★大多喜の河伯(カハク)神社 

 
 苔むした玉垣が古い歴史を語る大戸452番地の神社

いすみ鉄道・総元(フサモト)駅を降り、南へ少し歩けば遠くに神社が見えてきます。
それが河伯神社で、河伯を名乗る神社は全国を見渡してもめずらしいものです。

「河伯」とは川の神様のことで、一説によればカッパの語源だといいます。
カッパは普通は河童と書き、妖怪の一種と言いますか、神様としての格は低い。
わたしはカッパの語源を「川+ワッパ」→カッパとにらんでいます。
というのも昔の武士が「この小ワッパめ!」と言ったように、ワッパはワラシ、ワラベなどと同じく児童を指す言葉ですから、小童でコワッパ、河童だとカワワッパ。これがカッパに短縮されたのだろうと一人で合点しています。

カッパを気取って河伯と書く場合もあります。だから河伯神社を地図上で見つけた時、カッパ神社と読むのかと思い、どんな立派なカッパ伝説があるのかと訪ねてみると、カッパではなく「カハク」と読み、カッパ伝説などないと聞いて少しがっかりしました。
カッパを祀っているのではなく、川の神様を祭った神社でした。

海の神様はオオワタツミ、山の神様はオオヤマツミ。
では川の神様は? 
不思議なことに日本神話には川全般を統括する「オオカワツミ」ともいうべき神様は存在しないのです。

水がなければ生きて行かれませんし、水田は成り立ちません。
だから昔の人は水源をとても大切にしてきました。
その水源を守る神様が「水神様」で、これはもう全国各地に無数に存在します。

では、水神様の本名は?と聞くとこれもまた答えに詰まる人が多いことでしょう。
偉い人の名前は本名で呼ばないで、先生、部長、社長、陛下などと肩書で言うのが日本文化ですから、神様の名前を知らないのはむしろ当然です。
水神様の多くは、罔象女命(ミズハメノミコト)=(ミズハノメノカミ)を祀っています。

一方、全国的に知られた水の神様は京都の貴船神社。
ご祭神はタカオカミ、クラオカミというセットの神様で、略せば「オカミ」さん。
ミズハメノミコトとは同体ともいわれています。
ただ貴船神社は水そのものと水の働きを神様、神威としており、特に川の神様ではありません。泉だって井戸水だってコップ一杯の水だって「オカミ」さんの領域です。

つまり水源の神様、水の神様、詳細は略しますが分水嶺の神様、河口(水門・ミナト)の神様はいるのですが「川上から川下まで管理する川の神様」は見当たらないのです。 
だから大多喜の河伯神社の存在は極めて珍しいといえます。
では大多喜の河伯神社は夷隅川をご神体にしているのでしょうか。
何という神様を祀っているのかと何人かの地元の人に聞いてもわかりませんでした。

河伯神社境内に立派な石碑がありました。苔むしており小さな文字で読みにくいのですが、関東大震災で破壊された農業用水路が県と村人との総力で再建された記念碑であると読み取れました。
用水路の竣工記念碑が川の神様=河伯神社の境内にあるのは実にふさわしい話です。

あるいは河伯神社のご祭神はセオリツヒメかなと思います。
セオリツヒメは早瀬や滝の女神で、あらゆるマガゴト(災いとその原因)を流しさってくれます。
転じて護岸鎮守の神様になる場合もあるようで、神話ではなく古い祝詞(ノリト)にだけ登場する神様ですからクロウト好みのマイナーな神様です。

夷隅川とともに暮らしてきた村人が無病息災と村の繁栄をセオリツヒメに祈願してきたとすれば、これはもうすごく古くからある神社なのかもしれません。
カッパ神社などと疑ってすみませんでした。

  

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★青空にキクイモの花

 
    高さ2mを超します

ここ数日、雨模様ではっきりしない天気が続いています。
画像はその合間に撮ったもので、天高くキクイモ育つ頃、の風情がありますね。
菊のような花が咲き、根に芋ができるのでキクイモというわかりやすい命名。

背の高さは2~3mにもなり、茎も太くまるでヒマワリのような茎の印象ですが、根の張りが貧弱で、強風にあうと倒れ込んでしまいます。
どんな雨が降ろうと風が吹こうが自分の力で立っていてほしいものです。
自力で立っていられないほど大きくなるのはちょっと無責任なような気がします。

戦前にどんな荒れ地にでも育ち、食べられるイモが採れるということで普及したようですが、デンプン質のないイモですからウマクナイ、と見捨てられ、今や荒れ地で雑草のように生き延びています。

以前の職場の脇庭に「おや、こんな所にキクイモが…」と生えていたので楽しみにしていましたが、いつのまにか雑草として刈られてしまいました。
食べられるイモが採れるとは都会人は全く気付かないようです。

ところが最近はこのイモが健康食品として注目されています。
デンプン質がないので食べても太らない。
それどころか「食べるインスリン」と言われるほど糖尿病に効果的な食品で、実際、糖尿の値が低下した友人・知人がおりますから、気のせいではなさそうです。
何有荘のキクイモも毎年、何人かの友人・知人に送ってきました。

先だってお医者さんから「糖尿の気味があるネェ」と言われてしまいました。
趣味で作っていましたが、今年からは自分自身のためにもう少し真剣に育ててみようかと思っています。
イモが採れるのは上部が枯れる11月ごろのはずです。

 

★モズのモズ吉 

 
    後ろ向きであまりいいアングルではないけれど

「キィー キィー キチキチキチ」と小鳥の甲高い声が聞こえたらモズです。
モズがキチキチと鳴くので、モズのことをモズ吉と言います。

急に寒くなりやっぱり秋ですね。
ここ1~2週間、モズの縄張り争いが激しくなり、「キィー キィー キチキチキチ」と高鳴きをしています。
この声を聞くとまた秋が来たなと実感します。

自分の縄張りを見張るために、見晴らしの良い場所(梢のテッペン、TVアンテナ、電線など)にいますから探してみてください。
スズメよりやや大きく、長い尾を落ち着きなくグルグル回しています。
眼のふちにはっきりしたアイシャドウがあり、鋭いクチバシが特徴です。

モズは漢字で百舌鳥と書きます。
政治家の二枚舌は珍しくありませんが、百枚舌というのはスゴイ。
これはモズが他の鳥の鳴きまねをするからで、ピチピチピチだのジュージュー、チュンチュンなどけっこう上手に鳴きます。
モズの間では鳴きまねが上手なほどモテルそうで、オスはメスの気を引こうとして必死です。なにせメスが求愛を受けるか振るかの決定権を持っていますからね。
オスもなかなか大変だ。

サトウハチロウの「小さい秋みつけた」に

  めかくし鬼さん 手のなる方へ
     すましたお耳に かすかにしみた
          よんでる口笛モズの声――という一節があります。

この場合、モズの高鳴きが遠くで聞こえたということでしょうね。
ハチロウは目隠しされた鬼。まわりの声や足音が突然消えて人の気配がなくなった。耳を澄ました。その時かすかにモズの声が聞こえた――。

この詩に中田喜直が美しいメロディーをつけましたが、やや暗くてさびしい印象があります。

ハチロウの父親の浮気癖から両親はケンカが絶えず、母親はハチロウが14歳の時に離婚して家を出ます。
ハチロウはグレて中学(旧制)を落第、退校、勘当、留置場入りを重ね、小笠原・父島の感化院にぶち込まれました。
そこで文学の師と出会い、彼の人生は大きく変わることになります。

おそらく幼い時に母親とした「目かくし鬼さん」の体験がこのフレーズの背景にあるのでしょう。
母と一緒に遊んだ楽しかった記憶、母が急にいなくなるのではないかという獏然とした不安。そんな遠い日の思い出がこの詩と曲に込められています。

実際のモズの高鳴きは「ちいさい秋」なんてロマンチックなものではなく、けたたましく、猛々(タケダケ)しく、騒々しくさえあります。
それが「小さい秋」になってしまったのはハチロウがおかしいのではなく、ハチロウの幼き日の心象風景だったからだと理解すると納得がいきます。

 
 

★これがマイマイカブリです 

 
   体長7cmぐらいだが脚が長くもっと大きく見える

マイマイとはカタツムリのこと。
カタツムリを襲い、狭い殻の中に頭を突っ込んで肉を食べるようにと頭が細くなっている。
脚を踏ん張って頭をもたげると、殻を被っているように見えるので「マイマイカブリ」と言います。

カブトムシと同じく甲虫の仲間ですが、もはや飛ぶことはなく、地上を歩き回ってカタツムリ、ナメクジ、ミミズなどを食べます。
肩もまた細いのは肩まで殻に突っ込むためにですが、そのために失ったものが筋肉。
甲虫類の肩は普通は四角張っていて、固い鎧(ヨロイ)のような上翅をも広げて飛んでいきますが、こんななで肩の筋肉では飛ぶことは不可能で、上翅2枚はすでに固着してしまっているそうです。

これを見つけたのはチーズ工房『よじゅえもん』さんの店先。
ようやく車に乗れるほどに体力が回復し、チーズが食べたくなって寄りました。

ここはちょっと山奥、自然がいっぱいの場所ですから昼間から出てきたのでしょう。
普通は夜行性と聞いています。
コイツはカメムシより悪質なヘッピリ虫で、素手でつかもうとするととんだ目にあいます。
尻先からイペリットガス並みの毒液を発射し、悪臭に包まれます。
さわらぬ神にたたりなし、見つけても知らぬふりをしていることが一番正しい対処法です。

「こんなのいつでもいるヨ」とよじゅえもんさんが言うのがちょっと羨ましかった。
大自然のサイクルがうまく転がっている証拠です。

農薬に包まれた田畑には雑草1本、虫の1匹もいませんよね。
それに対して、よじゅえもんさんの付近はきっと蛇も含めていろいろな動物や昆虫がウジャウジャいるのでしょう。
いたとしても特定のものが大発生せず、栄枯盛衰、食い食われを繰り返して自然のバランスが保たれます。
そんな自然循環の一つの輪をマイマイカブリだって担っています。

都会の昆虫少年にとって、一泊二日の採集旅行に出かけねばゲットできない立派なマイマイカブリがそこにいるのですから羨ましいかぎりです。
画像ではよくわかりませんが、胸のあたりがわずかに青くメタリックに輝くのが魅力で、
洗練されたロボット怪獣のようなフォルムも魅力の一つです。
見るからに“悪役”ですよね。
でも、悪役だなんて人間の偏見です。

                よじゅえもんのチーズ工房→●
 

★五行歌っていいですね。 

 
    
ここ1・2週間、寝たり起きたりの生活で、あんなに嫌いな病院にも通いました。
不規則な生活に無理をしたことが重なってバチが当たったようです。
外出もままならずベッドに横たわって同じ本を何度も読み返している時に、画像の本が届きました。

三十一文字に合わせるとか、季語を入れるとかの制約なしに、ただ心に浮かんだことをそのまま五行に書けば歌になる、と考えるのが「五行歌」のようです。
『五行歌』を主宰している草壁焔太先生からの寄贈本で、わたしがアップした矢代東村の歌についてのブログが目にとまり、会への参加のお誘いもかねて贈って下さったようです。
その中から二首紹介しましょう。

    空に抜ける
    山あいの道を見上げ
    私も
    今日を
    越えようと思う           陣内尚子

    おれも
    おめも
    自分だげ えばえ
    そただ 生き方
    してねよなあ           高望正夢

小学生から傘寿を越えた方まで、自分を見つめ、自分の心のつぶやき、心の揺れを素直にきっぱりと表現する道が五行歌で、それは万葉以前からの日本の歌の本道であると草壁先生はおっしゃいます。
どの歌もすばらしく、共感するものがありました。

優れた歌には力がある。
それは歌い手自身を励ます歌でありながら読む人の心を揺さぶり、読む人に生きる力を与え、生きる道を指し示してくれます。
上記二首はとりわけ印象深く、わたしも「かくありたし」と思います。

              五行歌HP→● 
              何有荘・矢代東村→●

★夷隅(イスミ)川の沈下橋 

 
   だいたいいつも橋の上を川の水が流れている

沈下橋とは増水時には水面下に沈んでしまう橋を言います。
だから画像のような、いつでも水面下にある橋を正確には沈下橋とは言わないのだろうが、では何と名付けるのか思いつかないので沈下橋の一種ということにします。

画像の説明をしましょう。
夷隅川のこちらとあちらの間にコンクリのやや湾曲した構築物があります。
対岸中央の一見すると滝のように見えるのは道路で、今のカメラの立ち位置から構築物の上を足首まで水に濡れながら渡れば向かい側の道路に繋がります。
道路の先には畑があります。
つまり、この水面下のコンクリ構築物はこちらの道路とあちらの道路を結ぶ沈下橋です。
水量が少なく、流れが激しくない場合、軽トラで渡れるそうです。

この奇妙な橋を作ったのは国でも県でもなく、町当局でもありません。
自然にできたというとヘンですが、こちらに住む農民があちら側にある自分の畑に行く便宜のためにできちゃったようです。
夷隅川は2級河川ですから県の管轄下にあり、勝手な構造物の建築は許されません。
そんな法令を知らない人が川を渡るために石を置いたのが始まりで、しだいにここまで成長してしまったのでしょう。
もともとここは水深が浅い場所ですし、大雨の時は沈下してしまうので、流れをせき止めるわけでもありませんから、県も目こぼししているようです。

かつて都会の若いライダーがここでオートバイを洗ったり、車を洗う人までいて迷惑したようで、沈下橋に至る道には「車両通行止」の手描きの看板が出ています。
そういうわけですから、ここがどこか場所は秘密ということにしましょう。

この沈下橋がなければ大変な回り道をしなければ対岸の畑に行けません。
それが毎日ではとても大変不便だからという農民の知恵が生み出しためずらしい沈下橋です。

 

★黒米粉を作ってみました

 
   左右どちらも150g

里山の会では休耕田を借りて黒米を作っています。
都会生活が長かった会員が多いので農作業は思ったより大変ですが「楽しみながら無理をせず」をモットーに作業してきました。
今年は昨年よりも反当り収穫量が多くて皆で喜びましたが、全量を会員だけで消費するには余ります。
それで会の独自財源確保の一環として、黒米を小袋にして頒布してきました。

黒米を普通の白米に少々混ぜて炊くと、まるでお赤飯のようになります。
黒米の表面のヌカ部分に含まれているアントシアニンが溶け出るためで、それはアンチエイジング効果があるので都会の消費者には好評です。
毎年楽しみにしているという方も多いのですが、地元は「いすみ米」の産地ですから真っ白でピカピカの白米に人気があります。

黒米は玄米のまま食するので健康に良いけれど、健康に良いというだけでは消費量の拡大にはつながりません。
食べやすくする工夫として「黒米粉」にしてみました。
里山仲間が開業した「あん里山」というパン屋さんでは全商品に黒米粉が入っているそうで、そのせいかどうか、どのパンもモッチリしていながらサクッとした歯触りのあるおいしいパンに仕上がっています。
ならば何有荘でも黒米粉にしてみようかと思い立ったわけです。
画像のように、粉にすると同じ重さでも量(カサ)は増えます。
しかし粒のままよりも粉にした方が溶け出すアントシアニンなどは増加して色が濃くなる。
だから結局、白米に入れる量は粒でも粉でも白米1合に対して小さじ1~2杯でしょう。

新米に混ぜて炊いてみました。
見た目のインパクトとしては黒米ご飯に軍配が上がりますが、食べやすさでは黒米粉ご飯の方が上だと思います。
黒米の黒い部分が粉砕されているので、ご飯全体が均一の食感になります。
黒米はもともと「もち米」の一種ですから炊きあがったご飯は薄いピンク色に染まり、もちもち感が増加します。
これならば「玄米は苦手」と玄米食をあきらめた人にも勧められます。

画像は玄米粉ご飯の夕食です。
 
 金目鯛のあら煮、黒米粉ご飯、具だくさんのお吸い物、香の物

 

★余っている野菜で福神漬けに 

 
    これがナタマメ――これがあると気分的に豪華

菜園の「ナタマメ」が手ごろな大きさに育ったので「福神漬け」作りです。
福神漬けのために育ててきましたが、採り忘れると50cmぐらいの巨大な実になります。
そうなったらそうなったで、適当にスライスして煮物に使えます。
福神漬けの作り方は野菜を「切る、煮る、漬ける」の三工程だけですから簡単です。

◆材料
七福神に由来して七種類ですが、多くても少なくても構いません。
定番はダイコン、ナス、ナタマメ、レンコン、キュウリ、シソの実、シイタケまたは白ゴマなどの七種ですが、ニンジン、ショウガ、ミョウガ、ウリ、ゴーヤ、キャベツの芯などご自由です。
食べきれない野菜を保存食にするのですから、具材が多ければそれだけ味が複雑でおいしくなるでしょう。「十二神将漬け」などと勝手に名づければ良いのです

◆調味料(材料約500g程度に対して)
基本は醤油1カップ、味醂1/2カップ、砂糖80g。
昆布10cm細切り。鷹の爪1本。お酢を使う人もいますがお好みです。

◆<超簡単、福神漬けの作り方>
 1.ナタマメは輪切り。他の野菜は銀杏切りなど適当に細かく。
 2.ナスはアク出しで水にさらし、蓮根は酢水につける。
 3. 鍋に調味料を全部入れて煮立たせ、キュウリ以外の具材をすべて入れる。
 4.再度沸騰したらキュウリを入れ、また沸騰しだしたら火を止める。
 5.具材をザルにあげ、煮汁は鍋に戻して少し煮詰める。
 6.具材を消毒した密閉容器に入れ、上から煮汁をかけてできあがり。

※出来立ては味が荒いが一晩おくと味がなじんでおいしくなります。
※残った煮汁で「海苔の佃煮」を作る予定。煮魚なんかもいいかな。
※赤い福神漬けは食紅などで着色しています。不自然このうえない。

   
◆反核ステッカー
「安曇野ちひろ美術館」の反核ステッカーが無料でダウンロードできます→●
nuke とは nuclear weapon(核兵器)の略語。転じて核、原子力のすべて

 

★メスグロヒョウモン(雌黒豹紋) 


 これも「里山」で写した画像。

画像はメスグロヒョウモンのオスで、黄橙色の地に黒いドットが散らばり、まさにヒョウモンチョウだという特徴を示しています。
上の羽の一部が半円形にドットがないので他のヒョウモンチョウと区別できます。
ところがメスは全体に黒っぽく、何蝶なのか一見しただけでは判断できません。
メスが地味な文様なのは外敵から身を守るためでしょうか。
わたしは図鑑上で知っているだけでまだ本物のメスを見たことはありません。

生き物の中にはオスメスでまったく姿かたちが異なる種類がいくつもあります。
人間は髪型や衣装を除くとオスメスを外見上区別するのは大変難しい生物に属します。
近縁のチンパンジーやゴリラを見てすぐにオスメスを区別できる人はマレでしょう。
お相撲さんは乳房プラプラの人が多くいますから、乳房で男女を区別するのは難しい。
一番確実なのは体表の1%を占める外性器で、体表の99%は男女良く似ています。
マツコデラックスを女性だと信じている人は多い。

さて、里山にオスが飛んでいるということはメスも近くにいることでしょう。
メスグロはスミレ類を食草として繁殖します。里山にはけっこう野生のスミレが咲いているので、ここで繁殖している可能性があり、メスの発見が楽しみです。

◆昨日の朝、西の空に虹が見えました。先週も朝に見えました。
虹が見えるとなんかうれしいですね。
思わず見入ってしまい、だれかれを問わず知らせたくなってしまいます。

「虹」を偏(ヘン)と旁(ツクリ)に分解すると「虫」と「工」になります。
虫偏がついており、古代中国では虹を生き物の一種と考えていました。
「工」は天地を縦棒で結んだ形で、虹は天地の間に現れる神獣の扱いでした。
具体的には、龍の一種、あるいは龍の影が現れたと思ったようです。
確かに龍が空に昇り、横たわり、地に戻る姿、あるいはその残影と見えなくもありません。

虹は雨上がりによく見られますね。いすみ市ではながらく雨が降らず、畑の作物が弱っていたのに、めずらしくも激しい雷雲がきて驚きました。
そんな翌朝に現れた虹に昔の人が龍を思い浮かべたのは理解できます。
雨の神様は竜神様ですからね。竜神様が西の空に表れて、そして消えていきました。
特に、ビルの上の空ではなく、田畑の向こうの山なみの上に立ち現れた大きな虹を龍神様だと見立てるとすごくカッコイイ姿のように思えます。

  

★ソバ畑が広がる 

 
    雑草の中でたくましく花を咲かせている

都会で暮らしている時は旅行パンフレットを見て、「一面のソバ畑かぁ、おいしいソバを食べに行きたいなぁ」思ったものです。
川崎といすみを往復する生活をしてみると、混雑を避けるため裏道街道を走ることが多く、ある日、道路沿いにソバの花が咲いていることに気づきました。
一度気づいてみるとあちらで咲いている、こちらでも咲いていると次々に発見することが多くなりました。
最近は休耕地を利用したソバ畑が特に多くなったように感じます。

里山仲間のYさんは、自分で打った蕎麦を食べたい一心で畑を借りて種をまき、収穫して粉にして、食べてみたらおいしかったそうです。
Yさんからその話を聞いた友人たちがツバを飲み込み、今度は一緒に打って食べよう、一緒に種まきして蕎麦を育てようと話の輪が膨らんで同好会ができました。
画像はそのYさんのソバ畑で、仲間が口出し、手出し、足出して一緒に育てています。
わたしも仲間に入れていただき、もっぱら食べるだけの会員ですが、宮勤めを辞めた後でこのような楽しい暮らしが待っていようとは思いもしませんでした。
自然と一緒に暮らすって素晴らしいことですね。

ちょっと話は飛躍しますが、3.11以後、杜甫の「春望」の一節が時々頭に浮かんできます。

    国破山河在   国破れて山河在り
    城春草木深   城春にして草木深し
    感時花濺涙   時に感じては花にも涙を濺ぎ
    恨別鳥驚心   別れを恨んでは鳥にも心を驚かす  以下略

唐の玄宗皇帝の時代、安禄山の反乱で唐の国が一時的に滅びた時の詩です。
捕虜となり「長安の賊中にあって、春の眺めを述べる」との前書きがあります。
杜甫は荒れた長安の都を見てなすすべもなく、ズタズタにされた社会、親しかった人々や懐かしい家族のことを考えると深い悲しみに襲われます。
その杜甫の心をわずかに慰めるのは「まだ山河は残っているじゃないか」という思いです。
故郷の山河は打ちひしがれた人々にとって最後の心の拠り所です。

その故郷の山河を放射能で汚され、故郷を追われた人々が何十万人もいます。
異郷の地で異なった山河を眺め、故郷と同じ花を見つけては涙することでしょう。

先だって会津若松の観光モニター旅行に参加する機会がありました。
画像は会津若松市内で撮影したものです。市内には原発地区からの避難民の応急仮設住宅が並んでおり、原発問題が過去や将来の問題ではなく「今」の問題であることまざまざと思い知らされます。
そして市の郊外にはどこまでも続くソバ畑が広がっておりました。

房総ではささやかなソバ畑が満開に花咲き、これから先を楽しみにしています。
「国栄えて山河無し」――そんな福島にしてしまったのは誰か。
ソバの花を見るたびに会津若松を思い出し、複雑な思いがしてくるのです。