリとアスファルトジャングルだから温暖化の影響が強い。
しかし、いすみ市でも春は確実に訪れ、にぎやかな季節になりました。
ウグイスやコジュケイ、カモやアマガエルが朝から大騒ぎ。ついでにカラスがカーカー。

スイバは酸い葉。かじってみると酸っぱい。
昔の子どもたちは“ガキ=餓鬼”と呼ばれ、いつも腹をすかせていたから、こんな酸っぱい葉でもかじって気を紛らわしていたらしい。

別名がスカンポ。
スカンポというのはイタドリだという説もありますが、わたしは何でも酸っぱければスカンポと言って良いと思っています。
あれもこれもスカンポで良いじゃないですか。だれも困りません。

画像のスイバは全身緑ですが、真っ赤に紅葉している場合もあります。
昨年は紅葉したスイバを選んで赤いジャムを作りました。
今年はどういうわけか、緑色のスイバばかりです。
緑のスイバからは濃い緑色、まるで海苔の佃煮のような色のジャムができます。

赤いジャムでも濃緑ジャムでも味は変わらない。
もっと薄い緑、若草色のジャムにしたければ生クリームを混ぜるという手がありますが、
なんか邪道のような気がして実行していません。

赤い葉と緑の葉を混ぜてジャムにすると茶色のジャムになり、食欲のわかない色合いですが味は変わりません。
つまりスイバの葉ならば、色に関わりなくおいしいジャムができます。
ただ甘いだけのジャムではなく、酸っぱさと甘さがミックスした絶妙な味です。

よく洗ったスイバの葉を刻み、少々の水を加えて沸騰させます。
すぐとろけてきますが、完全にとろけるには時間が必要。
葉の重量の半量の砂糖を加えて煮詰めれば出来上がり。
まるでルバーブジャムのような上品なジャムに仕上がります。
           スイアバジャム
              1株からできたスイバジャム

雑草として見捨てるのは実に惜しい話です。


 
 

★ヒメオドリコソウ・姫踊り子草

ヒメオドリコソウ
      10数cmの小さな草だが、その花の形は複雑・微妙

春の野に一面に咲き誇る時があります。
野と言っても人の手が加えられた道ばたやあぜ道、まだ植え付けが始まらない畑などで“わが世の春”を謳歌しています。

草の名前にヒメが頭に着く場合、“ちいさな”という意味になります。
オドリコソウという名の別の花があり、それよりは小型だからヒメオドリコソウです。
もっとも、この花を見て踊り子を想像できる人はあまりいないでしょう。
けむくらじゃのモンスターみたいです。

同じしそ科の春の花、ホトケノザと同じようなピンクの花を咲かせるので、時々、混同する人がいるようです。
ホトケノザの花の方が、細長くラッパ型をしています。
         ホトケノザ
           ホトケノザ

どちらの花も“唇形花 シンケイカ” 呼ばれる複雑で珍妙な形をしており、とても美しい唇のようには見えず、何となく馬面(ウマズラ)のように見えます。
しかしよく見れば、やはり神妙というか、神様の計らいで、こんな小さな花なのに精一杯着飾っており、なんだ雑草かといって見向きもしないのは花に対して失礼であり、よく観賞すれば大自然の素晴らしさを感じさせてくれる一品です。

ヒメオドリコソウもホトケノザも四角い茎と唇形花を持つことが混同の原因かと思いますが葉の形、葉の色、葉の付き方が大きく違います。

ヒメオドリコソウの葉を特徴づけるのは、葉が密集し、上部の葉は葉の色が赤紫色をしていることです。花よりもこの赤紫色の葉の方が目立つくらいです。
上から見ると、四角い茎から二枚ずつ葉が出ており、上の葉と下の葉は90°ずれて互いに重ならず、どちらも陽の光が当たるようになっています。
こんな仕組みもよくできているなぁと感心します。

野草の観察にはルーペ(虫メガネ)を一つ持参すると、新しい発見があります。 

 

★海軍レーダー基地跡-いすみ市太東埼(2)

機関銃座
    7.7mm機銃が設置された微高地。立ち入り禁止。

太東崎灯台付近は小さな広場となっており、太平洋が見渡せるすがすがしい場所です。
戦争末期の1943(昭和18)年、山裾に海軍技術研究所太東実験所が設置されました。
山頂には当時の最新鋭レーダー(電波探信儀、略して電探)が設置され、その正式名称を横須賀海軍警備隊太東崎特設見張所といいました。
太東航空基地は厚木の部隊ですから、それぞれ指揮命令系統は別々だったようです。

戦前、この岬の山頂は松やタブの木の原生林で通う道さえありませんでした。
7月から付近の長者町、中根村、古沢村、太東村、東浪見村、一宮町、睦沢村の住民が軍からの出動命令を受けてレーダー基地の建設の突貫工事が始まりました。
午前7時から午後5時までの強制労働で、クワ、ツルハシ、スコップ、モッコを使った人海戦術。
最初に作ったのが現在の灯台へ至る道路。この道は屈曲して狭く、すれ違う観光客の車が難渋していますが、この道も戦争遺跡だと言えば戦争遺跡です。

頂上付近の林は切り開かれて整地され、一番の難作業は高さ数10mの断崖を切り崩す作業だったそうです。各施設の間は深さ2m、幅1.5mの連絡通路が掘られたといいます。
1日600人、延べ10万余人を動員した基礎工事はほぼ半年で終わり、1944年になると一般住民は立ち入り禁止となり、一部の人夫と軍関係者のみで極秘で作業は進められました。

したがってどのような施設が完成したか、住民は知る由もなく、知ろうとすればスパイ容疑で逮捕されかねません。施設を遠望した人は「空中高く突出した大きな金網が時々音を立てて回転していた」といいます。

『岬町史』によれば、大型レーダー1基は直径7.8 mのコンクリ円形地下操作室で操作する仕組みで、分厚いコンクリの塀の上に設置。他は小型レーダー4基。施設防衛のための7.7mm機銃2座。

同年10月には東條内閣の海軍大臣嶋田繁太郎大将が太東の実験所、特設見張所を視察に訪れていますから、海軍の力の入れようを察することができます。

敵機・敵艦をいち早く察知しても、それを迎え撃つ軍用機も艦船もなく、本土は圧倒的な米軍の爆撃にさらされます。
1945年8月、突然戦争は終わり、日本軍は武装解除されます。
米軍立会いの下で電探施設は爆破されました。

やがて断崖は太平洋の荒波による浸食で、30 m以上も崩落・後退し,諸施設の残骸も一緒に海中に没してしまいました。
山上の松林にあった兵舎跡地には昭和25 年に灯台が建設されます。

ところが崖の浸食はさらに進み,昭和47 年に灯台は50 m西へ、現在地に移動しました。
そしてこの初代灯台=旧兵舎跡地も海に没してしまい、今や跡形もありません。
NPO灯台クラブの売店は、初代灯台の灯台守の官舎跡地にあるのだそうです。

最近、横浜にある 「横浜旧軍無線通信資料館」 が開設しているサイトに
太東埼に当時設置された電波探信儀などの写真がアップされていることを知りました。

『岬町史』にあるように、大型1基、小型4基というような単純なものではなさそうです。
以下、同サイトからの引用。いづれも太東埼に設置された電探です。
詳しくは同サイトをご覧ください。

1-1.jpg
海軍1号1型電波探信儀(対空警戒用)

対潜
海軍2号2型電波探信儀

13.jpg
海軍13号電探陸上用空中線

                             次週金曜は太東埼の陸軍遺跡の予定です


★野蒜(ノビル)の季節

ノビル
        小さな球形の鱗茎と緑の葉は野草として美味

これから田植えの季節にかけて、あぜ道や農業用貯水池の土手に無数に生えてきます。
何有荘の庭にも見境なく乱雑にはびこっているので、今年は掘り起こして整理しました。

食用にはできるだけ茎が太い個体を引き抜きますが、途中で切れてしまう場合が多い。
鱗茎は根を張っており、10cm以上深い場所にあることも往々なので、ちいさなスコップ、移植ごてなどで掘り起こします。

鱗茎をよく洗ってひげ根を切り落とし、そのまま生で食べても良いが、1~2分間ゆがいた方が食べやすくなります。
味噌をちょっとつけて食べます。酢味噌でもごま味噌でもお好みで。

葉はV字型をしており、緑鮮やかでしなやか。
見慣れればすぐ遠目にもノビルだとわかります。
葉も刻んで薬味としていただきます。汁物の具としても利用できます。

ニンニクやラッキョの仲間を蒜(ヒル)といい、野に勝手に生えるので野蒜(ノビル)。
古事記や日本書紀に、ヤマトタケルとノビルの話が載っています。

―――山道で疲れた尊が食事をしようとした時に、山の神が白鹿に化けて尊の前に立って妨害しようとした。尊はその鹿をあやしみ、一個の蒜をはじいて鹿の目に当てて殺した。すると尊はたちまち自分のいる場所がわからなくなってしまった――

ノビルというのは地元の神様を一瞬にして殺してしまうほど強力な食べ物ということなのでしょう。
禅宗のお寺ではニンニク・ラッキョなどを食べてきつい臭いを漂わしている人物は入山してはいけないという規則があります。
エジプト庶民はニンニクをバリバリ食べてピラミッドの建設に従事したそうです。

それにしてもヤマトタケルの振る舞いは傲岸不遜。
この事件以後、タケルの運命は暗転し、最期は死して白鳥になるという物語に続きます。

まぁ、あまり難しいことは考えず、ノビルってけっこうオイシイじゃんと春の野の恵みをいただくのが、一番よろしいと思います。


 
 

★フキノトウ、オス花とメス花

オス花メス花
        星形の花がオス花、掃除機のブラシみたいのがメス花。

フキノトウのオスメスなんかふつうは気にしません。
花開く前の、まだ苞(ホウ)に覆われている未熟な花が食べごろですから。

オスメスの違いが分かって来るのは苞が開き、中の花が見え始めてから。
オスメスの違いが注目を浴びないのは、オスメスで味の違いがほぼないからでしょう。
人によればメス花の方がおいしいと言います。
でも、わたしはその違いが良くわかりません。

あちこちに顔を出しているフキノトウは地下茎で結ばれており、全体で一つの植物体と言っても良いかもしれません。
オス花が咲いていれば、その周辺はすべてオス花です。
逆にメス花ならばみなメス花。
オスの株とメスの株は別の個体です。つまり雌雄異株(シユウイカブ)。

雄株は花粉を出し、雌株は花粉で受精します。
花粉は黄色ですから、黄色のフキノトウは雄株。
白い花のフキノトウは雌株とみて、まず間違いありません。
画像のように雄花と雌花はかなり違います。

しかしですよ、子細に花を見ていると、きれいさっぱりオスメスに分類できるわけでもないのです。
時々、オス花にメス花が少々混じっていたり、その逆だったり。

フキはじつはキク科に属しますから、その季節になるとぐんぐん背丈を伸ばしてタンポポのような綿毛を付けます。
当然のことながら綿毛をつけて種を飛ばすのはメス花だけです。
ビックリするくらい背が高くなります。

一方、オス花の方はさほど背を伸ばさず、小さいままやがて黒く腐ってしまいます。
堂々たるメスの姿と比べると みじめで情けない。
オス花って、なんか気の毒な感じがします。
同情いたします。