★ステビアの栽培

ステビア
             庭のステビア

市販のガムや飴玉の原材料名としてステビアと書かれている場合があります。
カロリーゼロの甘味料として広く使われています。
南米原産で、面白がって苗を購入してからもう10年になるでしょうか。
葉をちぎって噛むと甘さが広がります。
お子さん連れのお客さんにかじってみな、と手渡すと恐る恐る口に含み、アマ~イ!! と笑顔になります。
それが楽しみで栽培しているようなものです。

数年前、ステビア栽培という農作物が高値で取引されたことがありました。
ステビアを大量栽培し、その葉や茎を発酵堆肥にして農作物を育てると甘くておいしい作物になるとの触れ込みでした。
少々試してみましたが、さほど実感したことはありません。
やり方が不十分だったのかもしれませんが、ステビアが甘いからと言って作物が甘くなるわけがないと思っている、つまり信じてないのがいけないのかもしれません。

普通の使い方は、ハーブティーに葉を数枚混ぜることです。
フレーバーを楽しむハーブティーに甘さが加わり、慣れない人には好評です。
ところがわたしたちは、いつもストレートで楽しみ、あれこれ混ぜませんから、ステビアの消費はほとんどありません。

いちど、カロリーゼロなら料理にも使おうと考え、茎葉を煮出してシロップにしたことがあります。
意外なことに黒っぽい液になり、何となく使う気になれませんでした。
慣れないと臆病になりますね。

庭の一画で増えもせず、減りもせず、毎年小さな花を咲かせて目を楽しませてくれますから、それで良しとしています。
耐寒性もあり、外房でも0℃以下になりますし、雪もたまに降るのに、何ら防寒対策をしないでも翌年には株元から新芽が伸びてくるので、世話無しです。

今年は葉をドライにして使い道を開拓してみようと考えているところです。


 
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★ハーブフレーバーのフライドポテト。

ポテトポテト2
 庭のローズマリー、セージ、タイム、オレガノを少々採集。ニンニク1カケ。

知人から頂いたジャガイモ(ホッカイコガネ)はフライドポテトが一番おいしいとのことで挑戦してみました。
庭で雑草化しているローズマリー、セージ、タイム、オレガノもこんな時には役に立ちます。

【作り方】
 ① ハーブ類は丁寧に水洗いしてザルに上げて水きり。
 ② ホッカイコガネは皮をむき、棒状に切って水にさらしておく。
 ③ ザルにあけ、キッチンペーパーで余分な水分をとり、強力粉を万遍なくまぶす。
 ④ フライパンに画像のように入れ、オリーブ油かサラダ油を半分浸る程度に入れる。
 ⑤ 点火。160℃位。じっと我慢。油に浸った部分が揚がったかなという時に全体を混ぜる。
 ⑥ 表面が固くなり焦げ目がついたらザルにすくいあげて油切り。
 ⑦ 岩塩を少々振りかけて出来上がり。
  油はもう一度ぐらい使い回ししましょう。ハーブの香りが移っていますから。

なにせ大量のジャガイモを消費せねばなりませんから、目先を変えてみました。
上品に皮をむいて細切りにしたけれど、皮付きのまま太めのフライドポテトでもいいかな。
手が込んだだけ、おいしい感じがいたします。

ハーブ類は何でも良いけれど、ローズマリーは香りが強いので、せめてローズマリーだけでも利用してみるといつもと違った感じになります。

******

ウクライナやガザ地区の戦闘は心が痛みます。
ウクライナもガザも、当事者双方が 「自衛」 を標榜しており、
生存をかけた正義と大義のぶつかり合いは、多大な犠牲を払わないと終わらない。
積極的平和主義者ならば、こういう時こそ現地に駆け付け和平実現に努力すべきなのに、首相は財界人を率いて中南米・カリブ諸国参り。
日本は武器輸出三原則もあいまいとなり、戦争があればあるほど儲かるらしい。
武器ではなく平和憲法を輸出すること――それが日本が生きる道でしょう…。
69年前の今頃は猛烈な空襲下にあり、絶望的なカミカゼが突撃していました。


 

★車内がハーブ乾燥庫

ドライ
    レモングラスの乾燥。軽のワンボックスが乾燥庫替わり。

百均で突っ張り棒を買い、これも百均のメッシュラックを載せて固定した設備です。
スモクークグラスでない窓には遮光カーテンを張って直射日光をカット。
密閉した車内は高温になり、何の手間もいらずにドライになります。
今回はレモングラスをぶら下げ、2日間で完全乾燥しました。
急速乾燥なので涼やかな緑色が残り、カサカサに乾燥して気持ちがいい。



★地元のブルーベリーとブラックベリーでジャム作り
ベリー
  実重量の三割の砂糖を加える。鍋はホウロウ。

いすみ市はいつの間にかブルーベリーの名産地になっており、直販店では大粒のブルーベリーが格安で売られています。
最近はブラックベリーも直販店に出回るようになりました。

画像のブルーベリーとブラックベリーは知人の庭で収穫してきたものです。
「採りにおいでよ」と誘われて、喜んで収穫してきました。
もちろん無農薬です。
フレッシュでいただき、食べきれない分はジャムにして保存です。
人と人とのネットワークは大切ですね。
いつも皆さんに助けられているような気がします。



 

★旧暦7月、亡者の月 

閻魔様
   いすみ市、西善寺の閻魔(エンマ)大王。7月15・16日が縁日。
   16日の午後に出かけたら誰もいませんでした。 


猛烈な暑さが続きました。今日(7/28)は旧暦の7月2日。
現世とあの世の境界があいまいとなる 危険な一か月 が始まります。
旧暦7月は1年の後半の始まる月として重要。
正月(1月)が歳神さまを迎えるのに対し、7月はご先祖様など亡き人を迎える月です。

旧暦
7月1日 …新月。釜蓋朔日(カマブタ ツイタチ)――地獄の釜のふたが開く日
7月7日 …上弦の月。―――――――――――七夕
7月13日…13夜(ジュウサンヤ)。―――――――迎え盆・盆の迎え火。
7月15日…満月。―――――――――――――盆の中日、盂蘭盆。閻魔大王祭日。
7月16日…16夜(イザヨイ)。――――――――閻魔大王祭日。盆の送り火。
7月24日…下弦の月。―――――――――――地蔵盆・地蔵菩薩の縁日。
7月28日…有明の月.―――――――――――大日盆・大日如来の縁日。

月の満ち欠けに応じて行事が組まれていました。
現在では旧暦・新暦がごちゃになり、月遅れの行事だったり、土日に合わせた行事になり、お月様との関連はなくなってしまい、残念です。

旧暦ならば七夕の晩は夜が更けると月は西に沈み、満天の夜空の星を見ることができました。
盆の中日前後の盆踊りは、一晩中、月明かりで明るく、夜のデートに最高です。

地獄の釜のふたが開くと、ご先祖様ばかりでなく、地獄の亡者も地上に舞い戻り、様々な悪さを行うので注意せねばなりません。
さしずめ、熱中症や海や川の水難事故、危険ドラッグや食品偽造なども背後に亡者どもがうごめいた結果なのでしょう。

24時間、365日働くという習慣は近代の拝金主義者、金の亡者が作りだしたシステムで、
昔は地獄の閻魔大王も獄卒も、お盆の時は休暇になったものです。
だから地獄のフタが開いちゃう。
現代社会はブラック企業が横行し、いつでも地獄のふたが開いているのかもしれません。

うそつきは泥棒の始まりとか、嘘ついたら針千本飲ますとか言われたものですが
閻魔大王の権威がなくなり、一部の人は怖いものなしで、今ややりたい放題し放題。
大泣きすれば許されると思った議員もいましたね。

さて、こちらの画像。
もう作った人も、見た人も忘れてしまったことでしょう。
          鹿野大臣3



 

★ヒメハルゼミはもう遅かった

妙泉寺
   妙泉寺の朱塗りの山門。江戸時代の建物で細部に凝った造作が見て取れる。

いすみ鉄道の前身、国鉄時代の木原線には地元の苅米繁幸さんが作詞した鉄道唱歌・木原線バージョンがありました。
その7番が上総中川駅。
    ♪国吉すぎて中川へ 
           進めば田んぼのあちこちに
              ガスを汲む井戸数知れず
                       朱塗りの山門妙泉寺

妙泉寺にはいすみ市指定のスダジイの巨木が何本もあり、樹齢数百年と推定されています。
おそらくそのスダジイにヒメハルゼミが棲みついているのでしょう。
その季節になると全山セミの声に包まれるとかで、出かけてみましたが空振りでした。

ヒメハルゼミとは 「小さな春のセミ」 の意味で、沖縄では春から鳴き始め、千葉県では6月下旬からほぼ一か月間鳴くとの話で期待していたのです。
通りかかった信者さんに聞いたらもう季節が過ぎたのではないかというお話でした。
来年は6月下旬か7月上旬に再訪しようと思っています。

北限は近くの茂原市で国指定の天然記念物。
茂原ではヒメハルの里など保護に取り組み、観光資源にもしています。
いすみ市にも一か所生息地があり、それがここ、妙泉寺です。
少し南の麻面原(マメンバラ)高原にも生息地があり、そこは環境庁選定の「日本の残したい音風景100選」の地になっています。
千葉県でもたった数か所でしか生息していない絶滅危惧種、天然記念物。

箱根の早雲寺はヒメハルゼミの生息地として有名で、わたしも何度か行ったことがあります。早雲寺では毎年、ヒメハルゼミを観賞する会まで開かれています。
ところがいすみ市民のヒメハルゼミに対する関心度は低く、ほとんど誰も知りません。

上総中川駅から妙泉寺まで歩いて数分ですから、いすみ鉄道がお寺とタッグを組んでヒメハルゼミ列車でも走らせれば少しは乗客も増えて話題作りにもなるのにね。
イタリアンランチ列車ならもうかるけど、ヒメハルゼミじゃだめかぁ。

もっとも、自然保護の観点からは誰も知らない方がいいかもしれません。


 

★シイラ 魚料理三題

あんかけ2フライ2
        黒酢あんかけ               フライ

【1】シイラの塩麹ソテー(画像なし、食べちゃってから気付いた)
   ① シイラの切り身をバットに入れ塩麹をまぶして10分。
   ② 小麦粉を軽く振り、油を敷いたフライパンでソテーすれば出来上がり。

【2】シイラの黒酢あんかけ
   ① ひと口大に切り分け、片栗粉をまぶして油で揚げる。
   ② アンを作る。
     黒酢大1:醤油大1:砂糖大1:片栗粉小1を火にかけとろみをつける。
   ③ 揚げたシイラにかけ回せば出来上がり。

【3】シイラのフライ
   玉子、小麦粉、パン粉でいつものようにフライにすれば出来上がり。

三品ともフワッとした食感で、クセのない上品な味に仕上がりました。
図鑑でしか見たことのなかったシイラ。
漁師の拓さんから 「シイラが釣れたから取りにおいでよ」 とありがたいお言葉。
すごく大きな魚です。スズキの仲間で1m超え。
さばく自信がないので切り身にして受け取りましたが、どうしよう。
最近のネット情報はすごいですね。参考にしました。

手元には何もないので、採れたてキュウリを手土産。
AとBとが等価値かどうかは問題ではありません。
気分の問題で、そのうち何となく釣り合ってくれば良いのではないでしょうか。
困った時に助け合う、うれしい時に分かち合う――自然にそのような人間関係が生まれてくる田舎暮らしで、シアワセだなぁと思っています。



 

★梅雨明け。遮光ネットを張りました。

タープ
     農作業用遮光ネットが安上がりのタープ代わりになる

昨日、関東地方は梅雨が明けました。いよいよ灼熱の真夏になるようです。
二十四節気では本日(6/23)から立秋(8/7)までが大暑で、夏の盛りと位置付けられています。
立秋を過ぎたらもう 「残暑見舞い」 となりますが、例年のように厳しい残暑が予想され、考えただけでウンザリします。

熱中症予防対策は室内にこもる熱をどれだけ逃がすか、を心がけています。
日中は窓を全開にして風の通り道を作って熱を逃がすようにしています。
夜間も不安のない範囲で窓を開けたまま寝てしまいます。
すると明け方はさわやかな涼しい風が入ってきて、夏の朝は良いもんだと思ったりします。

画像の遮光ネットは熱が室内に入り込むのを防ぐ効果があり、この下にいると少しは涼しく感じます。
直射日光と照り返しを防ぐからでしょう。
スダレやヨシズを使ったこともありますが、ここ数年は遮光ネットがお気に入りです。
せっかくの景色が妨げられません。

西側のグリーンカーテンはようやくゴーヤが広がり始めました。
建物に直射日光が当たるのを防ぎ、葉からの蒸散作用で周囲の気温を少しは下げます。
おまけにゴーヤが実ります。
よく窓の外側だけ180cm幅のグリーンカーテンをしている家がありますが、壁面全体をグリーンカーテンにした方が効果的です。
直射日光が当たる面積が少なければ少ないほど、建物が蓄熱することを防げます。

コンクリビルの場合、建物が蓄熱体となっており、夜間に気温が下がると建物が放熱し始め、そのため夜間でも室内で熱中症になってしまう危険があります。
木造であれ、コンクリであれ、建物構造体が蓄熱することを防ぐ、それに気を配ることが大切だと思っています。

夏は暑いのが当たり前。
エアコンのない何有荘ではどうやって夏場をやり過ごすか、それが毎年の問題です。
水風呂・昼寝――大好きです。


 

★7月、季節の花、三題

すかしゆり
           太東埼・海浜植物群落のスカシユリ

海浜植物群落は天然記念物に指定された当時は広大な原野にオレンジ色のスカシユリが咲き乱れて素晴らしかっただろうと想像できます。
いまは護岸にそってわずかな原野しかありませんが、それでも画像に切り取れば素敵に見えます。灯台がみえますね。
全国の河川に多目的ダムや砂防ダムが作られ、土砂が海に流れ込みませんから海岸の砂浜が貧弱になるのは当然のことです。
太東漁港周辺の断崖にも、なぜこんな場所に…と思う場所に咲いています。そのような自然な場所、生存に厳しい場所で咲いているスカシユリが本当は一番、風情があるような気がします。
スカシユリも食用になります。だけど断崖絶壁のユリは採集できないし、海浜植物群落の株を採集するのは犯罪だから残念ながら見るだけ。

蓮
           昭和堰の古代ハス

昭和堰には一本の蓮も10年前はなかったのです。
近くの浅間堰の蓮が全滅したのと入れ替わりにこの場所で生息面積を広げ、今や堰の全面に広がっています。その面積は高校の運動場ぐらいはありますから、なかなかたいしたもので見ものです。
国道から数m離れているだけですが観光案内に載らない隠れた名所。
もう少ししたら実ができる。ここでわたしは蓮の実を採集し、調理して頂くつもりでいます。

ヘクソカズラ
        草むらの花、ヘクソカズラ

なにもこんな差別的なひどい名を付けなくとも良いのにと思います。
引きちぎると排泄物の臭いがするので、そう命名されたそうですが、さほどの異臭を感じたことはありません。
わずかな異臭でも 敏感な昆虫は反応するらしく 食害を防ぐための工夫だそうです。
まだその名も知らなかった頃、仏壇に飾ったことがあります。
可愛い野の花だと思ったのですが、名前を知っていたら飾れませんね。
水揚げが悪くてすぐ枯れてしまいました。 本当は弱い花なのでしょう。



★千産千消でカプレーゼ

カプレーゼ
       トマト・バジル・モッツァレラのカプレーゼ

地産地消を千葉県では千産千消といいます。
【材料】
  ① トマト(小)2個――――---地元の産直店から
  ② フレッシュバジル 8~10枚――庭の菜園から  
  ③ モッツァレラチーズ 1個 ――地元の“よじゅえもんチーズ工房”から
  ④ ヒマワリオイル 適量――――柏の知人たちの手作り
  ⑤ ハーブ塩胡椒―――――――これは市販品(クレージーソルト)

【作り方】
  ① トマトをスライスする。
  ② チーズもバジルもスライストマトの枚数に等しくスライスする。
  ③ トマトの間にチーズとバジルをはさむ。
  ④ 塩胡椒、オリーブオイルをたっぷり振りかけて出来上がり。

弾力のあるモッツァレラチーズの食感とトマトの酸味、バジルの香り…塩胡椒とオイルの簡単な味付けだからこそ素材の良さが引き立ちます。
朝食の一品にしましたが、お酒の友にも良いでしょう。
バジルがなければ、大葉かキュウリで和風にしたらどうでしょうか。


手芸
  レース編みの香袋、リボンストラップ、ドイリー、布草履

最近の作品です。暇を見つけては作業していました。
三つ子の魂までも、スズメ百まで踊り忘れずといいます。
幼い頃から手芸のままごと――リリアンなどが好きだったそうですから、今再び、あり余る自由な時間を楽しんでいるようです。
今の子どもたちも将来、何か身に付く趣味があるといいですね。


 

★上総広常と玉前神社(2)

      moegi1_20140718081035278.jpg  moegi2_20140718081037c8b.jpg
   幕末の一宮藩主・加納久徴(カノウ ヒサアキラ)奉納の鎧   画像は一宮町HPより引用

この鎧は、江戸時代の終わり頃の天保14(1843)年に久徴が上総広常にならって玉前神社に寄進したといわれています。

一宮町HPによれば、萌黄縅胴丸(モエギオドシ ドウマル)といい、萌黄色、つまり若草色の組紐でつづった鎧と言う名前がついていますが、
一説によれば、「色々威腹巻具足(イロイロオドシ ハラマキ グソク)」であり、楠正成など英雄豪傑の残存具足を集めて一領に仕立てた(神社由緒書)ものだそうです。

上総広常を郷土の英雄として発掘・再評価したのが久徴であり、今日、広常の名がそれなりにこの地域で知られているのは久徴の功績です。
久徴は広常の居城を文献から探索し、一宮藩陣屋の南西2kmの高藤城址を居城跡と定めて、顕彰碑を建て、
みずからを広常になぞらえ、玉前神社に鎧を奉納したのでした。
つまり、熱烈な広常ファンでした。

個人的に歴史好きだったのでしょうが、時代がそうさせたとも言えます。
広常は上総の武将2万騎を率いて頼朝を助けて鎌倉幕府の創建に貢献しました。
広常は頼朝の宿願成就と東国安泰を祈願して鎧を玉前神社に奉納しました。

久徴は、幕末の内憂外患(飢饉、朝廷との緊張関係、外国からの開国圧力)の時期に当たり、幕府の安泰を祈願し、自分も広常のごとく上総一宮藩の総力を挙げて徳川将軍を支えるぞと誓って鎧を奉納したのでしょう。

久徴の事績を簡単に紹介します。
まず、一宮の桜の名所と言えば“洞庭湖”ですが、久徴が拡張整備した農業用のダムです。
これにより200haの水田が新たに開拓され、うるおったそうです。
諸藩が財政危機に陥る中で、一宮藩は農業基盤の整備による富国策を推進したわけです。

二つめに海防強化があります。
九十九里浜に海防砲台場を構築。鉄製大砲5門を鋳造し発射訓練を行いました。
品川台場構築の10年前の先進的な政策でした。
軍制改革も進行し、武家の指導下に町民・農民も参加し、オランダ式兵制を採り入れた訓練が行われました。
武士以外の庶民が武器を持つことを公認するのは異常な決断で、身分制度の枠組みを越えた国民皆兵制度の先駆けとして優れた業績であると思います。

今日は平和憲法を守るべきで、国民皆兵などまっぴらごめんですが、当時の課題としては四民平等、国民国家の樹立がおぼろげながら政治指導者の間では日本のあるべき姿として浮かび上がってきておりました。あたらしい時代が彼には見えていたのでしょう。

開国を巡って朝廷と幕府が鋭く対立した時、その打開策として公武合体が唱えられ、皇女和宮が将軍家茂に降嫁しました。
京都から江戸まで中山道を通る和宮の嫁入り行列の一切を奉行として取り仕切ったのが久徴でした。

加納家はもともと紀州徳川家に仕え、吉宗が将軍になると江戸勤務になり、旗本直参として久徴の父・久儔(ヒサトモ)の代に上総一宮に陣屋を建て居城としました。

明治維新とともに一宮藩は朝敵=賊軍とされ、久徴らの功績もかき消されましたが、近年再評価の動きがあります。
1万3千石の小大名とはいえ、代々名君が続いた一宮の人々は今でもお殿様を誇りに思っていることは、一宮の人と話していると感じます。