★いすみ市の昔話-鬼が埼(2) 

 
   天候が急変すると海は危ない

前回に続き、江戸時代の話です。
太東埼沖は黒潮が通り、海面下には多くの岩礁があるので複雑な潮の流れとなり、昔から船の難所として知られていました。
目の前で座礁・難破した船があってもシケている時は救出に船を出すことも出来ません。
ガンバレ・ガンバレと声を限りに叫んでも、みすみす大波に乗員たちが飲み込まれていくのを眺めて地団太を踏むばかりです。
翌日、波がおさまり現場に急行しても行方不明になった船乗りの遺体が上がるとは限りません。
岩礁に挟まれて上がらないのか、それとも黒潮に乗ってはるか沖合に流されてしまったか。
岬の沖合では多くの人々が命を落とし、人々はこの太東埼を恨みを込めて「鬼が埼」と呼びました。

毎年、お盆の頃になると浮かばれなかった人々が亡霊になって現れたそうです。
特に浜に西風が吹き、霧が深い日はどんなに波が静かであっても船を出してはいけない、亡霊が出て海に引きずり込まれるといましめられていました。
しかし若い漁師たちは
「そったら話、迷信だっぺー」
「魚獲るのに盆や正月はかんけーねぇーべや」と出漁してしまいました。

その日は他に船はなく、いつもよりずっと豊漁で、若い漁師たちはご機嫌でした。
「そろそろ暗くなるべ、そったらかえっぺか」と帆を掲げ、帰り支度を始めました。
ところが波は立っているのに風がありません。
仕方がないので櫓(ロ)を漕いで帰ろうとしましたが櫓が異様に重たいのです。
まだ夕暮れには間があるはずなのに周囲は一段と暗くなってきました。
やがて生暖かく、生臭い風が吹いてきました。波は一層激しく舷側に打ち寄せますが船は全く動けません。
やがて周囲は暗闇というか、黒い霧に包まれ視界は全くなくなります。
そして遠くから「モーレンヤッサ、モーレンヤッサ」という掛け声が聞こえてきました。
猟師たちは助け舟だぁと喜びますが、姿が見えません。
モーレンヤッサの声はどんどん近づいて、すぐそこに声が聞こえます。
突然、ひときわ大きな声で「モーレンヤッサ」の掛け声がすると同時に荒れる波間から大きな片手が突き上がり、「柄杓(ヒシャク)貸せーっ、柄杓貸せーっ」という声が聞こえました。

漁師たちは肝をつぶし、腰を抜かして船底にうずくまって何もできないまま頭を抱えてうずくまっていたんだと。
やがてどれだけ時間がたったのか、気がつくと船の帆柱は折れ、獲ったはずの魚は1尾も残っていなかった。空を見上げると晴れ渡り、夕暮れの一番星が輝いていたんだと。

呆然自失。それでもようやく村に漕ぎ帰ると、浜には村人たちがあまりにも帰りが遅いことを心配して浜に集まっていました。
若い漁師たちはその場に倒れ込み、そのまま何日も眠りつづけました。
やがて看病の甲斐があって目覚めると、問われるままに当日の話をポツリポツリと話し始めました。

その話を聞いた村の長老が
「それはモーレンヤッサという船幽霊(フナユウレイ)じゃ。
お前らは腰を抜かして何もできない、何もしないので命拾いしたサ。もしその時に柄杓を渡していれば、柄杓はあっというまに何十、何百と増えてしまい、巨大な手は何十、何百の亡者の手となって柄杓で海水を船の中に汲み入れるのじゃ。お前らの船はあっという間に沈んでいたじゃろうよ。
モーレンヤッサも思えば気の毒な亡者どもじゃ。盆だというのに誰も弔ってくれない。
お前らの船が動かなかったのは亡者どもの手で引き止められていたのじゃ。
お前らを亡者の仲間に引き込もうとしての。
亡者どもは盆の頃になると生きている者をうらやみ、ねたんで出てくるもんじゃ。
だからのぅ、万が一のために船には底が抜けた柄杓を用意しておくのも一つの手なのじゃ。底がない柄杓なら水を汲めぬからのぅ。亡者どももあきらめるしかないのじゃ。
これからはよーく考えて行動し、亡者どもの霊をねんごろに弔うが良かろう」
と、遠い昔を思い出すような目つきでしみじみと語りました。

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船幽霊の話は全国各地の漁村に、それぞれバリエーションはあるものの伝わっています。
海中から巨大な手が現れるというパターンは外房の勝浦から銚子にかけて広まっており、勝浦も銚子も海面下に無数の岩礁があります。
「モーレンヤッサ」とは「亡霊ヤッサ」と考えられています。「ヤッサ」はエッサ、ホイサ同様の掛け声です。
妖怪の語り手・水木しげる氏によれば「猛霊八惨 モウレイヤッサン」と言いますが、水木氏独特の創作のように思えます。

わたしは子どもの頃、お盆を過ぎたら海水浴は禁止。土用波が来るからと親に言われた記憶があります。
お盆の頃というのは一種独特の雰囲気がありますね。海も山も里も霊的な空間に包まれます。
都会では盆も正月もさらりとしたものになりました。
都会育ちのサーファーは盆も正月もなく太東の海で波乗りを楽しんでいます。
太東埼がかつて「鬼が埼」と呼ばれ、一帯は大勢の命を奪った危険な水域であり、霊的な海域であることを、たまには思い起こすことも身を守るすべとなることでしょう。

                           (来週金曜日につづく)

 

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★ソラマメの花が咲きました 

 
   何だかよくわからない花ですネェ

もう少し美しい花だと良いのですが、意外と地味な花です。
まだそら豆は背が低い。冬が厳しかったからでしょうか。
こんなに低くて(30cm~40cm)もう花を咲かせたのは、もうすぐ4月だからでしょう。
花が咲けば実がなることが期待できます。
昨年は何有荘のみならず、付近一帯、プロ農家でも生育が悪かったと嘆いていました。
今年は昨年よりはマシで、どの株も元気よく育っています。

アブラムシはまだ寄りついていません。
花が咲くようになるとアブラムシの季節ですが、今のところてんとう虫様が菜園のあちらこちらにいるので期待をかけているところです。
てんとう虫はアブラムシの天敵で、幼虫の時からアブラムシをムシャムシャ食べてくれます。てんとう虫の幼虫は親に似ても似つかない姿をしています。
それで、気色悪い毛虫が取りついていると誤解する人がいて、アブラムシもてんとう虫の幼虫もいっしょくたに皆殺しにする農薬をかけるのは愚の骨頂でしょう。

不思議なことにアブラムシが取りついている株は特定の株で、他の株にはいません。
その株だけが自己犠牲の精神を発揮して他の株を守っているのかと思うほどですが、そんなことがあろうはずがありません。
もっとも、”植物は会話をしている。ある株がやられると特殊な物質を放出し、他の株がそれを検知してバリアを張る”と主張する人もいます。
それが本当ならば、おもしろい話です。

アブラムシはどのような株につくのか、今年はもう少し慎重に観察を続けたいと思っているこの頃です。

 
 

★ダイヤモンド富士不発 

 
   何有荘から昨日(3/27)夕刻の画像です。

3月25日は富士山の左(南)側斜面に日が沈みました。
26日のブログで予告した通り26日がダイヤモンド富士の日でしたが、当日は厚い雲が西にかかり撮影は無理でした。カメラを構えていたのに不発です。
昨日27日は富士山の右(北)側に日が沈むのが確認できました。
画像のように北斜面に太陽がかかっています。
コンパクトデジカメですからこの程度の画面でしかないのが残念です。

何有荘の北緯は35.69度、富士山頂は35.36度で、事実上、ほぼ真西です。
春分の日に太陽は真西に沈みますから、ダイヤモンド富士は春分の日のように思えます。
ところが違うのです。
富士山は標高がありますから、富士山のちょっと右側(北側)に太陽が没する日がダイヤモンド富士の日になります。
この近辺では緯度経度の関係上、春分の日+6日、または秋分の日-6日がダイヤモンド富士の日となるようです。

今年はオリンピックイヤーで閏年ですから、春は3月26日。秋は9月16日だと思います。
例年ならば春は3月27日。秋は9月15日でしょう。
ご近所には roseさん というとても素晴らしい画像の取り手がいらっしゃいます。
いすみ市にはカメラの腕が達者な方はたくさんいらっしゃるでしょうから、なんとかいすみ市からのダイヤモンド富士を世間に知らしめて欲しいものです。

ついでに星の話をいくつか。
このところ、西の空に金星・木星が上下に並んですばらしい。
星が苦手な人でも大丈夫。だれでも発見できます。
その二つの星を結んだラインを少し上にいけば「昴・スバル」が見えるはずです。
月と金星を結んだラインの金星寄りにあります。
スバルの七つ星が見えなくとも、二つ三つ見えれば合格です。
さて東南のやや上空にある赤い星が火星です。
午後10時になれば、西の木星は地平に沈み、東からは土星が上がってきます。
水星はめったに見ることができませんから、月・火・木・金・土が一晩で見えるということは豪華な晩なのです。

 

★ケールが復活

 
  キャベツの原種だといわれている

画像のように庭のケールはまぁまぁの姿で収穫されました。
半月前までヒヨドリにさんざん突かれてボロボロでした。ヒヨドリが冬場のエサ不足時期には連日やってきて、それはもうひどい姿で丸坊主でした。

メジロだけにミカンをやっていたのですから、ヒヨの乱暴狼藉には目をつぶってきました。
そのうち、ヒヨがメジロのミカンの味を覚えて盗み食いを始めると、葉物をつつく回数は減りました。
そしてウグイスが鳴き、カエルも鳴きだした今日この頃は木々の芽も膨らんで被害はどんどん減りました。

そして新しい葉を伸ばしました。植物の自己修復能力に感嘆する次第です。
ところがが、5日ほど前にモンシロチョウが飛んでいるのを発見しました。
ケールは今度はモンシロチョウの幼虫と闘わねばなりません。
食われっぱなしですから、わたしたちがヘルプに入ることになります。

ケールは青汁の主材料としてよく知られていますね。
ケールを日本語で「野生甘藍 ヤセイカンラン」といいます。カンランとはキャベツのこと。
つまり「野生のキャベツ」という命名です。

葉ボタンもキャベツの仲間で、花キャベツとも言います。それならば食べられるだろうと試した人がいました。(わたしではありません)
筋っぽくておいしくなかったそうですが、その辺は好みの差があるかもしれません。

ケールが「野生のキャベツ」という命名なのは「結球しないキャベツ」だからです。
現代のキャベツはどんどん軟弱で薄味になって万民向け・お子様向けに「品種改良」されているのに対して、こちらはワイルドですから味が濃い。
調理の仕方は普通のキャベツと同様です。
生の千切り、炒め物、煮物なんでもござれ。みそ汁やロールキャベツにも合います。

ケールの野菜ジュースが大好きで、「ケールのおかげで長生きできる」という知人がいます。
ケールにニンジンやリンゴ、バナナ、豆乳、蜂蜜など好みの具材を混ぜてジュースにしているそうです。

 

 

★超簡単、タケノコ料理 

 
  タケノコ、豚肉、ジャガイモ、絹サヤのバター味噌炒め

昨日、里山の仲間からタケノコが採れて茹でてあるから昼飯を作ってほしいと連絡がありました。
この日は黒米とコシヒカリの種もみを苗ケース70枚にまく作業があり、仲間が作業している間に仲間の人数分だけ作れという指令です。
それで画像の料理を作りました。『肉タケジャガみそ風味』と勝手に名づけました。

◆材 料:茹でタケノコ、豚肉、ジャガイモ、絹サヤ
◆調味料:バター。味噌+味醂+醤油+水
◆作り方:
  1.豚肉は1口大に切り、炒める。
  2.タケノコ、ジャガイモは3mm幅程度で輪切りにし、1に加えて炒める。
  3.絹サヤ、バターを加えて更に炒める。
  4.味噌+味醂+醤油+水をよく溶き、かけ回し、水分がある程度飛べば出来上がり。

材料や調味料の量は適当です。ご自由にどうぞ。
「肉じゃがタケノコ入りみそ風味」という感じですかね。バターが効いて美味でした。
ジャガイモはタケノコが人数分に少し足りないので増量材みたいなものですから、なくてもOKでしょう。

味噌汁は仲間が海から取ってきたハマグリが具。それに何有荘のタクワン、買ってきた漬物。それからセンター自生のシイタケの甘煮を付けました。
自分たちで作って収穫したコシヒカリの白ご飯にとても良く合い、全員完食です。

タケノコは煮物やタケノコご飯が王道ですが、毎回では少し飽きるという贅沢な悩みがあります。
それで超簡単で目先が変わった料理をお出しした次第。
農作業に参加できないのはさびしいけれど、炊事当番とはいえ、みなさんの役に立つのはうれしいことです。

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★いすみ市からダイヤモンド富士
たぶん今夕(3/26)だと思います。17:45ごろからカメラを構えて、しかも晴れならばダイヤモンド富士の撮影に成功することでしょう。
いすみ市からは5合目以上しか見えませんがなかなか見ものです。

 
 

★いすみ市の昔話-鬼が埼(1) 

 
   太東埼は鬼が埼の別名を持つ

「たいとう」? それとも「だいとう」? と聞かれることがあります。
江戸時代の書物には「大東・だいとう」とあったり、時には「大唐・だいとう」と記述されておりました。
だから本当はどちらでも良いのですが、現在は「太東・たいとう」で固定されています。

太東埼がまだ大東埼であった頃、この岬を通過する船舶はたびたび遭難の憂き目にあいました。航海の難所として知られ、鬼が住むと恐れられ、鬼が埼の異名を持つのが太東埼の岬でした。
当時の船(和船)は構造上外洋の強い横波やうねりに弱く、海図やコンパスもありませんから常に陸地沿いに航海しておりました。

ある時、静岡の焼津から千葉県の銚子にカツオを運ぶ船が太東埼に通りかかりました。
熟練の船頭さんが帆を下ろせと命令したので若い船手たちは驚きました。

「親方! 日暮れまでに銚子に着かねばなりません。帆を下ろしたら船足は遅くなり間に合わなくなります。それでなくとも遅れ気味だからもっと岬寄りに進路を取るべきです」

「ばか者! そんなことは承知だ。 ここは鬼が埼と呼ばれる難所なんだ。鬼が出るぞ。“太東の旦那 ダンナ”と呼ばれる海の主がお住まいの場所だ。いいから帆を下ろせ」

「親方、そんな迷信を信じていたらカツオが腐って大損します」

「ここは帆を下ろして海の化け物に敬意を表し、無事に通してくださいとお願いするのが昔からのしきたりなのだ。よーく覚えておけ」

「親方もモウロクしたのではないですかい。日暮れて船を動かす方がよっぽど危険でしょうが。なにせ岸辺がわからなくなり、どっちを向いて走っているのかもわからなくなる」

「帆を上げたまま通る方がよっぽど危険だ。命取りになるぞ。俺の知っている船がいくつもここで沈んだんだ」

「それは船の操縦がへただったんでしょ。そんな化け物がこの世にいるわけがない」

帆を下ろさぬまま言い争いを続けている間に船は太東埼に近づいてしまいました。
そして船底に異様なショックを感じたのです。船員たちはよろめき、船端にしがみつきました。そして海中に巨大な生き物が回遊しているのを見たのです。

船の大きさよりはるかに大きく、眼は太陽の光を浴びて燦然と輝く怪魚です。海中から突き出た背びれは鋭く分厚く大きく、それが魚の背びれとは思えぬほどの大きさで波を切っておりました。
その巨大な怪魚が船に何度も頭突きを食らわし、尾びれで大波を起こします。あるいは船の下にもぐって急上昇するのですから当時の木造船はひとたまりもありません。
船はバラバラに分解して船員は船荷ごと海に放り出されました。
怪魚は次々に積荷やら船員やらを飲み込んでいきます。

この話は木片にしがみつき、奇跡的に救助された船員の話です。
「太東の旦那は確かにいる。旦那の機嫌を損ねたから俺たちは襲われた。どんな事情があろうとも、旦那に敬意を表し、そーっと通り抜けるにこしたことはない。昔の人の言う通りだった」と船員は語ったそうです。

太東埼はかつて沖合はるかに、現在よりもさらに1里ほど突き出た岬でした。
昔はそこに“沖原 オキハラ村”があったが天変地異で崩れ、人々は内陸に移住し、“荻原 オギワラ村”を建設したと伝えられています。
岬の先端の海面下には当時の陸地を構成した岩盤の残骸が“岩礁”として残っており、潮の干満によっては大変危険な場所でした。
太平洋の黒潮が岬にぶつかって一部は反流となり、岩礁にぶつかれば複雑な潮の流れにもなり、ベテランの船頭でも潮の流れを読み間違いしがちな難所でした。
その危険な岩礁の中にイルカが住みついていたと土地の人は言います。
イルカとは現在のイルカとは異なり、古代中国伝来の想像上の怪魚のことです。
そのイルカを“太東の旦那”として恐れていました。

今日的な常識で言えば、住みついたのは大型人食い鮫(サメ)だったのかもしれません。
伝説によれば、帆を上げた船を自分のテリトリーを荒らす敵と思って攻撃するのだとか。
台風などの大嵐や深い霧の日を好んで出没するとも伝えられています。

帆を掲げれば推力は増しますが同時に上下運動も大きくなります。そのため水面下の岩礁にぶつかることが多かったのかもしれません。
大嵐や霧の濃い日に船を出すのは今日でも危険で無謀なことです。
経験が浅く、元気だけは人前以上の海の男たちに対するいましめの伝説だったのかもしれませんが、おそらく事実に基づき経験談を核とした物語でしょう。
                               (つづく)

 

★山野草――春は春蘭(シュンラン) 

 
  岬町の雑木林で

車で10分、ちょっと山道を歩いて春蘭に会いに行きました。
世界中にランの熱烈な愛好家がおり、様々な蘭がある中で画像のシュンランはそれらの原種の一つであると考えられています。
枯葉と腐葉土の合間から姿を現していました。まるで保護色のようで探す目つきで探さなければ見過ごしてしまうでしょう。
高さ20cmほど、華々しさはなく、萌黄色の清楚な花で、それでも明らかにランの一種である特徴的な花の形が見て取れます。
この野生のシュンランを江戸時代の人々は採集してさまざまに品種改良を重ねてきました。
西洋種のランと較べると日本のラン各種が落ち着いたしっとりとした雰囲気を保っているのはシュンランの血筋を引いているからでしょう。

3月上旬には咲き始めるので春蘭というわかりやすい命名です。
今年は寒かったので10日ほど遅れ、撮影は一昨日20日でした。
蛇の髭のような葉の中にやや重たそうなツボミが立ち上がると数日後に咲きます。
このツボミと花を日本料理では使います。
飾りに使うだけではなく、つぼみはお吸い物や酢の物に使ってきました。
つまり最近のはやり言葉でいえば、昔からのエディブルフラワー。

世界遺産候補『日本料理』の神髄みたいな話ですが、それは昔の話でしょうね。
現在では絶滅が危惧され、要保護種に指定されておりますから、高級料亭で春蘭を使ったら後ろ指を指されます。食い意地がはったわたしでも手をつけません。
どんどん増えてもう邪魔だというぐらいに増えたら、と密かに期待はしておりますが…。

昔は料理に使われるほどたくさん生えていたのに違いありません。
そういう自然環境を破壊してきたのは人間です。
そして自然を再び生き返らせるのも人間の力でしょう。
岬町にも野生の春蘭が生き延びていることは誇るべきことです。

 

★手作りピザは超簡単だった 

 
    ちょっと焼きすぎた

ピザはいつもピザトーストなのだけれど、少し気が変わりピザ生地から作ってみようと思い、ググってみると、COOKPAD に 「と~っても簡単なピザ生地の作り方」 という りりまりさんのサイトがありました。
なるほど超簡単です。自分なりに少しアレンジしました。(2~3人分)

◆生地材料:強力粉200ml、 ドライイースト2g、塩一つまみ、砂糖小さじ2、
         サラダ油大さじ2/3、45℃位のぬるま湯80cc
       
◆作り方
 1.生地材料を全部混ぜてから油、湯を加えてよくこねる。
 2.クッキングシートの上で麺棒を使って丸く伸ばす。
 3.生地にトマトソース、チーズ、トッピングの順にのせて220℃オーブン15分でできあがり。

画像はちょっと目を離した隙に焼きすぎになってしまいました。ちゃんと予熱して15分のタイマーをかけておくべきでした。
トッピングは冷蔵庫にあったものを適当に載せます。
ミニトマト、ピーマン、玉ねぎ、サヤエンドウ、それに乾燥エノキ。ベーコンがなかったのでチャーシュー。なんでもOKなのが気楽です。おいしかったですよ。

パンがなければピザトーストが作れない。
だけど小麦粉(強力粉)があればピザ生地は作れる。
当たり前のことなのに作ってみようとはしなかっただけです。
作ってみれば簡単な話でした。
強力粉をこねるのは、そば粉をこねるよりもずっとずっと簡単です。
ピザ窯はないけれど、チャチャっとパパッとおいしいピザが食べられます。
ファストフードだもんね。速いのが取り柄です。

こねた後でベンチタイムを置くか、置かぬかはどちらでも良いようです。
こねてまとめて丸く伸ばしてすぐトッピングして焼いても
こねてまとめて少しベントしてから丸く伸ばした場合でもおいしくできました。
ベンチタイムをとった方がパンに近く、とらなければナンに近い生地になります。
どちらが良いかはお好みでしょう。

 
 

★ホウレンソウが甘い 

 
   4株しか育たなかったけれど

冬場に育つ葉物野菜はどれもおいしい。甘みがあります。
寒さで細胞が凍って破壊されないように糖分を自ら増やすからだそうです。
今年は何度も霜に会いましたから甘いのでしょう。
甘いだけではなく柔らかく、筋っぽくなく、アクがなくおいしいのです。

子どもの頃、アメリカのポパイのTVアニメがはやっていました。
“ポパイ ザ セーラーマン”のテーマミュージックとともにポパイがホウレンソウの缶詰を握りつぶして食べると百人力になり、悪漢ブルータスにさらわれたオリーブの危機を救います。
今考えると、あれはなにかのCMキャラクターだったのでしょうかねぇ。

当時の母親は野菜嫌いの子どもたちにポパイを引き合いに出してあれこれ説教して食べさせようとしたものです。
ところがホウレンソウのシュウ酸が問題になってから、野菜の王様の地位から転落してしまいました。
ホウレンソウが子どもに人気がなかった理由の一つはアクが強いことでした。
当時は甘くもおいしくもなかった思い出があります。

それから何十年もたってますから品種改良が進んだのでしょう。
何有荘のホウレンソウからは苦みの素となるシュウ酸のアクを感じません。
おそらく、採集したてで調理するから良いのでしょう。
肥料をやらず、殺虫剤も使用しないことでやさしい味になっているのだと思います。
無理なく自然に健康に育てばシュウ酸の量も少ないのだと推測しています。

先日、地元の原始農法家の原宏一さんの講演を聞く機会がありました。
その時、埼玉の若い方が、石灰を撒かず、耕さず、肥料を与えず、雑草の中でホウレンソウを育てているという話をして、収穫したそのホウレンソウを分けてくれました。
ちょっと見では葉が黄色くよれていますから窒素不足が想定されます。
それでも、いただいたホウレンソウの外側の葉を除けば緑の葉が隠れていました。
ゆでていただいたら、柔らかく甘いホウレンソウでした。

何有荘と同じような育て方ですから、同じような味がして親しみを感じました。
人間があれこれとあまりかまいすぎない方がホウレンソウには良いのかもしれません。
過保護・過干渉は野菜育てにも禁物のようです。
かといって、ネグレクトでもうまくいかないのは子育てと同様でしょう。

 
 

★メジロの目白押し 

 
  夫婦だと思うのですが、仲がよろしいようで

何有荘に来るメジロは1羽でくる「はぐれメジロ」とつがいで来る「夫婦メジロ」がいます。画像は夫婦メジロ。

一方がミカンをつついていると他方は見張り役を、交代交代で務めております。
食べ飽きて休憩する時は、何もそんなにくっつかなくとも良いのにと思うけれど、体を寄せ合って枝にとまります。
時にはたがいに羽つくろいまでしていると、「人前で何をやっているのだ!!」と言いたくなりますが、小鳥に文句を言っても始まらない。

もう1羽、単独で来るメジロがいます。夫婦メジロとはあまり仲が良くなく、一方が来ると他方は逃げ去ってしまいます。

夕暮れになると集団で行動し、枝や電線に停まる時はすし詰め状態で止まるため、その姿を「めじろ押し」と言うそうだけれど、集団になった場面はまだ見たことはありません。
集団ではなく、2羽だけでも「めじろ押し」するのが習性なんですね。

ようやく梅が満開になり、ツバキも満開が近づきました。
自然界に豊かな食糧があるようになったから、名残惜しいけれど何有荘の小鳥レストランはまもなく閉店です。
自然界でのサバイバル競争に打ち勝つ野生性を摘んでしまったら元も子もありません。
また来年お目にかかりましょう。
お待ちしております。