★簡単、イセエビ料理 

 
     胸から包丁を入れて半身にする

昨日に続き、元職場の同僚たちが泊まりがけで遊びに来た時の話題です。
実に世話いらずの面々で、自分たちで買い出しをし、自分たちで調理して食べ、自分たちで布団を敷き、たたんでから掃除して帰ります。
毎年来ていますが、今年は豪華にイセエビを用意しました。
仕入れ先は 漁師工房「拓」 でご主人も奥様もとてもきさくで良い方です。
前日に電話して、朝、採れたてを用意してもらいました。
   
どうやって食べるのが一番簡単で、一番おいしいか?
いろいろもめた末に、半身を刺身、半身を網焼きすることになりました。

◆イセエビの半身 作り方
 1.トロ箱に水道水を入れ、氷を入れ、イセエビを入れると仮死状態になります。
 2.裏返して胸のあたりに包丁を入れ、下半分、ついで上半分を切って半身にします。

威勢の良いイセエビで、トロ箱から暴れて逃げ出します。
ギャラリーは大騒ぎ。そんな新鮮さがすばらしい。
あわててフタをしているとやがて静かになってしまいます。
よく切れる出刃包丁でブスリとやりますが、一人ひとり自分の分は自分で処理してもらいました。
小学生の体験学習みたいなもので、それもまた楽しい。
頭は固い殻なので結構力が必要ですし、切れる包丁としっかり安定した台が必要です。

◆半身の刺身
まだ身がしっかりと殻についていますから、包丁かナイフを入れて身を外します。
氷水に入れて身を締める、なんて面倒くさいことはしませんでした。
適当な大きさに切る、なんてしません。バクッと食べるのが良いですね。
身をはずすのも各自勝手にお願いしましたからホスト側としては気楽なお客様です。
醤油なんていりません。身の甘さを楽しみます。
半身なのにまだ脚がピクピクと動きます。活きが良い証拠です。

◆半身の網焼き

 

身の方を上にして卓上コンロで焼きます。殻が赤くなればOKで、身が半生かなという程度で火を落として余熱で仕上げます。
これもまた、そのままいただいてグーですが、少々の竹塩を振っていただくと絶妙の味です。
焼き立ての熱いままのイセエビの身は最高です。

拓さんから、「姿焼きは仮死させて焼かないと暴れて手足が取れてみっともなくなる」 とアドバイス頂きました。そりゃそうですね。網の上におとなしく乗っているわけがありません。
半身のイセエビの脚が網の上で屈伸しているくらいですから。
半身にすると脳みそを直接食べられるのも良い点です。

それにしてもオイシイ物のためには、人はいくらでも残酷になれるものだと感心しました。
さて、翌朝はイセエビの味噌汁を朝食で出しました。もちろん昨夜の刺身と焼き物の残りを使います。丼椀で出しましたから歓声が上がりました。喜んでくれるとうれしいですね。

さてさて、出し殻となったイセエビは焼却処分にして畑の肥料にします。
生ごみで出すなんてモッタイナイことは決してしません。

 

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★ほら貝の食べ方 

 
   腕時計と大きさを比べてください

最近知り合った漁師の拓さんちへイセエビを買い付けに行きました。
元職場の同僚が泊りがけで遊びに来るというので、本場の味を楽しんでもらう趣向です。
「これ、持っていきなヨ」と出されたのが画像の巨大な貝。
「ほら貝だよ。イセエビの網に引っ掛かってとれるけど、あまり商売にならないんだ」

いえいえ、どうして大変おいしゅうございました。
ではほら貝の食べ方を紹介しましょう。「酒蒸し」です。

 

 1.周囲をゴシゴシとブラシ等で汚れを落とす。
 2.圧力鍋に300cc程度の料理酒を入れて、沸騰5分。放置10分。
 3.身をサザエと同じように引き抜くが、取れなければ大胆に殻を割って取り出す。
 4. ワタは食べない。身をスライスしてできあがり。

そのままでも十分おいしかった。お好みでワサビ醤油、酢醤油でもおいしいでしょう。
煮貝にするならば、いったん1~3の処理をしてからとなります。
というのも圧力鍋の中の酒は結構汚れており、煮汁にする気にはなれません。

山伏が使う「ほら貝」は紀伊半島以南の産物で、ここで採れるほら貝は「房州ほら貝」といい、やや小型です。
身はサザエよりも大味ですが、柔らかくてとてもおいしい。
しかし、ワタが食べられないのは残念なことです。
拓さんは「自分じゃ食べちゃうけど、お客さんには言えない。毒があるという人もいるしネ」

ほら貝はアワビやサザエのような海藻を食べる草食性ではなく、ヒトデ・ウニ・ナマコなどを襲う肉食だそうです。
ヒトデは貝殻に穴を開けるほどの強力な消化液を持ち、その穴から麻酔液を出して身を動けなくさせてから食べるという話を聞いたことがあります。
貝類は時々「貝毒」が発生したという警報を聞くことがあります。その貝を食べたヒトデを食べたりするから毒が集積するのかもしれません。
だからアワビやサザエのワタと同じようなものだと考えるのは大間違いだったのです。

それにしてもです。これが流通に乗らないのはモッタイナイ。
「いすみ市名物」 になりうると思います。売り物になります。
どこかのお店で出してみませんか。

 
 

★太東崎灯台への道にサネカズラ 

 

   名にし負(お)はば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら
            人に知られで くるよしもがな
                                三条右大臣(百人一首25番)

つくづく思うのですが、子どもに百人一首を教えるのは恋の手練手管を教えるようなものです。
いいんでしょうかネェ。
とくに「かづら=蔓・葛」は木に絡みつくので、男女の肢体がからみあう姿、あるいは激しい恋愛感情、場合によっては狂おしい執念や怨念の象徴となっております。
この歌の場合、サネカズラは三条右大臣(藤原定方)がアタック中の女性を暗に示しています。

 名にしおば → 立派な名前を背負っているなら、名前の通りならば
 あふさかかやまの → あふ=逢う・会う → (恋人が)逢う山という逢坂山の
 さねかづら → さね→ 小寝。 実・種・核=女性性器 →あなたと一緒に寝たい
 人に知られで → 他の人にしられないで
 くるよしもがな→くる=繰る・来る→あなたを手繰り寄せ、あなたがやって来る手だてがない。

表面上はさらりとした歌ですが、中身はけっこうハードな歌です。
もっとも歌のやり取りは遊びみたいなものですから、どこまで本気だかわかりません。
一種の駆け引きを繰り返す中で、女性が許可すればメデタシ、メデタシになります。
決定権が当時は女性にありました。

サネカズラとはもちろん、(赤い)実のなる葛という意味で「実葛」。
本当の葛という意味で「真葛」の文字をあてることもあります。
万葉集の時代には サナカズラ といったそうです。サは小さな、ナは滑る。
滑川でナメガワ。滑滝でナメタキ。サナカヅラは「小さな実のなる滑るツタ」

何が滑るのかというと、葉や茎をすりつぶすとネバネバした汁が取れます。
この汁で髪の毛を整えると男前になると言います。それで別名が「ビンツケカズラ」。
または「美男葛 ビナンカズラ」。
女性も整髪に使っていましたが、なぜか「美女葛」とはいいません。

そんな歴史のあるサネカズラを知る人も少なくなりました。
ところが散歩の途中で見つけたのが画像のサネカズラ。
いすみ市はまだ自然がたくさん残っているのでうれしくなります。

★いすみ市の高市皇子伝説(1)  

   
 東小高地区の東小高神社  小高地区の小高神社

この近辺にはユニークな地名が多い。「日在」もその一つでヒアリと読みます。
――昔、ある貴人がここを通った時、まだ日が西の方にあったので「日在」と名付け、臼井に来た時に薄日になったので「薄日」と名付け、これが「臼井」となりました。
押日に来た時には夕暮れとなり、沈む日を惜しんで「惜日(オシビ)」→「押日」という地名になった。――

これは江戸中期の医師・田丸健良の手による『房総志料続編』に書かれていることですが、何かこじつけのような気がしないでもありません。
臼井村は分かれて井沢、長者、三門(ミカド)となり、井沢にある「臼井神社」がかろうじて昔の地名を今日に伝えています。
「三門」という地名は、帝→御門→三門と変化したもので、昔の“高貴な方”と深い関連がある地名だと地元の人は信じています。

この高貴な方とはだれか?
証明のしようもありませんが、高市皇子(タケチミコ)だという伝説がいすみ市にはあります。
高市皇子は天武天皇の第1皇子。母親の身分の関係で皇太子にはなれなかったけれど、天武の妻・持統天皇の時代には太政大臣となって国政を取り仕切った人物です。
天武は天智天皇の息子・大友皇子を自害に追い込んで皇位を奪いました。その時の争乱が日本史上名高い「壬申の乱」(672年)で、高市は天武方の大将として活躍しています。
自害した大友皇子は明治になって弘文天皇と追号されます。その大友は自害などせず、内房の市原市小櫃(オビツ)に逃れたという伝説があり、それに対応した伝説として高市が大友追撃のために外房のいすみ市に来たということになっています。

高市皇子の居住地跡と信じられているのが東小高にある「小高(オダカ)神社」で、祭神は高市皇子。戦国時代は万木城の支城・小高城だったというだけあって、鳥居は新しいのですが社殿に至る参道は厳しい斜面で登るのに息が切れます。
鳥居には「東小高神社」とありますから、最近はそう呼ぶようになったのでしょう。

ところが、東小高から北へ5kmほどに小高地区があり、ここにも「小高神社」があります。
この神社の裏手には「姫塚・殿塚」があり、高市皇子と妻の墓、つまり古墳と伝えられており、神社がちょうど塚に対する拝殿のような位置関係になっております。

東小高と小高という似た名前の地区にそれぞれ小高神社があり、そこに高市皇子伝説がありました。
どうやら高市伝説と「小高」地区には深い関係がありそうです。
その謎を解く鍵が小高地区の隣、岩熊地区にある「大宮神社」にあります。

――“持統天皇の御代(687年頃)、天武天皇の弟にあたる高市親王の姫が大和国髙市郡より上総伊甚郡千町庄、現在のいすみ市小髙に移り住み(小髙神社の北に姫塚あり)、その家臣の小髙氏なる一族が岩熊字上谷に居住した。小髙氏は産土(ウブスナ)神としていた大神(オオミワ)神社(奈良県桜井市三輪鎮座 旧官幣大社)をこの地に大宮神社と称して祀り尊崇した。”――大宮神社の説明板より抜粋

天武と高市は親子であるのに、兄弟と記述する基本的な誤りがあります。大宮神社はその誤りを承知の上で、昔からの伝承をそのまま正直に表示しているのでしょう。
昔、奈良の高市郡から小高一族が移り住んだという「事実」がこの伝承の核のように思えます。

奈良の高市郡で幼少の高市皇子が養育された可能性は強く、高市郡出身の小高氏は高市の養育関係者だと推測してみましょう。小高氏は高市に強い忠誠心を持っていたはずです。
高市皇子の息子が正二位・左大臣長屋王。皇位継承がらみで藤原氏の陰謀により一家全滅します。(729年)
その混乱の中で長屋王の親族・高市の娘の一人を小高氏が保護し、房総のいすみ市に逃れてきた。
小高氏とその一族が定住した場所が小高村と東小高村。その後、小高氏は「われらが親分」である偉大なる高市皇子を神として村の高台に祀り、小高氏一族の古くからの信仰対象として岩熊に大宮神社を建立したのだ、と大宮神社の伝承を勝手に読み解くと、秋の夜長も楽しいものです。

順風満帆の時代に皇族である姫がいすみ市(上総)で生活する理由はありません。
わたしは小高氏が姫とともに移住してきたとすれば、それは持統天皇の時代ではなく、長屋王の変があった聖武天皇の時代だろうと推測しています。

ではなぜ小高氏は姫を連れて上総に逃れてきたのでしょうか。
上総には頼りになる強い味方がいたからに違いありません。
                                      (つづく)

 

 

★キクイモとエノキのポタージュ 

 
  飾りに庭のチコリの花とパイナップルミントの葉

今回のキクイモのポタージュは玉ねぎの代わりにエノキを使ってみました。
エノキはNHKためしてガッテンでダイエット効果があるというエノキ氷(下記参照)です。
キクイモは食べるインシュリンといわれるほど糖尿病に効果があります。

◆材料
  キクイモ200g。 エノキ氷3個。 牛乳300cc。バター大1。コンソメ1。
  水100cc。塩適量。黒胡椒適量。その他お好みで。

◆作り方
 1.キクイモはきれいに洗ってごしごしとナイロンたわしで皮をすりむく。
   汚れがきつい所は切り取る。適当にスライスし、酢水につけてからザルに取る。
 2.フライパンにバターを入れキクイモを炒める。
 3.鍋に炒めたキクイモとコンソメ、水を入れ、いったん沸騰させてから弱火で20分位。
   キクイモが柔らかく崩れそうになるまで煮る。
 4.ミキサーで粉砕する。
 5.もう一度鍋に移し、エノキ氷と牛乳を入れて温め、塩・胡椒で味を調えて終わり。
   クルトンでも花でも適当に飾ってください。

★エノキ氷――ダイエット効果だけではなく、料理がぐっとおいしくなる!!
      
 1.エノキ茸は石づきを切り落し、ざく切り。
 2.ミキサーにカットしたエノキ、水400ccを注ぎ、約30秒。ペースト状にする。
 3.鍋に移して焦げないようにかき混ぜる。沸騰が続く程度の弱火で30~40分煮詰める。
 4.あら熱がとれたら、製氷皿に流し冷凍庫で凍らせてできあがり。
 5.味噌汁、スープ、煮物、カレー、炒め物、てんぷら衣などに入れて使います。

さて、食後感想ですが、いつものように玉ねぎを使った上でエノキ氷を加えた方が良かったと思います。ポタージュ特有のモッタリ感がありません。
またキクイモの皮が含まれていることと、エノキ氷3個のせいで色が濃くなりすぎました。
それで分量外の牛乳を加えて色を薄めましたが、よけいサラリとした食感になりました。エノキ氷は1個で十分です。
しかしそれはそれとして、今回もキクイモ特有の味と香りがしておいしかったですヨ。

 

★パイナップルミントティー  

 

パイナップルミントはアップルミントの突然変異種で、「斑(フ)入りアップルミント」と思えば当たらずと言えども遠からずのハーブです。
ハッカの味や香りが強いペパーミントやスペアミントと較べると、おだやかな爽やかさのあるミントで、リンゴの香りとパイナップルの香りがかすかに漂います。

ドライで使うよりも庭から適量を採集してフレッシュで頂く方が好きです。
ドライにして保存したこともありますが、一年中、雑草のごとく元気な草をドライにして保存する必要はないと思っています。
たとえばキノコのように食品によってはドライにした方が栄養価や甘さが際立ちます。
パイナップルミントの場合はどうなのでしょうか。
鈍いせいなのか、味も香りもたいして違わないとしか思えません。
フレッシュがそこにあるのにドライにするのは無駄な努力なような気がします。

庭から採集してきてティーにする――これは狩猟採集生活の一種ですね。
農業というのは、食べ物を求めて移動するのではなく、居住地の周りに食べ物を確保することから始まりました。
その食べ物が植物だった場合は農耕民族となり、動物だった場合は遊牧・牧畜民族に分化していきます。
やがて社会が複雑に分化すると、自分では食料を生産せず、購入するだけの人々が増えてきました。
田んぼ(Tanbo)にぺんぺん(PenPen)草がはえようとも食料は金を出して外国から買えば良いというTPP交渉は、人類の基本からはずれた道です。

黄金色に輝くパイナップルティーを飲みながら、そんなことを考えているわけではありませんが、味と香りを楽しんでいるとおだやかな幸福感があります。
幸福に生きることが人類の目標だとすると、庭の草を摘んで暮らす生活は幸福な暮らし方なのでしょう。

 
 

★窓辺のアサガオが咲いた 

 
   左はシャコバサボテン

風呂場の窓辺に置いていたアサガオが花を咲かせました。あたたかい日々が続いたからでしょう。このアサガオは今年の二世です。

グリーンカーテンにしていたアサガオを9月下旬に整理しました。根際で切り、上部をズタズタにして地面に放置し、上から米ぬかを振りまいて地上で堆肥を作ります。種は翌年の分を確保すると後はそのまま堆肥の一部となります。
すると大量のこぼれ種から一斉に芽吹いてしまいました。いつもは10月に整理するのに今年は早かったので二世が誕生したのでしょう。

アサガオの跡地には11月になるとサヤエンドウやスナックエンドウを植えるので、芽吹いてしまっては困るし、だいいち今後の寒さで枯れてしまうでしょう。
それで気の毒とは思いながらも10cm程度に伸びたアサガオをすべて引き抜きました。

その中でも育ちの良い株を四つほど鉢に入れて風呂場の窓辺に置いておいたら、背は低いままでツボミをつけ、そしてとうとう花を咲かせました。
アサガオはアサガオなりに、どんな条件下でも文句も言わず、花を咲かせ、子孫を残そうとするのですね。
何と健気(ケナゲ)なことよ、とつい感情移入してしまいそうです。

ついでですが、サヤエンドウやスナックエンドウを毎年同じ場所に植えて8年目になります。連作障害を避けるために同じ場所に植えるな、3~4年は間をおけと多くの手引書に書いてありますが、実感としてはウソですね。
アサガオ→サヤエンドウの輪作を毎年繰り返してきました。たぶん残渣(ザンサ)をすべてその場所に返して土に戻しているから問題が出ないのだと推測しています。
テレビの園芸教室などたまに見ると、地上はもちろん地中の残渣まですべてきれいさっぱり取り除き、あらためて肥料をすき込んでいます。たぶんそんな余分なことをするから連作障害が出るのではないでしょうか。

★立冬を過ぎたから冬ナスというのかな 

 
    なんとか頑張って実をつけています

季節外れの大嵐の後はまるで夏日のような暑さです。
その大嵐の最中に 「いすみライフスタイル研究所」 主催の「エコな暮らし方ツアー」の皆様が何有荘を見学にいらっしゃいました。
大嵐なのに室内は数日前に蓄えた太陽様の熱のおかげで25℃もあり、心地よい床暖房だと好評でした。わたしたちも皆さんと楽しい時間を過ごせました。
紅葉がちらほら始まった季節ですから晴れていれば最高でしたが、雨の日も風の日も人生にはつきものです。後日、個人でいすみ市を探索していただければ、また違った景色を見ることができることでしょう。いつでも歓迎したします。

さて画像は庭のナス。なかなか枯れないでまだまだ花が咲き、実をつけます。
さすがに毎日実をつけるというかつての元気さはありませんが、実をとって食べてみると、身が締まっていてこれがオイシイのです。
「秋ナスは嫁になんとか」といいますが、冬ナスのことわざはないようです。
せっかく咲いた花だし、できた実ですから寿命をまっとうしてほしいと思っています。

ミニトマトもがんばって実をつけています。でもなかなか赤くはなりません。
まだ緑色でも摘み取ってザルに広げて陽に当てていると、追熟して赤くなります。
甘さも十分満足できます。太陽様の力はほんとうに素晴らしい。

実をつける野菜はたっぷり肥料をやるそうです。何有荘では雑草マルチと米ぬか散布が基本ですが、今季は液肥を時々与えてきました。
液肥といっても市販の液肥ではなく自作です。EM発酵バケツに生ごみを入れて米ぬかを振りかけておくと底部に液肥が溜まります。
EMぼかしを振りかけるとかしないで、ただの米ぬかだけでも液肥は出てきます。
この液肥をバケツに入れて雨水タンクの水で薄め、ナスやトマトの株元に時々ぶちまけてきました。それが功を奏して今でも元気なのかもしれません。

液肥を吸い取られた生ごみは糠漬けのようになっています。これを雑草たい肥場の奥の方に押し込んでおくと1か月ほどでたい肥になってしまいます。
奥の方に押し込んでおかないと、タヌキやらハクビシンが掘り起こして荒らされます。
畑に埋めても掘られれて荒らされます。
堆肥場の奥に封じ込めてフタをしておくのが一番安心で確実な方法です。

 

★海から来た仏様(4) 岩船地蔵尊 

 

大原の岩船地蔵尊は平成20年に水産庁の「未来に残したい漁業・漁村の歴史文化財産百選」に認定された風光明媚な海岸にあります。
ここにはお地蔵様だけではなく七十五座の神様が海からやってきたという伝説があります。「大原町史」などを参照してまとめてみました。

――鎌倉時代中期(建治元年1275年)、正三位中納言藤原兼貞は飛鳥の春日の宮の地蔵不動尊とともに東海巡視の旅に出ました。
3隻の船で太平洋を航行中、たまたま台風に出合い、はげしい波 風に翻弄されたが、不思議なことに竜宮浄土に漂着しました。
やがて竜門を出て、再び海上に浮かび漂流し、数十日後に岩船の釣師(ツルシ)海岸に流れ着きました。この間、12人は船中で飢えや病気で死亡し、残りの63人は地元漁師に助けられ、粥などの食べ物で手厚くもてなされました。

さて嵐の翌朝、波風が収まると不思議なことに漂流船は大きな岩になっていました。船型の奇岩を地元では「御船岩(ミフネイワ)」と呼んできましたが、現在では浸食されてだいぶ崩れてしまい、それと指摘されねば気づかないかもしれません。
その御船岩の近くの海で光が輝き、お地蔵様が救い上げられました。これが岩船地蔵尊の始まりです。
村びとは、こうした不思 議な出来事により、流れ着いた人びとを神様として祭るようになります。その後、海岸に流れついた人びとは、布施の大寺地区に移り、ここに安住したといわれますが、現在では岩船七十五座と言われています。―――

海から来たこの地蔵様と神様たちの伝説は現代でも生きています。
この時に人々を助けた4集落(岡谷・舟谷・中谷・三十根)では毎年、各2戸計8戸の家が輪番でその時の様子を「岩船八幡神社」の秋祭りで再現しております。
ご飯や丸餅、鰹節、ナス、ヒジキなどを七十五の白木のお膳と椀に盛って神前に供えるのですが、船中で亡くなった12 人のお膳には鰹節はつけないのだそうです。こうした神事を終えて、はじめて御輿(ミコシ)の渡御が行われます。

かなり具体的な伝承と伝統行事で、藤原兼貞一行だったかどうかは別としても、実際にあった遭難救助が伝説の背景にあることは間違いなさそうです。
乗客・乗員は特殊な技芸、先進的な技術の持ち主だったのでしょうか。

南隣の勝浦では1609年にスペイン船が難破して救助しています。明治2年には官軍の船が難破し、これも救助しています。
外房の岩礁地帯は沿岸航海には危険な場所がたくさんあるので岩船でも同様の救出劇があったことは十分にありえます。

ただこの伝説は鎌倉中期としながら、木造の地蔵尊は室町期の作とされているので、伝説とは矛盾しています。
もともと、伝説の真偽を詮索するのがヤボで無意味な話。
地元の人々は海から忽然と現れた地蔵尊を中心とした七十五座を、海上安全、五穀豊穣等の守り本尊として大切にし、昔からの伝説・伝統にそった祭礼を続けています。
この祭礼がずっと続き、地域の人々が平和で豊かな暮らしが続くことを願っています。

                       (「海から来た仏様」連載終わり)

 

★何これ? ツノゴマ 

 
   本体の大きさは7~8cm+長いツノ

里山仲間のKさんが「これ何だろうね。ウチで採れたのだけど」と持ってきました。
育てるのが趣味で、何の種をまいたか忘れてしまう人は意外に多い。
わたしなんぞも、どこに何を植えたかを忘れてしまい、ツレアイさんから叱られることがあります。
むかしは記憶力が良かったのですが、「昔は良かった」と言い出したらオシマイです。
今は今で気楽に過ごすことにしましょう。

さてKさんが持ち込んだ謎の物体は、調べてみて「ツノゴマ」と判定しました。
ゴマの花に似た花を咲かせ、最後にツノが出てくるのでツノゴマだそうです。
南米産の作物で、若い実を食用にするが、放置しておくと画像のようになってしまいます。
トゲトゲですから、手袋をしてこれを割ると中に種が入っています。種は来春にまいてみようと思っています。
葉がベトベトで食虫植物の一種とも言われているので、どんなふうに育つのか楽しみです。

それまではオブジェにして飾ろうとしたところ、奇怪な姿をしていて気持ち悪げだからと反対されました。カワイイと思うんですがねぇ。

話題を変えます。
先週の11日の朝、ツバメがたくさん集まってグルグルとすごい勢いで飛び回っていました。
「あぁ、南に帰るので団体飛行訓練をしているのだ」と思いました。
子どもだったツバメも大きくなり、どれが親だか子だか区別がつきません。
今頃の時期に帰るのですか。ご無事を祈ります。
昨日も今日も朝の気温は10度を切りましたから、その前に帰ろうと思ったのでしょう。

さびしい気もしますが、入れ替わるように今年もコハクチョウが来たという知らせが届きました。
季節とともに去るもの、来るもの様々ですが、その一つひとつが自然の営みです。
ここで暮らしていると、わたしたち人間も自然の一部として自然とともに生きているのだと素直に感じられるようになりました。