★松飾りの話 


   正月を迎えるために山門に飾られた飯縄寺の松飾り

  --たまきはる命は知らず松が枝(エ)を結ぶ心は長くとぞ思ふ--  
                                万葉集巻六 1043大伴宿禰家持

――命の長さは知らない、ただこうして松の枝を結ぶわたしの心は、永遠にと願う――

冬でもけっして枯れない常緑の松、とりわけ老松は永遠を象徴し、強い生命力を宿す神々しい姿で人々の畏敬を集めてきました。
幽玄の世界を舞台にする能の背景に描かれているのはご承知の通りです。
松は永遠の命、長寿長命を祈願する植物であり、決して心変わりしない純粋な気持ち(とりわけ恋心)を象徴しました。
万葉集によく出てくる「松が枝を結ぶ」とは、二つの枝をたぶん紐で結び、二人の心が永遠に結ばれて離れないことを祈願する呪術的な行為です。
家持は緊迫する政治情勢の中で「ある人=安積親王?」と自分との絶対的な信頼関係を松に託して歌ったものですが、彼が不安に思った通り、「ある人」は病死してしまい、自身は後に逮捕され身分をはく奪されてしまいます。
古代からの名族・大伴氏は没落し藤原氏の専制政治の時代となります。
松にはそのような切実な思いが託されてきました。
そして「待つ」と同音であることから、「あなたをずっと待つ」、「あなたを永遠に忘れない」という意味を表すことになります。

墓前に松の枝を供える風習がある地域があります。死者を偲び決して忘れないという古風な習慣です。
その先祖の加護を受け、今年一年無病息災・健康に過ごし、変わらぬ一家団欒を願って新年の門松にしつらえるのでしょう。
メデタメデタの若松様ヨ~という祝い唄があり、若い夫婦の門出に歌いますが、これも変わらぬ愛情、すこやかな家族の将来を祈願し、松の持つ強い生命力にあやかれ、という意味が込められています。
そして門松に使う松は“若松”の枝を使うのが習わしです。

竹もまた常緑で冬でも枯れず、生長が早く、その旺盛な生命力は繁栄長寿、子孫繁栄のシンボルであり、めでたいものとされてきました。
地鎮祭に今でも四隅に竹を建てるのは、古来から竹や笹が神を招きよせる神聖な植物だと考えられてきたことによります。
正月はその年の神様(歳神)を迎える行事ですから、どうぞ我が家にお越しくださいの意味を込めて門松に使います。

松も竹も常緑ですから、寒さに負けぬ花“梅”をそえて松竹梅の三種類としました。三は縁起の良い数と考えられていましたから。
もっとも2013年の元旦は旧暦の11月20日です。新暦の正月にはまだ梅の花が咲いていません。これは困った。
それで千両や万両、あるいは南天(難転)という赤い実の植物でしかも縁起の良い名前の植物をそえて“花”とする場合もあります。

川崎では雄松、雌松に輪飾りという簡略式門松を飾る家が多いのですが、いすみ市ではそれさえもあまり見かけません。K’s電〇という大手の店でもまだ何も飾っていないのは驚きです。経費削減だとしてもちょっとさびしい。

何有荘では毎年その辺に繁茂している竹を切りだし、買ってきた松と輪飾りで正月を迎えます。
松飾りをするのが永年の習慣ですから、千葉県に来ても正月が近くなるとそうしています。

 
  

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★日本で一番早い初日の出 

  画像元→●

離島を除けば北海道の納沙布岬が日本の最東端になり、元旦に多くの人が訪れます。
本州の最東端は岩手県宮古市で、今年も初日の出クルーズが出る予定だそうです。
関東では千葉県銚子市の犬吠埼が最東端で初日が一番早く拝めます。

いすみ市の太東埼も捨てたもんじゃありません。
最近は日本で二番目に早い初日の出が拝める場所としてけっこう人出が見込まれ、毎年、灯台クラブの人たちによって甘酒がふるまわれます。

初日の時刻は犬吠が全国1位、太東埼が全国2位。
より東にある納沙布岬や宮古市よりも早く初日が拝めます。
なんで最東端でもない犬吠や太東が早いのか、納得できない人も多かろうと思います。
答えは簡単で、地球が23.5°傾いているために朝日の当たる時刻が経度とは一致せずにズレているからです。(画像参照)

太東埼の緯度、経度をグーグルマップで、標高はマピオンで調べてみました。
北緯35.308°東経140.413°標高63m。
このデータを初日の出計算ソフトに入力すると、6時45分30秒と出ました。
                  初日の出計算ソフト→●
同じソフトで調べてみると、犬吠埼は6時44分51秒。
                 納沙布岬6時48分24秒。
                 宮古市は6時51分33秒です。
やはり、犬吠1番、太東2番です。

ついでにもう少し調べてみました。
富士山山頂6時41分57秒。 スカイツリー展望台6時46分45秒。

実は富士山が日本で一番早いけれど寒くて高くてとても行かれません。
スカイツリーの初日の出入場券は1枚5000円で限定1000枚。すでに売り切れです。
標高が高ければそれだけ遠くが見えますから、初日の出も早いわけです。

他のサイトと比べると初日の時刻が多少ずれています。
それは緯度経度だけで調べた時刻と、標高を考慮した時刻との差です。
しかし実際問題としては1~2分の差はほとんど無意味です。
水平線上に雲があることが多く、その雲の分だけ初日は遅れます。
東京から見る初日は房総半島から上がるように見え、その分だけ初日の時刻は遅れます。

けっきょく、雲の合間からでもピカーッと朝日がさした時がその瞬間です。
その時に私たちの体に精気が満ち溢れる感じがします。すがすがしい気持ちになり、今年も精いっぱい頑張ろうと思います。
元旦は、関東地方は晴れ模様だとの予報でした。初日が見られると良いですね。

  

★白菜のオイル煮 

ご近所さんから大きな白菜を頂きました。
二人暮らしだと全部食べるのも大変です。保存のために一日天日に干しました。
こうすると水分が適度に落ち、甘さも増します。
1/4を柚子と一緒に漬物にし、1/4をオイル煮にし、残りを新聞紙に包んで保存です。
この残りはたぶんキムチになることでしょう。

白菜のオイル煮はそのままでおかずの一皿ですが、ホワイトソースに合うのでグラタンやシチューの具材になります。ラーメンの具にしても良いでしょう。
多めに作って保存しておけば便利です。

◆白菜のオイル煮
 <材 料> 白菜1/4 ニンニク1カケ 唐辛子1本 オリーブオイル大3 塩小1
 <作り方>
  1.白菜は葉と芯の部分に切り分け、芯は2cm幅の斜め切り、葉も2cmに切る。
  2.芯と葉を別のボールに入れ、塩、オリーブオイル半量ずつとよく混ぜ合わせる。
  3.包丁の背でニンニクをつぶし、唐辛子は4~5個に切り分け、
  4.白菜の芯、ニンニク、唐辛子を強火で焦げないようによく炒める。
  5.葉を入れ中火で5分、弱火で10分煮れば出来上がり。

それなりに味はついていますから、そのままお皿に盛って出せば夕食の一品です。
醤油を数滴たらせばオイル煮なのに和風ぽくなるから不思議です。醤油は偉大ですね。
柚子の汁を少々かけるのも良いかもしれません。

朝食にハムやベーコンを炒めてこの白菜のオイル煮を混ぜたり、あるいは卵を落としたりとパパッと料理を仕上げるのに便利な一品です。

 

★風邪気味ならば黒糖生姜茶 

生姜をすり下ろしてお湯で割った飲み物は昔から風邪予防、あるいは風邪を引いた時の飲み物として有名です。
〇〇さんが熱のある自分のために作ってくれた――という行為そのものが心まで温める効果もあるのでしょう。

韓国では「生姜茶・センガンチャ」といい、コーヒーも紅茶も輸入制限で庶民が口にできなかった頃は生姜茶が一番人気だったと思います。茶房(タバン・喫茶店)に行ってもインスタントコーヒーしかなかった頃の話です。
わたしが一番最初に覚えた韓国語でもあります。

◆黒糖生姜茶の作り方
  1.生姜(150g)をすり下ろす。
  2.同量(150g)の黒糖をよくつぶして粉にする。
  3.生姜と黒糖をよく混ぜ、電子レンジ600wで5分でOK。
  4.コーヒーカップにティスプーン山盛り1杯をお湯で割ってお楽しみください。
  5.残りは煮沸消毒したビンに保存してください。

バージョンアップ
  a.蜂蜜を加えて作る。50~100g程度。
  b.クコの実、松の実を炒めて加える。

生姜は汚い所のみ切り落とし、皮のまますり下ろしていますが、上品にするなら皮をむきます。
もっと上品にするならこして生姜液のみを使います。
生姜だって皮と身の間が一番栄養分が濃い所ですから、何有荘ではみてくれよりも実質が優先。

軽く火が通っている程度で、煮詰めてはいませんから冷蔵庫保管でも一週間程度が賞味期限でしょう。
簡単だからまた作れば良いのです。
面倒だったら、すり下ろし生姜に砂糖か蜂蜜を加えるだけなら超簡単です。
昔の「生姜湯」とはそんなものでした。

熱湯を注いで飲むと体がポカポカしてくるのを実感します。
荒れたのどにも効果があります。

 

★柚子の丸ごと化粧水 


   柚子を丸ごと使うので手間いらず

柚子の種と焼酎で作る「ゆずローション」は、柚子の廃品利用のレベルを超えた逸品です。
今回は廃品利用ではなく、最初から「ユズローション」が目的ですから、柚子を丸ごと使います。
枝に残っている小さな柚子の方が使いやすい。

  1.柚子は洗わず、汚れやゴミを乾いた布でふき取る。
  2.柚子の腹に包丁を軽く入れて1~2回転する。
  3.適当な容器に詰め、35°の焼酎をひたひたに入れて1週間で出来上がり。

1~2年は持ちます。問題ありません。3年目だという人もいるそうです。
中身を引き上げる時期は?
ほっといてもいいし、液が濁るから引き上げて濾すのもお好みです。
グリセリンを最初に1割程度混ぜても混ぜなくともお好みです。
入れなければ「飲料」としても利用でき、入れればしっとりローションになります。

そもそも何のために「ユズローション」を作るのですか?
風呂上りに体中に塗りたくるのに使っています。
特にカサカサの部分やかゆい所によく効きます。
切り傷、擦り傷、吹き出物、虫刺され、なんでも試してみる価値はあります。
もちろんローションですから化粧水として使うのが普通です。

原液をストレートに使うのですか?
ストレートで使っています。
でもアルコール不適応の人は10~100倍ぐらいに薄めて使った方がいいのでしょう。

焼酎臭くないのですか?
とんでもない。柚子の良い香りが素敵なローションです。
1年もたてば香りが減りますが、効果は変わりません。

柚子の表面が部分的に黒ずんでいたり汚い感じがするのですが?
何の問題もありません。基本的には柚子の中身と焼酎のコラボで、表皮は主に香りを際立たせるために利用しています。
柚子って本当に日本が誇る優れものです。

 

★オオバンはさほど大きくない 


  実物は全身真っ黒に見え、白いクチバシはあまり目立たない

図鑑の上だけで知っていた野鳥に実際に会えるととてもうれしいものです。
画像のオオバンもその一つで、“ブラックスーツにホワイトタイ”というシックな姿の水鳥です。

大正堰で撮影しましたが、冬になるとあちこちの堰で泳いでいるのを見かけます。
雑食性で岸辺に上がって小虫を探して食べていることもあり、散歩をしていると茂みから突然逃げ出すので、こちらが驚きます。
水鳥にしては水かきが発達していないので泳ぐのに苦労するらしく、急いでいる時は水中の脚の動きに合わせて首を前後にヒョコヒョコ動かすのが愛らしく、見分け方のポイントになります。

オオバンという名前の由来は「大きなバン」という意味。基準になった「バン」という鳥がひどく小型なので、オオバンといってもカルガモと同じか、やや小さいくらいの野鳥です。

小型の野鳥であるバンは“田んぼをウロチョロしているその姿が田んぼの番をしているように見えるのでバンという名になった”という説がネット上に流れていますが、ちょっと怪しい。
漢字で鷭。バンは音読みだから、音読みがそのまま和名に採用されたと考えるべきでしょう。
古い和名はクイナ。クイナを漢字で書けば水鶏。地上での歩き方がニワトリに似ているので、こちらの方が納得できます。

沖縄のヤンバルクイナ(山原水鶏・国指定特別天然記念物)とは親戚筋にあたり、オオバンは千葉県では要保護種に指定されています。
しかしいすみ市では普通の冬の渡り鳥です。
それだけ自然が豊かな地域であることをオオバンが証明しています。

◆コハクチョウ追伸
12月13日(木)に大正堰に飛来して以来ずっと5羽で仲良く、大正堰に居ついています。
2回ほどそれぞれ数時間外出しましたが、それ以外24時間どこにも行かないのは不思議です。
水深が30cm位しかないのでエサに不自由しないのかもしれません。

★太東・大原沖の海底地図を読む 


 A:太東岬   B:大原の八幡岬

この近辺の海底は複雑だとは聞いていましたが想像以上です。
海の中に山あり谷あり、海底地図を見て驚きました。

太東岬はかつて8kmほど沖合にまで伸びており、そこに沖原村があったが元禄地震で壊滅し、生き残った人々が内陸の荻原村に移った――と伝えられています。
この伝承は検討するといくつもの疑問点が出てきますが、「かつて太東岬ははるか沖合にまで伸びていた」という事実は海底地図から確認することができます。

海底地図から推計すると8kmどころか30~40kmも伸びていたことが判ります。
太平洋の荒波と黒潮の圧力によって古太東岬は崩され、さらに大がかりな地盤沈下があったことになります。
氷河時代は海水面が低下していましたから、30~40km先まで陸地だったのはたぶん、その時代の話でしょう。当時の海岸線は水深45~50mに沈んでいます。

やがて氷河時代が終わり、1万年前、「縄文海進」の時代には海の水が増えて現在のいすみ市の平野部はすべて海水に満たされた湾であったと推定されます。
この湾が川が運ぶ土砂で埋まり、しだいに現在の平野になりました。
太東岬の崩壊は現在も続いており、旧太東灯台はすでに海の中。現在の展望地もひびが入り一部立ち入り禁止となっています。

この展望地から太平洋を見渡すと、海の底には古代の陸地だった岩礁がずっと先の方まで続いているのだと海底地図は教えてくれます。

大原の八幡岬も同様です。
子どものころ遊んだ八幡岬は今はずいぶん海に削られて小さくなってしまった、とはそこに住む漁師さんの話です。
八幡岬沖数十kmまで岩礁地帯が続いているのは、はるか昔にはそこが陸地であり、崩壊して今は「根」が残っているだけだということが判ります。

太東沖、八幡沖の「根」は海の底にあります。
その「根」周辺は今は海藻のカジメ林となり、イセエビ、アワビ、タコなどが多数棲みつき、絶好の漁場となっています。
明治になって素潜りではなく、空気を器械でおくりこむ潜水夫によって収穫が行われるようになるとここの「根」は「器械根」と呼ばれるようになり今日に至ります。

太東沖の「根」と八幡沖の「根」との間には、海底地図をよく見ると単調で等間隔な等高線が並んでいることに気づきます。現在の和泉浦・日在浦がそのまま沖合まで続いているようにも見えます。

なぜここだけ「根」がなく、単調な海底なのか?
その理由は太東岬脇を通る夷隅川、八幡岬脇を通る塩田川が古代は一本の川(古夷隅川)となって太平洋に注いでいたと仮定すると了解できます。
古夷隅川が山を浸食し、北側が古太東岬、南側が古八幡岬になっていたと想定するわけです。
単調な海底は古夷隅川の河川敷だった場所に土砂が堆積したのです。

現在では古太東岬も古八幡岬も崩壊して海底に沈み、その「根」だけが海中にあります。
そういう壮大なドラマを1枚の海底地図から読み取ることができます。

そしてこの先、将来を想像すれば
太東岬も八幡岬も崩壊を続けてやがて海の底になることでしょう。
3・11以後、GPSによる調査で日本列島の地殻変動の調査がまとまりました。
大原で5cmの沈下、九十九里浜で11cmの沈下となっております。

せめて私たちが生きている間だけでも地球におとなしくしていてもらいたい。
ところが江戸時代は数十年間隔で津波が押し寄せていますから、心して生きて行く覚悟と備えが必要のようです。
            海底地図は「夷隅郡市自然を守る会」からお借りしました。

 

★10年目の合併浄化槽の清掃 


    大きなバキュームカーが来た

02年に竣工した何有荘の合併浄化槽は一度も清掃したことがありませんでした。
年に1回は清掃が義務付けられているそうですが、年4回の清掃点検業者からも、年に1度の法定検査の後でも「そろそろ清掃した方が良い」という指摘はありませんでした。

正確には半年前に「そろそろ」と言われたのですがEM菌を投入したら、次の検査の時は何も言われませんでした。
EM菌の効果があったのだと思いましたが、つい最近の検査ではまた「だいぶ汚泥が溜まっているようだからそろそろ」と言われてしまいました。
近所の方に聞いてみると、毎年「全量引き抜き清掃」をしている人がいました。2年に1度という方もいました。
しょうがない。何有荘でも10年目にして「全量引き抜き清掃」を決断しました。

夷隅環境衛生組合に電話すると数日後に業者が来て、半日がかりで清掃して36400円。
若くてとても感じの良い業者さんでした。
第1汚水槽に汚泥が蓄積し、第2汚水槽へ汚水を送る濾過網がだいぶ目詰まりしていました。
最近、トイレの排水が元気ないと思っていたのはそのせいだったようです。
第3、第4水槽は正常でほぼ問題ありませんが、規定通りここも全量引き抜き清掃です。

清掃後の水の流れは快調ですから清掃して良かったと思います。
10年間も全量引き抜き清掃をしないでこられたのは、合併浄化槽が普通よりも大きく高性能タイプであったことと、EM菌の効果だと思っています。

EM菌の使い方は「継続的に使う」が原則です。
しかし、高性能タイプにあぐらをかき「時々しか使わなかった」ので清掃時期が早まったと思います。
きちんと継続的に適切な量のEM溶液を投入し続ければ汚泥の溜まりや目詰まりをさらに遅らせることができただろうと思いますがどうなんでしょうか。

EM菌なんて効果がない、EM菌は宗教だ、比嘉教授はもはや学者ではなくビジネスマンだという批判は承知しています。
だからこそ自分で実験を続けています。ただし結果報告が出るのはだいぶ先になるでしょう。

浄化槽に負担をかけない“エコ生活”も長期間清掃無しで暮らせた大きな理由です。

1.浄化槽にできるだけ台所からゴミや汚水を流さない。
  *シンクの排水口にネットを張り、細かいゴミを逃さない。
  *油汚れはウエスでふき取ってから洗う。
  *こびりついた汚れはスクレーパーで落としてから洗う。
  *煮汁やラーメンの残りスープは外のバケツに入れ、薄めて庭にまく。
  *米の最初のとぎ汁は発酵液肥にする。流さない。

2.洗剤は使わず、使う場合はできるだけ“石鹸”とし、化学洗剤をひかえる。
  *エコたわしを使う。
  *麺類のゆで汁は捨てず、食器洗いに使う。
  *洗剤は小ボールで溶液を作り、その溶液をスポンジにつけて洗う。
   (スポンジに洗剤を直接ピュッピューして洗うなどもってのほか)
  *食器などの漂白剤は外に捨てる――除草剤がわり。
  *カビとりキラーやトイレ洗剤など強力な化学洗剤は使わない。(こまめな清掃)

要は浄化槽に負担をかけず、浄化槽のバクテリアたちにご機嫌に暮らしてもらうことです。
都市部の下水生活は何でも流して気にしませんが、下水処理場に過大な負担をかけています。
一人ひとりが心がければ、処理場のランニングコストは激減するでしょう。

  

★アルミ空き缶集めています 

『夷隅地区に重心施設をつくる会』がアルミ缶を集めています。
「重心」とは「重症心身障碍児者」の略語らしい。
以下「つくる会」のビラからの引用です。
――“夷隅地区に住む重症心身障碍児者は、今まで夷隅地区には通える施設もなく卒業後や学校の休みの時は、自宅や長生、市原地区の通園施設に通ったりしています。”――
それで表記の団体を立ち上げ、その活動の一端としてアルミ缶を集めているそうです。

川崎だと毎週“資源ごみの日”があり、この日になるとホームレスの人が集積所からわれ先にアルミ缶を回収していきます。その日の生活費になるのでしょう。
ところがこれは厳密にいうと「窃盗罪」に相当します。
ゴミ置場の管理者の占有下にある物を窃盗した事になり、 持っていった人は窃盗罪、指示した人は窃盗教唆で共同正犯。 10年以下の懲役又は50万円以下の罰金になるというから驚きです。
それで警察に取り締まれと苦情を言う人もいるそうですからさらに驚きます。

日本国憲法第27条・28条では“国民の働く権利”がうたわれているのに、実際には働く場所もなく住居さえないホームレスを空き缶窃盗罪で犯罪者に仕立て上げるのは本末転倒でしょう。
いすみ市ではホームレスを見かけませんし、大手スーパーがアルミ缶の回収を行っているのであまり問題は起きていないようです。

わたしが里山の仲間にアルミ缶があったらセンターに持ってきてヨと呼びかけたら画像のように結構集まりました。(1か月分です)
このアルミ缶は岬町長者商店街の「長者ブック」さんに持ち込むと、あちこちから集めたアルミ缶と一緒に業者に渡して現金になるようです。
6月7日~9月7日の会計では1,050kg、52,500円になったそうです。
施設を建設するには先の長い話ですが、空き缶が少しは役に立つならうれしい話です。

仲間の中にはわざわざプルトップ(リップ)をはずして持ってきてくれた人もいました。
今はステイオン方式ですから、わざわざはずす手間は不要です。
アルミ缶ならばビール缶にこだわらないとは係りの人の話でした。

川崎といすみ市では人口も人口密度も違いますが、プロ(?)のホームレスは空き缶で一か月に10~20万の収入があるというウワサを聞いたことがあります。
ならばいすみ市岬町でももう少しアルミ空き缶が集まるのではないでしょうか。
           「会」のHPはないようです。詳細は「長者ブック」にお問い合わせください。
 
 

★冬の日差し 


  庭の万両。寒さに負けない元気な姿が昔から人々に愛されている。

寒くてどんよりと曇った日は何となく元気が出ません。
免疫学の安保徹先生によれば、そのような日は副交感神経が優位となり、顆粒球が減るため当然の体調なのだそうです。
今日は家に誰もいませんから大きな音量でCDをかけていると少しは元気が出てきます。
チャイコフスキーの“悲愴”よりもベートーベンの“第九”の方が良いでしょう。
心が年末モードに切り替わり「仕事をしなくちゃ」とせかされます。
「こんな世の中だって希望の灯は消えていない」という気になってきます。
昔々、川崎市民合唱団の一員としてドイツ語で歌ったことを思い出します。
もっともその時の経験から音楽的才能がないと深く思い知ったのですが…。

さて今週の金曜、21日が「冬至」で一番夜が長い日になります。
ところがこの日、日の出の時刻が一番遅いわけではありません。
一番遅いのは東京の場合、2013年1月2日~11日が6:51で、本日は6:45。
正月までにさらに6分ほど日の出時刻は遅くなります。
一方、日の入りが一番早いのが11月30日~12月11日の16:28。
今日の日没は16:31ですからすでに3分ほど日差しは伸びており、どん底はクリアしたことになります。

つまり「冬至」とは日の出が一番遅くはなく、日没が一番早いわけでもありません。
日の出入り時刻は関係ないというと言いすぎですが、「夜が一番長い日」なのです。
「日没時刻-日昇時刻=昼間の時間」で計算すればはっきりわかることで、その周辺の日を調べてみると確かに冬至の日が「昼の時間が一番短い=夜の時間が一番長い」のです。

これは地軸が23.5°傾いていることと公転軌道がわずかに楕円であることに起因します。
でもそんな細かい理由は学者に任せておけば良いだけの話です。
わたしたちはもうすぐ冬至だと思うと、カボチャやユズを用意しなくちゃ、と思います。
冬至を過ぎれば昼の時間は確実に長くなります。
これはとてもうれしいことです。

クリスマスの晩にイエスが生まれただなんて嘘っぱちで、聖書のどこを読んでもそのような話は書いてありません。
それどころか法王庁は何度もクリスマスを異教の祭りとして禁止令を出してきました。
ゲルマン人の冬至の祭りをイエス生誕の祭りだと看板を架け変えて妥協し、今日に至ります。
寒くて長い冬の支配が終わり、暖かい春が始まるきっかけとなる日、それが「冬至」です。
夜の長さと寒さの日々はまだ続くけれど、その支配は崩れ始めた。
それは古代ゲルマン人だけではなく、北半球に住む人々にとって、とてもよろこばしい希望の日として祝うに値する日です。
もちろん何有荘でも祝います。