★フクジュソウはどこへ行った? 

 
  大多喜の薬草園にて

野生の福寿草に会いに大多喜の裏手にあたる山に出かけました。
車で1時間ほどで、歩く距離もさほどでもないので散歩気分です。
ところが1株もないのです。
あちらこちらにあるのは、掘り起こした穴。

個人の盗掘ではなく、数名による組織的な盗掘でしょう。
トラックで乗り付けたと思われます。
どこかに盗掘を免れた株はないものかと探しましたが、ありませんでした。
ここまできれいさっぱりと盗掘されてしまうと、もう来年からはダメですね。

セツブンソウという大変美しい花も房総で自生していましたが、今は自生地を知りません。
会おうと思えば、自然公園など管理された場所に行くことになります。
それはそれでいいのですが、ハイキングの途中で出会った時のうれしさとは比較になりません。

盗掘者は数万円の利益を得たかもしれませんが、失われたものは金額に直せません。
千葉の山から永遠に失われてしまいました。
そこに自生していたという記憶さえなくなるでしょう。
残念なことです。

せっかく出かけたのだからと、帰る途中で大多喜の薬草園に立ち寄り、福寿草に会ってきました。
当然のことながら歌壇の一画に整然と植えられています。
盆栽や花鉢のように可憐でカワイイのですが…。
千葉の福寿草はどこへ行ってしまったんでしょう?

 

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★カブトムシの幼虫、ごろごろ 

 
    堆肥の中でお休み中でした

ジャガイモの植え付けをするために堆肥を崩すとカブト虫の幼虫がゴロゴロ出てきました。
1匹はスコップの直撃で昇天してしまいましたから、後は慎重に手で堆肥を崩します。
全部で10匹ぐらい確保しました。
1匹の長さは7~8cmぐらい。たぶんもっと探せばもっといたことでしょう。

堆肥場は縦横高さ90cmのコンパネでできており、雑草や枯葉をためておき、時々ヌカを振りまいておいたものです。カサは1/2に減り、下半分はすばらしい堆肥になっています。
放置しておけばフカフカの土のような堆肥になるのは自然の妙技ですね。

幼虫を元に戻してやると次回、堆肥を切り崩す時にまた同じ苦労をせねばなりませんから、堆肥とともに何有荘に持ち帰り、育ててみることにしました。

育てたことがないので、育て方は知りません。
30リットル程度のトロ箱(発泡スチロール箱)の底に穴を開けて水はけを確保し、フタにも穴を開けて空気の出入りを保障し、堆肥とともに放置です。
幼虫がいた堆肥はかなり湿気ていましたから、その程度の湿気が好きなのでしょう。
害虫が侵入しないように底も天井もネットを仕込んであります。
まだ雪が舞うような寒さですから、半分冬眠状態で動きがほとんどありません。

ときどき様子を見て、表面に糞がたくさんたまったら掃除し、あらたに堆肥を追加する予定です。
暖かくなったらフタを外し、ネットを被せます。
6月になったらサナギになり、7月に成虫かな。
1匹100円で、売りません。
スイカをご馳走してから逃がしてやるつもりです。

 

★タネツケバナの食べ方 

 
   刻んでザルそばに載せました

漢字で書けば【種漬花/種付花】
この花が咲く頃、保存していたお米の種もみを水に漬けて発芽を促すことから名づけられました。
もっとも最近は何もかも前倒しで、この花が満開になる4、5月ごろはもう田植えの季節です。

別名がタガラシ。これは【田辛子】であり、食べるとちょっとピリリとするからでしょう。
アブラナ科の越年草で田や水辺などに生え、高さ20~30cm。白い小花を総状につけます。
同じアブラナ科のナズナとよく似ており、ナズナ同様に食用になります。

薬味としてネギと同じように食べるのが一番簡単。
もちろん炒めても、煮ても、漬けても良いのですが、やや軸が気になるかもしれません。
だから生を刻んで食べることをお勧めします。
味噌汁にパラパラ。納豆にパラパラ。スパゲティーにパラパラ。
トーストにパラパラ。オムレツにパラパラ混ぜ込んでもOK。

雑草だなんて言わないで、ジャパニーズハーブだというと格が上がります。
この近辺ではたくさん自生している場所がある一方で、まったく見かけない田んぼもあります。
自生している場合、田んぼ全面に広がっている景色は見事なものです。

このタネツケバナを食草とする蝶が ツマキチョウ で、春一番の美しい蝶です。
最近ほとんど見かけません。 7年ほど前に一度見かけたきりです。
千葉県の絶滅危惧種指定。
雑草を排除することはストレートにその植物に依存していた蝶の絶滅につながります。
生産活動にたいして支障がないならば、雑草も残してほしいものです。

   ようやく咲き始めた      葉はこんな格好
  

 

 ★大原出身の弁護士歌人、矢代東村(4) 

 
  思想・信条・表現の自由の弾圧を追認した旧法務省本館

1937(昭和12)年から始まった日中戦争が泥沼にはまり込む中、1940(昭和15)年には「紀元2600年」の祭典が大々的に開かれました。
神武天皇が即位してからちょうど2600年目であり、世界に例のない神の国=日本はアジアの盟主であり、負けるはずがないと国民はお祭り騒ぎでしたが、それはより大きな悲劇の始まりでした。
日独伊三国同盟が結ばれ、戦争目的遂行のために「国民精神総動員運動」がおき、東大の津田左右吉博士の著書が発禁処分となります。
戦争に反対していた共産党に対する弾圧が功を奏すると次は自由主義者やキリスト教徒が弾圧の対象になりました。

1941(昭和16)年に太平洋戦争が始まると、政治は大政翼賛会に一本化され、文学界(小説・評論随筆・詩・短歌・俳句・国文学・外国文学・劇文学)も「日本文学報国会」に統合されて戦争賛美の時代となり、思ったことをそのまま発表することは「犯罪」となります。
翌1942年、矢代東村は自宅に乗り込んだ特高(特別高等警察)に拉致されました。
牢獄での作品三首

 *泥棒らと一つ監房に/たたき込み、/たたき込まれて/この気安さ
 *日差しの位置、午後三時頃と/爪をもて/壁にしるしつけ、/我慢しきれず
 *子供等が/配給の菓子を取りおきて/われに差し入れると/聞けば、また泣く

6ケ月後に起訴保留のまま仮釈放されますが、その間に何があったかを東村は詳しく語っていません。語れないほどの体験だったのでしょう。
釈放後、古くからの友人は遠ざかり、また親しい人の弁護も辞退します。

 *正しきを/正しきとして/行くことの/難きを知らば/いや慎まむ
 *行くところまで行かねばやまぬ/人間のこの戦を/我れは見守る
 *堪えしのび/時の来るのを待つべしと/子供にはさとせ/口惜し我れも

1944年、帝国の絶対防衛線としたサイパンが陥落します。
制空権・制海権を失い食料・弾薬・医薬品の補給なしの日本将兵に東京の参謀本部はサイパン死守を命じました。文字通りそこで死ねという命令でした。

 *敗戦はおおうべくもなし/何故の敗戦かは/深く思ひ見るべし

サイパン陥落以後、B29による本土爆撃が連日のようになり、学童疎開が始まります。
疎開する小学校3年生の娘・弘子に贈った作品

 *一日とて/汝が身の上を/父母は/忘るる日なし/心して行け
 *汝一人生きのこるとも/父母の心はつぎて/更にいそしめ

3/10の東京大空襲で一夜にして10万人焼死、8/6広島・8/9長崎に原爆投下と続き、8月15日にようやく終戦となります。10月15日治安維持法撤廃。

 *治安維持法撤廃の記事/今朝読みたり/いたく疲れて我れはありたり
 *人一人/倒れ臥せれど/見る人の/一人しあらず/うち倒れ居り

戦争は終わっても人々の暮らしは困窮のどん底で餓死、行き倒れの人も多く、それが東村の胸を刺します。戦後になっても東村の心身は完全には癒されていないようです。
それでも治安維持法で収監されていた友人たちが解放されると少しは元気になってきます。メーデーに参加した時の作品
 
 *つかつかと/群衆の中/わけゆきて/その手握らむとす/この衝動を
 *百万の味方/いつも背後にあることを/忘れるな/心へこたれる時

ところが1949年、占領軍(米軍)は日本を米ソ対立の防波堤とすべくレッドパージを断行し、共産党員とその支持者を公職から追放します。
下山事件・松川事件・三鷹事件など不可解な事件が続発し、それは共産党の仕業だとされ死刑判決さえ出ます。(後に松川事件は無罪確定。他は今日でも真相不明)
世の中は再び現実を見ないで、強い者の言い分をそのまま垂れ流すようになります。このような社会の動きは東村の心をひどく傷つけたことでしょう。

1952(昭和27)年、東村は逝く。葬儀は比較的さびしかったようです。
参列した歌人の香川進の作品。
 *あと二十日生きる銭しかなくなり東村らしい豪華さ、ぼたんの花
 *老いた「都会詩人」はさびしい、火のなかに、眼にみえるすべてを
 *柩のなかには雑草をいれる以外どうにもならぬでないか
 *土岐善麿しかきてくれないけど東村よ八貫匁まで痩せて死んだのだ
 *歌に憑かれたような生涯だった、けど、こんなしずかな日に死んで
 
                                        
    (つづく)→●   (戻る)→●

 

★メジロ用バードフィーダー 


    百円ショップで買いました

バードフィーダー Bird Feeder とは小鳥のエサやり器のこと。
百円ショップで泡だて器を購入し、そこにミカンを入れてぶら下げます。
メジロは上手にミカンを食べますが、ヒヨドリはつかまる場所がなく寄ってきません。

ヒヨドリはメジロを暴力的に追い払い自分だけ堂々と食べます。
メジロが可哀想でヒヨドリへの憎さがつのり、なんとかヒヨドリにエサを横取りされないように工夫はないものかと努力してきました。
しかしヒヨドリの方が頭が良く、わたしの努力をあざ笑うかのようにことごとく失敗してきました。

「とりぱん」という漫画の読者投稿欄に泡だて器の話があったので真似してみたところ大成功でした。
メジロが食べ残したミカンを地面に置いておくと、ヒヨドリが地面のミカンを狙ってきます。
皮しか残っていないと皮を引きちぎって食べる姿がおかしくもあり、哀れでもあります。

これでエサの取り合いは少なくなり、平和共存、棲み分けが実現しつつあります。
エサの位置を距離を置いて上下に分けることがコツです。
スズメ、アオジ、メジロ、ヒヨドリが同時にエサをつついている場面が多くなりました。
家の窓からのバードウォッチングは暇つぶしになります。
小鳥にエサをあげ、小鳥が寄ってくるとうれしい。友遠方より来たるありの感じです。
実際、シベリヤからきている連中も多いのですから。

ツグミはほとんど見かけません。
全国どこでも見かけないと報道されていました。
せっかく日本にまで、しかも何有荘まで来たのですから歓待しています。

連れ合いさんは黒くなってしまったバナナや賞味期限切れの水羊羹も庭に出しています。
大丈夫なんでしょうかねぇ。
バナナは口に合わないようですが、水羊羹は人気があります。
シベリヤにはバナナはありませんから、食べ物と認識するには時間がかかるようです。
小鳥のエサやりも後1ケ月の作業です。
人間様の畑作業が忙しくなる頃、野鳥は野に帰っていきます。

 

★フキノトウの雄花 

 
   白く小さな星のような五弁の花が咲く

フキノトウに雄・雌の違いがあることは数年前に知人が教えてくれました。
やや黄色い方がオスで、白い花はメス。どちらかというとオスの方がおいしいという話でした。

ところがフキノトウを採集する時はまだ花が咲く前なのでオスメスの判別をしたことがありません。
それで今年、庭のフキノトウをわざと採集し残して観察することにしました。

フキノトウはたくさんの花がひとまとまりのグループになっており、複数のグループが頭頂に並んでいます。
タンポポや菊の花と同じように、一つひとつは本当に小さな花です。

画像のように一つの花は5枚の花弁をもっています。
もっとも根元でつながっていますから「合弁花」で、ホタルブクロと同じく先端が五弁に分かれているだけです。
花の中央にオシベ・メシベのようなものがある「両性花」ですが、事実上、ある株はオスの機能を喪失し、ある株はメスの機能を喪失しています。
つまりオス株とメス株があり、地下茎でつながったフキノトウは全部オス株(オス花)かメス株(メス花)かのどちらかになります。

オス花は花粉を作ります。
だからメス花と較べてやや黄色といわれます。
また少々ですが蜜も生産するので昆虫が寄ってきます。だからおいしい。
メス花は蜜を生産しないので昆虫が寄りません。これでは子孫が作れません。
それでメス株にはメス花の中にいくつかオス花が混ざって咲くそうです。
面倒な話ですが、自家受粉=近親交配をできるだけさける工夫です。

さて画像のフキノトウのオスメス鑑定ですが、あまり自信がありません。
というのも何有荘のフキノトウはどうやらオスばかりでメスが見当たりません。比較対象がないので困ります。
かといって近辺を探そうにもまだフキノトウの花が咲いていません。
とりあえず鑑定の決め手は、拡大してみると花芯が太くて頭頂部も大きいということです。だからオス花。

ここに花粉ができるはずですが、さほど黄色っぽくないのが不安材料。
鑑定結果が正しいか否かの結論は塔立ちした時点ではっきりします。
メス株ならばその後タンポポのような綿毛ができて飛んでいきますからネ。

  

★春を待つカモミール 

 
   秋に芽を出し、かなりの大株で越冬

「大地のリンゴ」とも言われるハーブで、甘いリンゴの香りがします。
確かにリラックスするティーで、鎮静、消化促進、発汗作用などがあるそうです。

英国の童話の話。ピーターラビットがお腹をこわしたときに母親はカモミールを煎じて、寝る前に大さじ1杯飲むように指示しています。
英国では薬草として昔から使われていたのでしょう。

最近NHKの「生活向上委員会」という番組で、カモミール生産者のおじさんが「毎日カモミールティーを飲んでいるので健康診断の時に健康優良児だと言われた」とうれしそうに話していました。
おじさんの飲み方は、花も茎葉も一緒に乾燥させ、適当に裁断したものをポットに入れていました。
あらゆる検査数値が年齢標準よりもずっと若かったそうです。
茎葉も一緒なんだと驚きました。茎葉も一緒ならば大量に収穫できます。
収穫する手間暇も大幅に短縮します。花だけ摘むのは結構面倒なのです。
さっそく春になったら真似してみようと思っています。

同志社大学の研究で、カモミールに含まれる「カマメロサイド」という物質に、糖化の一部を予防する効果があることが分かったそうです。
つまり血中糖分とある種のたんぱく質が結合(=糖化)すると、肌のシミやしわ、白内障、骨粗しょう症、更には命に関わる心筋梗塞や、アルツハイマー病など、様々な病気の原因になるのだそうです。
カモミールティーは血液中の糖分がそのタンパク質と結合することを妨害するので健康に良いという説明でした。
知りませんでしたネェー。
それとピーターの腹痛と関係あるとは思えませんが、カモミールには昔から薬草効果が認められていましたから、そんな効果の一つが立証されたのでしょう。

あと1か月です。遅くとも4月になればカモミールの花が咲き始めます。
5月になれば咲き乱れます。
昨日は久しぶりに気温が10℃を越えて穏やかな日でした。
ひと雨ごとに暖かくなることでしょう。
そう期待しています。

 

★あわれなブロッコリー 

 
   ヒヨドリに葉を食い尽くされた

2月に入ってからヒヨドリが盛んに庭に侵入してきます。
第一の目標はメジロ様用のミカンを横取りすること。
第二の目標はブロッコリーの葉を食べること。

ヒヨドリは漢字で「鵯」と書きます。卑+鳥=鵯。
卑しい鳥と書く通りなんでも食べるようです。木の実、虫、花の蜜などが特に好み。
キャベツの葉なども大好きで、プロ農家のキャベツ畑がひどく荒されているのはヒヨドリが犯人です。
食べ方が偉そうで憎らしいのですヨ。
スズメやメジロを追い払って傍若無人。自分だけが独占して食べようとするので、窓を開けて脅かしヒヨドリを追い払っていますがラチがあきません。

しかし、卑+鳥=鵯と書くのは食い意地が張っているからというよりも、ピーヨ、ピーヨと鳴くので「卑(ピー)と鳴く鳥」なのでしょう。
ヒヨドリの命名も同様に「ヒーヨ、ヒーヨと鳴く鳥」という意味だと思います。

ブロッコリーについては、不思議なことに人間様が食べる部分(花蕾とその茎)には手をつけず、周囲の葉だけを荒らします。
ミカンから追い出されるとブロッコリーに飛んで行き、やけ喰いのように乱暴に食い荒らします。
そこでもう一度追い払うと必ずピーヨピーヨと鳴きながら逃げていきます。
黙って逃げないで必ず鳴きながらあわてて逃げます。
そこがなんとなくかわいらしい。

人間様が食べる部分には被害がないので、マァエーワと放置していたら画像のようにみじめなブロッコリーになってしまいました。
キャベツやブロッコリー、それにケールの葉も食い荒らしますから、食物繊維が豊富な青汁・緑汁が好きなのでしょう。だから元気があるのかもしれません。

ブロッコリーはもう収穫時期です。
収穫しないと塔がたち花が咲いてしまいます。それもまた一興ですが、せっかくできたブロッコリーですから、オイシイと言って食べてあげるのが供養というものでしょう。

 
 

★大原出身の弁護士歌人、矢代東村(3) 

  
  1947年、58歳の東村

画像は『法と民主主義』別刷2006年7月より引用。これは「日本民主法律家協会」の機関誌で、2006年に柳沢尚武弁護士が『矢代東村 短歌で治安維持法体制に抵抗した弁護士』を誌上に発表し、忘れられた歌人・矢代東村を再び世に送り出しました。(全文はこちら→●) 

大原海水浴場脇の日在浦海浜公園にある歌碑の矢代東村とはどんな人だったのだろうかと調べて今回が3回目になります。

 *検束。/検束。/また検束だ。しかし思へ。検束しきれないものを
   /みなが持っている。
 *検束するなら/いくらでも検束するがいい。/行列は続く。/
   あとから。/あとから。

大正デモクラシーの時代、1925年(大正14年)、普通選挙法が制定され、金持ちだけではなく貧乏人でも男性は選挙権を得ました。それを恐れた政府は同時に治安維持法を制定します。
「検束」とは警察が逮捕状なしに身柄を拘束して牢屋に入れることを示します。

治安維持法が制定されてから、京都学連事件、3・15事件、4・16事件などで大量の共産党員と支持者が拘束・逮捕され拷問を受けてきました。
昭和4年3月には治安維持法改悪(最高刑を死刑とする)反対を主張し、警察の拷問を国会で告発した山本宣治代議士が右翼により暗殺されました。
上記の作品は山本宣治暗殺直後の昭和4年の第10回メーデーでの様子を描いたものです。

矢代弁護士は拘束され、起訴された人たちの公判で弁護に立ちます。被告人は堂々としていました。何一つやましいことはありませんから。
被告たちの公判での様子です。

 *手錠のまま/ぐいと編笠をつき上げて、/はいるなり、いちいち/元気な挨拶。
 *丹野せつ子は/女の被告だ。/この中での、たった一人の女の被告だ。/
   俺たちの被告だ。
 *どの被告も/みんな確信にみちた顔。/その顔から、ぢかに/胸にくるもの。

しかし昭和8年、『蟹工船』の作者・小林多喜二が警察によって虐殺されます。
逮捕された時点で有罪が決まっているような暗黒裁判ですが、それでも形式上は被告人陳述はあります。
秘密裁判ではないのでマスコミが全国に報道する可能性があります。公安当局は被告人に同情する報道をいっさい禁止していました。
多喜二の場合、もはや形式的な公判すら行われず、当時の刑法でも違法であった拷問で虐殺されました。下手人(特高警察)のただ一人として罪を問われた者はいません。
警察発表は「逮捕時に暴れたので取り押さえたところ、心臓麻痺で死亡した。」
マスコミも自己保身のため、警察発表のまま報道しました。

矢代東村作、文芸誌『詩歌』より
 *「あ、やられた。小林はやられた」と/夕刊を見た瞬間思はず
   /口に出していってしまふ。
 *格闘したから/道へ倒れたから/捕縄をかけたから/
   それで四時間後の「心臓麻痺」が/どうして起こった。

遺体は築地警察署から多喜二の母・セキの居宅(杉並区)に運ばれ、セキは一目見るなり
「ああ痛ましや、痛ましや。心臓麻痺で死んだなんて嘘だでや。子どもの時からあんなに泳ぎが上手でいただべに…。心臓の悪い者にどうしてあんだに泳ぎがでぎるだべが。心臓麻痺なんて嘘だでや。絞殺しただ。警察のやつが絞殺しただ。」と叫んだそうです。

遺体は全身打撲・内出血ではれ上がり、手首や首に縄で絞めあげた条痕、手指の骨折など拷問の跡ははっきりしており、その事実を明らかにすべく大学病院に解剖を依頼しましたが、どの病院も警察を恐れて断ってきました。
真実を明らかにすることが犯罪とみなされた時代の話です。
通夜と告別式に参加した人々も次々に検束されました。
築地小劇場での「労農葬」も検束が相次ぎ取りやめとなってしまいました。

 *告別式の参列者まで総検束。/その中には、ほんの一読者だった/
   花束を持って来た/女性さえ。

この女性は中条ユリ、後の作家・宮本百合子です。
余談ですが百合子もいすみ市に関係があります。昭和20年、いすみ市江場土に静養のために来ていた妹の見舞いに来た時の百合子の歌を紹介しましょう。

 *よしきりの ここだ来(キ)啼ける 河口に かかる木橋は 年古りにけり
 *ひろびろと 夷隅の川の 海に入る 岬のかなたに 虹立ちて居り

昭和16年12月8日。真珠湾攻撃で太平洋戦争突入。翌9日には全国で400名ほどの知識人たちが一斉検挙されて「左翼短歌グループ」もほぼ壊滅します。
翌年、昭和17年には矢代東村(52歳)もシンパ(同調者)として逮捕されました。

6か月後に不起訴で釈放されますが、その間どのような拷問を受けたのでしょうか。
釈放されても「国賊」として社会的評価は地に落ちました。
東村は当時2人の小学生がいましたが、校長は全児童を前にした訓話で、国賊東村を糾弾したと伝えられています。家族の皆がさらし者にされた時代でした。
                                 (つづく)→●                                 (戻る )→●

 

 

★黒米でブラックカレー 

 
  
仲間といっしょに黒米を作っています。
黒米はポリフェノールいっぱいの健康米ですが、白米にちょっと混ぜて食べる程度では消費量が上がりません。
消費量を高めるために、今回紹介する料理は黒米をカレールーに混ぜてブラックカレーにしていただこうという趣向です。(6皿分)

【作り方】
 1.黒米1合を精米して、黒い部分をはぎとり、黒い部分(ヌカ)と白い米に分ける。
   a:黒い部分(ぬか)は150ccの水に浸してよくなじませて30分以上おく。
   b:白い米になった部分は白米に混ぜて炊く。
 2.いつもカレーを作るようにカレーを作る。
   水を加える時に上記aも全部入れる。
   これで画像のようなブラックカレーになります。
   画像のライスは白米に黒米を少々混ぜて炊きました。
   カレーもライスも黒米入りという「黒米ブラックビーフカレー」ができました。

ブラックカレーは食用木炭とかイカスミなどを使うのが普通でしょう。
黒米でも黒くなるだろうと思いついて作ってみました。
味はまぁまぁです。
絶品とは言えませんが 食べられないシロモノではありません。
好きか嫌いかは好みが分かれると思います。

ちなみにラッキョウは連れ合いさんが漬けたもの。福神漬けはわたしの作品。
白米は仲間といっしょに作った米ですから、自給自足生活もなんとかすれば何とかなるものです。
もっともわたしはウロウロしているだけで、大方はみなさんの努力でできたものです。

誰も知っている人がいない場所に越してきましたが、地元の人と仲良くなり、友人・知人がたくさんできたことで生活に潤いと張合いがうまれました。
ありがたいことです。