★いすみ市岬町の戦争遺跡 


  レーダー付帯設備跡 機関銃座跡 連隊跡

太東崎灯台付近は戦争末期に軍事施設があり、一般人立ち入り禁止区域でした。
昭和18年、太東崎の見晴らしの良い場所には米軍機を早期に発見・迎撃するための電波探信儀(レーダー)が大型1機、小型4機が海軍技術研究所によって設置されました。
大型機は当時の日本の最新鋭機で、コンクリの円形地下室で操作する仕組みになっておりました。
レーダーの性能を確かめる付属研究所も建てられ、そのレーダーを防衛するために機関銃座も設けられ、あわせて海軍太東航空基地(飛行場)も建設されました。
この作業のために近辺の住民が毎日600人ほど集められ、すべて人力での突貫工事でした。延べ人員約10万人、6か月で基礎工事は終わり、その後の完成までの工事は軍機により詳細不明。海軍省により軍関係者以外は立ち入り禁止です。

滑走路は現在の江東橋から一宮に向かう国道128号線を拡幅し、直線部分1000mで意外に短い滑走路です。厚木航空隊から約800名が来て工事に当たり、兵舎は太東小を使い、また別途大型兵舎が建設され、和泉・江場土は大勢の将兵・人夫でごった返しました。
格納庫は太東崎台地の横腹をくりぬいた掩体壕(エンタイゴウ)で、現存しており、中は広く、また迷路のようになっているそうです。
格納庫から滑走路までの飛行機が移動する道が開かれ、それを管理する兵舎も畑の中にあり、すべての工事が終わったのは昭和20年5月。8月の終戦までに滑走路に着陸した飛行機は3機だといいます。

陸軍も本気で本土決戦の準備をしていました。
長者小学校には「羅津要塞(ラツヨウサイ)重砲兵聨隊(レンタイ)内地転用本部並第一中隊」の本部が置かれました。小学校の校門を入った並木の右に小さな碑が立っています。
部隊は,和泉と中原の山中を掘り開いて砲台を据え,アメリカ軍の上陸に備えたのです。和泉志茂の陣地は日在海岸を敵の上陸地と想定して「野砲」を,中原吉附の陣地は九十九里浜に向けて「カノン砲」を向けておりました。

米軍は主として大都市を爆撃しておりましたが、いすみ市の海岸に不穏な動きがあることは当然キャッチしておりました。
機銃掃射は頻繁にあり、8月13日には椎木が空襲を受けます。
そして15日、終戦となり人々は呆然としたそうです。

進駐してきた米軍により電探施設は爆破され、野砲は米軍に没収されました。
弾薬はしばらく野積みにされたままでしたが、銚子沖に投棄されたそうです。

やがて断崖は浸食により30 m以上も崩落・後退し,直径7.8 mの円形地下操作室などの基礎部分も海中に没してしまいました。山上の松林にあった兵舎は昭和25 年に灯台施設となりましたが,崖の浸食が進み,昭和47 年に灯台は100 m移動します。
しかしこの初代灯台施設も今や跡形もありません。

現在,電探付属の礎石(左写真)だけが残り,「機関銃座跡」とともに解説板が建てられています。この礎石が崩落するのも時間の問題でしょう。
人々の熱病のような神州不滅・一億玉砕の思いも、血と汗と泥にまみれた軍事施設もすべて海中に没し、あるいは雑木・雑草に埋まってしまいました。
今は何事もなかったように穏やかな田舎の風景が続いています。
参考:『岬町史』

 

スポンサーサイト

★正月準備の竹細工

  
  ラッカースプレー使用前・使用後

里山センターで太い竹と中ぐらいの竹を切り出し、さらに切断して工作してみます。
なにせ不要な竹だから肌が汚れており、白いカビみたいのがついています。きれいに洗っても取れず、ナイロンたわしでゴシゴシすると肌そのものを傷つけそうです。

たき火などであぶって竹の油分を出しながら磨くのが正しいそうですが、そうすると緑色はなくなります。茶道で使う竹の道具の色は枯れた色をしています。

でも表面の緑色を生かしたいというワガママな希望からラッカースプレーをかけてみました。ピカピカになってやや不自然とも思えますが、まぁいいでしょう。
それにしてもシブトイのは表面の白カビのようなシミ。
ラッカーをかけてもまだ見えますから、汚れ落としを慎重に念入りにする必要があるようです。

大きな方には竹炭をたくさん入れて消臭剤兼飾りとします。
小さな方は花瓶に見立てました。

竹筒花瓶には、産直で刈った100円の松と、山で切り出す熊笹と、庭の南天、それに銀白色のラムズイヤーでも投げ込めば正月らしくなるかなと思っています。

今日の作業はクマザサの刈り取り、手ごろな門松用の竹を採集してくること。
ウラジロは探しているのですが見つかりません。なくてもイイヤ。
どうにか今年は「一夜飾り」にならずにすみそうです。

 
 

★大掃除はエコで(2) 

 
     ミカンやレモンの皮は役に立つ

ミカンやレモンの皮を生ごみで捨てる人がいるようですがモッタイナイ。
何有荘のミカン(レモン・ユズでも)の皮の利用法を列挙してみます。
フレッシュでもドライでもOKです。ドライなら保存がききます。

1.100円ショップで買った目の細かい洗濯ネットに入れて「みかん風呂」。
  おいしそうな良い香りです。ゴクラク・ゴクラクでリラックス効果あり。
  リモネン、クエン酸、ビタミンCの働きで血行が促進され保温効果あり。

2.キッチン周りの掃除。
  むいたままの生でも、風呂に使った残りでもOK。
  蛇口を磨けばピカピカ。あちらこちらどこまでも磨いてみましょう。
   ◇レンジの油汚れは重曹の方が良い。重曹+油=石鹸ですからネ。

3.強力ミカン掃除液
  皮4個程度を細かく裂き、水500CC程度で15~20分煮だす。
  ここに台所布巾を入れてさらに煮れば、なんと布巾のしみついた汚れが落ちる。
  汚い布巾など入れないで、皮をこして煮汁だけにすればクエン酸水同様になる。
  水垢にはこれが効く。スプレーに入れ替えると使いやすい。
  市販のオレンジ洗剤のつもりになって使えば楽しい。

4.コーヒーメーカーや電気ポット、ヤカンの水垢取り。
  上記「強力ミカン掃除液」作りの要領で、ミカンを入れて煮てしまいます。
  しばらく漬けておき、冷えた液は「強力ミカン掃除液」として使いえばよろしい。
  あるいはその液を風呂に入れて「ミカン風呂」も楽しい。
  水あかが取れないときは数回繰り返す。

5.窓ガラスでも家具でも家電製品でも畳でもミカンの皮でクリーンになります。

クエン酸はお金を出して買わねばなりませんが、ミカンの皮でも掃除には役立ちます。
そのまま捨てるのはモッタイナイ。もう一度使ってから捨てましょう。
もっとも何有荘では捨てません。
「堆肥置場」へ出して堆肥にしていします。
地面から生まれた物はすべて感謝して地面に戻すのが原則です。

 

★大掃除はエコで(1) 

 

  重曹水=重量比8%程度。厳密さは要求されない。
  強力重曹水=熱湯で溶ける程度。
  クエン酸水=水で溶ける程度。酢ならそのまま又は2倍程度に薄めて使う。
  酢は100均の一番安い穀物酢・醸造酢でOK。

最近は重曹とクエン酸で大掃除をする人が増えました。10年前と比べると隔世の感があります。
昔は重曹を薬局で買いましたが、今ではホームセンターで売っています。

窓ガラスの大掃除はわたしの担当で、重曹が大活躍します。
バケツにぬるま湯を入れ、重曹を適当量入れます。これで十分ですが、ひどい汚れには「強力重曹水」を使います。強力重曹水は熱湯に重曹を溶かし込みます。
特に端は汚れていますから最初に使い捨ての小雑巾(ウェス)や新聞紙できれいにします。それからたっぷり重曹水を含んだ雑巾で窓ガラスを内側・外側と洗い流します。上から下へ汚れを落とします。
さらに水分をT字型のゴムの付いたスクィージできれいに上から下へ落とし、ケバの立たない布(ホームセンターで売っている極細繊維の布が便利)で拭きあげる。
ただし重曹分が多かった場合、ガラスに重曹分が残る場合があり、乾いた時に曇りや拭き跡の原因になります。
心配ならば薄いクエン酸水をスプレーして中和し、スクィージ・乾拭きをします。
 ◇新聞紙を仕上げに使うとインクの油分が残り、拭き跡を残すのでお勧めしません。
   窓の汚れの荒落とし用に使い捨てなら賛成です。

重曹は油汚れに強いのでキッチン周りにも重宝します。
それでも汚れが残るなら「強力重曹水」を使います。
それでもなお汚れているなら重曹を直接ふりかけ、クエン酸(酢で良い)を振りかけて泡泡にしてから拭き取ります。
重曹+クエン酸はシンクの排水口周りやそのバスケット掃除に威力を発揮します。
トイレの端がひどく汚れていても重曹+クエン酸で泡立てたらトイレットペーパーで湿布してから歯ブラシなどで落とせばきれいになります。
それでも落ちなければ、さらに重曹を研磨剤代わりにしてこすり落とします。

でも、蛇口周りの水垢ならばレモンやミカンの皮で拭けばピカピカになります。
皮を捨てる前に蛇口周りをこすってみることをオススメいたします。
もちろんクエン酸水のスプレーでもOKです。

重曹かクエン酸か、どちらを使うか悩む必要はありません。どちらでもきれいになる場合がありますし、重曹でダメだったらクエン酸にすれば良いのです。逆もしかり。

 

★暮れなのに初物のタケノコ 


 今の時期、産直店でも1本数百円はする

里山のたまり場は「研修センター」というたいそうな名前がついています。
センターには孟宗竹の竹林があり、4月になるとタケノコがわんさかと取れるので、それが楽しみで里山を守る会に参加しているようなものです。

先日はこの竹林を整備する日なので会員有志が集まりました。
竹林の中は傘をさして通れるくらいの竹の間隔が良いということで、混み合ったところは伐採し、竹炭用の寸法に切断します。ゴミや枯れた竹を運び出す作業もあります。

そこでHさんが何かにつまずいて転んでしまいました。
Hさんは地下足袋の下に眼が付いているといわれるほどの竹取名人ですからめずらしいことです。
ところがですよ、バタッと手をついた場所に何かを感じたそうです。もしやと思って掘り起こすとタケノコが隠れていたのでした。
さすが名人ですから転んでもタダ起きない。手にも眼が付いていると称賛されました。

さいわいフカフカの竹林ですから何のけがもなく、「五体投地したから仏様が恵んでくれたんだべよ」と笑っていました。
このタケノコをさっそくお昼ご飯に出したら皆さんから歓声があがりました。
掘りたてですから、洗って皮を数枚むいてお湯でゆがいただけで何のエグミもなく、タケノコらしい新鮮な味と香りがします。
刺身にできるくらいでしたが、青臭いという人もいるのでゆがき、庭の柚子を一つとって柚子味噌を添えました。

これから寒さも本番というのに土の中ではもう春の準備が始まっているのですね。
当たり前といえば当たり前なのに、この時期にもうタケノコが取れるという事実に驚きました。
暮れの内からお年玉をもらったような気分です。

 

★夢窓疎石(ムソウソセキ)の金毛窟(キンモウクツ)

           
 
いすみ市の能実(ノウジツ)にある大高寺に夢窓疎石が修業した洞窟があります。
夢窓疎石の遺構がいすみ市にあると聞いたときは耳を疑いました。
わたしが知っている夢窓疎石は禅の高僧で京都・鎌倉の寺院庭園の作者でした。
京都では天龍寺、苔寺、等持院。鎌倉では瑞泉寺など。
臨済宗の超一流の禅僧であり、作庭芸術家の疎石がなぜ上総といわれた昔のいすみ市に滞在し、しかもその滞在場所が「金毛窟」と呼ばれるのはなぜか、見当もつきませんでした。
今回はその調査レポートです。

金毛窟とは疎石が座禅修行をした洞窟の名前です。金毛窟の名前の由来は、
教育委員会発行の『いすみの民話』の解説に「金毛の獅子踞地(コジ)せず」からきていると書いてありますが、これではさっぱりわかりません。

仏教では金毛の獅子とはお釈迦様自身をさします。獅子吼(シシク)とは百獣の王ライオンがひとたび吠えるとすべての動物がひれ伏す、そのような叫び声を言います。お釈迦様が一喝すればすべてひれ伏すという意味にもなります。
「踞地」とはライオンが相手をねらう時に姿勢を低くして力をためる、その姿勢のことです。
「金毛の獅子踞地せず」とは仏法の悟りを得るためにはそんな姿勢はとらない、力まない、自然体が大切だという自戒の念をこめた命名ということになります。

これは疎石の独創ではなく、疎石が敬愛し、理想とした中国臨済宗の禅僧・中峰明本(チュウホウミョウホン)に由来します。
明本は若いときに浙江省の天目山獅子巌で修業を積み、悟りの境地に達して高名がとどろいても、どこの寺院にも安住せずに渡り歩いたとされています。自ら「幻住」 と称して遊歴と隠遁の生活を送りながら仏法を広めたそうです。

明本の「獅子巌」と疎石の「金毛窟」は同じ趣旨の洞窟名とみてよいでしょう。
明本は皇帝からの招聘も断ったそうですが、疎石も後醍醐天皇の招きを断ります。
病気と称して「巖谷に隠れて出世を願 わず」と固辞したそうですから明本の人生をなぞっているわけです。

後醍醐は鎌倉幕府に圧力をかけ、幕府はいすみの御家人・二階堂行元に圧力をかけました。迷惑の輪が広がることを恐れた疎石は招きに応じ京都に赴きます。
しかし、一つの寺に留まることなく「幻住」生活をつづけました。関東から京都に至る各所に疎石の足跡があるのは、明本の生き方を自らの生き方と重ねていたからなのですネ。まさに「行く雲、流れる水」の人生です。

疎石はいすみ市に滞在中、座禅の合間に葦やマコモの茂る湿地を水田にする土木工事の指導を行い、豊かな実りのある地に変えたと伝えられています。京都に去る際、この地を「能実(よく稲の実が稔る)」と命名したそうです。

二階堂氏は甲州の出身で、その縁で武田氏の菩提寺・恵林寺の創建にかかわります。また、いすみ市の二階堂氏のバックアップで再興されたお寺が「波の伊八」で有名な近くの行元寺(ギョウガンジ)で、行元寺の名は二階堂行元に由来します。

現在の金毛窟は風化・崩落を恐れて補修されています。復元補修ではなく、コンクリで周囲を固めたのは予算がなかったからでしょうが、興ざめです。
それでも内部は当時のままで、奥の壁面に疎石が彫り込んだ「金毛窟」の文字がかろうじて読めます。
何も知らなければ文字も読めないし、右書きだし、ばか者が壁にいたずら書きを彫り込んだと思うことでしょう。

疎石はここを金毛窟と名付けることで修業時代に区切りをつけ、布教生活に入ります。
金毛窟は疎石の僧侶人生の記念すべき出発点でした。
生涯にわたり、歴代天皇より国師号(夢窓・正覚・心宗・普済・玄猷・仏統・大円)を賜り、「七朝帝師」とも称された禅僧はほかにはいません。

蛇足ですが、夢窓疎石を夢窓国師(むそうこくし)と尊称します。
これを逆にすると「こくしむそう」=国士無双という麻雀の役満になってしまいます。

これはすべての牌が一九字牌でそろい、13面待ちという役で、疎石の人生に似ています。
人が好まぬ一九字牌ばかりを集め(地方めぐりをし)、やがてその履歴がそろうと他の追随を許さぬ立派な経歴となってしまった。
元々、国士無双とは「我が国に二人といない立派な人物」という意味ですから、本来の意味で夢窓国師は国士無双といって良いでしょう。

もう一つ蛇足。千利休が切腹の原因となったといわれる京都・南禅寺 大徳寺の山門は正式の名前を「金毛閣」といいます。
「金毛閣」と「金毛窟」。建築物と洞窟の違いはあれ、同じ趣旨で命名されたとみて間違いないでしょう。
南禅寺 大徳寺は臨済宗のお寺で、疎石もそして中峰明本も臨済宗僧侶です。それは地位や名誉、あるいは権力や意気込みとは無関係な修業の場という意味になります。
すべての世俗の権威を超越する茶道(=禅)の立場からは秀吉に屈服し謝罪することなどありえない話だったのです。

◆訂正:文中「南禅寺」は「大徳寺」の誤りです。読者からご指摘いただき訂正しました。
 
 
 

★マンリョウの緑と赤は 

 
     日当たりが良いので緑がやや焼けている

クリスマスが近づきポインセチアやシクラメンが大量に店頭に並んでいます。
最近はパステルカラーの鉢植えや株も人気があるようです。
しかし、しっかりした緑色と赤色の組合わせは冬の寒さに負けない力強さを感じます。

今日は冬至。
冬至は太陽の力が一番弱る日であり、翌日から太陽の力が復活します。
つまり古い太陽は一度死に、そして新しく復活します。
このモチーフは救世主イエスが死に、復活することと重なりました。

古代ゲルマン人は巨大なモミの木やトウヒを「力強い永遠の生命の樹」として信仰の対象にしてきました。これがクリスマスツリーの起源であり、クリスマスカラー緑の起源です。

ローマ法王庁は何度も異教の樹木信仰・クリスマスツリー禁止の通達を出してきましたが、ゲルマン人に布教する手段としてついに妥協し、やがてみずからもそれに乗っかるようにして今日に至ります。

赤はそもそも活気のある色で、昔のドイツ人がモミの木のデコとして赤いガラス球を飾ったのが由来です。はじめはロウソクだったのですが、火事の危険があるので後にピカピカのガラス球になりました。
これも永遠の命や活力を象徴しています。

クリスマスカラー赤を世界に一気に広めたのがコカコーラ。
赤い服を着てでっぷりとした髭のサンタをCMに使って大ヒットしました。
わたしたちが描くサンタのイメージはコカコーラのCMに由来し、赤はクリスマスを代表する色になりました。

しかし元々は赤も緑も冬枯れしない永遠の力強さの象徴です。
それは日本でも同じ。モミの木よりもずっと日本的な松が利用されます。
松が常緑樹で、切断枝に水をやらないでも永く枯れないので「強力な永遠の命」を示し、松が「待つ」と通じるので幸福の到来を「待つ」につながります。
希望や信頼、絆は、あきらめずにじっと耐えて松のように待たねばなりません。

南天、千両や万両が正月飾りになるのも名前の良さだけではなく、新年を迎えてさぁ今年も頑張るぞという元気の良さ、赤く輝く永遠の生命力が備わった樹、緑と赤を兼備した樹だからこそ正月用に選ばれています。
現代では単に正月用の飾りになってしまいましたが、本来はその赤と緑がわが身の生命力を強化してくれる呪術的な意味合いがありました。

さぁ明日からは陽が少しずつ伸びていきます。
赤と緑の組合わせは、あちらではクリスマスカラー、日本では正月カラーとなります。
いずれも年末年始にふさわしく、幸福と希望のシンボルカラーとしてわたしたちを励ましてくれています。

 

★11分で焼き芋完成 

 
  さつま芋は高級な「安納芋」

◆電子レンジで焼き芋の作り方(中1本)

 1.さつま芋を洗い、前後の尻尾を切り捨てる。
 2.濡れたままのさつま芋を新聞紙で軽く包む。
 3.電子レンジ600wで1分間。
 4.200wで10分間で完成。

日テレ『所さんの目がテン!』によればイモの内部の温度を60~70度で10分間キープすることが、おいしい焼き芋のコツだそうです。
それで電子レンジ「強」でサッと全体を加熱したら、後は「解凍」レベルでじんわりと加熱10分間というわけです。
酵素の働きでデンプンが糖化して甘い焼き芋になります。芋の中にあるデンプンの量に限りがあるので、長時間加熱し続けてもムダ。10分間で良いということでした。

もちろん、さつま芋の大きさで時間は微調整してください。
まだ固かったら、今度は「強」数分でOKでしょう。
ともかく簡単・手間いらず。即アツアツの焼き芋を食べられるのはシアワセです。

正月の「栗きんとん」はわたしの担当。
毎年、皮を厚めにむいて水でアク抜きし…という作業をしてきましたが、焼き芋から作れば超簡単です。

◆超簡単、焼き芋で作る栗きんとん 
 1.できた焼き芋の皮をむき、ポテトマッシャーで熱いうちにつぶす。
 2.市販の栗の甘露煮の栗とシロップ半量を鍋にあけて温める。
 3.つぶした焼き芋を加えて水分を飛ばしながら照りが出るまで練る。

砂糖は使いません。甘露煮のシロップで十分です。それでも甘すぎますからシロップは半量としました。
まだゆるいかな、と思う程度で火を落とします。冷えれば固まるのはジャム作りと同じです。
安納芋は黄金色~橙色なのでクチナシは不要。
レモン果汁を少々滴下するのもしゃれているかもしれません。

 

★畑の大根は上出来 

 
   雑草の中で育っている

この大根は連れ合いさんが種から育てたもので、機嫌よく育っています。
画像の通り、雑草の中で育っており、雑草に守られていると言った方が良いでしょう。
ちょっと目ではどこが大根でどこが雑草か区別がつきません。

   “雑草は作物の栄養を搾取するから作物の妨げになる”
というのは半ばウソ、または思い込み、またはケチな根性の表現でしょう。
根張りが強すぎたり、背丈が高くなるギシギシなどの雑草は削除しますが、背が低く弱いホトケノザなどの雑草は共生してまったく問題ありません。
引き抜いたギシギシなどは裁断して株元に寝かせて「自然堆肥」に再利用しています。

周囲の雑草はむしろ泥はねを防いでくれ、自ら害虫に食われて作物を守ってくれます。
地温を穏やかに保ってくれますから雑草と共生した方が、引き抜くよりも手もがからずよっぽど優れた農法だと思います。

種から育て、間引きは摘まみ菜にして、大きく育つように「大きくなーれ!」と呪文をかけて育てました。
鉛筆ぐらいの大根かと思ったら、人並みに育ったのは呪文の威力よりも、少々の有機肥料を使ったからでしょう。

冬は良い季節ですね、根菜の季節です。
輪切りにしてみるとスパッとまっ白、きめ細かい。
これを日干しにして「半乾燥」にすると味が濃縮し、甘みがあって柔らかくなります。
そしてステーキにしてみました。
タレは先日作った「スペアリブのリンゴ煮」の残ったタレを再利用。
ケチともエコとも言えますが、「優雅な暮らし」と自己満足しています。

 
 ダイコンとニンジンを干し、ダイコンステーキにしました 

蛇足
大根の葉を上から眺めると五角形というか、五方向に大きく伸びています。
自然界にはアサガオ、桔梗、桜、オクラなど五角形は数多い。
五角形をチェックしてみませんか? 自然界の不思議が新しい切り口から見えてきます。
五角形は先年流行したダビンチコードのキイワードです。

もう一つ蛇足
金正日氏が17日に死去したと昨日19日報道されました。正恩氏ではまとめる力はないので混乱は必至。これを機にすべてが良い方向に動けば良いのですが…。

 
 

★レモングラスを地植えで越冬 

 
  苗キャップ+トロ箱で保温

レモングラスは南方系の植物なので耐寒温度は10℃と言われます。
実際には10℃で枯れることはありませんが、葉に茶色の筋が入り、弱ってきます。
何有荘のレモングラスがダメッジを受けたのは12月9日早朝の霜でした。
気温よりもまず霜対策が必要です。

レモングラスは鉢上げして室内に取り込め、日の当たる軒下で保管せよ、といわれているのは霜対策のためにです。
ところが軒下で全滅した経験者は多いようです。
原因は二つ。風対策をしなかったこと、鉢の土の温度が5℃を下回ったこと。

地植えの場合も同様で、①霜対策 ②風対策 ③地温確保 ができれば越冬できます。
鉢上げ室内保管はこの3条件をクリアしていますが、室内に余裕がある場合です。

腐葉土や枯草をこんもり被せたのに地植えは枯れちゃった---のはやはり地温の低下が原因でしょう。
腐葉土や枯草をこんもり被せた上にさらにビニールシートを被せてもダメだったことは何度もあります。
何有荘の地植えは、腐葉土や枯草をこんもり+苗キャップで対応してきました。
それでも越冬成功率50%。春に新芽が出るときもあり、出ないときもあります。

画像のレモングラスは完全防備で、地植えのまま越冬させる決意を込めました。
株元を保護するためにトロ箱(発泡スチロール箱)の底をくりぬいて被せ、周囲から隙間風が入らぬように枯草を積み上げてあります。
トロ箱が風で飛ばないように固定もしました。
苗キャップから中をのぞくと葉が青々としています。これからますます寒い日がやってきますが、雪が降っても越冬するだろうと目論んでいます。
うまくいったらご喝采。
採らぬ狸の皮算用をしている時が一番楽しい時です。