★発芽大豆の作り方


大豆1大豆2
     水に浸した豆をザルにあけておけば 芽が出てきている

正確には芽が出てきたのではなく、出てきたのは根です。
地中にあれば、根が豆を持ち上げ、地表に出た豆が二つに割れて双葉となり…。
でも、発根大豆じゃ変だから、発芽大豆ということにしておきましょう。

発芽することで豆は劇的に変化し、ビタミン・ミネラルが生成され、大豆タンパクは体に吸収されやすくなり、ギャバが大量に含まれる健康野菜になるのだそうです。
糖質制限をしている人に最適だとはネット情報。

【発芽大豆の作り方】
  1.大豆をよく洗い、冬は18時間、夏は8時間ほど水に浸します。
  2.たっぷり吸水して膨らんだ大豆をザルにあけて、濡れ布巾をかぶせます。
  3.日に2~3回、ザルのまま大豆を洗って、 水気を切ります。
  4.翌日か、翌々日には発芽しています。

画像右のように、はっきりと芽(根)が見えるまで、待つ必要はありません。
おやっ? 膨らんだかな、と思うぐらいで発芽大豆は完成です。
このまま根を伸ばしていくと、やがてナムルみたいな大豆モヤシになるはずですが、そこまでしたことはありません。

発芽大豆を蒸し器にかけて、一粒食べてみたら実にオイシイ。
大豆ってこんなに甘いのかと見直します。
今回はこの発芽大豆で味噌を一樽(5kg)作りました。
玄米麹があるので、それも発芽大豆で味噌にしてみるつもりです。

なお、「浸水+ザル」 方式は発芽ならば何にでも応用がききます。
発芽玄米も「浸水+ザル」 方式で作るのが一番簡単だと思います。


 
 
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★金目鯛のアラ煮

金目1金目2
    3尾分の兜と尻尾が500円            ネギとゴボウもつけて

近くのスーパーでは時々、アラ煮の材料が500円で出ます。
この日は金目鯛。頭は兜割にして6面、中骨+尻尾が3尾分ついて500円ですからお買い得。
外房では金目鯛が高級魚。煮付けやお刺身やで出てきます。
これは刺身の残りなのでしょう。
私たちにはこれで十分。いや、刺身よりもこちらの方が好きなくらいです。

【金目鯛のアラ煮の作り方】
  1.熱湯をかけ回してウロコや血を取り除く。
  2.煮汁は適当。水:醤油:味醂:酒:砂糖=1:1:0.5:0.5:大さじ1ぐらい。
  3.生姜やゴボウ、緑野菜など一緒でOK。
  4.沸騰したらあらを入れて落し蓋。
  5.強火で5分、火を落として3分で出来上がり。

鯛の頭の兜割ってけっこう難しいので、きれいに割って売られているとうれしい。
新鮮なアラが入手できるいすみ市は良い町です。
姿煮だと、頭の中までほじくり出して食べることは普通はしません。そこは手つかずで残してしまいます。
目黒のサンマじゃありませんが、本当は兜割のアラ煮の方がコラーゲンたっぷりでおいしいのです。

食べられるところは最後まで食べ尽くす――それが魚に対する礼儀というものでしょう。
アラ煮とはそんな料理ですね。
残った骨はもちろん生ごみ堆肥で成仏してもらいます。


 
 

★今年も味噌作り

大豆
      大豆は500gずつ大型ペットボトルで浸水

自家製の味噌はおいしく、仕込むのは自宅の台所で簡単にできます。
昨年、初めて味噌作りに挑戦した友人が出来上がった味噌がおいしく、家族から誉められたとうれしそうに話してくれました。一緒に作った甲斐があります。

材料が単純ですから、材料を吟味し、丁寧に作ればおいしい味噌になります。
    【材料】        大豆1kg  麹1.5kg  塩500g  
    【出来上がり量】  約5 kg  
    【塩分濃度】     約10%

大豆は内房地方特産の緑大豆(小糸在来)680円/kg
500gを一晩(18時間)浸水すると1300g程度にふくれます。
それを1回分として圧力鍋で蒸します。煮るのではなく蒸すのが何有荘式です。
蒸しあがった大豆を一粒食べるととてもおいしい。だからおいしい味噌になる。
つぶすのはポテトマッシャー。
ミンサーなど機械を使わず手作り感満載です。

麹は 「しのざき米店」 の黄色麹菌を使った真空冷凍米麹。1245円/1.5kg
「赤穂の天塩」460gを加えて「塩きり麹」とし、つぶした大豆と丁寧に混ぜ込みます。
煮汁を加えて耳たぶ程度の固さに仕上げますが、その程度は実際に経験・体験しないと伝えにくい。
市販の味噌程度の柔らかさと考えて良いでしょう。

仕込み容器にビニール袋を使わず、容器を焼酎で消毒して直接味噌玉を投げ込むのも何有荘式です。
カビ防止にはずいぶんと気を配っています。味噌玉を隙間なくピッチリ詰めたら、表面をクッキングシートでカバーし、周囲を塩40g振りまいてカビ防止とします。
周囲に焼酎で湿らせた包帯を敷き、重石替わりに1.5kgの塩をビニール袋に入れて隙間なくふたをしておくと味噌は空気と遮断され、カビが生えません。

こうして半年以上寝かせます。夏を越してから開封。
寒作りで、じっくり低温熟成させるからおいしい味噌になるのでしょう。
自分好みの大豆や麹、塩を使います。
使う量やその按配、煮る・蒸すもお好みしだい。
水も塩素入り水道水ではなく、手に入るなら自然湧水。なければアルカリイオン水。

自宅で作るからこそ、ウチの味噌が一番おいしいと“手前味噌”自慢ができます。
手作り味噌っていいな--と思ったら一歩踏み出して作ってみることをお勧めします。
意外と簡単な作業ですから、誰でも自宅で作れます。

 
 

★房総の地球磁場逆転層

逆転層1
           パワースポットというけれど――期待してはいけません

地球は大きな磁石で、だから方位磁針は必ず南北をむきます。
ただし、地図上の北極と磁力線の北極はずれていますから、地図を広げて現在位置を確認する場合、地図をやや右回りに傾けねばなりません。(約7°)

磁石が必ず北を指すというのは逆に言えば南を指すわけで、広大な中国平原を疾駆する古代中国の軍隊は方位磁石を持つ「指南車」を備えていました。
ここから正しく導くことを“指南する”という単語が生まれました。

文明が生まれた頃から磁石は南北を指すと信じられてきましたが、ここ数億年というレベルで考えると、地球の磁極は迷走し、時には逆転していた時期があったことが知られるようになりました。
その証拠が残っている場所が、千葉県養老渓谷近くにあります。
何有荘から車で1時間。
養老川の河原を5分ほど歩きますから山靴か長靴が必要です。

画像のように何の変哲もない崖で、赤黄緑のタグがなければ見過ごしてしまう場所です。
“ここに来ると方位磁石がグルグル回り、方向が分からなくなる“というような劇的なことは何も起こりません。
シロウトには、なにこれ?の世界で、5分もいれば飽きてしまう場所です。
       逆転層2


崖をよく見ると棒でつついたような跡を見ることができます。
おそらくこれは、鉄パイプを打ちこみ、引き抜いて中の地層を調べた跡でしょう。
パイプの中の土を丹念に調べ、磁鉄鉱などの微小沈殿物を見つけます。
ある種の岩石は磁性を持っているそうです。
その磁性を調べると、同一方向を向いています。
ところが上下の地層ではそれが異なっている―――つまり時代によって磁極が北の時代もあれば南の時代もあったことが証明されたという場所です。
世界中でイタリアとここの2か所しかない貴重な場所だそうです。

緑のタグは現在と同じ正極期、黄色が不安定期、赤タグが逆極期。
例えば針を磁石でこすると磁化することは知っていますよね。
南北を指したその針が静かに海に沈み地層の中に閉じ込められたとしたら、その時代の南北の方向が分かる訳です。
地中のかんらん石や磁鉄鉱など磁化した粒子を調べるのはそれと同じです。
それにしても地質学者さんの仕事って地味で大変ですねぇ。

学者さんがなぜこの場所に目を付けたのか知りませんが、房総半島はかつての海底が隆起して地上に現れた場所であり、その地層には砂鉄が多く含まれ、古代は製鉄産業が盛んだったことと無関係ではないでしょう。

この場所は小湊鉄道、月崎駅から歩いて来られますから、小湊鉄道は“パワースポット”として売り出して乗客を増やそうとしているようです。小湊鉄道HP の案内が親切で分かりやすい。
車ならば市原市田淵1165の田淵会館に駐車スペースがあります。




★フクラスズメ? いやジョウビタキ

ジョウビタキ
       寒いのでしょうね。空気をたっぷりため込んでいます。

ジョウビタキは冬の渡り鳥で、スズメとほぼ同じ大きさ。
スズメよりクチバシが細く、尾も細長くてかっこいい。尾を上下するクセがあります。
画像はメスで全体的にぼやけた色彩ですが、両羽には白い斑点があるのでジョウビタキだとわかります。

オス鳥だとダイダイ色の胸に黒い羽、そこに白い紋ですからよく目立ち、まさに羽織を羽負ったように見えるので“紋付鳥”の異名があります。
メス鳥が目立たない色をしているのは、子孫を確実に残すために敵に見つかりにくいようにでしょう。鳴き声も出しませんし。

オスの鳴き声はけっこう大きくはっきりしています。
ヒッヒッヒと鳴くのは火、火、火と聞きなし、カッカッカと鳴いている時は火打ち石をカチカチとたたいている音だと昔の人は考えてジョウビタキの名前になりました。
ジョウビタキのジョウは漢字で「尉」と書きます。七五三の千歳飴の絵模様に年寄り夫婦の絵がありますね。その男の老人を「尉」といいます。
ジョウビタキのオスの頭の毛が銀白色なので、年寄りの火焚き、という意味です。

残念ながらオスが来ないんですよ。隣のうちまで来るのに。
そのかわりメスは毎日やってきます。
きっと縄張りがはっきりしているのでしょう。

何有荘にはノラ猫が住みついていますから、野鳥が来ると心配してしまいます。
野鳥が来るのは朝から夕暮れまでの明るいうち。
この時間帯にノラ猫は寝ていることが多い。夜行性ですから。
そういうわけで今のところ、何とか共存できています。
ノラ猫にやられずに無事にこの冬を乗り切ってもらいたいものです。

 
 

★朝日とともに起き、夕日と共に寝る

夕景
         何有荘から見た夕暮れの景色

正月から晴天が続き、空気はカラカラに乾燥中。
本日はやっと朝から曇り、これから本格的な雨になると予想されています。
曇った日は何となく元気が出ず、冬籠りの雰囲気です。
免疫学の安保徹先生によると、晴れの日と雨・曇りの日とではリンパ球の組成が若干変わり、それが体調や気分に影響を与えているのだといいます。
つまり、曇りや雨の日はゆっくり休めということらしい。

江戸時代まで、古代からずっと日本では日の出と日の入りを基準とする“不定時法”が採用されてきました。
冬の労働時間は短く、夏は長かった。
現代社会では季節や天候、体調に関係なく“時計”が神様のごとく君臨し、働く時間も寝る時刻も決められてしまいました。
しかし、いすみ市で暮らすようになると、リタイアしたせいもあり、しだいに時計とは無関係に、体調や季節に合った暮らし方が増加してきました。
夜は早く寝るようになると、必然的に朝は早く目覚めるようになりました。
どうやらそのような人は珍しくないらしい。
朝4時ごろ目覚めるという人は多く、そういう人は午後8時過ぎには寝ちゃうといいます。

画像は何有荘から見た真南の景色です。
さえぎる物ない広々とした景色で、遠くの人家の灯がまるで漁火のようです。
夕日が落ちる前後は地平近くが朱に染まり、その朱色の幅はしだいに細くなり、
やがて真っ暗になると星々が瞬く時間帯となります。
今の時期、一番の見物はオリオン座ですね。
オリオンの右には牡牛座のアルデバランとスバル星。
左には大犬座のシリウスと小犬座のプロキオン。
オリオンの三ツ星は長州藩のマーク。
左肩のベテルギュースは赤い星。右の膝にあるのが白い星のリゲル。
三ツ星を挟んで対角線上のこの赤い星と白い星を“源平星”と言いました。

空が広く、星が良く見えるのもいすみ市の良い所です。

 

★ペコロスと母

ペコロス
         岡野雄一氏の著作2冊

有吉佐和子の『恍惚の人』が発表されたのは1972年。
ボケ老人の凄まじい実態の描写が世間に衝撃を与えました。
そのような老人は家族の恥として世間から隠されてきたのですから。
特に旧家といわれる田舎の名士の家には「座敷牢」さえあったと聞いています。

その後、「ボケ老人」は差別語として「認知症」と言葉は変わり、世間の目はいくらかは前進したようですが、その介護となると当事者の苦労はいかばかりでしょうか。

岡野氏の『ペコロスの母に会いに行く』の帯には次のようにあります。
――僕は、認知症になった母の、童女に戻ったような笑顔が大好きでした。10人姉妹の長女。しっかり者だった母は、酒飲みの父との生活に子育てに、懸命に生き、ようやく身軽になれたのです。母ちゃん。ぼけてよかったな。ゆっくり着地できて、よかったな。長い間、本当にありがとう。―――

コミックエッセーとあるとおり、4~8コマ漫画で介護の日々がつづられています。
岡野氏のように接することができれば、介護者も介護される人もその日々が充実し、暖かく思い出されることだろうと思います。

某新聞に川崎幸クリニックの杉山先生が認知症への理解、その接し方などを連載しています。
杉山先生は母が病床に着いた時、そのころまだ珍しかった24時間在宅介護の主治医だった先生で、おろおろする私たち介護者に適切なアドバイスがあり、ずいぶん助かった思い出があります。
(母は認知症ではなく、最期までしっかりしておりましたが)
その連載の中で先生は患者の立場になり、患者に寄り添うことを提言しています。

例えば、患者が世迷い言を言い、訳の分からぬことをすると介護者はそれに憤慨し、事実にそって正そうとしますが、すると患者は自分が否定されたと感じ、「この人は嫌な人だ」という印象だけが残り、ますます孤立感を深めて反抗的になります。
その言行にまず共感し、言った言葉を繰り返し、それは心配だね、それは困ったね。あるいは感謝の言葉を話せば 「この人は味方だ」と感じて心が安定して素直になるといいます。

5人に1人が認知症の時代が来るとマスコミが騒いでいました。
わたしたち夫婦も統計上は高齢者となり、しっかり保険金も取られています。
もう腐れ縁と言ってもといほど互いに慣れが先行していますから、つい 「何をやってんだよ」と声を荒げたくなる時もあるじゃないですか。
おそらく恋人時代ならばそのような言い方はしないで、相手のことを 「どうしたの」と気遣っただろうと思います。
知らず知らずのうちに相手に甘えた ジコチュー になっているのです。

最近は「あれ、これ、それ」で話が通じたり、トンチンカンだったり、どちらが先に認知症なるかの競争です。
介護するのはどちらかですから、早く認知症になった方が勝ちのような気がします。
この先どうなるか分かりませんが、終わりよければすべてよし――そうなるように日々を丁寧に暮らしていきたいものです。

 
 

★飯縄寺こぼれ話(4)波の伊八観賞の手引き、その2

      神奈川沖裏波
   葛飾北斎 『神奈川沖波裏』 英語で Hokusai's Great Wave

北斎の最高傑作の一つで、世界的に有名な『神奈川沖波裏』が“波の伊八“こと武志伊八郎信由(タケシ イハチロウ ノブヨシ。1751-1824)の作品の構図に似ていると某新聞に載ってから10余年がたち、そのことはいすみ市ではもう常識のようになりました。

その作品は天台宗行元寺書院の欄間にある『波に宝珠』のことであり、躍動する波の一瞬を切り取って彫刻にした構図に確かに良く似ています。
      行元寺
                   画像元→行元寺HP 

北斎は左の波二つを巨大化し、中央の宝珠を遠景の富士山に置き換え、右下の小さな波のうねりを荷物と客が乗った押送船(オショクリブネ)に置き換えて劇的な効果を高めました。

京浜急行電鉄の横浜駅の東京寄りに「神奈川」という小さな駅があり、近くのお寺で幕末に神奈川条約が締結されました。その沖でこのような高波が生ずることはまずないし、富士の見え方が不自然です。

浦賀・木更津航路は古代から東海道の一部として利用されおり、押送船が頻繁に行き来しておりましたから、実際には浦賀沖の図柄であろうとの指摘があります。
しかし、浦賀沖でも木更津沖からの構図だとしても、富士があまりに遠景に過ぎます。
江戸湾内部であるためにこのような高波を見ることはありませんし、海がこんなにシケていたら船が出るわけがありません。

この浮世絵は東海道五十三次の4番目の宿である神奈川の名を借りたフィクション。
想像上の構図だと断定して良いでしょう。
北斎が描きたかった絵は流動し、激しく変化する大波だった。
その表現の場として著名な「神奈川沖」が看板として選ばれたわけです。

北斎は永年、波の表現に悩み、いくつかの作品を発表していますが、いずれも満足するものではなかったのでしょう。
Kanagawa-oki_Honmoku_no_zu.jpgOshiokuri_Hato_Tsusen_no_Zu.jpg
 画像左:1803年『賀奈川沖本杢之図』 画像右:1805年おしおくりはとうつうせんのづ』
    画像元→ウィキ

このような凡庸な波しか描けなかった北斎が1831年に世界的な名画を発表するきっかけとなったのは房総旅行だったと思われます。
当時、北斎の絵の師匠である堤等琳(ツツミ トウリン)は飯縄寺の天井画を描いており、兄弟弟子の五楽院等随(ゴラクイン トウズイ)は行元寺の書院の戸襖絵「白鷹と老梅」を描いていました。
北斎の房総旅行の時期は確定しておりませんが、師匠・等琳の作品や兄弟弟子・等随の作品を見に出かけた北斎はその二つの寺で、伊八の彫刻と出会い衝撃を受け、納得し、創作意欲をかきたてられたに違いありません。
いすみ市沖からは押送船はでませんが、漁師の船は出ます。遠景に小さな富士を眺めることができます。そして想像を絶する大波が押し寄せます。
江戸湾とは全く異なった外房の大波を見て、構図の上では行元寺の『波に宝珠』、細部においては飯縄寺の『波に飛龍』に影響を受けたのでした。

      波3 
              飯縄寺『波と飛龍』部分

波が崩れ落ちるその瞬間、それはまるで悪魔のかぎ爪のようになる――その表現が『神奈川沖波裏』で大胆に採用されたのでした。
『波に飛龍』なくしては『神奈川沖波裏』もなかったと言って良いでしょう。
若い頃の北斎の波の表現には全くなかった新しい表現様式の誕生でした。

江戸時代末期、鎖国を解いた日本から様々な文物が欧米に輸出されます。その梱包材料、クッション材として大量に流布していた浮世絵も使われることもありました。
その浮世絵はヨーロッパにはない表現様式として衝撃をあたえます。
ジャポニズムが時代の最先端となり、その影響を受けた画家はマネ、ロートレック、ドガ、ルノワール、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、クリムトなど枚挙にいとまがありません。
ヨーロッパ絵画で彼らが日本で特に人気があるのは当然なのです。多かれ少なかれジャポニズムの影響があるのですから。
音楽や彫刻の分野にも影響を与えました。

Debussy_-_La_Mer_-_The_great_wave_of_Kanaga_from_Hokusai.jpg彫刻・波

画像左はドビュッシーの交響詩『海』の楽譜の表紙(1905)で、ドビッシー自身がこのデザインを指定したそうで、『神奈川沖浪裏』の一部であることは一目瞭然。
穏やかで静かな海と荒れ狂う激しい海を音楽で表現したドビュッシーの脳裏には、嵐の海は北斎が描いたように表現したいという思いがあったのでしょう。
そのポイントは言うまでもなく繰り返す大波と崩れる悪魔の爪のような波頭です。画像元→ウィキ

画像右は静岡県立博物館蔵、カミーユ・クローデル<波> オニックス石
まるで大波でサーフィンを楽しむように三人の女神が遊んでいます。
この作品が『神奈川沖波裏』の影響を受けていることも一目瞭然。
彼女はロダンの弟子で恋人であった。弟ポールは駐日大使を務めたといいます。
           画像元・静岡県立博物館

世界の芸術界に大きな影響を与えた“大波”の原型が外房の田舎ともいえるいすみ市にあったなんて、江戸時代の“地方の底力”の偉大さをつくづくと感じます。



★ミカンの皮で入浴剤

乾燥ミカン
         数日でカラカラに乾く

ミカンの皮を乾燥させて粉末にすれば陳皮(チンピ)。
これは七味唐辛子の材料の一つで、煮物料理などにふりかけて使えます。
粉末にするまでもなく、ちぎった皮を乾燥させて白菜漬けに使うと美味。
生ごみでポイ捨てなんてモッタイナイ。
捨てるのはもう一度花を咲かせてからだって遅くない。

3~5個分の乾燥した皮を目の細かい洗濯ネット(100均)に入れ、お湯を貯める前、お湯を沸かす前のバスタブに入れれば香りのよいミカン風呂になります。

お風呂の湯は何℃に設定していますか?
何有荘では42℃。
冷えた浴室や冷えた体によって湯温は40℃程度に下がるでしょう。
湯船からなかなか出られず、結果として長風呂になります。
ぬるめのお湯は副交感神経に作用し、血管を開き、体を休ませ、リラックス効果が高まります。そこにミカンの香りとエキスをプラスするわけです。

ミカンの皮に含まれるリモネンという成分が肌の表面に幕をつくり、水分の蒸発を押さえます。ビタミンAやCが肌荒れによく、血行も促進します。ミカンの香りにはテルペノイドという成分があり、精神を安定させる―――とはネット情報。

つまり、ぬるめのお湯とミカンとの相乗効果で体がシンまで温まり、肌はシットリ、気分はユッタリ。
浴後も上昇した体温をキープしますから体はポカポカ。温泉気分です。

知人は乾燥ミカンの皮を煮出してリンス代わりにして調子が良いと言っていました。
ケミカルな成分に敏感な別の知人はシャンプーなんか使わないと言っていましたが、乾燥ミカンの皮の煮出し汁はシャンプー代わりにならないかな。
育毛効果もあるそうですヨ。

 
 

★寒さ厳しくロウバイの花

蝋梅
    立春の前、一番寒い「小寒・大寒」の季節に造花のような花を咲かせる

秩父の宝登山でロウバイの花が咲いたと報道されていたので、いすみ市だって咲いているだろうと探したらご近所様の庭で咲いていました。
新年早々に咲く樹木の花は、おそらくロウバイが一番早いでしょう。
しかし、これを早春の花と言って良いものかどうか。

というのも、今日1月14日は旧暦ではまだ11月(霜月)24日。
旧暦では冬のまっただ中。これから12月(師走)になり立春を迎えて春となる―――
つまり、ロウバイは年末の花、1年の最後に咲く花。冬の花です。

新年の起点はどこか―――冬至か立春か、はたまた春分の日か?
日本では永らく中国の暦を手本にしており、中国式に立春の頃に新年が始まると考えてきたのに、明治になって欧米式の暦、冬至を過ぎれば新年と切り替わりました。
ロウバイが冬の花か、春の花かの混乱もそこに起因します。

ロウバイは蝋梅、つまり蝋(ロウ)細工のような姿の梅の花という意味なのでしょう。
見た目、人工的な加工品のような花の姿をしています。
Wikiでは、12月の別名として師走、蝋月などがあり、臘月に咲くから蝋梅だという説が取り上げられています。
わたしはそれは逆で、蝋梅が咲く季節だから臘月と名付けられたと考えています。

花には大変良い香りがあり、冬の青空に咲く黄色の花は太陽に輝いて誇らしげです。
花のツボミは漢方薬に利用されますが、種子は強い毒性があることで知られています。
けっこう身近に毒物ってあるものですね。
今が盛りの水仙も、これから花咲く福寿草も毒があります。
食べなきゃいいわけですが、誰かが食べたから毒があると知られているのでしょう。

蝋梅も水仙も見て楽しみ、香りを愛でる花です。
蝋梅や水仙がある暮らしって心が和みます。
なにも自宅になくたっていいのです。散歩していれば垣根越しに花が見え、香りが流れてくればそれで 「今日は良い日だ」 と思えるじゃないですか。