★映画「ひろしま」を観る 

 
     女教師役は月丘夢路。映画ポスターポスターから

1953年の作品。原爆投下8年後だがすでにその悲惨さは忘れられかけ、被ばく者に対する差別や偏見が生まれている中、被ばくの実情を正しく後世に伝えたいとの願いで生まれました。
映画は、広島で被爆した子どもたちの文集「原爆の子」を下敷きにし、広島出身の月丘夢路さんがノーギャラで出演したほか、延べ約9万人の広島市民がエキストラとして参加しています。

いすみ市在住の造形作家たべけんぞうさんが、中学生役のエキストラとして出演していた縁で、いすみ市でこの映画が上映されることになりました。
その実行委員会に誘われ、実際に見てから広報宣伝をしようと言うことになり、先日、試写会がありました。

なにせ古い映画で、フィルムは一部雨降り状態でしたが中身は重みがあります。
投下直後の悲惨な実情を描いた場面はリアルであってもグロにはなっておらず、「はだしのゲン」と比べると、むしろ控えめな印象です。
原爆反対の宣伝映画ではありませんから、慎重に事実が語られていきます。
セリフの向こう側の語られなかった事実、ワンカットの背後にはそれよりも残酷な現実があったと想像されますが、それは暗示されるだけです。

原子力に賛成の人、反対の人、そして無関心の人にも原爆は等しく被害を与える--その被害はどのようなものか、実体を知ることは意見の相違にかかかわらず、誰にでも大切なことですね。

この映画が当時、全国上映されなかったのは配給会社松竹が拒否したからでした。
 ①ドイツに原爆が落とされず日本に落ちたのは有色人種だったからとドイツ人が語るシーン
 ②原爆搭載機エノラゲイの搭乗員が何も知らぬ市民に投下して良いのかと悩むシーン
 ③戦災孤児が被災者のドクロを掘り出して広島土産として外国人に売る場面
この三点を松竹が削除を要求し、映画人が拒否したため、自主上映にならざるをえなかったなど、実行委員会では当時の秘話が披露されました。
その程度のことでも権力者は真実が広まることを恐れるものかと妙に感心しました。
昨今の機密保護法は、市民に対し『黙っとれ』と法的に強制するものなのでしょう。

◆上映日:2014年2月22日(土)
◆上映会場:大原文化センター 大ホール(いすみ市大原838)
◆上映時間:午前の部 会場9:30~ 開演10:00~12:30
        午後の部 会場13:30~ 開演14:00~16:30
        当日、関係者の座談会も予定されています。
◆入場料:前売り 大人800円(当日券 1000円)
       前売り 高校生400円(当日券 500円)
     ※小中学生無料
◆チケットお問合わせ:「観る会」事務局 伊藤 090-1531-7931
  何有荘でもチケットをお預かりしていますので、購入可能です。
  電話予約があれば当日前売り価格でチケット交換できます。

 

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★ベーコンビーンズを作ってみた 

昔見た西部劇でカウボーイの野営料理はベーコンビーンズだったのでしょうか。
とてもオイシソウに思えたものです。ある種のあこがれでした。

今回、味噌作りの大豆が余ったので念願のベーコンビーンズにチャレンジしました。
まったくの自己流で、西部劇の料理とは似ても似つかぬ料理になりましたが、合格作品です。

◆ベーコンビーンズの作り方
  1.一晩水に漬けて膨らんだ大豆を煮大豆にする。
  2.フライパンに油をしき、ニンニクのみじん切りを炒める。
  3.短冊切りにしたブロックベーコンを炒める。
  4.煮大豆と賽の目切りにした玉ねぎ・ニンジン・ジャガイモ投入して炒める。
  5.100%のトマトジュースを入れて煮込む。
  6.塩胡椒とタバスコで味を調えて出来上がり。

西部劇ですから何となくメキシカンでタバスコを入れました。
トマトジュースも何となくサルサ風で使ってみました。
西部劇ってアメリカの時代劇ですから、こんな料理じゃなかったはずですが、しょうがない。
現代日本ですから許してもらうことにしましょう。

大豆は木更津地域特産の「小糸在来」という青大豆を使いました。
大豆の種類による味の違いをこの大豆で学びました。
それほど衝撃的な味であり、1kg1000円という高価なものでしたが、近年は周辺で類似の青大豆の生産が増えた結果、今年はキロ680円に値下がりしています。
消費者としては安くなるのは歓迎ですが、ちょっと複雑な気分です。
農家が農業を続けられるためには、労働の正当な対価を得られないとやる気が出ないでしょう。

 
 

★切り干し大根を作る 


 左=第一日目は大ざるで  右=五日目にもなると小ざるです

連日のように乾燥注意報が出ている房総ですから冬の日差しはたっぷり。
そんな季節に丸々太った大根を頂き、ぜんぶ切り干し大根にしてみました。
風があると寒くて困るけれど、干し野菜を作るには最高のコンディション。
昔の人がそうしたように、旬の食材を使い、保存食品に加工するのは理にかなったことです。

太陽の光を浴びることで、甘味がさらに増し、栄養価も増加することは良く知られています。
ネット情報によれば、カルシウムは15倍、鉄分は32倍、ビタミンB1・B2は10倍にもなるそうで、同量の大根と比べた場合、栄養価は非常に高くなります。

さらに食物繊維が豊富に含まれているため、コレステロールを体外に排出し動脈硬化を予防する作用や、便秘を改善し大腸ガンを予防する作用、美肌にも効果があるなどネット情報はウンタラ・カンタラ良い事づくめのことが書き連ねてありますが、本当はそんなことはどうでも良いことです。

“干し野菜にすれば保存性が高まりおいしくなる“――これで十分です。
当面食べない野菜を干し野菜にして後で食べる――家計にもやさしい暮らし方です。
ほんのわずかだけど、震災対策の備蓄食糧にもなるでしょう。
何よりも達成感があり、心が豊かになります。
太陽様に感謝の毎日です。

 
 

★ノロ対策、手作り消毒薬 


   台所用塩素系漂白剤  成分は次亜塩素酸ナトリウム

今日は何有荘に友人が来て、『手前味噌作りの会』ですから、あちこち消毒しました。
消毒薬は台所にあった「キッチンブリーチ」を使いましたが、次亜塩素酸ナトリウムを含む塩素系漂白剤であるならば、メーカーを問いませんし、洗濯用だってOKです。
酸素系漂白剤はダメ。アルコール消毒薬はノロには役に立ちません。

◆基本の消毒薬、作り方
  1.500mlペットボトルをよく洗う。
  2.ペットボトルのキャップ1杯分を入れ、水道水で満たして良く振れば出来上がり。
    使い道 まな板、包丁、菜箸、布巾、水道栓、調理台、コップなどの除菌。
         トイレの除菌清掃。つまり食べ物が入るところと出る所。

◆2倍薄め液
  冷蔵庫の取っ手、ドアノブや電灯スイッチ、マウスなど指紋の付く所は全部。
  食事用テーブル。食堂や台所の床清掃など。

◆2倍濃縮液(キャップ2杯使用)
  万一、家族が罹患して吐いたりしたら、その汚物処理や周辺の除菌・殺菌など

給食のパンでノロに感染し、学校閉鎖、学級閉鎖がおきた時、調理員からノロが検出されました。
ところがその調理員は発症していませんでした。
つまり発症していなくとも保菌者から伝染することがあることは重要です。

調理員の作業用靴底からウィルスが発見されたことにより、トイレからの感染が疑われています。
専門家の話だと、トイレの水を流す時にはフタをして流せ、とのことでした。
勢いよく水が流れると霧のような水滴が飛び、その水滴の中にノロが含まれている。
トイレの床からノロが室内に運ばれ、乾燥して舞い上がり感染する、と言っていました。
フタをして流せ――こりゃ面倒ですね。
節電のためにフタをしておくのは常識ですから、フタをしてから流す習慣に切り替えましょうか。

 

★竹取物語と房総半島 


  千葉県長生郡長南町蔵持(クラモチ)地区 

かぐや姫の映画が話題になっています。
この映画のあらすじは古典の『竹取物語』にほぼ忠実で、五人の貴公子が求愛に来る場面があります。
原文では
――石つくりの御子、くらもちの皇子、右大臣あべのみむらじ、大納言大伴のみゆき、中納言いそのかみのまろたり――となっています。

このうち後者三人は実在の人物とみてほぼ間違いないようです。
      作中の人物---------実在のモデル
   右大臣あべのみむらじ――――右大臣 従二位 阿倍御主人(あべ の みうし)
   大納言大伴のみゆき―――――大納言 正二位 大伴御行(おおとも の みゆき)
   中納言いそのかみのまろたり-大納言 正三位 石上麻呂(いそのかみ の まろ)
奈良時代の直前、藤原宮での大宝元年(701)のそうそうたるメンバーです。

すると前者二人、石つくりの御子、くらもちの皇子も架空の人物ではなく、直接名指しはしていないが、あの人だと暗示されているのではないかと疑われます。
江戸時代の国学者・加納諸平が、石つくりの御子を左大臣多治比島(たじひのしま)、くらもちの皇子を大納言 正三位 藤原不比等(ふじわらのふひと)と推定したのは、いずれも母方が石作氏、車持氏であるからです。

藤原不比等は鎌足の二男で、母は車持与志古娘(くるまもちの-よしこのいらつめ)
車持氏は中央政界では無名ですが、関東の豪族で、千葉県にも所領があったようです。画像の蔵持がその一つです。
「くらもち」を漢字でどう書くのか、庫持、蔵持と書く場合があり、長南の蔵持地区は古くは車持と書いたことが知られています。

藤原氏の祖・鎌足は大化の改新の前は単なる中小貴族であり、中臣氏といいました。
その出身は千葉県かと推測されています。
たとえば木更津市には鎌足小中学校があり、出生地はここだという伝説があります。
香取・鹿島の神官出身だったことはほぼ定説として良いでしょう。
そしていすみ市岬町谷上地区に鎮座する谷上神社は藤原氏の祖先神である天児屋根命(アメノコヤネノミコト)をご祭神としています。
鎌足と車持氏はともに千葉県に接点がありました。

くらもちの皇子はかぐや姫から蓬莱の玉の枝を持って来いと言われ、金銀で飾ったニセモノを作って差し出しますが、職人たちが代金をよこせと押しかけてきたのでニセモノとばれてしまいます。
ここにも車持氏との接点があります。
長南町蔵持地区の近くに野見金山があり、ノミと金属の山と解せますし、字鍛冶屋谷という地域があり、かつて金属産業従事者がいたことが推測されます。
つまり、車持氏は金属工芸品を扱う人々を配下に持っていたからこそ、不比等は母方のツテでニセモノを調達することができたと物語の中で暗示され、セコイ男だとからかわれているのです。

くらもちの皇子は藤原不比等とみてまず間違いないでしょう。
竹取物語の作者は不明ですが、当時の政界中央の人々をみなコケにしているのですから、中央政界から締め出された教養のある人物だったと推定されます。

 
 

★鵜(ウ)の目鷹(タカ)の目、いや鷺(サギ)だって 


    大正堰は水深が浅くなり、鷺の楽園になっています

堰の水門が解放され、通常は水深1mほどなのに現在は雨の後でも30cm程度ですから鴨には住みにくいようで去ってしまい、サギが毎日我が物顔で闊歩しています。

アオサギが1~2羽、ダイサギが7~8羽が常連です。
昨年、常駐していたコハクチョウは今シーズンはついに一度も姿を見せませんでした。

この近辺にいるシラサギはダイサギ、チュウサギ、コサギの三種類で、コサギが来ていた時もありますが追い出されたようで最近見かけません。
野鳥の世界にも食料をめぐってイジメはあるようです。

ダイサギ、チュウサギは区別が難しい。多分、今いる白いサギはダイサギだと思います。
首を伸ばして大またで歩くとダイサギという命名に納得します。

画像中央のやや黒っぽいサギはアオサギで、隣の新堰をねぐらにしている原住民です。
この堰は元々俺の縄張りだという意識があるのか、ダイサギに対して物怖じしないどころか、仲間になって一緒に遊んでいる時もあります。
もっともそう見えるだけで、本当は、アッチニイケヨ、オ前コソ立チ去レ などと熾烈な戦いの最中だったのかもしれません。

最近の化石古代生物学の進歩で、鳥類は爬虫類から分化したことがはっきりしてきました。
鳥類はある種の恐竜の進化形で、現代に生き残った恐竜だと言う学者さえいます。
そういえば、鳥の目ってけっこう鋭い。
かわいい野鳥のシンボルともいえるメジロだって、ある角度から見ると恐竜の目のような残忍さを見てしまうことがあります。

サギの目もよくよく見ると酷薄な印象があります。
姿形は優雅ですが、自然界の中で生きているからには、食べるために他の命を奪うことに躊躇があろうはずがありません。
サギだって鵜の眼鷹の眼で獲物を狙っています。

 

 

★太陽様の力でロールキャベツが調理できる 


  10年前のソーラークッカーだけどまだ現役

オール電化の何有荘ですから、電力無しでは生活できません。
太陽の力を借りて、できるだけ電気を使わない生活の工夫をしてきました。

その一つがソーラークッカーで、冬場は晴天の日が続くので大活躍をしています。
ロールキャベツをセットしておけば30分ほどで沸騰します。
ガスの中火と弱火の中間ぐらいの火力ですから、じっくり煮込むには最適です。
欠点は太陽が動くので、時々太陽を追いかけてパラボラをセットし直さねばなりませんが、焦点がずれて弱火になってしまっても、保温程度で良しと思えばそれで良し。

太陽の熱を利用する最大のシステムは 「太陽熱暖房」で、昼間屋根で受けた太陽熱を床下に送り込み、床下のコンクリ蓄熱層が温まり、翌朝にかけて徐々に蓄熱を放出していきます。
朝、外気温が零度以下になっていても室温はこのところ16~17℃。
昼間には20℃~21℃になるので、暖房は朝の数時間しか使わないで快適に暮らせます。

太陽の光を利用するのが 「太陽光発電」で、10年前の3KWタイプです。
年間発電量と消費量はほぼ均衡し、年間をトータルすれば発電量が多いので電気料金はプラスになっています。
もちろん、初期投資が250万円ほどかかっており、あと10年働いてもらわないと収支は合いませんが、20年分の電気料金を一括先払いのつもりで設置しました。
毎月の電気料金を気にしないで済むのは気が楽です。

もっとも先だって著しく発電量が落ちました。
その原因は東電からの 「系統電力」 のせいでした。東電に電話したら丁寧に対応してくださり問題は解決しました。
東電社員の現場力はたいしたものだと見直しました。

太陽の光と熱を利用すれば、石油もガスも使わずに光熱費はソーラー電気だけでまかなえたのが何有荘の実績です。
「原子力なしに産業基盤はなりたたない」――これはウソ100%の脅かしにすぎません。
現に原発ゼロでここ数年過ごしてきたじゃありませんか。
無限にある自然エネルギーを積極的に国家的規模で利用する―――そうなれば何有荘が趣味で始めた太陽エネルギーへの投資も無駄ではありません。

ふるさとを奪い、暮らしと命を奪った原子力は直ちに廃棄する――それが当然です。
科学は人類に奉仕してこそ科学であり、人々を苦しめるなんて本末転倒でしょう。

 

★牡蠣(カキ)と大根の味噌煮 


     大根はやや煮すぎてしまった

赤穂の坂越湾は日本有数の牡蠣の名産地で、その採れたて新鮮な牡蠣を贈っていただきました。
酢ガキ、焼きガキなどシンプルな料理が好きです。
まず最初に生を酢醤油で頂きました。ぷっくりでクリーミー。その素晴らしさが口に広がります。
酢は手作り本格柿酢を使いました。酢ガキにとてもよく合います。

画像は土手鍋よりも簡単な 「味噌煮」 です。
先だって作ったベーコン味噌を利用しました。

    カキは塩水でよく振り洗いしておきます。
    鍋にだし汁を用意し、ベーコン味噌を適量入れて溶かして煮たたせ
    牡蠣を入れて、ちょっと火が通れば出来上がりです。
    牡蠣のしゃぶしゃぶ感覚でしょうか。煮過ぎちゃいけません。

今回は大根を合わせました。
    下処理して下ゆでした大根を鍋に入れればOK。
    今回はとても火の通りが良い柔らかい大根だったので、つい煮すぎてしまいました。

ついでに柚子の千切りや青ネギなど散らして立派な一品となりました。

さて次は 「牡蠣フライ」にしましょうか。白ワインを振ってマヨネーズ焼きにしましょうか。

新鮮な海の幸が食べられる贅沢な幸せを味わっています。
なんでこんなに幸せな日々が送れるのだろうかと、ふと疑問に思う時がありますが、あまり深く考えてもしょうがない。
おいしいものを食べらるのは幸せだと単純に感謝して生きていくことにしましょう。
わたしたちは、ふとした巡りあわせで 「生かされている」 ことを実感します。
ありがとうございます。

 

 

★昨日は大雪。今日から大寒。 


   19日は朝起きたら雪景色で驚きました。朝日に赤く染まっています。

真夜中よりも明け方の方が寒いように、冬至よりも立春前後が一番寒くなります。
今日20日から立春(2/4)までの2週間が大寒で、1年で最も寒い季節とされています。
そして1月31日が今年の旧暦元旦ですから、この一番寒い時期をしのぐと新年になります。

昨年は14日に雪が積もりました。
房総では雪が降るとしたら毎年今頃、大寒前後が多いようです。
ところが寒さが厳しいほど立春は近い。もう春の便りが聞こえてきました。
ネイチャーセンターでは紅梅が咲きだし、トウキョウサンショウウオの産卵があったそうです。


あっという間に雪が解けて、何有荘でも気がつけば5つもフキノトウが顔を出していました。

山頭火はフキノトウの句をいくつか詠んでいます。

    いつも出てくる蕗のとう 出てきてゐる 
    一つあると蕗のとう 二つ三つ
    蕗のとう ことしもここに蕗のとう 

おもしろい句ですね。どれも当たり前のことなのに何となく共感します。
ふるさとを捨てた山頭火は思うことがあるのでしょう。

    ほろにがさも ふるさとの蕗のとう

もっとも山頭火らしく、ぶっきらぼうで、ポンと言い切った句が

    あるけば蕗のとう

こんなので句と言えるのか、はなはだ疑問ですが、山頭火だと句に聞こえるから不思議です。
山頭火は五七五に合わせて句を作るなんて考えない放浪の俳人。
ボソッとつぶやいたような彼の句には独特の味があり、飾り気のない素朴さがあります。

フキノトウが芽を出すと春が始まります。
房総でも雪の下から春が動き出しました。

 

★日之子坂(ヒノコザカ)古戦場跡 


  標識が倒れたままになっている右手の道を進む

日之子坂古戦場とは天正17年(1589)4月、長南の武田信栄と夷隅(イスミ)の土岐頼春との間に行われた戦闘で、武田方が惨敗した山道です。

千葉県長生郡睦沢町教育委員会の『むつざわの伝説』に次のようにあります。
――日之子坂は大上から夷隅町須賀谷に通ずる坂道で、東北は上之郷、東南は市野々に接しています。
道に添う畑地や芝地に無数の小砂利石があるのは、戦闘に使った矢玉といい、「庁南より飯を馬につけて来たりけるが、士卒多く討たれ逃げ走りて食する人なく、ここに飯を捨てかえる」場所を飯盛山と呼んでいます。
山田谷には、数百年を得た松の木が数本あって、団子松の名があります。飯盛山とともに兵糧にちなむ名称でしょう。庁南・万木の戦に関する史跡や伝説は日之子坂だけでなく、佐貫、芝原から小野田等に小字名として馬坂、火矢の谷、君が谷、馬洗井戸、要害、死亡澤等が挙げられ、当時をしのばせています。――

尾根伝いのこの道は側を通る広域農道ができるまでは地域の人々の生活道路でしたが、今はだれも通る人がいなくなり荒れたままになっていました。
それを散歩道として一部復活させたのが、「握手の森」の行政一成さんとその仲間たちで、毎年、「日の子坂ウォーク」が行われてもう10年になるでしょうか。
わたしは新聞報道で知りました。

先日、実際に歩いてみると、敷地境界測量が行われたばかりで境界区分標があちこちに打ちこまれており、大変歩きやすい道でした。
しかし、戦闘に使われたという小砂利石が散らばっている様子は確認できません。

歩き始めて間もなく、「首塚」になります。行政一成さんたちが作成したラミネート加工された紙の標識が傍らにありますが、なければまったく気づかずに通り過ぎてしいます。合戦で命を落とした戦士を埋葬した場所だそうです。
ということはこの付近に戦死者の遺体が散乱していたのでしょうか。地元では亡霊が出るとのウワサがまことしやかに伝わっているそうです。

「飯盛山」とは飯を捨てて逃げかえったからとの伝説ですが、これは史実とは違うでしょう。
各地に同名の山があり、飯を盛ったように見える山の意です。
同様に「団子松」も兵糧にちなんだ名称ではなく、村境にある大きな松の下で周辺の部落の代表者が集まって協議した=談合をしたことにちなむものと思われます。

やがて山道は下り坂となり、夷隅町側に入ると倒木や雑草におおわれ、前進するのがためらわれます。
もう少しで須賀谷に出るはずですが、あきらめて引き返しました。
山道を人が通れるように維持管理するのは大変な作業量です。
どのハイキングコースも安心して歩けるのは、毎年メンテを欠かさない山番や地元の人がいるからこそです。感謝しなくちゃね。
このコースが須賀谷まで貫通していないのは、そのような理由なのでしょう。

        天正17年の戦闘→●  
        
日之子坂入口の地図はこちら