★スミレの種の実る頃 


   三つのサヤに盛りだくさんの種

いすみ市ではスミレの花が終わり種ができました。
図鑑では知っていましたが、現物を見るのは初めてです。
自然の造形はどれも幾何学的で美しい。

この種をばら撒けばスミレ畑になるのでしょうか。
いや、そんなに甘くはないようです。
というのも毎年、この一角でスミレが花咲くので、種も自然とばら撒かれているはずなのにスミレが増えているとは実感できません。
他の雑草に負けちゃうのでしょう。

江戸時代の日本は園芸大国で、様々な品種が作り出されました。
桜や梅、菊や桜草など、その品種は数え切れず、名を覚えるのはわたしには無理。
それなのにスミレに限っては日本発の園芸品種が見当たりません。

ヨ-ロッパ生まれの園芸種がパンジーやビオラで、日本でも今や広く普及し愛されています。
庭が明るく華やかに彩られ、価格も安いから手ごろです。
わたしが初めてスミレを意識したのも庭のパンジー(三色すみれ)でした。

山野を歩いて初めて野のスミレの美しさに気づいたのは学生時代に歩いた古都鎌倉にて。
薄暗い切通しの湿った崖にこぼれるように咲いており、とても貴重なものに出会ったというような感激がありました。
「手に取るな やはり野に 置け 蓮華草」 ならぬ 「やはり野に置け スミレ草」 ですね。
スミレは野にあるのが一番似合うように思います。

山野のスミレは減ってもパンジーやビオラが増えているので、スミレを食草としている蝶は飢え死にする危険が少ないようです。
いすみ市でもツマグロヒョウモン(妻黒豹紋)という蝶が発見されるようになりました。
この蝶は図鑑の上で南方系とされていましたから、フラフラ飛んでいるのを見て驚いたものです。
確実に地球温暖化が進んでいるのを実感しました。
食料が確保されているので、温暖化の波に乗って都会地でもいすみ市でも生息範囲を拡大しているのでしょう。

 

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★キンランの花咲く頃 


    薮の中にひっそりと気品ある姿で咲く

連休初日、誘われて笠森観音ハイキングに行きました。
片道5km、往復10kmですから歩行は5時間程度と見積もっていましたが、休憩時間を含めてややハイペース。おまけにアップダウンの連続で、今朝もまだ筋肉痛が残っています。
中高年グループの山行だからと甘く見たのが間違いでした。

それにしても最近の中高年女性グループの活躍は眼を見張ります。
今回もメンバーの2/3は女性。わたしよりずっと健脚で、音(ネ)を上げず、おしゃべりのし通しで歩くのですから尊敬に値します。

中高年なので、話題は自分や家族の病気の話、病院の品定め、葬式やお墓の話、嫁・息子・孫の自慢話や悪口など留まるところを知りません。
しかも翌日からまた1泊2日で別の山に行くと言うことですから、家庭はどうなっているのかと心配になりますが、それだけ安定した家族関係があるからこその自由な場なのでしょう。

野の花に詳しい人、興味ある人も多く、一緒に歩いていて勉強になりました。
房総半島は東京や神奈川と比べるとずっと自然が残っています。
笠森観音-蔵持ダムコースという、いわばありふれたコースにもたくさんの花が咲いていました。
画像のキンランもその一つです。たった1株でしたが。
大変人気のある野草で、その絶滅は第一に住宅地開発や工業団地建設、第二に盗掘が原因。
メンバーの中にも開発が決まったのでブルドーザーに踏みつぶされる前に採集に行ったという人がいました。
2年で枯れてしまったそうです。

キンランは菌根菌という特殊な菌類と共生関係にありますから、その環境から切り離して育てようとしても無理なのですね。
ところが、それを知らずに購入する人がいるから、盗掘が商売として成り立ちます。
だからキンランがどこに咲いているかは、最近は極秘情報になってしまいました。

いすみ市にもキンランは咲いています。
昨日、いつもの場所に探しに出かけたら盗掘されずに咲いており、安心しました。
1年に1度はぜひ会いたい花の一つで、毎年、鯉のぼりの頃に出会えます。
未来の日本に残すべき野草の一つでしょう。

 

★九十九里浜は玉浦(タマノウラ)(2) 

 画像元→●
 世界最大級の天然真珠(7.8cm)10億円だそうだ。
 玉=宝石は角がとれていれば球形でなくとも構わない。勾玉(マガタマ)はC字型です。

先週、九十九里浜の古代名・玉浦(タマノウラ)は、海の神ワタツミ(男神=豊玉彦、女神=豊玉姫)が住まい、玉=大切な宝物=豊かな海の幸。だから「玉の浦」だと述べました。

ところで「玉」を文字通り「宝石」と解釈すれば、玉の浦は「宝石の海」となります。
海から取れる宝石と言ったらまず第一に真珠が思い浮かびます。

九十九里浜の南端である太東埼から南へ行くと海中に荒磯が続き、アワビ、サザエ、イセエビの全国有数の漁場となり、ここで真珠が採れたことはほぼ確実です。
九十九里浜は宝石の海だった。だから玉之浦。その前に位置する神社が玉前神社。

真珠と言えばアコヤ貝ですが、それは明治時代に御木本幸吉が養殖に成功してからの話。
自然状態ではアワビにはまれに真珠がとれることがあります。だから貴重品。
東北では30cmを越し、重さ3kgの巨大アワビの化石が発見されていますが、フィリピンに行けば今でも20cm超の巨大アワビが採集でき、ダイビングスポットとして有名な海岸があります。

その巨大アワビの中に真珠が入っていたらびっくりしたでしょうね。
村中大騒ぎになり、海の神様(綿津見=豊玉彦)からの賜物(たまもの)として狂喜乱舞し、あるいは豊玉彦の化身として恐れ敬い、神社に奉納したと思われます。
(古墳から出土する真珠はどれも1cm未満です。それでも当時は超高級品だった)

後に伊甚国(イジムノクニ)の国造(クニノミヤツコ=首長)は大和朝廷から秘宝を見せろと強要され、それを渋って遅参し、問責されるのを恐れて更に失態を重ねた――と日本書紀にあります。
それがきっかけで伊甚国の主要部分は取り上げられて朝廷の直轄地になってしまいます。

その秘宝とは真珠のことだった――と学者さんたちは推測しています。
しかし、それでは玉前神社の伝説とは食い違いが生じます。
玉前神社伝わる話は「明玉(アカルダマ)」伝説です。

(1)汐汲みの翁が早朝、海辺で汐を汲んでいると東風(コチ)が吹いて、波間に光る12個の明玉(アカルダマ)を発見。持ち帰ると夜になって光を放つのであわてて玉前神社の神庫に納めた。

(2)8月12日の晩、五兵衛に夢のお告げがあり、翌朝、弟と海に行くと東風が吹いて光る錦の袋が流れてきた。兄弟はその袋を拾い上げ持ち帰って中を見ると中に12個の光る珠が入っていた。兄弟は神社を建て、風袋(フウタイ)姓を名乗ったという。
        玉前神社HP→●

(1)と(2)の伝説は同工異曲。
東風が吹いて12個の光る珠が浜辺で発見され、玉前神社の神宝となった。
東風とは東から吹く風。東は太平洋であり竜宮城の方向。
つまり、東風によって運ばれてきた光る玉は綿津見(ワタツミ=海の大神)からの贈り物。
12個とは1年12月を示し、玉前神社グループ12社の起源を示すのでしょう。

玉前神社の秘宝は真珠だったのか、それとも明玉だったのか?
明玉の正体は何か?
                                         来週金曜日に続く
 

★レモンバームの収穫


 こぼれダネ、挿し木で簡単に増える

何有荘のレモングラス、レモンバーベナ、レモンバームという三種類のレモン系ハーブの中で一番早く収穫できます。
画像のようにこんもりと大きくなりましたから、ザバーッと大胆にカットしました。

フレッシュをティーで頂くとさわやかさが口の中に広がるだけでなく、心の中までシアワセ感が広がります。
雑草みたいなものなのにレモンの香りがするって不思議ですね。
香りだけで酸っぱさはありません。
ほんのりと甘みがありますからいつもストレートで頂いています。

“高血圧、神経性の消化不良、頭痛、ストレスなどに良い。脳の活性化・若返りにも作用します。ヨーロッパでは昔から「長寿のハーブ」と呼ばれてきました。”―――ということで、少々そのうたい文句に期待しましたが、さぁどうでしょうか。
何かを期待するよりも、何も考えずに「コレ、オイシイネ」で良いのだ、と思っています。

★大正堰のハシビロガモ 

    体の大きさに比べてクチバシが大きいのが特徴

クチバシが大きくて先端が広がっている鴨だから ハシビロガモ というわかりやすい命名。
英語ではシャベラ―。shovel+er で shoveler。「シャベルを持つ鳥」という意味になるから世界中どこでもあのクチバシが気になるのでしょう。
シャベルと言えば、シャベルとスコップはどう違うのかとか、シャベルとショベルはどちらが正しいのかとか、余分なことが頭をよぎります。

それはともかく
大きなクチバシと言えばペリカンです。ペリカンの仲間にハシビロコウという鳥がいます。
ペリカンはコウノトリの仲間なので、ハシビロ+コウ=ハシビロコウ。
ブログ読者のハシビロコウさんは、きっとこの鳥に親近感を抱いているのでしょう。

ハシビロガモの特徴的なクチバシを覚えればシルエットだけで見分けられます。
「あそこにいるのはハシビロガモだね」なんて指摘すると、野鳥に詳しくない知人から尊敬のまなざしで見られますが、慣れれば誰にでも見分けられることです。

大正堰に来る水鳥の中では一番美しい水鳥で、冬鳥だから間もなく去っていきます。
水面を埋め尽くしていた冬鳥も今は大方は去ってしまいました。
かわりにツバメが何羽も勢いよく元気に飛んでいますから、それで良し、としましょう。

 

★地植えレモングラスの越冬成績 

 
          凍死した株(A)          新芽が確認できる(B)

レモングラスは寒さに弱い熱帯性の植物なので、越冬は房総でもなかなか難しい。
何有荘では鉢上げしたり、地植えは完全防寒装備で越冬させます。
1株越冬に成功すれば、株分けで育てられるので、何株かは畑にそのまま放置しました。

鉢上げしたレモングラスは今、高さ1mほどにも育っており、完全防寒の株も順調に緑色の葉が伸びています。

では適当に放置した株は?
画像Aは畑で簡易防寒(発泡スチロール+ビニール袋)したのにダメでした。
画像Bは上部を刈り取ってかぶせただけの放置株なのに芽生えが確認できます。
ABの距離差は1mもなく、環境的には変わらないのに、なぜ差が出たかわかりません。
そんなこともあるのですね。

無理やり理屈を探し出せば、Bの方が根が良く張っていたのだろうと思います。
この株は今シーズンは移植や株分けをせず、そのまま育てて、巨大化させてみます。

巨大化すると耐寒性が増すようだと思ったことがあります。
房総の某ハーブガーデンでは、直径1mを超す大きな鉢でレモングラスを育てていました。
「こんな大きな鉢、冬にはどうするのですか」と管理人に尋ねたら、
「特に何もしない。冬に枯れるけれど翌年にはちゃんと育つ」という返事でした。

丈夫に育てばムシロをかぶせて置く程度で越冬できるんだ、と思ったものです。
とはいえ、それを真に受けた何有荘では一度全滅させてしまいました。
それに懲りて、鉢上げや完全防寒をほどこし、それ以来、毎年越冬に成功してきました。

翌年、何もしないでも芽を出したことは今までも何回かあります。
越冬に成功したと喜んだのですが、途中でダンゴ虫にやられたり、寒さのぶり返しにやられたりとまともに育ちませんでした。
今回、はじめて枯草をかぶせただけの放置株からまともな芽生えがありました。
ここまで育てばもう大丈夫でしょう。
レモングラスティーは思う存分楽しめそうです。

             放置株のうち、死亡2株  生存3株
 
 

★美味・アミガサタケ収穫 !!  


   よく似た毒キノコはないので安心です

竹林にタケノコを掘りに行った時に竹林で発見しました。
この竹林には里山仲間が入れ代わり立ち代わり訪れるのにアミガサタケを採集する人はいません。
そもそも気づかないのですね、そこにあっても。
4本生えていました。2本頂き、残り2本は来年のために残しました。

外見はグロテスクで、わたしも初めて食べた時は躊躇しましたが、食い気が勝りました。
スライスしてバター炒め、ちょいと醤油を垂らして――オイシイじゃありませんか。
シイタケとはまるで別物ですから、別の味わいがあります。
炒めると縮んでしまいますから、縦四つ切程度が良いと思います。
よく洗ってゴミを落としてから調理します。

仲間からはゲテモノ喰い扱いされ、憐みの視線で見られることもありますが
フランスでは最高の食材として珍重されています。
モリーユ ( Morille )といい、“代表的な春のキノコで、生はシーズンも短いため貴重”なのだそうです。

アミガサタケの良さを説明するのにフランスの例を引き合いに出し、「そんなことも知らないの」とバカにする態度は好きじゃありませんが、
多角的視野で物事を公平に見つめ直すのは良いことです。
ソクラテスさんは「わたしは何も知らない」と言っていましたからね。

アフリカのある地域では鮭がウジャウジャいるのに食用にしません。
理屈というのはあるもので、「寄生虫がいるから」だそうです。
それなら煮たり焼いたりすればOKなのに、それでも食べません。
理屈は後付けで、本当は食物だとは思っていない、思えないだけの食習慣です。

その食習慣を逆手にとって大儲けしたのが日本の商社でした。
北欧の漁港で捨てられていたカズノコを捨て値で買い取って日本に輸出したのです。
ぼろ儲けの話はあっという間に広がり、今じゃ北欧産カズノコは値も上がり、立派な商品として扱われていますが、現地の人は「日本人はヘンなものを食う」と今でも不思議がっているそうです。

アミガサタケも同じですね。「フランス人はヘンなものを食う」。
「何有荘さんはヘンなものを食っている」。
その偏見のおかげで、竹林のアミガサタケを独り占めにすることができます。

  

★チャイブの花はアサツキそっくりだ 


   アサツキの花と見比べても違いがわからないほどです

48年ぶりの寒さだそうで外気温は5℃。
室温は19℃。お日様の力を利用したシステムのおかげで暖房要らずで助かっています。

夏だか冬だか、季節感覚が狂ってしまい、オイ、地球は大丈夫か?などと余分な心配をしますが、季節の花はちゃんと咲いてくれます。

チャイブはハーブとされていますが西洋野菜と言った方が良いでしょう。
日本のアサツキ(浅葱)の同類で、アサツキと同じように何にでも使えます。
もちろん生で食べられるし、炒めたり、味噌汁の具にしたり、オムレツにも。

もっともネギを育てているのでチャイブの出番はあまりなく、もっぱら庭の花として楽しんでいますが、それではちょっとチャイブには気の毒です。
それで花を頂きます。花を摘んでばらしてサラダに載せれば明るい気分になります。
野菜の花はたいていエディブルフラワーになります。
何有荘は無農薬ですからね。

明治時代の日本人は外来語を何とか日本語に訳そうと苦労しましたが、最近は外来語のままが多く、カタカナばかりで困ります。
チャイブだって『西洋アサツキ』と言えばイメージが湧くのに、チャイブじゃ食べ物かどうかさえ分からないじゃないですか。

『ガーリックチャイブ』とは、どんな野菜かわかりますか?
『ニンニク』ではありません。ニンニクならば、ただの『ガーリック』。
『ガーリックチャイブ』とは『ニラ』の事なのです。

ニラをガーリックチャイブと言うような時代にならないことを祈ります。

 

★九十九里浜は玉浦(タマノウラ)(1) 


  単調な海岸は波荒く、サーファーに愛されている

上総国一の宮・玉前(タマサキ)神社の名前の由来は、「玉浦」すなわち九十九里浜に面しているから「玉前」なのだと言われます。

九十九里浜が初めて文献に登場するのは『日本書紀』景行天皇40年10月の条です。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が「海路をとって葦浦を廻り、玉浦を横切って蝦夷の境に至った」とあり、
葦浦が現在の鴨川市吉浦、玉浦が九十九里浜とみなされています。
つまり九十九里浜の昔の名前は玉の浦だった。
               九十九里浜の名の由来は→こちら●と、こちら●

古代の海岸線は標高4mラインと考えられており、現在のすっきりした弓なりの海岸線とは異なり、非常に複雑で大きな入江や広大な湿地帯が広がっておりました。
凸凹だった海岸線を最短距離で移動すれば「玉浦を横切って」という表現になります。

湿地帯に生い茂る葦原は今でこそ荒地とみなされ、未利用地として経済的価値がないように扱われていますが、古代は違いました。
なにせ日本国の古代名、美称は、豊葦原中津国(トヨアシハラノ ナカツクニ)ですからね。
この葦原に灌漑施設を整えれば、豊葦原瑞穂国(トヨアシハラノ ミズホノクニ)になります。

夷隅川と一宮川下流域はその意味では絶好の立地条件でありました。
川沿いの氾濫原=葦原を手入れすればモミをばら撒くだけの当時の粗放稲作の最適地であり、
川の水と海が交わる汽水域はさまざまな海の生き物たちの楽園です。
そして目の前には豊かな黒潮が流れ、魚は無尽蔵にいました。

いつの頃か、金属器と稲作技術を持つ海洋漁労民が黒潮に乗ってたどり着き、定住して村落を作り、やがて広域連合として「伊自牟国 イジムノクニ」が成立します。
目の前の太平洋を「玉浦」と名付けたのは、この外来定住民族でしょう。

全国には玉之浦、玉野浦、玉浦と称する海岸がいくつかあります。
いずれも海の幸に恵まれた場所であり、外房の太平洋を見た西国からの移住者が、「ここは玉の浦だ」と直感的に思ったのは理解できます。

では、豊かな海をなぜ玉の浦というのでしょうか。

豊かな海の恵みの神様、竜宮城の主を「綿津見 ワタツミ」といいます。
「ワタ」は「海」の古代語で朝鮮語由来、「ツ」は接続詞の「の」、「ミ」は「霊、神」を意味します。
ワタツミの別名が、豊玉彦。

豊玉姫は『古事記』『日本書紀』では豊玉彦の娘とされていますが、豊玉彦・豊玉姫と並べてみれば父・娘とは思い浮かばず、夫婦だと思いますよね。
本来は、海の神(男性)=豊玉彦、海の神(女性)=豊玉姫で、固有名詞というよりも一般名詞だったと思われます。

玉の浦とは、豊玉彦・豊玉姫が住みたもう海。
「玉」とは大切な宝物=海の幸のことでしょう。
豊玉彦・豊玉姫があふれるばかりの海の幸を分け与えてくれる「宝の海」―それが玉の浦です。
でも、それだけの意味ではありません。
                               (来週金曜に続く)

 

★野良猫のタマはオスワリをする 


    視線をそらしているが、耳を傾け、警戒態勢は解除していない

何有荘の近辺には何匹かの野良猫がいます。
もともとこの土地は「地目 山林原野」だった土地ですから、野良猫にとっては自由通行の場所だったはずで、家が建った後もいろいろな猫が通り過ぎていきます。

たいていは家人に会うとびっくりし、回れ右してすっ飛んで逃げていくのですが、タマと名付けた画像の野良猫は、バッと逃げては後ろを振り返り、間合いを計っているようでした。
そのうち、ここの人は危害を加えないと思ったようで
菜園の伸び放題の雑草の影で寝ていたり、トロ箱の上で寝ているようになりました。

目が合うとニャーと挨拶するようになり、キバをむき出しにしてシャーッと威嚇する態度は減ってきました。
生ごみ堆肥を作る際に地面にこぼれた泥まみれの魚の切れ端などを探し出して食べているのを見ると、ガリガリに痩せた体ですから少々哀れになります。

それで煮干しを一匹やったのがウンのつきでしたね。
目が合うとニャーと言ったり、シャーと言ったり、窓越しにこちらを見てエサを催促しています。
それでまた煮干しを買ってきてしまいました。

ただやるのもしゃくなので、「オスワリ!」「マダ!」「ヨシ!」を仕込んでいたら、するようになったのですヨ。不思議なことに。
「オスワリ!」と言うと「ニャー!」と反抗的な返事をします。
それを2~3回繰り返すと、いやいやながらオスワリするのです。
どうやら野良のプライドが傷つくらしく、顔を横にそむけたり、視線を足もとに落としたりとシブシブの様子が見て取れます。

早くエサにありつきたく、腰を浮かせるのですが、両足を前で揃えて腰を下ろし、尻尾をぐるりと前まで回してきちんと座らなければエサはやりません。
こうして「オスワリ!」「マダ!」「ヨシ!」を仕込んできました。

相手は野良ですからどんな病原菌を持っているか、わかりません。
嵐になっても自分で寝床を探すのが野良ですから、野良の分際を守らせようと思っています。
それでも朝晩、定期的に窓際に来て、媚びた声で「ニャー」となかれると、野良にエサをやる罪悪感がだんだん薄くなり、待っているからエサを早くやんなくちゃとせっつかれる思いがします。

するとなんだか、猫が王様でわたしは食事係のような気さえしてきます。

 

★野菜くずからジャガイモが芽生えた  


   トロ箱から芽を出している

このトロ箱は生ごみが埋まっています。
そのうち堆肥になるだろうと思っていたら、ジャガイモの芽ができてしまいました。

生ごみ堆肥はいつも【生ごみ+ヌカ+腐葉土】で作っています。
発酵温度が70℃にもなり、原型を留めぬくらいに発酵分解して良い肥料になります。
ところが、ちょっとサボっていたら生ごみが溜まりすぎ、生ごみ堆肥箱のキャパをオーバーしてしまったので、別に簡易生ごみ堆肥箱をトロ箱で作りました。

トロ箱に土を入れ、生ごみをザッと放り込み、上から土をかぶせただけです。
土に埋もれているからそのうち分解するだろうと思ったのが間違いで、数か月程度では分解しないようです。
以前、畑に埋め込んだこともあるのですが、狸だかハクビシンだかにすっかり掘り起こされ荒されたことがありますから、畑に生ごみは禁物です。
トロ箱ならば上に何かをかぶせておけば“害獣”除けになります。
何有荘は夜になると真っ暗ですから、時々、狸様ご一行がお出ましになるのですよ。

そういうわけで初期発酵は終わっただろうとしてカバーを外し、何か種でもまこうと思っていたら何かの芽が出て、葉が開いてジャガイモと確定しました。
ここには台所の調理残渣を入れましたから、思い当たるのはジャガイモの皮しかありません。
生ごみのジャガイモの皮から芽が出る?

皮から芽が出て育ち、立派なジャガイモが採れたと知人が自慢していたことがあります。
そんなバカなと内心思っていましたが、本当だよと譲りません。
今回、それは本当かもしれないと思い直しました。
このまま放置して、ジャガイモが採れるか試してみることにします。
うまくいったら、ご喝采!
種イモを購入しないですみます。