★いすみ市大原と砂鉄 

 
  静寂な山中の雰囲気の中にある「日月神社」

旧大原町の中でも昔からの本当の大原ともいえる地区に三つの神社があります。
  ①瀧内神社(日本武尊)、②鹿島神社(武甕槌神)、③日月神社(日神・月神)。
やはりヤマトタケルが大原にも絡んでいました。ならば砂鉄も必ず海岸で見つかるでしょう。なにせ鹿島神社は刀剣・軍事力の神様であり、刀剣の原材料は砂鉄です。
この三つの神社は元は一つ「日月神社」だったという伝説があります。

伝説では、東征途中の日本武尊が日月神社の裏手の山に土民とともに昇り、朝日を遥拝したので土民が小祠を建て「日の大神」を祭ったといいます。 
「土民」だなんてすごい上から目線ですね。それはともかく、昇る朝日に心を新たにして決意を誓うのは大昔からの日本人の習性なのでしょう。
この時点では「日本武尊来訪記念碑」みたいな祠ではなく、あくまでも太陽を祀る祠でした。
やがて平安時代・貞観年間(859-876年)に「月の神」を合わせて祭り、「日月の宮」と称し、この地を日月谷と呼ぶようになったそうです。
日月だけをともに祀る神社は多そうで、実はそう多くはない神社です。
この地域の場合、太平洋の潮の干満を支配する太陽と月とを「偉大なる自然神」として恐れ敬った「漁民の神社」の性格が強く感じられます。
この時、同時に祠を建てて日本武尊と武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を祭ったそうで、これが現在の瀧内神社(大井地区)並びに鹿島神社(貝須賀地区)の起源になります。

この三社は昔から、上座(カミクラ)三社または単にカミと称して、今なお「大原はだか祭」参加十八社の中でも別格扱いであるのは大原の古い歴史を背負っているからでしょう。
中でも最上位にあるのが地元の総社でオヤガミ様と呼ばれる鹿島神社です。
裸祭りの喧騒の中でも鹿島神社の神輿(ミコシ)の振る舞いにすべての神輿が従う伝統があるという権威ある神社です。

さて、画像の日月神社を参拝したついでにさらに奥へ車を進め、飯縄神社のある矢指戸(ヤサシド)の小さな港に行きました。期待した通り、真っ黒な砂鉄が堆積していました。
「日本武尊伝説に砂鉄あり」はここでも確認できたのです。

鹿島のタケミカヅチ神は『古事記・日本書紀』によれば天皇家の武力の象徴で、出雲国譲りを武力で強要した神であり、神武の大和盆地攻略を支援した神様です。
そのタケミカヅチを信仰する集団がかなり昔に大原に来て、旧来の「日の大神」グループと連携しつつ、周囲を圧する確固たる地位を築いたのでしょう。
かれらは貝須賀地区に社殿を建立して鹿島神社としました。

貝須賀という地名には神奈川県の横須賀と同様、須賀という文字が入ります。
須賀は砂鉄を含む砂地の場所を意味する場合が多く、実際、横須賀では砂鉄がとれます。
貝須賀に鹿島神社とは、なるほどあるべき場所に建立されたものです。

かれらは大原の海岸砂鉄から農器具、漁具、刀剣・鎧兜などの戦闘用具、鍋釜包丁など生活用具を作り出す特殊技能を持って地域の信頼をかちとり経済的な支配力も強め、やがて地域の総社の地位を獲得していったのだと思われます。
貝須賀付近に鋳物谷(イモノヤツ)という地名があることを地元の漁師の拓さんから教えていただきました。

貝須賀の近くの造式(ゾウシキ)という地名は意味不明ですが、平安時代の「雑色」という身分と関連があるのでしょう。造式地区はある時期、中央政府の下級官僚の支配下にあったと思われます。
それは大原が農林漁業の中心地であるだけでなく、鉄生産手工業の拠点として交易の中心地であったから栄えたのではないでしょうか。

造式にある瀧泉寺は鹿島神社の別当寺院で鹿島神社と利害を一にしていました。
このお寺は元は布施地区にあったそうで、布施には源頼朝の旗揚げに多大な功績を残した上総介広常の居城があったと(地元では)信じられています。
その広常が布施城の鬼門封じのために大原造式地区に移転を命じたと言われます。
そして、今はまったくその気配さえありませんが、瀧泉寺の南には一辺が100mほどの正方形の堀をともなった広常館がありました。
このことは大原地区全体が上総介広常の支配下に入ったことを意味しています。
広常が大原を重要拠点としたのは、武器の原料である砂鉄の海岸を押さえると同時に、その生産拠点を押さえるのが戦略的に重要だったからでしょう。

広常伝説は上総各地にあり、はたして布施が本当の居城で、造式に別館があったかどうか、確証はありませんが、少なくとも重臣が代官として配置されていたであろうことは推測できます。
貝須賀の鹿島神社の権威はこうした古い伝統が背景にあるからだろうと思っています。

 

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★アーティチョークのドライフラワー 

 
   左からスターチス、紅花、アーティチョーク

アーティチョークの花は巨大です。画像の花は直径20cmもあります。
最近は名前を知っている人も増えましたが、以前は「あれは何の花ですか」と通りすがりの人によく聞かれたものです。

アザミのお化けみたいな大きさだから和名を「朝鮮アザミ」といいます。
朝鮮と名前につく場合、大きな、強力な、あるいは外国のという意味になります。
たとえば「朝鮮朝顔」はひかえめな姿の花ですが、強い毒を含むので朝鮮朝顔。

ソフトボール大の大きなツボミを食べます。
欧米では人気の野菜だそうで、この前見たTV番組ではローマの街角で山積みになって売られていました。
食べ方はいろいろ工夫しましたが、苦労の割にさほどおいしいと思わなかったのは慣れないせいでしょうか。
ツボミを水平に切り、下半分を薄い塩茹でにして食べるのが一番簡単だと思います。
そのままでも良いのですが、あらためてオリーブオイルで炒め、チーズディップをつけて食べれば少しは欧風の食べ方に近づきます。

せっせとは食べなかったのでとうとう花が咲いてしまいました。
ドライにしようと思っていたので予定通りです。
画像はまだ吊り下げて間もないため、緑も紫も色鮮やかに残っています。
やがて、どうしても枯葉色になってしまうのですが、それはそれでオブジェみたいになり、立派な室内飾りになります。

畑のアーティチョークは先だっての季節外れの台風で大分痛めつけられました。
海岸から数百mの所にある畑ですから強風と塩分でやられてしまいました。
都会の人は海のそばの別荘が魅力かもしれませんが、潮風で家も車も傷めつけられます。
畑の野菜も葉物はチリチリに先端部が枯れてしまいます。
農家の苦労が多少はわかるようになりました。

アーティチョークは葉がボロボロで幹だけになり、支柱ごと倒れ込んでいました。
支柱を立て直しましたが、どこまで復活するやら。
まだツボミがいくつも残っていますから、なんとか頑張って花咲かせてくれないかと願っています。
もう少しアーティチョークのドライが欲しいのです。

 

★贈答用に巨大バンドルズ 

 
   下にある4本が普通サイズ

大多喜町の図書館の受付に巨大なバンドルズがあったので驚きました。
わたしたちはいつも固定概念とか常識とかに縛られているものですね。
こんな大きなバンドルズは初めて見ました。
リボンで包まれた部分にラベンダーの穂が詰まっており、とても良い香りがします。

わたしたちと同年輩で、里山活動で親しくしているご夫妻があらたにパン屋をオープンするために着々と準備をすすめています。
わたしたちは半分隠居気分でトロトロ生活しているのに、これから新しい事業を始めるなんてスゴイナァと感心します。
それでオープン記念にと画像のように3本試作しました。(連れ合いさんがです)
お店に飾っていただけたら幸いです。

作り方は普通サイズと基本的に同じですが、
 *富良野ラベンダーではなく、大型のラベンダーグロッソを使いました。
 *軸の本数は15本にしました。
 *リボンは普通3.5mm幅ですが、上から12mm幅、6mm幅、3.5mm幅です。
  3.5mm幅リボンで作るのはすごく面倒だったようです。
  真ん中の6mm幅リボンが一番手頃な印象です。

  ラベンダーバンドルズの作り方→●

 

★これが生ゴミ堆肥です

 
   サラサラでフカフカです

何有荘では生ゴミはすべて生ごみたい肥にして、一般ごみで出しません。
トロ箱(発泡スチロール箱)で作った生ゴミ堆肥箱に入れてしまいます。
生ゴミ堆肥に使う処理剤は 
 ①米ぬか―――発酵補助剤・水分調整剤として毎回使います。
 ②枯葉腐葉土―――生ゴミの水分を調整するために乾燥させて使います。
 ③アイリスオーヤマの「発酵促進防虫脱臭剤」――虫が発生した時に使います。

キッチンの水切りザルに入っていた生ゴミを、専用にしているバケツに入れ
発酵補助剤・水分調整剤として、米ぬかをまぶしてよくかき混ぜます。
水分が多すぎる時はさらに乾燥した腐葉土を混ぜて水分を調整します。
過湿状態だと生ゴミは発酵ではなく、腐敗してしまいヒドイ目に会います。
堆肥箱を攪拌し、片隅に穴を掘り、そこに生ゴミを入れて軽く鎮圧しておけばOK。
何日後かにはほとんど分解して気にならなくなります。

堆肥箱1つでほぼ1年分の生ゴミが次から次へと発酵分解され、まるでブラックボックス。
それでも難分解性のクズはしだいに貯まってきます。
この日はフルイにかけて画像のような生ゴミ堆肥を回収し、クズだけを再び堆肥箱に戻して再スタートです。

貝殻、鳥や豚の骨、梅干しや桃の種などはバクテリアの発酵作用による生ゴミ堆肥化が無理。これらは焼却処分にして灰を庭にまきます。
鮭や鯛の骨、海老の殻などはなかなか分解しませんが、そのうち分解して消えてなくなります。

元が食品だったのですから堆肥になっても栄養タップリです。
とはいえ堆肥ですから、いわゆる有機肥料――鶏糞などよりは肥料効果は低い。
有機肥料はあまりに効き過ぎ、無理があるような気がするので使いません。
だからいつもは雑草堆肥ですが、生ゴミ堆肥ができちゃったんだからしょうがない。
パラパラとナスやキュウウリの株元にばらまいています。
土に埋めません。「豊かな土にするには地表から」が基本です。
ふるいにかけるのが面倒くさい時は、クズごとそのまま畑に撒いちゃいます。

食べ物残渣(生ごみ)から食べ物ができるというサイクルが気に入っています。
            生ゴミ堆肥箱の作り方→●

 

 

★梅雨のアジサイ 

  
  裏庭のアジサイ

梅雨時には紫陽花の花がよく似合います。
雨に濡れて花の色も葉の色も鮮やかにくっきりと輝いています。

もっとも最近の梅雨はシトシトと降り続くのではなく、豪雨となって6月における記録を更新し、各地で被害が出ているので困ります。
暑さ寒さも程度を越し、豪雨・過乾燥の被害は全地球規模で広がっており、それは「雨女・雨男」のせいだとか、「日頃の行いが悪いからだ」では説明がつきません。
昔の人は神様のご機嫌をとるために「雨乞い祈祷」や「雨止め祭」を行いましたが、現代人のレベルもさして変わらず、ただ天を仰いで嘆くだけですからナサケナイ。
治山・治水は国家の基礎のはずですが、ドジョウには荷が重すぎるようです。

アジサイは、学名をHydrangea といい「水の容器」という意味だそうです。
読み方はいろいろで、「ヒドランジア」でも「ハイドランジア」でもOK。
英語っぽく「ハイドレインジア」と読むとカッコイイ。
語頭の ヒドラ とはギリシャ神話に出てくる「水ヘビ」のことで、凶悪無比、邪悪で不死身の毒蛇です。
あるいはまた熱帯魚水槽などにいる1mm程度の悪質な生物の名前になっています。
こいつは体を真っ二つにしても復活する不死身の体を持つのでヒドラです。
昔は理科の実験材料だったのですが、今はどうでしょうか。

アジサイが不死身(ヒドラ)の名を持つのは、ヨーロッパ人には見たこともない不気味な印象を与えた花だったのかもしれません。
まず、花の色が七変化します。切っても挿し木で丈夫に育ち、切らずに放置していると枯れても落花しません。冬枯れしたかと思うと翌年には更に大きくなって復活する強力な生命力です。
ヒドラはヤマタノオロチのように多数の頭を持っています。アジサイの花が塊になってアチコチに咲くのをヒドラの頭に見立てたのでしょう。しかも水が大好きな植物です。

アジサイが毒蛇・ヒドラの名を冠するのは気の毒であり、意外な感じがしますが、たしかにアジサイには毒があります。
何年か前に、板さんが刺身のツマだかにアジサイの葉をだして中毒事件がありました。
軟らかい葉は水ようかんを包んでいる葉に似ていますし、シソの葉にも似ていますから、創作料理として出しちゃったんでしょうね。

きれいな花には毒がある。甘い話にはワナがある。お情け頂戴は振り込めサギ。
アジサイの花を眺めながら、また余計なことを考えてしまいました。

  

★砂鉄精錬の守護仏――東浪見寺 

 
 県指定特別天然記念物の原生林に囲まれた本堂

今はサーファーでにぎわう砂鉄の海岸・東浪見(トラミ)海岸から西へ、山の中に「軍荼利山(グンダリサン)東浪見寺(トラミジ)」があります。平安初期・大同年間(806~9)の創建と伝えられる天台宗のお寺で、ご本尊は平安末期作の秘仏「軍荼利明王(グンダリミョウオウ)」です。
 軍荼利明王画像(Wiki から転載)
軍荼利明王はインド系の神できわめて奇怪・グロテスクなお姿で、蛇を身にまとっている点で他の明王と区別できます。 蛇と刀剣はヤマタノオロチ伝説に見られるように特別な関係があり、金属精錬技術者が信仰しておりました。 

明治初期の暴力的な廃仏毀釈運動で仏教は弾圧され、修験道は邪教として禁止されます。
東浪見寺も存亡の危機を迎え、当時の住職はなんとか伝統を守るために、「寺ではない。神社だ」と強弁して鳥居を立て、軍荼利明王の8本の腕のうち6本を切り落として「日本武尊像」とし、寺の名前を「東大神」と改称したと伝えられています。
寺として認められたのは明治27年、東浪見寺として名実ともに復活したのは昭和17年だそうです。
鳥居をくぐり、深山の趣がある苔むした急こう配の208段の階段の先に、狛犬が控え、しめ縄を張った禅宗様式の本堂があります。神社とお寺が混ざり合った不思議な雰囲気のお寺です。

砂鉄や鉱石から鉄が生み出され、鉄製品ができるという作業は危険な重労働であり、まるで手品のような摩訶不思議な自然の妙技ですから神仏の加護が必要であり、神仏の恩恵でもあります。深い山々を渡り歩き、加持祈祷で火を操る修験者は自然を知り尽くした山師であり、製鉄関連技術者でもあったのです。
軍荼利明王を本尊とする東浪見寺が古い時代には砂鉄関連産業に従事する人々の守護寺院だったこと証明するためには、内房の鹿野山神野寺(カノウサンジンヤジ)が参考になります。

神野寺は房総では有名なマザー牧場という観光地の隣にあり、東浪見寺と同じく軍荼利明王を祀っています。以前、無届で飼育していたトラが脱走したことで話題になりました。このお寺が房総の軍荼利明王信仰の中心地です。
交通アクセスはアクアラインを使えば「金田」下車、フェリーを使えば「金谷」下船で、どちらも「金」がつきます。「金」は金属の意味で、goldではありません。砂鉄の海岸なのです。
「かのうさん」だって深読みすると「金生山」となります。この地域一帯、いかにも古代金属関連の土地柄であったことを今日に伝えています。

この寺には日本武尊伝説があります。
日本武尊が東征の際、先住民の豪族・阿久留王(アクルオウ、別名「悪路王」)と鹿野山山麓で激突し、敗れたアクル王は八つ裂きにされます。
王の血で三日三晩にわたって赤く染まった川が血染川(現・染川)。それが腐って海に注いだ地が血臭浦(チグサウラ=現・千種海岸)だそうです。
鹿野山の別名は「鬼泪山・キナダヤマ」。大和から見れば房総の抵抗勢力は「鬼」扱いです。
鬼が降参して泣いて謝ったので鬼泪山。降伏者を斬殺したのが日本武尊です。
血で赤く染まった川とは常識的に考えれば、鉄の赤錆で染まっていたのでしょう。
 (※ 泪をナダと読むのは沖縄の「なだそうそう」のナダと同じで興味深い)

鹿野山東峰には日本武尊をご祭神とする白鳥神社、中峰に神野寺、西峰に春日神社があります。日本武尊の死後、白鳥が鹿野山上空を舞ったという伝説もあります。
バラバラにされた王の胴を葬った場所が阿久留王塚で、大和勢力はよほど阿久留王虐殺に後ろめたさがあるのか、復活を恐れてか、今でも毎月1回の供養が神野寺と地元製鉄関連企業によって行われているとのことでした。
神野寺の地元・君津も砂鉄の海岸であり、今では新日鉄の最新鋭工場があります。

内房の神野寺の場合を見ると、東国の鉄資源強奪が日本武尊東征軍の大きな目的だったことがはっきりわかります。
外房の東浪見寺の場合、日本武尊と地元勢力の武力衝突は伝えられていません。
神話的には、弟橘姫の同族が支配する砂鉄海岸だった からかもしれません。
後に本尊を日本武尊だと言いはったのも何らかの伝承があったのでしょう。近くに 白鳥伝説 があります。
金属技術加工集団が信仰する軍荼利明王が本当の本尊で、天台・真言密教と関連する修験者・山伏の修業の場となる深い山や川があります。海砂鉄が目の前にあることを考え合わせれば、東浪見寺は「外房における神野寺」と位置付けることが可能です。

廃仏毀釈(ハイブツキシャク)運動の中、東浪見寺の古い資料がほとんど無くなってしまったことは残念なことです。天皇を中心とする国家神道確立の狂信的な運動のために古代日本の真の姿が見えなくなってしまいました。
しかし状況証拠を積み上げてみると、東浪見寺はかつて金属関連の人々の守護寺院として栄えたことがぼんやりと浮かんでくるのです。

 
 

★小鳥の落し物――クチナシ 

 
  今年ようやく花が一輪咲きました

植えた覚えはないのに庭にクチナシが育っています。
野鳥に親切にしているとたまには恩返しをしてくれるのでしょう。

クチナシにはオオスカシバというまるで蜂のような蛾の幼虫がつきます。
成虫は透明な羽をもち、ホバリングをするので蜂に間違えますが、よく見ると蝶と同じようなゼンマイのように丸まったストロー状の口を持って蜜を吸います。
この幼虫で丸坊主にされることが多いクチナシが今年はなぜか無傷で花が咲きました。

レモングラスやローゼルの育ちが例年になく弱いなど、理由がわからぬ現象がありますから喜んでばかりはいられない、不安な気持ちも多少あります。
先だってはイワシが大量に大原漁港に打ち上げられましたが(6/4)、神奈川の三浦半島でも約1万匹が打ち上げられたとの報道がありました。(6/14)
今年はダンゴムシが異常発生しているけれどアブラムシは少ない、など自然の見せる顔は毎年違います。
ツバメが少ないのは原発の影響でしょうか。

それはともかく、クチナシの花というと思いだす歌。
 ♪ 今では指輪も回るほど やせてやつれたおまえのうわさ… 。

歌謡曲の王道たる渡哲也の歌ですが、荒井由実の「やさしさにつつまれたら」もいい歌です。
 ♪ 雨あがりの庭で くちなしの香りの. やさしさにつつまれたなら
                   きっと. 目にうつる全てのことは メッセージ…

どちらが好きかでおよその年齢がわかろうというものです。
クチナシの実は年末に栗きんとんを作る時に買います。だけど全部は使い切れません。
それで今年からは買わないですむ、シメシメ。小鳥様様じゃと思っていたのですが、
よく考えたら、一昨年から安納芋を使い、きんとん作りにクチナシの実は使っていないのでした。

雑草だらけの何有荘庭園の中ではひときわ清楚で高貴な印象のある白い花で、かすかな香りにふと足を止めてしまいます。
つぼみが他にもありますから咲きそろい、「くちなしの香りの. やさしさにつつまれた」素敵な庭になるのでしょうか。
小鳥様のおかげです。
 
 

★珍味!マグロの皮料理 

 
  一度ゆでてから焼きました

皮付きマグロなんて市販されていません。
大原の漁師さんから朝どれ新鮮ビンチョウマグロを分けていただいたので、その日はまぐろ三昧でした。
せっかくの皮付きですから、ご紹介するのは「マグロの皮料理」。
神奈川県の三浦漁港で昔、食べたものを真似してみました。
野菜でも魚でも皮の直下が一番栄養があり、おいしい部位です。
捨ててしまうなんてモッタイナイ。

◆マグロの皮の食べ方
1.どんなに上手にさばいても皮に身が付いている。これが材料。
2.適当幅でハサミで切り分け、熱湯で湯引きする。皮がそり返えればOK。
3.直ぐに冷水に浸け、手で揉み、分厚いうろこを剥がす。
4.流水で洗いながら、ていねいに細かいうろこも落とす。
5.1cm幅ていどにハサミで切り分ければ出来上がり。
6-1:下ろし大根に合わせて、ポン酢で食べるのがスタンダード。
6-2:身の方に塩胡椒をし、皮の方を強火で焼けばこれまた珍味。

食べ物とは思えないほど固くて厚いマグロの皮が、驚くほど柔らかくなっています。
コラーゲンたっぷりだそうですから健康にも良いでしょうね。
お刺身じゃありませんから、料理用のハサミを使う方が便利です。
ウロコは煮ても焼いても食べられないし、残っているとひどく食感を損ねます。
ていねいに落とすのがポイントです。

マグロの骨はどうしますか?
十分に焼いて砕いて、リン酸カルシュームの肥料代わりに畑にまいています。
ここまで使えばマグロさんも成仏してくれるでしょう。

 
 

★絶滅危惧種・ニホンアカガエル 

 
    野菜ネットの上で休んでいました

このカエルはこちらで初めて出会い、図鑑でニホンアカガエル(日本赤蛙)と知りました。
見た通り、まだオタマから大人の姿になりたての若いカエルです。
この近辺ではいくらでもいる普通のカエルですが、調べてみて驚きました。
全国的にも珍しく、千葉県では絶滅危惧種のAランクに指定されています。

カジカガエルという美声の持ち主のカエルがBランクなのは生息地域が奥まった不便な所なので、さしあたって開発のせっぱつまった可能性が少ないからだそうです。
“山田地区”というこの近辺ではホタルで有名な地域でカジカガエルの声をきいたことがあります。ホタルにみな夢中ですから、カジカガエルの声がしたねェと言っても、エッと、気がつかなかったという人が大部分です。

わたしは若い頃、カジカガエルの声を聞きにあちらの山、こちらの山の渓流に出かけたものです。ところが房総ではホタルと同程度に棲息しているのでBランク。

画像のニホンアカガエルはAランクですから、もっと絶滅の危機にあると指定されているのですが、そこがアカガエルの悲しさ、美しい声を奏でるでもなく、珍しい芸を披露することもなく、カエルだぁでおしまいです。だれも貴重だとか高貴なカエルだと思ってくれません。

Aランク指定は生息環境、つまり水辺、もっと限定すると千葉県では田んぼが急速に減反政策の関係で減少したことと、冬場は田んぼから水を抜くという「乾田農法」が普及したためで、この傾向が改まる気配がないのでA指定=近い将来に絶滅です。
オタマジャクシが孵化する環境が激減しているのです。 

何有荘の近辺はもともと夷隅川の氾濫原で極めて標高が低く、減反を強制された場所は田んぼから元の湿地帯に戻りつつあります。そんな環境がアカガエルが生きて行く場所を保障しているのでしょう。

田んぼや池のゲンゴロウやミズスマシ、タガメはほぼ絶滅しました。
昔の少年が昔のごとく網を持って池に行ってもその捕獲は夢のまた夢。
ニホンアカガエルの絶滅を放置したら、昔の少年世代の犯した過ち“経済最優先”を繰り返すことになります。
だから昔の少年は世の流れに少しは意義を申し立てねばなりません。

 

★ネジバナの季節 

   
  大原の海岸にて

花が順に少しずつずれてラセン状に咲くのでネジ花、あるいは捻じり花といいます。
ラン科の植物で、一つひとつの花はアップで撮れば、ラン科特有の形で美しい。
ところが撮影当日は雨だったので、花は閉じ気味だったのが残念です。
ネジバナの別名が「モジズリ」で、次の歌はよく知られています。

   陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに
       乱れそめにし われならなくに
                     河原左大臣 (源融 ミナモトノトオル)

「心が乱れてまるでネジバナのように文字がまっすぐに書けません。あなたのせいです」という趣旨で、ネジバナは「モジズリ」という別名を与えられて有名になりました。
ところがこの解釈はまったくの誤解であり、ネジバナとこの歌は無関係です。

昔、しのぶの里(福島市)で採れた忍草の葉や茎を、大きな石に当てた布にこすりつけて乱れた模様を染め出し、その模様が乱れ文字に似ていたので「もじずり」という高級服地として貴族の間で流行しました。
だから“もじずり服地の模様のようにわたしの心はグチャグチャに乱れている。”と解釈するのが正しい。
忍草とはシダ植物の一種で、忍草が繁茂していたので「しのぶの里」といったのかどうか、その点は不明ですが、「忍の里」とは風情のある名前です。
もちろん“あなたを偲ぶ”のかけ言葉として利用されています。
日本人は昔から「忍ぶ恋」という状況設定が大好きでした。

誤解とはいえ「ネジバナ」は「偲ぶ文字摺り」として通用しています。
間違いを言う人が99人いれば、1人が何を言っても間違いが「正しい」のは世の常。
雑草にまぎれて咲く花が可憐なのでわたしも好きな花で、いつもの散歩コースで探すのが楽しみでした。

ここ数年姿を見かけないのは、環境整備と称してボランティアによって熱心に草刈りが行われているからでしょう。
「花を盗むな」という看板があちこちに立っていて不愉快ですが、ネジバナには心を洗われてきました。
見栄えの良い花を植えて美しく環境を整備しても、昔からの小さな植物がないがしろにされたのは釈然としない気持ちです。
だから大原の誰も来ない海岸で見つけた時は、「今年もやっと会えたね」とうれしかったですね。
できれば余分な人の手が入らず、自然のままで放置して頂きたいと思っています。