★サツマイモの花が咲きました 

 
  丸みを帯びた五角形でアサガオに似ています

サツマイモの花が咲きました。
南方系の作物ですから今まで花を見たことはありません。
だから最初、どうしてサツマイモ畑の真ん中で何の花が咲いているのだろうと思ったほどです。
花の茎をたどったらやはりサツマイモの茎だったので驚き、さっそく画像に撮りました。

ごらんのようにアサガオに似た花です。
うかつなことに、花が咲くとしたらジャガイモと同じような黄色か紫の花を想像していましたが、考えてみればサツマイモはヒルガオの仲間だからアサガオに似た花が咲いて当然です。

花の付き方は琉球朝顔(ヘブンリーブルーなど)と同じく、一本の茎から先端に4~5個のツボミがまとまってつきますが、一度には咲かないで順繰りのようです。
朝が元気ですが昼過ぎでも咲いている場合があります。

調べてみると短日性の花で、1日の昼間の時間が11時間以下になると咲くそうです。
こちらでは昼間の時間が11時間を切って10時間59分になったのが10月25日ですから、だいたい理論通りに咲いたことになります。
花が咲くとしたら夏の暑い時期、という印象がありますが、寒暖の差よりも日照時間の差が決定要因なのですね。
琉球朝顔だってまだまだ元気に咲いていますから、今頃サツマイモが咲いてもおかしくないといえばその通りですが、やっぱりヘンですよね。なんで咲いたんだろうと不思議に思います。

花が咲けば種ができる。
だから花を咲かせて交配し、品種改良を行って最近できたサツマイモが安納芋。
ところが千葉県じゃあ気温低下の時期ですから寒くて種ができないらしい。
種ができねば栄養が盗られることもないから花を摘む必要もないらしい。

でもせっかく咲いたのですから摘まずに放置し、本当に千葉県では種ができないか見守ってみるつもりです。
摘んだらカワイソウですしね。
 
 

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★キンモクセイ、その使い方 

 

キンモクセイの香りが漂っています。
前線の影響でだいぶ落ちてしまいましたが、まだパラパラと花が落ちてきます。
パラソルを用意して逆さにし、ユサユサ揺するとたくさんの花を一度に採れます。
なかなか野生のキンモクセイが見つからないので、公園かお寺で少々失敬することになり、できればひと言、管理者に声をかけておくと気が楽です。

キンモクセイの使い方・簡単利用法
(1)入浴剤
  花を摘んで ティーバッグなどに入れてお風呂に浮かべればキンモクセイ風呂。
  キンモクセイの香りで精神安定やリラックス効果抜群。
  精神安定や疲労回復に役に立つ。
  合成香料のキンモクセイ入浴剤など二度と使いたくなくなります。

(2)紅茶にキンモクセイの花を少々ブレンドすると「桂花茶」となる。
   いつもの紅茶がハイグレードになって心まで豊かになります。
   せめて心だけでも豊かに暮らしたいものです。

(3)白ワインにキンモクセイの花を3年間 漬け込んだお酒が中国の「桂茶陳酒」
  3年間も待てませんよネ。
  35度の焼酎に1週間漬け込めば「キンモクセイ酒」です。
  昔、仙人が飲んでいたお酒だといえばみんな信じることでしょう。

ところでキンモクセイを漢字で書ける人はめったにいません。
ワープロなら一発で「金木犀」。
橙色の花を「金」と表現しても違和感がありませんが「犀」は動物園にいるサイですから、
「金色の花が咲く樹木のサイ」となり意味不明。

樹皮がサイの肌に似ているから「木犀」と書き、「犀」をサイと読むのは呉音。漢音ではセイと読むのでモクセイ。苦しい命名ですね。
サイの肌の肌触りなど命名者は知っていたのでしょうか。一般人は誰も知らなかったことでしょう。
室町時代に中国から来た樹木だそうだから、仏教がらみで輸入されたのでしょう。だからお寺に多い。

役に立たない知識をついでにもう少し。

*キンモクセイを現代中国語に直せば「丹桂」あるいは単に「桂」。
  桂をカツラと考えるのは日本側の誤解。
  日本では誰かが知ったかをして「これが桂だ」とでも言ったのを皆が信じたのでしょう。

*中国の山水画のような景勝地・桂林はキンモクセイが林立する町だから。

*中国神話では月には不老長寿の女神・嫦娥(ジョウガ)が住む。
  そこに召使のウサギがいて不老長寿の薬を杵でついている。
  その脇に生えている香り高き不老長寿の桂(キンモクセイ)が「月桂樹」。
  だからローレルを月桂樹と訳したのは文化を無視した誤訳に等しい。

 

★スズムシの越冬準備作業 

 

オスの方がメスより早死になのは人間と同じなのでしょうか。
必死にメロディーを奏でていたオスは使命を果たすとメスの栄養源として食べられ、寡婦となったメスはずっと長生きして先週(10/23)に昇天しました。
来年のために土の中の卵を越冬させる作業をしました。

 1.死骸やフン、ゴミを取り除きケース内をきれいにする。
 2.霧吹きボトル1杯分ぐらい、土にまんべんなく吹きかけて湿らせる。
 3.洗って湿らせた木炭を置く。
 4.ケースにビニール袋をかぶせてふたをし、ケースの湿度を保つ。
   誕生まで約7か月。ケース内が乾燥化するのが孵化失敗の原因です。
 5.暖房の効かない暗くて涼しい場所で保管する。
   玄関、押し入れ、縁の下、床下、物置など
 6.翌年、桜が咲く頃、ケースを目の届くところに出し、
   週に1回ぐらい霧吹きで湿らせる。
 7.5月中旬過ぎになったら孵化していなくともエサを入れておくのが無難。
    うっかりすると孵化を見逃してしまい、飢え死にさせてしまう。
    もっとも1~2日間なら自分の抜け殻を食べて生き延びている。
    何有荘では毎年6月4日前後に孵化するので、5月下旬からは臨戦態勢です。

スズムシの餌となるナスやキュウリは無農薬・無化学肥料で育ててきました。
これは切って与えると数日間放置したままでも腐りません。しなびますが。
スーパーのはダメですね。すぐ腐ります。スズムシに気の毒なので毎日取り換えねばなりません。
これから7か月間は越冬ですから、餌やり作業はなくなります。楽になりますが一抹の寂しさがあります。

 
 

★川回しの風景(3)宝衛橋 


    
    左=養老渓谷の ②宝衛橋から①渓谷橋方面を望む
    右=地形図。①②間の黄色で示した部分が人工的に開削した新流路

小湊鉄道・養老渓谷駅から南西方面に500m歩くと最初の景勝地、宝衛橋(地形図②)になります。西にはもう一本の橋、青い塗料で塗られた渓谷橋(同①)が見えます。
ずいぶん高いところある橋だなァが第一印象で、ここが大規模な川回しの跡地です。

川回しとは川の流路を人工的に付け替える工事のことで、蛇行した流路の隘部(アイブ)を切り開いて流路を最短距離で直結させ、蛇行した旧河川の川床を干上がらせて農地などに転用します。江戸時代末に房総半島中山間地で盛んに実行されました。

地形図を見れば一目瞭然ですが、南から北へ流れていた養老川は宝衛橋でほぼ180度方向を南に変え、ぐるっと回り込んで再び北上し、まるで巾着袋のような流路であったことがわかります。
養老川が方向転換せざるをえなかったのは、ここに巨大な壁(尾根筋)があったからです。

人々はこの断崖絶壁の巨大な壁にノミ、タガネなどを使って穴を掘り始めました。
江戸末期だとツルハシはまだこの地方には普及していなかったろうと思います。
内房の鋸山は相当古くからの石切り場ですから、そこの道具や技術を導入したにせよ
もちろん重機などありませんから想像を絶する難工事であったことでしょう。
村中総出で、優秀な測量技師もいたはずですし、莫大な資金も費やされたはずです。
そしてついにトンネルを開通させ、(画像黄色部分)養老川を直進させることに成功しました。竣工当時はトンネルだったのです。

借入れ資金の返済は旧河道を田畑にした収穫で補われたと想像されます。返済が終われば収穫物は村の収入となったことでしょう。
耕地の少ない中山間地の人々の願い、耕地さえあればより豊かな生活ができるという願いを実現させたのでした。

このトンネルが何と名付けられていたのか地元の人でも今では覚えていないようです。
確かに子どもの頃まで(戦後まで)トンネルがあったといいます。
しかし、とうとう風化に耐えられずに崩壊し、画像のように鋭いV字谷になりました。
トンネルの崩壊という同じ運命をたどった弘文洞が今でも観光名所になっているのに、温泉街とは少し離れているためか看板の一つもありません。

トンネルが開通した旧尾根筋断崖上には昔から道が通っていました。
崖崩れで通れなくなったために、青い塗料で塗られた「渓谷橋」が架けられました。
赤い橋の「宝衛橋」と今ではツーショット。それが今の「売り」のようです。

画像の撮影ポイント、赤い塗料の「宝衛橋」から左右を見てみると、かつて養老川がここで大きく蛇行していた痕跡が明瞭に見て取れます。
おそらく関東大震災で地盤隆起が起きたのでしょう。小規模の河岸段丘となっており、その段丘部分がかつての河川敷であったと推定します。
今はその1mほど下を養老川が静かに流れています。

つまり、ここは人間の大自然に対する果敢な挑戦と、それをあざ笑うかのような大自然の猛威を一度に見ることができる貴重な場所です。
ただ景色を眺めて「いい景色だね」で終わってしまうのは惜しい話だと思います。

                                 川回しの風景(1)
                                 川回しの風景(2)

★珍鳥発見 ぬか喜び 

 
    ハクセキレイの幼鳥のようです

水を抜かれた大正堰はほんの水たまり状態で、毎日セキレイが飛んできています。
そこで発見したこのセキレイは全体的に灰色っぽく、画像でははっきりしませんが顔が薄黄色ですから日ごろ見慣れたハクセキレイでもセグロセキレイでもありません。
もちろんキセキレイでもありません。

さては珍しいセキレイが迷い込んだか、と少し期待に胸ふくらませましたが、結局、ハクセキレイの幼鳥という結論になりました。
ネットの画像情報って本当に便利です。図鑑はページ数の関係で載っていなくとも、ネットには紙数制限がないのでいろいろアップされています。
ハクセキレイのメスの冬羽の可能性も捨てきれませんが、まず幼鳥だと思います。

名前を覚えると一つひとつ親近感が湧いてきます。そして次に出会った時に名前がすぐ出てくるとうれしいですね。友だちになったような気がします。

 
   これは「ホソバアキノノゲシ」細葉秋の野罌粟

いすみ市ではどこにでも咲いており、まるで紙細工のような花が特徴です。
どうも外来種のような風貌であまり好きではなかったのですが、稲と同じくらい古くから日本に住みついている菊の仲間ですから、野菊と言っても間違いとはいえません。
ケシという名前がついているのにケシに似ておらず、ケシの仲間でもないという本人も周囲も迷惑千万な名前を付けた人はどこの誰なのでしょうか。
朝早くはまだ咲かず、夕方早く閉じ、雨の日も咲かないという神経質というか自分勝手というか面倒な花です。

 
   これもネットで名前を知った「シロバナイヌタデ」白花犬蓼

“赤まんま“の本当の名前がイヌタデ(犬蓼)ということを知ったのはいつのことでしょうか。
タデの仲間は実にたくさんの種類があるそうです。
散歩の途中で発見したこの草も、まるで白花の赤まんまだなぁと思って画像に撮り、“白花 赤まんま”で検索をかけたら一発でした。
そうしたら、ままごと遊びではこれは「白まんま」なんでしょうかね。

こういう花は自動車に乗っていると絶対に見つけられません。
両手を大きく振り、前をまっすぐ見て大またでスタスタ歩くウォーキングの人も難しいかもしれません。
ブラブラ、キョロキョロ、不審者のごとく散歩している人だけが足もとにひっそりと咲く花に出会えます。

 

★超簡単、石焼き芋は電子レンジで 

 

「所さんの目がテン」だったかNHKの「ためしてガッテン」だったか、以前、電子レンジで作る「焼き芋」が放映されていました。
10数分で「焼き芋」ができるのはやはり便利です。

◆電子レンジで焼き芋の作り方(1本300g)
 1.皮も食べちゃいますからよく洗います。
 2.余分な水分を拭き取ってから新聞紙1枚で軽く包みます。
 3.電子レンジ「強」で1分半。
 4.電子レンジ「解凍」で10分。
 5.上下を返し、仕上げに「強」で1分。できあがり。

たき火で焼き芋を作る場合、濡れた新聞紙1枚で包み、さらにアルミフォイルで包み、おき火の下で45分程度で出来上がります。
ダッチオーブンの場合も30~45分程度でしょう。
どちらもじっくり加熱で45分かかります。

おいしい焼き芋は屋台の石焼き芋。
薪をくべながら石を熱し、その伝導熱と遠赤外線とで、これも45分程度で出来上がります。
ずっと石の中に置いておいても、甘さが増えたり減ったりはしません。
芋自身の余分な水分が飛んでいるのもうまさの秘訣です。
これで「ホッカホカの石焼き芋だヨ~」になります。

加熱すると芋が甘くなるのは、ベーターアミラーゼという酵素がデンプン質を麦芽糖に変えるから。
この酵素が活発に働くのがおよそ65℃から75℃の温度帯だそうで、約10分間あればデンプン質を麦芽糖、つまり甘さにすべて変えてしまいます。
超簡単方式の場合、最初の短時間の「強」で芋の基礎温度を65℃に一挙に上げ、「解凍」10分でじっくり加熱するというわけです。

電子レンジ「強」だけで加熱し続けた場合、芋が65~75℃に留まる時間は急激な加熱により50数秒で通り過ぎ、甘くならないうちに焼き芋ができてしまいます。
新聞紙で包むのは適度な水分を保つため。裸だとバサバサになってしまう。
ラップで包むと焼き芋ではなく「蒸かし芋」になってしまいます。

寒冷前線の影響で急に寒くなりました。ストーブを出した家も多いことでしょう。
ストーブがあれば、その上で厚手の鉄鍋や土鍋を使ってじっくり焼き芋を作るには良い季節になりました。

サツマイモは先日収穫したもの。保存しておいた芋が芽を出してしまい、5月に植えておいたら勝手に芋ができました。太陽様と地面様は本当にえらい。

 

★いすみの秋は白く輝く 

 
  逆光に輝くススキは美しい

箱根の仙石原のススキが見事で、多くの観光客が訪れたと報道されていました。
いすみ市のススキは仙石原ほどの広大な原野がないのでまったく有名ではありません。
しかし、いすみ市だって耕作放棄地のあちらこちらにススキがたなびき、散歩の途中、朝日に輝く穂はとりわけ美しいものです。
ススキとともに湿地に生えるオギも多く、白銀に輝くのはむしろオギの穂の方です。

ススキとオギの穂を見分けるのは慣れないと難しいが、乾いた土地にはススキ、湿地にはオギが育ちます。
荻窪はかつて低湿地であったことが地名でわかります。(だから地震に弱い)
荻原さんはご先祖が低湿地のご出身なのでしょう。

ススキの若い穂(尾花)は白銀ではなく、清少納言は「蘇芳(スオウ)色」と述べています。
蘇芳色とは「黒みを帯びた紅色」とWikiにありますが正しくはこんな色です。→●

『枕草子』64段から引用
“秋の野の おしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂先の蘇芳(すはう)に、いと濃きが、朝霧に濡れてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。”
秋の野に一面に広がる素晴らしさはススキが一番である。穂先が蘇芳色よりも更に濃い色が朝霧に濡れてなびいている姿は、他に比べるものがない。――

つまり清少納言は白銀に輝くススキの穂は全く評価していない。蘇芳色の若いススキの原野を素晴らしいと主張しているのです。
「ススキが蘇芳色だって?」と疑問に思いますが、確かに若いススキの穂は光加減で蘇芳色に輝きます。
わたしなんぞ、「ススキは薄茶色」と思い込んでいましたが、彼女の繊細で微妙な色彩感覚には驚くばかりです。

薄茶色か蘇芳色か、はたまた白銀色か。どの色でも好きな色でいいと思います。
ススキかオギか、区別できなくたっていいと思います。
それよりも一見すると荒野にしか見えない原野を「美しい」と思える感性が重要です。
わたしたちは千年以上にわたってそのような感性を引き継いできました。

自然を守れ、干潟を守れという運動は子孫に貴重な自然環境を残す意味だけではなく、拝金主義によって失われつつある日本的な感性を守り育てる運動でもあるのです。

 

★明日は重陽の節句 

 
   菊の花を浮かべて菊酒 

明日10月23日は旧暦の9月9日。
奇数はおめでたい数(陽数)だという信仰が中国文化圏にあり、奇数のうちで最大で、かつ、ぞろ目となる9月9日は陽が重なるおめでたい日、重陽の節句と言います。
別名が“菊の節句”
このような昔からの行事は新暦で行うのは無理ですね。今年の新暦9月9日は気温が30℃を越えて暑かった。
もちろん菊が咲いているはずがありません。

重陽の節句に飲む酒が 「菊酒」で、本格的な菊酒は手に入りませんから、お酒に菊の花を浮かべて菊酒としましょう。あるいは盃に菊の花をのせて酒を注ぎます。
菊は邪気を祓い、不老長寿の妙薬とされてきました。
中国には菊の葉に滴る露を飲み700年もの間生き続けている仙人の伝説があります。
菊の節句は中国文明に親しんだ朝廷行事から始まり、江戸時代には庶民にまで広がりました。
花札は紛れもなく庶民文化で、その9月は「菊と杯」ですから庶民も菊酒を飲んだり、「菊見で一杯」としゃれ込んだことが判ります。

画像の清酒の銘柄は「菊水」といい、不老長寿の銘酒という意味でしょうね。
不老長寿は今日的な言い方をすれば、アンチエイジングですから宮中の女性は信じ込んでいたようで、重陽の日の前日の夕方に菊の花を真綿で包み、一夜外気にさらし、翌朝、その菊の香と露の移った綿で肌を拭って永遠のうるおいを願ったそうです。
これを「着せ綿」といいます。
現代のCM風に言えば、 「お肌つるりんこのクリサンチマムローション」 ですね。
きっと実効性があったのでしょう。そう思わないとお化粧なんかできません。

さて、陰陽でいうと男は「陽」ですから、重陽の節句とは「男と男の節句」という意味になります。性的マイノリティーの話ではなく、男と男の友情物語が 「菊花の契り」 という江戸時代の作家・上田秋成の『雨月物語』の一章。
菊の節句には必ず戻るという約束を果たすために自害して魂魄だけが戻ってくるという怪奇物語です。
この物語に着想を得たのが太宰治の『走れメロス』
中学生の頃に読むと泣ける物語ですね。

昔の人はさまざまな思いを菊の花に重ねてきました。
今晩はちょうど上弦の月。
盃を傾け、お月様を見ながら物思いにふけってみるのも一興です。
奇しくもここ数日、オリオン座流星群の夜ですから流れ星も見られることでしょう。

  

★川回しの風景(2)、崩落した隧道 

  
   
 左=養老渓谷・弘文洞跡。クリックで拡大します
  右=★印・撮影場所、  〇印・弘文洞跡、 赤帯・推定旧川床

画像左隅、下の方に人物が米粒のように写っていますから、隧道の大きさが判ります。
江戸時代末期に掘られた隧道ですが、昭和54年(1979)に崩落しました。
崩落前の画像→●(Panoramio)

ここは養老渓谷の断崖の向こう側を流れていた夕木川を無理やり養老川に合流させるために掘られた隧道の崩落地です。
夕木川を養老川に合流させれば、夕木川の下流域の河床を水田として利用できると考えた村人によって掘られた隧道でした。

川の流れの付け替え工事を房総では「川回し」といい、千葉県の中山間地に多くある新田開発法です。
断崖にトンネルを掘り進めて川の流れを変えてしまおうというのは随分大胆な発想ですね。
重機がない時代にノミとタガネ、クワなどで掘り進んだのでしょう。新田開発の情熱がこの難工事を支えたはずです。
人間の力もなかなか偉大だと感嘆する景色でした。

江戸時代はさほど大きな隧道ではなく、せいぜい人の背の高さ程度の大きさだったと思われますが、天井部分が少しずつ崩落したのでしょう。次第に大きな隧道となり、養老渓谷の温泉が東京の奥座敷として人気が高まるにつれ「弘文洞」と名付けられ観光名所になりました。

わたしも学生だった頃に訪れ、付近でキャンプした思い出があります。
その時はこの「弘文洞」という名前に何の疑問も感じなかったのですが、千葉県民になって改めて調べてみると、弘文天皇にちなんだ名だということで驚きました。

弘文天皇とは天智の息子(大友皇子)で、壬申の乱(672年)により天武によって攻め滅ぼされました。
その弘文天皇は実は戦死せずに房総に落ち延びたという伝説が地元の市川市に多数あります。
義経伝説と同じように「死なせたくなかった」という民衆の思いが生み出した伝説でしょう。

それはともかくとして、弘文洞が崩落してから30年以上たち、崩落時はそれなりに大きく報道されたのに、国土地理院の地形図では相変わらずトンネル状に記載され続け、最近になってようやく訂正されました。
国土地理院の古い地形図を下書きにしているヤフーやグーグル地図、マップルやゼンリンの地図はいまだにトンネルの中を夕木川が流れて養老川に合流しているように描かれているのが情けない。

写真画像や衛星画像では当然ながらちゃんと切通しに写っています。
新しい道ができたり、廃道になったり。意外と地図はあてにならないものです。

               川回しの風景(1)→●
 

★EM菌は世界を救うか? 

 
   何有荘のEM菌原液ボトル。年季が入っている。

わたしは10年来のEM菌の愛用者ですが、EM菌が世界を救うという宣伝には疑問を感じています。
EM菌とはEffective(有用)Microorganisms(微生物群)の略語で、"共存共栄する有用な微生物の集まり"という意味。
1982年に琉球大学農学部教授比嘉照夫氏が、農業分野での土壌改良用として開発した微生物資材の名称で、その実体は乳酸菌、酵母、光合成細菌などを主体とする微生物がごっちゃり含まれている赤茶色の液体です。

先日(10月14日)、『いすみエコ・フェスタ』が開催さされ、比嘉名誉教授の『EMの多様な機能について』の講演会が開かれました。
主催者はEM菌が一部の科学者たちから「エセ科学」として猛烈な攻撃を受けていることを承知で講演会を開いたのでしょうか。
たとえば手元の『もうダマされないための「科学」講義』(光文社新書)では比嘉氏の主張が科学的でないことが詳細に述べられています。

昨日(10月17日)フジテレビではEM菌が福島で放射線除去に役に立っているという比嘉氏の主張を批判的に報道し、
早稲田の大槻先生は「バカバカしい。微生物で放射線が減る訳ないじゃないですか」と述べていました
EM菌散布農場と非散布農場とではむしろ散布農場の方がセシウム値が高かった。

賛否が鋭く対立している問題で行政が、一方に加担しEM菌の宣伝に協力する企画はいかがなものだろうか思っていました。
なにせEM菌はお金を出さないと買えませんから、講演に感激して買う人が増えれば比嘉氏はそれなりに所得が増えることでしょう。

それにもかかわらず何有荘でEM菌を使い続けているのは、トイレに関して実効性があると実感しているからです。
下水道が敷設されてない地域ですから各家庭は合併浄化槽の設置が義務付けられています。
どのメーカーの合併浄化槽も微生物の働きで汚水を浄化しています。
いや都市部の下水でも汚水処理場では微生物の力を利用しています。

季節や天候の具合によっては浄化槽の微生物の働きが活性化したり鈍くなることがあることをこちらで生活するようになって知りました。
鈍い時にEM菌を使うと浄化槽の調子が良くなると実感しています。
キッチンの配水管のヌメリ除去にも効果的です。

けっきょく、どんなオイシイ話でも真に受けず、自己責任で使うことになりますね。
逆にどんなに批判されようとも、良いものは良い。
ただしEM菌ではなく、納豆菌や「えひめai」でも同様の効果があるかもしれません。
その比較実験は面倒臭いのでしていません。