★シャガの季節になりました 

 
   庭のシャガの白い花、橙と青が美しい

大きな木の下や崖沿いの木陰などに群落を作っています。それを少々失敬して庭に植えたら迷惑するほど増えすぎて、あわてて増えすぎた分は山に戻しました。
画像の通り、アヤメに似ているので学名をIris japonica アイリス ジャポニカ、日本のアイリスといいます。
ツユクサやシャガはなんとなくはかなげで、雨の風情に似合います。

アイリス ジャポニカ なのに日本原産ではなく中国原産で、かなり古い時代に日本に到来したとwikiにあります。
ところが万葉集に一首も載っていないのはどうしてなのか。
それどころか古今集、新古今集にも見あたらないので、昔の名前はシャガという名ではなかったのではないかと疑っています。

中国由来ですから通常は「射干」と書いてシャガと読ませます。
ところがwikiでは射干とは「漢語でヤカンと読み、実はヒオウギアヤメ(檜扇菖蒲)のことだ」といいます。
それで俳諧の世界では著莪、または胡蝶花と書いてシャガと読むようです。

射干を「ヤカン」と読むのが納得できず、手元の日中辞典、中日辞典で調べました。
現代中国語だと she’gān だから、シャガに近い。どこから「ヤカン」が出てきたのでしょうか。
中国ではシャガを著莪と言うのかとも調べましたが、手元の辞書には記載がないので不明です。
いずれにせよ外来種だから和風の名前がないのは仕方ない。

遺伝的には3倍体だから種子を作らず、根っこが伸びて新芽を出します。
つまり日本中のシャガはすべて同一遺伝子のクローンで、大昔に誰かが中国から日本に現物を持ち込んだのが日本中に広まったことになります。
すると何のためにこんなに美しい花が咲くのか、咲いても無駄な花です。

昔々、普通の2倍体の時代があったことの名残で、3倍体になってしまっても以前のように花だけは咲かせています。
それで根っこを伸ばして子孫繁栄の手段を獲得したという歴史を背負った花ですから、
シャガよ、お前も苦労したんだな と語りかけたくなります。

 

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★「いじむ」から「いすみ」へ(2) 

    
                  宇佐美灊水先生頌徳碑(岬町長者)

夷隅郡はかつて夷灊郡だったと前回紹介しました。
夷灊郡は大宝律令(701年)以来の名称で、1664年、徳川家綱の第4代将軍就任に際し、諸大名に対して従来通りの所領を安堵する朱印状が今も残っています。
“大多喜藩主・阿部播磨守(正能)に対して夷灊郡のうち1万石を領地として認める”とありますから、少なくともこの時代までは夷灊郡という表記が公文書に使われていました。

当時は毛筆ですから、書く方も読む方も困ったでしょうね。
それで夷灊を「伊志見」や「伊志美」と便宜的に表記することが平安時代から行われ、江戸中期にもなると「夷隅」と略記することが一般的になりました。

ただし「夷隅」の表記は江戸時代に突然現れたものではありません。
平城京跡地から“上総国夷隅郡蘆道(イオチ?)郷からアワビを貢納した“という木簡が出土しているそうで、だとすると奈良時代にまでさかのぼりうる表記法です。
つまり夷灊が正式、夷隅が略式の表記だったようです。

江戸中期以後、略式が主となったのは、幕府の行政が文書主義で安定し、文字の読み書きができる庶民も増え、「漢字の大衆化」の時代になったからでしょう。
しかし「夷隅」では伝統に反するとか、品格がないからと使わないという知識人、文化人はもちろんいました。

夷隅川は正しくは夷灊川で、この川を文学的に称して「灊水 シンスイ」と言います。
江戸中期に宇佐美灊水という儒学者がおりました。本名恵、通称恵助、号を灊水というこの学者は地元の岬町長者の出身で、幼い頃から神童とウワサされたそうです。(画像)
号「灊水」はもちろん故郷の川の美称からとったものです。

夷隅郡大多喜町の「牛頭天王社 ゴズテンノウシャ 」が明治になってから「夷灊神社」に名称変更するのは当時の復古主義的な風潮によるものでしょう。
ただし夷灊神社の石碑文字はサンズイではなくコザトヘンになっています。それは格別な意図があったのか、それとも単なる誤記なのか、あるいは異体文字だったのかは今では不明になってしまいました。
 

明治の文豪・森鴎外はいすみ市に別荘を持って執筆活動をしておりました。その日々の様子を『妄想』という作品にしています。
その作品の中で、鴎外は別荘前を流れる川の名を「夷灊川」と記しました。
「夷隅川」という表現を「軽い」と感じたのでしょうか。
ドイツ留学の医学者でありながら和漢の古典に通じた鴎外は「夷灊川」という伝統的な表現を選択したのでした。

しかし多勢に無勢。「夷隅」使用者は増え続け、1000年以上続いた「夷灊」表記を愛する人はいなくなりました。
大多喜の夷灊神社は現在、夷隅神社と表記され、鴎外の『妄想』の文学碑には「夷隅川」と彫られています。
今日、「灊」という二十一画の文字は漢字辞典からも消えてしまいました。
これは歴史の一部がすっぽりとなくなってしまったことと同じです。

                             (来週金曜日につづく)

 

★ナナホシテントウの幼虫 


   幼虫にも赤いドットの模様がある

画像はソラマメの先端の若葉に取り付いているアブラムシ(アリマキ)を食べようとしているナナホシテントウの幼虫です。
アブラムシはソラマメのエキスを吸い出す害虫で、テントウ虫はそのアブラムシを食べる天敵。つまり益虫です。

成虫だけではなく幼虫もアブラムシをバクバク食べます。
画像にも緑色のアブラムシがよく見ると写っていますが、この程度だと数分で食べ尽くしてしまうでしょう。すると次のエサを求めて移動します。
アブラムシは針のような口が茎に刺さっているので逃げられず、食べられ放題というから情けない。

飛べない幼虫からしてみれば、これほど便利なエサ場はありません。
人間様にとってもテントウムシ様が居着いてくれれば、アブラムシ退治の手間が省けてラッキーこの上なし。
無農薬でアブラムシ退治にはテントウムシ様にお願いするのが最上策です。
テントウムシ様々と思えば、画像の幼虫だってかわいく見えてきませんか。
毒はないし、刺さないし、へもしないので触ってもOKですが、触られるのはむこうは迷惑でしょう。
ご機嫌良くアブラムシを食べて下さるようにと放置しておくのが一番です。
ところが「キャーッ 虫がついている!」と叫んで殺虫剤をかける人がいるそうです。
おろかなことです。

昨年は黒いアブラムシがびっしりと取り付いた株がありました。
プロ農家でも生育が悪かったと嘆いていましたから、たぶんどこのそら豆も弱り気味だったのでしょう。弱り気味だとアブラムシがワッと寄ってきます。
今年は緑色のアブラムシで、その数はほとんど目立たない。何匹かのテントウ虫の成虫と幼虫がいましたから、うまい具合に自然が回転しているようです。

先だって以来、風が強く暴風雨みたいな日があったのに今年のそら豆は丈夫で倒れていません。
昨年よりも株元に雑草が多く茂っているので地面がシッカリとしているからでしょう。
あまりにも雑草が大きくなったので昨日は地上5cmでカットして株元に敷きました。
虫媒花なのに雑草で花が隠れてしまいそうでしたから。
雑草は抜きません。抜くとそら豆本体までもグラグラになり体力が弱ります。

雑草に栄養を吸い取られる?
経験上(たいした経験もありませんが)そんな心配は無用、共存可能です。
丈夫に育てば立派なそら豆ができます。たぶん今年もできるでしょう。
欲の皮をつっぱらかし、豊作への期待に胸を大きく膨らませています。

 

★カモミールが咲いた 

 

毎年こぼれ種でジャーマンカモミールが咲き、放置しておくと雑草みたいに翌年にはあちらこちらで芽を出してきます。
予定外の場所で芽を出すのは迷惑なのですが、むしろ予定外の株の方が丈夫だったりしますので引き抜いたりせず、好きなようにさせています。

今年の目標は何としてでもアブラムシを付かせないようにすること。
カモミールは野菜の間に植えておくと、カモミールにアブラムシが付き、野菜は無事だと言われています。つまりアブラムシ誘引植物です。

以前、アブラムシが付いて困るという話を専門家に相談したところ、風通しを良くするようにアドバイスを受けました。
風通しに気をつかいましたが、それでもついてしまったのは元々アブラムシを誘引する性格があるからのようです。

それで今年は株元をしっかり保護する作戦にします。
株元を雑草の枯草などで覆い、地面が露出しないようにします。これを「雑草マルチ」と言います。
カモミールが育っている土は柔らかくて良い土ですが、やや斜面になっており、そのため乾燥気味になっているのではないかと推測しているのです。
雑草マルチで株元の適度な湿度・水分を保とうという作戦です。

わたしが立案する作戦はめったに成功しませんが、どうなるか楽しみです。
うまくいけばカモミールからアブラムシを追い出す作業が省けます。
安心してカモミールティーを飲むことができます。

無耕耘・無肥料・無農薬でカモミールを育てるのは大変ですが、元々雑草のようなカモミールですから条件が良ければ丈夫に育ち、虫も付かないだろう、そう願っているのです。

 
 

★H川のゲンジボタルの幼虫 

 
   未来のホタルとは想像もできない

先日、夷隅郡市自然を守る会のIさんの誘いで、ホタルが乱舞するH川の水棲生物観察会の事前調査に同行させてもらいました。
H川は一見すると何もない川で、小鳥も来ないし魚も泳いでいません。ドジョウもフナもメダカもいないようなつまらない川です。

メンバーの皆さんは長靴に履き替え、タモ網を持って流れの中に入り込みガサボソと荒し廻り、何かをすくいあげていました。
「オーッ、入っているゼ」
という網の中をのぞいても何が何だかわかりません。枯葉だけが目立ちます。
レクチャーを受けてようやく仔細に気付くようになりました。

画像はゲンジボタルの幼虫で、まもなく岸辺に這い上がってサナギになり、5月下旬から6月上旬に飛び回るそうです。
ところが幼虫のエサとなるカワニナが異常に少ないと心配していました。
ホタルは大量発生する年とそうでない年とがあり、今年はダメかもしれないな、などと話し合っていました。

わたしが個人的に感激したのは「ヘビトンボ」の幼虫です。
ヘビトンボという名前さえ初めてでしたが、その幼虫の姿は水棲昆虫の中では大形に属するでしょう。
画像にアップすると卒倒する人がいるといけないのでアップしませんが、要するにムカデに似ています。なんとも精悍な顔つき体つきで、こんなのがあの川にたくさん生息しているのだなぁと感嘆しました。

人間が「何もない」と思っても、そこは彼らの聖域であり、実に多くの生き物が生息していたのです。
彼らが生きて行かれるのは枯葉が堆積していたり、ミズゴケが生えていたりと川の中に有機物があり、無数のバクテリアやプランクトンが彼らの生活を支えている。
たぶん、人間も無数の命に支えられて現在があるのでしょう。

『風の谷のナウシカ』では「腐海」に様々なグロテスクな生物が登場し、その一つに空飛ぶヘビゲラがありました。
ヘビゲラはたぶんこのヘビトンボの幼虫がモデルでしょう。画像の羽を取るとヘビトンボの幼虫にそっくりです。一見してそう思い、急に親近感が湧いたのです。
  ヘビゲラ 画像元→風の谷の虫図鑑 

 

★タケノコ尽くし 

 
    タケノコと牛肉のステーキ、オレガノ添え

昔の職場の友人たち5人が泊りがけで遊びに来ました。
せっかく「田舎」に来たのですから里山センターの竹林に案内し、タケノコ掘りを体験してもらいました。
姿が丸見えのタケノコはスルーします。頭をほんの少し出しているのが狙い目で、新鮮なタケノコの穂先は黄色であり、しだいに黄緑→緑に変化していきます。
竹林は竹の枯葉で埋まっていますが、その枯葉の間から黄色の穂先だけを出しているのを探すのはなかなか難しいのに、みなさん上手に探し当て堀り起こしていました。

夕食はタケノコ尽くしで宴会です。
①タケノコの刺身、②焼きタケノコの柚子味噌添え、 ③ゆでタケノコのステーキ④若竹煮、⑤タケノコご飯、⑥姫タケノコの味噌汁。
タケノコだけでは気の毒なのでスーパーで魚の刺身と牛肉も買い、その他もろもろのご馳走でした。
費用はすべてワリカンが原則ですから気が大きくなります。

タケノコステーキは茹でタケノコの下の方の厚い部分を1cm幅で切ってバター焼き。タケノコが大きかったので1/3に切り分けました。裏表に隠し包丁を入れ、焦げ目がつけば出来上がりです。
ソースは何でも良いのですが、「市販のステーキソース+醤油+味醂」を一度軽く沸騰させ、庭にあったオレガノを刻んで混ぜます。
面倒なのでビーフステーキにも同じタレを使い、オレガノを添えてワンプレートで済ませました。

タケノコの刺身は収穫後3時間でお皿に出ました。このくらいの時間までなら刺身で食べられ、シャキシャキとした甘みが感じられます。醤油+ワサビで頂きました。穂先に近い方がおいしい。
おしゃべりに夢中になり1時間もテーブルに出したままだとアクが出てきて食べにくくなります。
どの料理も好評でしたが、簡単でおいしい「皮つき焼きタケノコ」には驚いていました。

友人たちと近況を話し合い、共通の上司や今の経営方針の誤りをあげつらって気勢を上げるのは楽しい時間です。
現場は私たちの頃より一層厳しくなっているようですが、みんなで話し合えば少しは元気が出てきます。
わたしたちにも都会からの新鮮な刺激を与えてくれました。

 

★「いじむ」から「いすみ」へ(1) 

       
  この漢字の音は「シン(ジン)、セン(ゼン)」 訓読みで「しむ、しみ」
  紅花画像はWiki より転載

いすみ市は夷隅郡の夷隅町・大原町・岬町が平成の大合併で生まれた市です。
「夷隅」の文字から連想して、この地域は中央から見て「東の野蛮人が住む房総の端っこの地域だ」と説明する人がいます。たしかに字面(ジヅラ)からはそう読めます。

ところが「夷隅」は江戸中期以後の表記で、それ以前は大宝律令(701年)以来ずっと「夷灊」でした。「灊」という漢字があまりに複雑で難しいので「隅」となったものです。

大宝律令より以前は伊甚(イジミ)国で、それよりもさらに昔、6~7世紀の頃は伊自牟(イジム)国といわれました。これを表にすると

     伊自牟 → 伊甚 → 夷灊 → 夷隅 → いすみ
     いじむ → いじみ →いしみ→いすみ → いすみ

と変化してきたことになります。

伊自牟は『古事記』712年の表記、伊甚は720年『日本書紀』の表記。
この間、713年に地方の国名を漢字2文字にせよという命令が出たための表記変更です。
伊の部分はそのままで、自牟(ジム)が甚(ジン)に置き換わりました。
ジム→ジンの変化はそれほど無理はありません。
問題は『日本書紀』が伊甚をイジミと読ませていることです。
甚をジミと読ませるには無理があります。

そこで「いじむ・いじみ」とはどういう意味か、考えてみました。
これを「い+じむ」「い+じみ」に分解してみます。
語頭の「い」は発語、勢いであって意味はなく、問題は「じむ・じみ」です。
これは「しみる」「にじむ」の古語「しむ」(動詞)、「しみ」(名詞)だと考えられます。
だとすると、「いじむの国」(=動詞)でも「いじみの国」(=名詞)でも、読み方はどちらでも構わないということになります。

では、何が何にしみた国だったのでしょうか。
この地域が奈良・平安時代は紅花の産地であり、紅花と紅花で赤く染めた布の産地であったことに関係あるのでしょう。
当地から紅花を税として都へ収めた記録が残っています。(『延喜式』巻24「主計上」)
イジムは紅花で赤く染まる国、イジミは紅花の染料で布が赤くしみた国だった。
現代語でいえば紅花で赤く「にじむ」国だったと考えられます。

有名な山形の紅花は実は房総を追われた長南氏が山形に種を持ち込んで広めたそうで、最近、お隣の長南町では本家の誇りとして「紅花祭」を盛大に行っております。

さて大化の改新(645)大宝律令(701)によって日本は中国式の中央集権国家に変質し、伊甚郡が夷灊郡に表記変更されます。
中央から見て東国は「夷」(い、えびす=東国の野蛮人)だから伊→夷に変更。
甚は同じ音の灊に変更。灊は「しむ・しみ」という意味なので、単に音を借りただけの甚よりもふさわしく、かつ重々しく権力者好みの漢字だったのでしょう。
                             (来週金曜日につづく)
 

 

★ブリカマも塩麹 

 
  スチームオーブン焼き

新鮮で大きなブリのカマがスーパーで650円。見るからにおいしそうなので思い切って買いました。
塩麹大さじ2でまぶし、ラップでぴっちり封をして冷蔵庫で1晩寝かせます。
あとはオーブンの「おまかせ」機能で焼くだけですから簡単です。25分ぐらいでしたか。
ただし、ブリから油がしたたり落ち、受け皿角プレートの焦げ付き掃除が大変でした。

そのままでも塩麹の塩味で十分おいしいく、他の調味料は不要です。
柔らかく適度に油が落ち、それでいてパサつかず、しっとりとしたウマ味がありました。
お好みでちょっと醤油を垂らしても良いでしょう。
焼き立てのアツアツが抜群の味です。

養殖ハマチの味の不自然さから、しばらくブリ・ハマチからは遠ざかっていました。
最近は養殖技術も発達し、油臭さがなくなっていると聞いています。
商品は天然ものの生きジメでしたから、思い切って買って正解でした。

画像のサヤエンドウは何有荘菜園の初物。
ナノハナは放置して置いたら咲いてしまったミズナの花。
飾りですが、その気になれば食べられます。
二人だけの暮らしですから、毎日おままごとのような食事です。

 

★新鮮ならば皮付き焼きタケノコ 

 

焼きタケノコの作り方
 1.皮を2~3枚はぎ、ざっと水洗いして土を落とす。
 2.新聞紙で包み水にぬらしてアルミで包む。
 3.ダッチオーブンで50分。味付けはお好みで。
 4.ナイフとフォークでが食べやすい。

たき火(直火)でなら時々ひっくり返して万遍なく火に当てる。
電子レンジのオーブン機能でなら、アルミを巻かず、濡らした新聞紙だけで。
竹串がすっと通れば出来上がりです。

何よりも新鮮な竹の子が手に入った時の料理法で、タケノコの味が内部にギュッと詰まった格別のおいしさです。
画像のタレは柚子味噌。庭の木の芽を添えました。相性は抜群で「春の味だなぁ」と感激します。
タケノコ自身の香りも素晴らしいのですが、少々のエグ味があります。
この少々のエグ味が焼きタケノコの味を引き立てるのです。山菜のエグ味がアク抜きで全部消えてしまったら味気ないのと同じことです。

朝どりタケノコを数時間後に処理しました。1日置いたタケノコで焼きタケノコをしたことはありませんが、たぶんアクが強すぎるでしょう。
タケノコは空気に触れると時間単位でアクが強くなっていきます。
そのような場合、一度ぬかなどでアク抜きしてから焼けばそれなりに焼きタケノコになると思います。
ただし、何有荘式焼きタケノコは皮付きのまま焼くことがポイントです。
もちろん、皮なしのゆでタケノコを焼いても良いとは思いますが、新鮮皮付き焼きタケノコはこの季節だけの絶品料理です。

 

★蕗(フキ)の綿帽子です 

 
   メス花は綿帽子となる

早春の味覚であるフキノトウにはオス花・メス花があります。
市販のフキノトウは苞(ホウ)というカバーで包まれているので区別がつきません。
山野で採集する時は多少開いていても問題ないので、オス花・メス花が区別できるのに、何も気にもしないで採集していました。食べても差があるとは気づきませんでした。

今シーズンはオス・メスを自覚的に区別してきましたが、味の差についてはよくわかりません。オス・メスの差よりも大きさや育っている環境(日当たりや土壌)の差の方が大きいように思えます。
ちなみにオスの方が花粉と蜜があるのでおいしいと人は言います。

メス花は今の時期、成熟してタンポポのような綿帽子を作ります。
羽毛の下に小さな種があり、風に吹かれて飛んでいきます。
考えてみればフキはキク科に属するので、両者が似ているのは当然です。
もちろんオス花は綿帽子にはなりません。開いたまま枯れ果てていきます。
なんかオスって気の毒ですね。身につまされます。

フキは地下茎が伸びて増殖するのが基本ですから、メス花の周りはみなメス花なのは地下茎でつながっているからです。オス花も同様。
それなのに種子も作るんです。ミントの仲間もそうです。
地下茎と種と、両面作戦で増えるのですからもう最強と言えるでしょう。

植物にも気の弱い種族と強い種族がいて、自分たちだけが繁栄すれば良いと思い、他の種族を滅ぼしてまでも領土を広げていくタイプがおります。
このような侵略的な性格は、もしかすると、ウカウカしていると食べられちゃう、摘まれちゃうという長い歴史の反映かもしれません。
気の弱い植物が次々に絶滅危惧種に転落していく中、気の強い彼らは何があっても当分は存続していけることでしょう。

そう考えるとヤクザになった個人や鼻つまみものの某国も「存亡の危機」ゆえの傍若無人なのかもしれません。