★ミソハギの花が咲いている 

わたしはこの花が好きです。
いかにも野の花のような風情があり、それでいて切り花になる美しさがあります。

初めて知ったのは父の新盆の時、人並みに盆棚を作ろうとしていろいろ調べている時でした。
盆棚を浄める時に、この花に水を含ませ、サッサッと振るとありました。

春秋の彼岸の墓参りの際には、お墓に水をかけますが、おそらく発想はそれと同じことなのでしょう。死者が水に飢えていないか、せめて水はたっぷりあげようという趣旨だと思います。
臨終の際に、末期の水を口に含ませます。もう何も食べ物は受け付けなくなってしまった。せめて水で飢えや渇きをいやしてほしいという願いが込められています。

お盆用具一式はスーパーに行けば売っていますし、葬祭センターでも手に入ることでしょう。
こちらに来て驚いたのですが、お盆用具一式はいすみ市でも川崎とほとんど変わりません。
画一的な商業ベースの行事になっているような違和感がありました。
小さな違いはあります。こちらの落雁はハデで大きく立派です。

それにしても川崎でもいすみ市でも盆の切り花としてミソハギはほとんど見かけません。
盆花は各種さまざま店頭に並んでいますが…。
キュウリの馬、ナスの牛も最近はおもちゃみたいな商品で済ますようです。

昔はすべて身近にあるもので仏壇まわりを飾り、ご先祖様の霊を迎えていたことでしょう。
キュウリもナスも今時の作物ですし、ミソハギも今を盛りと咲いています。
温室で育てられた切り花を購入するよりも、野のミソハギが盆にふさわしい。

ミソハギはいわば雑草のように頑丈で繁殖力のある植物です。
したがって世界のある地域では「侵略的外来生物」の一つとして嫌われているそうです。
しかし、日本である限りミソハギで困っているという地域は聞いたことがありません。
いすみ市でも原野に蔓延している姿は見かけません。
庭の花として細々と生き延びているのが現状ではないでしょうか。

この花が咲くとお盆が近いなぁと思います。
今生きている人と、すでに鬼籍に入ってしまった人とを結ぶ花・ミソハギ。
庭のミソハギを見ていると、亡くなった父母やあの人、この人のことを思い出します。

  

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★車椅子で新幹線・東北旅行(3) 


    瑞巌寺              正宗像         手すりのある蘭亭野天風呂

二泊三日とも雨模様で散々でしたが、もともと91歳の義母を連れての旅行ですから、見所は最小限にし、余裕たっぷりの時間配分で計画しました。
本塩釜から仙台駅まではレンタカーを利用。乗員5名に荷物+車いすを積み込める7人用のホンダ・フリードでした。余裕があって良い選択だったと思います。

◆瑞巌寺。
駐車場から瑞巌寺、宝物館まで車いすで何の障害もありませんでした。
本堂に直行するのではなく、右側の脇道の崖際を歩きました。そこも画像のように舗装道があります。崖に大きな穴がいくつも並んでおり、石碑、石塔、石像群があり静寂かつ厳粛な雰囲気があり、お奨めのコースです。
解体修理中の大本堂は見られませんでしたが、逆に巨大な位牌や観音像が別の部屋で真近かに見られたのは収穫です。車椅子で室内見学は無理ですが杖をついての拝観は許可されました。

◆円通院。
事前調査では車いすは無理とありましたが、やはり無理です。
義母にはお休みどころで庭を見ながら待っていただき、姉妹三人と境内を一周しました。
車いすは拝観料は無料でした。お休みどころまでしか行かれませんからね。
京都風のすばらしい一流の庭園です。伊達の歴代当主が仙台を北の都にするのだという心意気が伝わってくる寺院です。
車いす対応の特別なルートを作ることは庭園の雰囲気を台無しにしますから、まず今後も無理でしょう。

◆秋保大滝。
もちろん車いすでは観瀑台まで行かれません。義母は不動尊で休憩。
地元の人に聞くと車で脇道に入れば滝の全貌が橋から見られるとのことで、雨上がりの壮大な流量の大滝を義母も見学できました。
駐車場には車いす対応の「公衆便所」もありましたが、障碍者対応の見学場所表示はネットにも現地にもありません。関係者のひと工夫が欲しい場面でした。

◆瑞鳳殿。
正宗公の霊廟。戦災で焼失後の再建だが詳細に復元され素晴らしい。車椅子不可。
時間があれば資料館も見学してほしい。建物を見るだけではその価値が半減します。
義母には車の中で待機してもらいましたが、後で駐車場の方から、裏手に回り関係者専用駐車場から見学できるという話を聞きました。帰宅後、ネットで調べてみると、公式サイトに記載はありませんが、別のサイトにヘルプがあれば可能とありました。事前に知っておくべきでした。

◆青葉城。
坂道がありますが、車いすで全く問題ありません。清潔な車いす用トイレもあります。

◆宿舎:秋保温泉・蘭亭。
高齢者、障害者、子連れに優しいホテルです。事前に車いす対応のホテルを探して選びました。
部屋は広く景色もよく、所どころに手すりが設置されています。大浴場や野天風呂にも手すりや障碍者用のいすがあり、配慮が行き届いたホテルで感心しました。
食事もありきたりのものではなく、創作料理と言うのでしょうかおいしく頂きました。食事場所も車椅子対応でOKでした。若い従業員もとても親切で、車いすの場合、お奨めです。
全旅連認定の「シルバースターの宿」マークがありました。今ではそのような旅館・ホテルもあるのですね。
車いすでの旅行は事前によく調べていけば、受け入れ態勢は整いつつあります。
遠慮しないで積極的に出かければ、今後ますます利用しやすくなることでしょう。
                                      (おわり)
                               

★車椅子で新幹線・東北旅行(2) 


      市営汽船に乗船        寒風沢島の市営汽船 
  画像右、Aの高さで新堤防の予定 Bがかさ上げ地盤 Cの岩の下が現地表

車いすでの市営汽船の乗船・下船は塩釜港では何の問題もありませんでしたが、寒風沢島の場合はボードが狭く、91歳の義母は車いすから降り、よちよち歩きで上下船しました。
船員さんが丁寧に世話してくれましたが、左画像のような塩釜港レベルのしっかりしたボードではなくとも、島でも車いす対応のボードがあれば良いのにと思いました。

外川屋さんでは久しぶりの再会で、海の幸で大歓迎されました。
民宿には復興作業の人たちが連日宿泊して作業に当たっています。震災・津波当時と比べるとずいぶん整備された場所と、そのままの場所とがあり涙を誘います。
ともあれ瓦礫の残骸は撤去されましたが、約1mほど沈下した島の復興をどうするか、なかなか意見が一本化せず、難しいようです。
島の住民も高齢化が進み、この機会にと仙台や塩釜に住んでいる家族との同居を決めた人もいれば、このまま死ぬまで島で暮らしたいと切望する人もいます。
島の「繁華街」は津波で更地のごとくなり、復興住宅を個人の資力だけで再建するのはほぼ不可能ですし、国立公園法の建築制限もかかり、地盤の全体的なカサ上げは一部で進んでいますが先の長い話です。それまでは仮設での暮らしを余儀なくされるのでしょうか。
民宿・外川屋さんも津波が襲い、家が傾きましたが何とか民宿再建にたどり着きました。

マスタープランが示されないまま、島を7.5m(だったかな)の堤防で取り囲む工事が一部で進行中です。外川屋のオヤジ(実はわたしのイトコ)はこの計画に大反対です。
島の人たちは大地震=大津波ということはよく承知して暮らしてきました。あの時もいち早く、寝たきり老人を含めて助け合って高台に逃げましたが津波が来るには少し間がありました。
その間を利用して家の貴重品を取りに戻った人がいました。アブナイから呼び戻そうとした時に津波が来るのが見えました。何人かが犠牲になり、津波を見て引き返した人は助かりました。

「高い堤防を作ったら目隠しされるようなもんだ。海の様子が判らない。田老の要塞のような堤防だって津波に崩された。堤防で島は守れない。海の様子を見て助け合って暮らす、助け合って逃げるのが島の生き方だ。高い堤防ができたら津波が来るのが見えなくなる。だから大反対だ」

松島湾の浦戸寒風沢地区は波の穏やかな別天地です。
海の幸に恵まれ、ささやかながらも山の幸もあります。波を子守唄のようにして育ち、ウミネコの鳴き声を目覚まし時計の替りにしてきた島の人々に、今後は毎日堤防を見て暮らせと行政は言うのでしょうか。
「フルサトで暮らしたい」という希望は、故郷の景色と一緒に暮らしたいということです。
社会環境的にも自然環境的にも離島の暮らしは厳しい。だけどそこが故郷だからすべてを受け入れ、自然とともに暮らしていければ、それは島の人々にとって幸せなことです。
それなのに巨大堤防で目隠しされ、海と切り離されて暮らすのはカゴの鳥よりも一層みじめで危険な暮らしだと言うオヤジの言い分に共感しました。

島はあいにくの濃霧、雨模様でしたがオヤジが軽自動車で島を案内してくれました。
車いすで自由に動き回るにはほど遠い世界ですが、外川屋さんでは不自由しませんでした。
わたしたちが帰る時は入れ違いに学生ボランティアがたくさんきました。
少しずつ、少しずつ島の復興は行政とボランティアの力で進んでいます。
松島の海がそのまま見える自然な暮らしが松島・浦戸諸島の偉大な財産なのです。
島の人たちの心に希望の灯がともるような復興計画が進むことを望みます。

  

★車椅子で新幹線・東北旅行(1) 

 
       仙石線に乗る        東京駅地下通路のエレベーター

91歳になる義母が「生きているうちにもう一度、寒風沢(サブサワ)に行きたい」というので、すでにみんな高齢者になっている娘三人と一緒に母娘のにぎやかな東北旅行になりました。
わたしは添乗員兼小間使いでご一緒しました。

寒風沢は松島の湾の奥にある島で、先の震災で壊滅的な打撃を受けました。昔からの付き合いのある民宿・外川屋さんを通してみんな多少の復興支援をしてきたところ、民宿を再開しているとのことで、じゃあ行ってみようかとなったのです。

義母と長姉は二宮駅から東海道線で東京駅に向かいます。最近はどこの駅もエレベーターがあり、車いすでも不自由しませんが、自動改札口を車椅子で通過するのは狭くて難しそうでした。
駅員さんの脇を通してもらおうと声をかけたら、「切符を拝見」。
駅員さんはホームまで付き添い、列車との間にボードを渡してくれたので無事乗りこめました。
驚いたのは下車駅・東京駅です。すでに駅員さんがホームでボードを片手に車両の前で待っていてくれ、しかも新幹線ホームまで先頭を歩いて誘導してくれたのです。
巨大ステーションの朝の大混雑の中を車椅子の高齢者母娘がオロオロ・ウロウロしないで済んだのでとても助かりました。おそらく二宮駅から東京駅に連絡が入ったのでしょう。

新幹線・仙台駅ホームでも女性の担当者が待ち受け、かなり離れた仙石線の地下ホームまで誘導し、電車に乗り込むまで世話をしてくれました。その手際の良さに感心し、感激しました。
画像は仙台駅仙石線に乗りこむときのものです。
若い駅員さんのテキパキとした案内と笑顔に、さすが日本のJRだと誇らしく思いました。

本塩釜駅から市営汽船に乗り込むまでの経路でも、車いすで何の不自由もありませんでした。
塩釜港のマリンゲートは一見すると何もなかったように復旧しており、おいしい昼食がとれました。
東北支援は、観光客として現地で楽しみ、お土産を買い、地元の人たちの話を聞き、笑いあって感謝する――というのも一つの方法だと思います。人がたくさん来て、お金を落としていってくれるのは地元の人を勇気づけるでしょう。

帰りのJRも多くの駅員さんが気持ちよく対応してくれました。
仙台駅南口改札から新幹線に乗ろうとしたら中央改札口に回ってくれと言われました。
また「駅長に話を通してありますか」とも聞かれました。
なるほど、急に駅に車椅子で現れるよりも、何時何分の電車に乗ると事前に連絡しておく方がJRにとっても準備が整えやすいのだなと思いました。
なるべく迷惑をかけないようにと遠慮するよりも、どういう支援が必要かを事前にはっきりさせた方がお互いのためのようです。

東京駅新幹線ホームから東海道線ホームまでの車椅子での移動も駅員さんがすべて先頭に立って案内してくれました。
特に驚いたのは業務用エレベーターを使って地下通路を利用したことで、他の一般乗客の雑踏の中をかき分けて通らないですみました。
そこは開業当時のままなのでしょうか、画像のように古びて由緒ありげなレンガ構造の地下空間でした。こんな時でないと決して一般乗客が見ることのない世界で、それもまた感激しました。

もう十数年も前の話ですが、車いすだと駅員さんが何人も集まり、階段では車いすを持ち上げて運んでいるのを見たことがあります。その時代と比べると車いすでの旅行はずいぶん快適になりました。
国鉄時代から駅員さんは親切でした。JRになってもその精神は受け継がれているのを目の当たりにし、うれしく思います。

なお二宮駅のタクシーの運転手さんの話では、エレベーター施設のない東海道線の某駅乗車・下車場合、その駅から設備のある駅までのタクシー代はJR持ちだとのことでした。
その真偽のほどは定かではありませんが、車いすで旅行するのは遠慮がちにではなく、堂々と積極的に行けば良い、そして、事前にあちらこちら関係部署に相談しながら計画を立てれば、不自由しないで快適な旅行ができると実感した二泊三日の旅でした。

  

★アピオスの花 

アメリカ先住民が育てていた野菜で、日本でも ホドイモ という名で東北地方では栽培されてきました。
イモ類としてメジャーにならなかったのは里芋やジャガ芋ほど応用力が広くない、つまり料理しにくいからでしょう。

芋と名がついても画像のように、つる性のマメ科植物。地下茎の一部が膨らんだ「芋」部分食料とします。
精力がつく、元気が出る野菜だと最近はテレビやラジオ、週刊誌などでも紹介されています。
非常に栄養価が高くジャガイモの30倍のカルシウム、 鉄分は4倍。
サツマイモの3倍の食物繊維、他のイモにはないビタミンEも含んでいるそうです。
甘くほくほくとした口当たりで、 茹でて冷凍保存すれば長持ちします。

何有荘ではこぼれ芋から育った小さな芋しか採れませんが、近くの栽培農家さんはとても大きく育てています。
その秘密は肥料の差だけではなく、花を摘むかどうかも大きいようです。
7月になると花咲かせます。この花を摘んで養分を地下茎に回すのだとおっしゃっていました。
なるほどね。可愛い花だと観賞していては作物にとっては良くないらしい。

ところが何となく気の毒で元気な花を摘んで捨てる気になれません。
花摘みもせずグダグダしていると耳寄りな話をキャッチしました。
「アピオスの花にも血糖値に上昇を抑える効果がある」そうです。
花を摘んでお茶にして飲むのだそうで、フレッシュでもドライでもOKということでした。

ウン、それなら安心して花を摘めます。
どんどん摘んで血糖値を下げよう、という気になります。
アピオスの花の使い道を覚えました。

 
 

★熱中症・脱水症対策 手づくり経口補水液 

熱中症患者が急上昇だそうで、高齢者が多いと報道されて気になります。
高温なのに気づかず、汗もかかず、脱水気味なのに気付かず、節電でエアコンをつけず…
で、私どもは日陰でそよ風に当たり、経口補水液をとることを心がけています。
台所にあるものでできるので、なにもスーパーで買ってくる必要はありません。

◆自宅で出来る一番簡単な経口補水液
【水1㍑、塩3g、砂糖40g レモン汁少々】これでOK簡単ですね。
 「1にの3、4」と覚えると忘れません。
 もちろん、湯冷ましや「おいしい水」が良いし、塩や砂糖にもこだわって下さい。
 レモンだろうとライムだろうとクエン酸だろうとお好みです。

なんだったら本物の麦茶に上記の塩・砂糖でもいいでしょう。
でもそこまで言うのだったらスイカに塩少々の方が気分的に夏!! で幸せです。
もっとも今日から 戻り梅雨 のような空模様。外気温は24℃。
画像は昨日作った分です。

◆年寄りの冷や水はダメ
ギンギンに冷えた生ビールを一気飲み…。もう若くはないのでそんなことはしません。
経口補水液はガブ飲みするのではなく、点滴を受けるようにチビチビと飲みます。
年寄りっぽい飲み方ですが、それが一番体に優しい正しい飲み方です。

冷えた飲み物は内臓を冷やし、消化能力を減退させます。
例えば魚屋の一心太助といっても知らない人が多いでしょうが、サラシの腹巻は腰を守り腹を守る優れものでした。
金太郎さんの赤い前掛けもただの衣装ではありません。子どもだって昔の人は布一枚であっても腹を守らせました。
へそ出しルックというのは南米ならいざ知らず、日本では考えもののようです。

そういえば女性用の腹巻が売れているとか、コンビニで常温の飲み物が良く売れると報道されていました。
極端な冷房状態にいると、さらに内臓まで冷やす飲み物は生理的に嫌われてきたのでしょう。
夏は井戸水で冷やした程度、それが一番体に良い温度だと心得えるのが肝心です。

  

★太東埼のスカシユリ満開 

太東埼の南側、海岸沿いが日本最初の国定公園に指定され、海浜植物の宝庫となっています。
7月下旬が画像のようにスカシユリの季節で、1年で一番晴れやかに彩られています。
この季節をはずすと、観光客にとっては何これ?のただの原野ですから期待外れの人が多いようですが、今の季節は見ごたえがあります。
崖を見上げれば、あんな所にも咲いていると気づきます。人の手で植えるような場所ではないので、どうやってそこで花咲かすようになったのだろうと不思議に想います。

何でもないただの原野が観光資源になる典型的な例ですね。
昔から手つかずであったことが、今は貴重な財産になっています。
最近切り開かれた原野はイネ科の外来植物で占拠されており、見苦しい雑草地帯となります。
この一帯は外来植物の種類も数も少なく、それがある種独特の海浜景観を呈しており、これが外房の原風景なのだなとつくづく思います。

ただ、海浜の浸食がはげしく、国定公園の指定当時と比べるとその面積は激減しています。
それもまた自然のなせる業ですから何ともいたしかない。
中小河川もコンクリ護岸が施され、河川中流・上流部にダムがつくられて海に流入する土砂の量が減っているからでしょう。
人間にとって良かれと思って行う施策が、他方で海浜の砂を減少させ、貴重な海浜植物地帯が存続の危機にあるのは皮肉な現象です。
人間様の考える“知恵”というのは猿知恵とさして変わらないということでしょうか。

土用の丑の日が終わり、今日から“大暑“
今朝は深い霧に覆われ、気温は上がっていませんが、昼は暑くなるようです。
隠れ脱水症に気をつけなくちゃね。
 画像はスカシユリのアップ

 

★まぼろしの巨大アワビ伝説 

 
  目分量で軽く20cmを越えている

7月21日、第3回、いすみ市の大原朝市の目玉は マガタアワビ という地元産の巨大アワビ。
アワビにもいろいろ種類があるのですねぇ。普通のアワビは黒アワビと言うのだそうです。
この種類は乱獲による資源減少で18年前に禁漁となり、今年から試験的に漁が始まったそうで、先日のNHK「キッチンが走る」で紹介されましたから、黒山の人だかりでした。

画像では大きさが実感できませんが、子どもの野球グラブ、横綱の手形ぐらいの大きさです。
通常の10cmサイズと比べると面積比で4倍、体積比で8倍の大きさにもなります。
価格は“時価”ということでご祝儀相場もあったのでしょうが、1個3万円とか5万円だったとかのウワサがまことしやかに流れていました。

巨大アワビの伝説は茨城県から房総にかけて大昔から数々の記述があります。
マガタアワビも大きさ30cmを超すものも多く、知人のそのまた知人の漁師さんはアワビの中にあった天然真珠を家宝のように大切に保管しているという話でした。

50cmの巨大アワビ発見が1980年代に週刊誌に載ったそうです。岩場の隙間の奥にあり採集できなかった――が最近の伝説でしょうか。
どう考えても眉唾だろうという伝説もあります。2.4mとか12.6mとか。
巨大アワビは岩に吸盤のように吸い付いていますから巨大になるほど収穫が困難です。
あるいは生き延びた巨大アワビがまだ房総の海にはいるのかもしれません。

◆上総国・岩和日浦(現御宿町)の伝説
海の主ともいえる巨大アワビは300年に一度姿を現します。このアワビに触れると大時化(オオシケ)になるから怒らすんじゃネェと昔から伝えられていました。
ところがある日、若い海女が誤ってサザエを一つこのアワビの上に落としてしまいました。はたしてその晩は時化となり誰も漁には出られませんでした。
海女はある漁師と恋仲にあり、時化の日はゆっくりと二人だけで会うことができます。海女は時化になったので幸せでした。もう一度、アワビにサザエを落としてみました。すると時化になります。毎日のように会いたいと思った海女はしだいに大胆になり、度々禁を犯すようになります。
しかし時化が続けば漁師はおまんまの食い上げです。
若者はこのくらいの波なら漁に出ねばならぬと思いつめて海に出かけました。海女はそれを知らず、大量のサザエをアワビに投げつけたので海は大暴雨風になります。若者の船も岸まであと10数mの所で岩礁にたたきつけられて難破。それを見た海女は周りの人が止めるのも聞かずに恋人を救おうと海に飛び込み行方不明となりました。
三日三晩の暴風後、抱き合った二人の遺体が浜に打ち上げられました。
その後、岩和日浦はまた元のようにおだやかな海に戻りました。
村人は海女の仕業を知りません。なぜ時化が続いたのか不思議なことだ、それにしても二人は気の毒だったと語り合いました。

この話は何十年か後、当時決して秘密を明かさないと誓った海女の親友だった海女から「昔、こんなことがあった。大アワビに絶対に手を出してはなんねぇ」という形で村に伝えられたそうです。

 
 

上総十二社(1)・鵜羽神社-1-


 上総裸祭り(十二社祭)はこの鵜羽神社の神事から始まる 
   
上総十二社とは上総一の宮・玉前神社を中心とし、祭神玉依姫命とその一族の神々を祀る12の神社を指し、秋の例大祭の上総十二社祭は神輿の勇壮な浜降り神事でよく知られています。

旧社格 村社
御祭神 彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)---山幸彦
    豐玉姫命(トヨタマヒメノミコト)------海神の娘
    鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)-両者の息子
鎮座地 千葉県長生郡睦沢町岩井

秋の例大祭は9月13日ですが、3日前の鵜羽神社の「十日祭(トオカマチ)」から始まります。
10日午後、二基の神輿が神社を出発し、途中で玉前神社から遣わされた神職・白丁(ハクチョウ) などの出迎えを受けて行進します。
行列が玉前神社境内に入ると、旛(ハタ)持ち・広鉾(ヒロホコ)持ちが鬨(トキ)の声を挙げ、神輿は猛然と玉垣を三周します。

神輿が神楽殿に据えられると、待ち受けていた子どもを連れた親たちが神輿の下をくぐります。無病息災・健康成長を祈願する昔からの風習で、 鵜羽神様を姥神(ウバガミ)様と解しての子育ての祈願です。

神楽殿で上総神楽が奏されると、神輿を境内の一隅に移し、献饌ののち、玉前と鵜羽の宮司が神輿を挟んで大麻で神輿を祓い合う。
さらに幣殿に移して、オホリとよぶ舌状の餅四七枚とカスカミと呼ぶ魚のボラの粕漬けを献じ、やがて神輿を開扉して玉前・鵜羽両祭神の「御霊合わせ」を行います。

この後、鵜羽の神輿は町内の八雲神社に渡り、 鵜羽から龍形餅を供え、次いで本社へ帰ります。

この一連の複雑な行事が何を意味し、何を象徴しているのか実はよくわかっていません。
一の宮・玉前神社と岩井の鵜羽神社が密接な関係にあることだけは確かです。

「十日祭」は玉前神社側からは「御迎祭」と呼ばれ、両社の神官立会いの下での「御霊合わせ」が神事の中核ですが、何という神様と何という神様の御霊合わせなのかがはっきりしません。
観光行事的にはロマンチックに、玉依姫様の所に夫たる鵜茅葺不合様がお通いになる、つまり太古の「通い婚」を再現している行事だ、ということで納得している部分も多いのですが…。
確かに鵜羽(ウバ)は容易に産屋(ウブヤ)や鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を連想させます。

しかし、鵜羽神社からお見えになる神様は二座だから二基の神輿でお見えになるのですし、お迎えする玉前神社の御祭神も二座ございます。
『古事記』『日本書紀』と整合的に解釈すれば、鵜羽神社からは彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)と豐玉姫命(トヨタマヒメノミコト)の二座。玉前神社側は玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)と鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の二座ですっきりし、ご親族四柱がご集合する祭で良いはずですが、どうも祭としてはそれでは気合が入りません。

不思議なことに玉前神社では鵜茅葺不合命を山の神とし、海の神である玉依姫に一目ぼれして結婚し、神武天皇など四兄弟が生まれたとしています。
山の神と海の神の結婚と言えば、山幸彦(=彦火火出見命)と豊玉姫の結婚だと考えるのが通常でしょう。
二人の間の子・鵜茅葺不合命は叔母・玉依姫に育てられ、やがて結婚するのですから「一目ぼれ」というのも合点がいきません。

鵜茅葺不合命の祖母はコノハナサクヤ姫で山の神であり、母は豊玉姫で海の神。
鵜茅葺不合命は山の神と海の神の血を引いているのであって、彼を「山の神」と規定すること自体に無理があります。

神様の固有名詞を外し、『古事記』や『日本書紀』にとらわれず、単に山の神と海の神との出会いと結婚というストーリーにすればややすっきりします。
この祭の本来の姿はこのような意外と単純なものだったのではないかと思っています。

               この項、来週金曜日につづく
 
 

★夜叉ケ池?いえ、桑田堰です 


    昼なお暗く、竜神が棲むと言えば信じる人もいることでしょう

泉鏡花の戯曲「夜叉ケ池」が上梓されて100年を記念し、新国立劇場が新作オペラ「夜叉ケ池」を上演しています。
泉鏡花作品と言えば、最近は坂東玉三郎と中村獅童による「高野聖」が評判をよびました。
100年前の世界が現代と通じるのか、あらためて読み直してみました。

物語は明治時代の山奥の村。文明開化の中でしだいに忘れ去られていく民衆の伝説や文化を採集していた晃が主人公。村の身寄りのない心優しい娘・百合と暮らしている。
晃は最初はそのつもりではなかった。
村には竜神伝説があり、「日に3度、鐘を衝くのが竜神様と村人との約束だ」と鐘衝きの老人から話を聞いて興味を持つが、老人は事故で死んでしまう。老人が言うには鐘を衝き忘れれば竜神池が決壊し大洪水が村を襲うという。
村人に老人の事故死と事情を話すが村人はせせら笑い、そんなに心配なら自分が衝けばよいと言い放ち相手にされない。晃は怒って立ち去ろうとするが百合の心配そうな顔が気になり思いとどまる。今晩だけなら、今朝だけならばと老人に代わって鐘を衝いていたが、しだいにそれが毎日のこととなってしまった。

やがて村は深刻な干害に襲われる。国会議員・穴隈鉱蔵を先頭に村人が大挙して押しかけてくる。
竜神様に雨乞いをするために村一番の美人を人柱にすることになった。百合だと衆議一決したので差し出せと言う。素裸にして縄をかけ、黒牛の背中に載せて竜神池に行くのだという。
もちろん、そんな理不尽な要求に従えるわけない。拒否する晃に対して鉱蔵は言う。
――いやしくも国のためには、妻子を刺殺して戦争に出るというが男子たる者の本分じゃ。かつ我が国の精神じゃ。すなわち武士道じゃ。人を救い、村を救うは国家のために尽くすのじゃ。我が国のために尽くすのじゃ。――

なおも拒否する晃に対して村人が一斉に襲いかかる。百合は晃を守るために自害する。騒然とする中で夜半に衝くべき鐘の時刻が過ぎてしまった。
天地が鳴動し地が崩れる。山の姿が移動し真っ黒な竜神池の水が流れ出た。どこにこれほどの水が蓄えられていたかと思うほどで、濁流は晃を除くすべての村人を飲み込み、濁流となってふもとの村を襲った。村は洪水に沈んだ…。

まず、この物語が明治末期という鏡花にとっては現代劇であることに驚きます。
100年前をざっと年表を繰ってみると、大逆事件(天皇暗殺を企画したとするでっち上げ事件)が世を震撼とさせ、韓国併合条約で朝鮮総督府ができ、悪名高き特高が誕生して間もなくの時期であり、第一次世界大戦の直前の時期に当たります。
熱狂的な軍国主義と大正デモクラシーが鋭く対立した時期に相当します。

「夜叉ケ池」のおよそ30年後に、日本全土は焼夷弾の雨で廃墟となったことを思えば予言の書のように思えます。
今日再び憲法を書き換えて、国家のために国防軍をという主張を泉鏡花はどのようにおもうでしょうか。世の片隅で暮らしてきた晃と百合のささやかな暮らしを押しつぶして、日本の平和・幸福などあるはずがありません。

桑田の農業堰がいつまでも満々と水をたたえて稲作を守ることを望みます。
日本の未来のためにと称して、稲作自体が立ち枯れるTPP交渉が始まりました。
これを拒否せねば全国の竜神様の怒りを買いかねません。