★ツタンカーメンの豆ごはん

  
  左:ツタンカーメンの豆 右:おにぎり

今年の「ツタンカーメンの豆」は冬の寒さと強い風のせいか、あまり豊作ではなかったけれどそこそこの収穫がありましたので、恒例の豆ごはんにしました。

ツタンカーメンのお墓から発見されたという、なにやら怪しげなイワクのある豆で、一般的な名称は「紫えんどう豆」といいます。
さやが鮮やかな紫色になるので通りがかりの人が驚きます。(画像左)
ところがさやの中身は緑色の普通の豆で、これまた驚きます。
そして炊き込みご飯にして数時間おけば、なんとお赤飯のようになり、都合三度も驚かせて楽しませてくれる豆です。
これをおにぎりにしてみました。(画像右)

◆ツタンカーメンの豆ごはんのレシピ
材料  白米1カップ。豆0.8カップ。塩少々。酒少々。
作り方
 1.さやから豆を取り出しよく水洗いし、ざるに上げておく。
 2.白米を通常通り洗ってざるに上げておく。
 3.水切した白米を炊飯器に入れ、水は米の量でセットする。
 4.豆、お酒少々、塩一つまみを入れて炊飯モードでスイッチON。
 5.スイッチが切れてから一度全体をかき回して豆を平均化します。
 6.4時間以上保温したら出来上がり。

ポイントは蒸らし時間を4時間以上、半日程度にすると濃いピンクになります。
保温し続ける必要はありません。冷蔵庫でも翌日はピンクになっています。
白米にはもち米を少々混ぜるともっちりした味わいになり、おすすめです。
お米に対する豆の量は、今回1:0.8でしたが、1:1あるいは1:0.5でもOK。つまりお好みです

左画像の右側にカラスノエンドウ(烏野豌豆)を置いておきました。
さやが紫だと奇妙な感じがしますが、カラスノエンドウはさやが黒くなります。品種改良の過程で、さやの色だけ先祖返りしたのか、それとも紫豌豆はもともと原種に近い種類なのかもしれません。
ツタンカーメン云々の話も、原種に近いエンドウマメだと宣伝するための「作り話」だと思います。おもしろすぎる話だからこそ「アヤシイ」のです。

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★今年は少し増えたハマボウフウ

 
   海浜植物・絶滅危惧種第Ⅱ類

かつて近辺の海岸はハマボウフウがいくらでも自生していたと土地のおじいさんは言います。
若い葉を刺身のツマ、天ぷら、お浸し、みそ汁の具などに利用された野草です。
それが減ってしまったのは大規模な護岸工事が原因だとおじいさんは言いました。都会派の若者にも人気のある海岸に仕上げた代償は高かった。

東日本では岩手から千葉にかけての海岸にわずかに自生しており、いくつかの地域では育成栽培が試みられていました。いずれの県でも絶滅危惧種です。
3・11津波で岩手・宮城・福島・茨城の海岸の自生地はどうなったでしょうか。
砂が大量に堆積してもハマボウフウは生き抜くでしょう。問題は巨大な海岸堤防が再構築される時にハマボウフウなんぞブルドーザーに蹴散らされてしまうのではないかと心配しています。

津波は一様に襲ってくるものではないようです。この近辺の海岸でも形状によって津波が高かった所とそうでない場所があります。
幸いなことにハマボウフウの自生地はさして被害はありませんでした。

ここの海岸は昨年は数株しか確認できませんでしたが、今年は十数株に増えました。昨年種をばらまいておいたのが少しは功を奏したのかもしれません。
もしも岩手~茨城のハマボウフウが全滅していたならば、この場所は東日本では大変貴重な場所となります。
ぜひとも保護したいものですが、保護するために一番良い方法は「人に知られぬこと」というのが情けない話です。

NPOだか行政だか、どこでも良いのですがこの近辺をハマボウフウの一大産地にするという計画はないものでしょうか。
雑草扱いだったハマボウフウも今では高級食材として築地に出荷されている時代ですから地元産業として成算はありそうです。
まぁともかく、数年間はこっそり花咲爺さんよろしく、ハマボウフウの種を集めてまき散らし、株数を増やす仕事を続けてみましょう。
うまくいったら、遠慮なく浜辺に採集に行き、刺身のツマや天ぷらにして利用できる、その日が来ることが楽しみです。

 
 

★ハニーサックルのお風呂

 
       花は甘い香りがする

ハニーサックルはハーブ図鑑に載っています。ハーブは香草と和訳するように香りの高い草や木をいいます。だから確かにハーブなのですが、どうもハーブというような気取った花ではなく、やぶに咲いている花のイメージがあります。
やぶや垣根に咲く花の中ではピカイチなのですが、ツタとなった茎が野放図に伸びまくり、メチャクチャに混雑するのが上品ではありません。
昔の子どもは花を摘んでチューチューと甘い蜜を吸いました。だから和名がスイカズラ。

ハニーサックルを漢方では、花を金銀花とよび、茎と葉を忍冬といいます。
ひとかたまりをバッサリ切り取り、水で汚れを落としてからお風呂に入れてしまいましょう。
日本風に言えば「薬湯」、あちら語でいえば、ハーバルバスになります。
利尿、解熱、はれ物に効き、皮膚のかぶれや汗疹によいそうです。

季節の花や果物、野菜は人間の体調とシンクロしているのですネ。
蒸し暑くなってくるこの時期に、ハニーサックルのお風呂はとてもすがすがしくてさっぱりします。
そしてハニーサックルは夕方から香りが濃くなってきますから、就寝前のお風呂に最適といえましょう。ほのかに香る甘酸っぱい香りは疲れた心を癒してくれます。
ゴクラク・ゴクラク。

この近辺では見捨てられた別荘の垣根、山道、農道脇のやぶなどにいくらでも生えています。少々剪定してやるつもりでカットし、それを頂いても何の問題ないでしょう。
これから夏にかけて暑くなるほど、香りもまた高くなります。

 

★いすみ市・新田野(ニッタノ)貝塚

 
    石碑だけで道祖神の祠が目立つ

新田野は海岸から8kmほど内陸ですが、ここに貝塚があるということは、当時はここが海岸線だったということになります。

縄文時代は地球温暖化の時代で、氷河時代の氷が解けて海面が数m上昇していた時代でした。「縄文海進」と言い、内陸まで海が広がっていました。
現在平地となっている岬町の田んぼや住宅地の多くはその後に土砂が堆積してできた新しい陸地=「沖積平野」です。
田んぼの地質をよく見てみると粘土質の田と砂地の田とがあります。粘土質のものは丘陵が風化によって崩れた土砂でできた土地、砂質は海岸の砂が堆積した土地と考えられます。

この地方を何回か襲った巨大地震は外房地盤を上昇させ、内房を沈下させてきました。関東平野は地質学的にいうと現在も巨大な「造盆運動」の最中にあります。
夷隅川が運んだ土砂と地盤隆起によって新田野近辺は昔は海だったとは信じられない山裾の「田舎」の景色になっております。

地盤が隆起すれば川は出口を求めて地盤を削ります。こうして夷隅川は蛇行し、谷底深くなり、縄文時代にできた広い海岸部は台地状に変わります。
そうなると夷隅川を利用した農業は不可能で原野として放置されます。新田野という地名からはかつてここが原野だったということと、新しく灌漑用水が引かれて新田ができたという二つの事情を説明しているように思えます。
あるいはかつて新田氏が支配した原野の意味にもとれます。定かではありません。

はるか昔、ここに縄文人が住んでいたという記憶が後世の人々に残っていたのでしょうか。貝塚の上に道祖神の立派な祠(ホコラ)がありました。
周囲の台地状の田畑の土地より数m高い丘にあります。
丘の上に住居を構え、崖下の海岸に貝殻や不用品を捨てた場所が貝塚です。
最近は「ごみため」ではなく神聖な場所だったという説もあります。
そして貝塚の丘続きに「新田野神社」の神聖な森があります。
この神社の創建時期は不明ですが、やはり昔からここは神聖な場所という意識があったのに違いないと思いました。

 

★ハエ退治の新兵器

 
    百円ショップで買った捕虫網

五月蠅と書いて「うるさい」と読むだけあって、今どきのハエは元気でしつこい。
殺虫剤をシューシュー吹きかけるのは居間やキッチンでは躊躇(チュウチョ)します。
それでハエ叩きの出番ですが、なかなか素早い。うまくたたいてもべチャッとつぶれてしまうと不快になります。

そこで登場したのが捕虫網で、この扱いは小学生時代から慣れています。
サッと振って逮捕し、クルッと回してたたんでネットから脱出できないようにするのがコツです。
まるで佐々木小次郎のツバメ返しのような華麗な技を連れ合いさんは誉めてくれますので、まんざらでもありません。
「ほら、ハエが来たよ」とせかされるとわたしの出番ですが、なにやらブタキ。
うまくおだてられて使われているような気がしないでもありませんが。

現代では「生類憐みの令」はありません。ネットの上から殺虫剤をかければあの世行き。殺虫剤の使用量も最小限で済みます。
捕虫網は蛾や蜂が飛んできたときも役に立ちます。
大きなクモが室内でうごめいている時も役に立ちます。
隣の家では大きなゲジゲジがいて大騒ぎをしたそうです。

もっとも外へ追い出せばすむ場合は、逮捕した後、屋外追放処分とし、無駄な殺生はしていません。
室内で捕虫網を振り回している姿は何とも奇妙ですが、「田舎」生活では必需品の一つとして用意しておくと便利です。

 

★路傍のモミジイチゴ熟す

 
     葉の裏に実が隠れている

モミジイチゴが熟して収穫時になりました。長靴をはき、手袋をし、腰に収穫ケースをぶら下げて散歩に出発です。
自生している場所はブッシュの場合が多く、藪の中に分け入らねば採集できません。地下茎で増えるので数本かたまって生えているのが普通で、鋭いトゲがあるので手袋は必需品です。
散歩の途中で一つふたつ摘まむのが一番気楽な楽しみ方でしょうが、今回はジャムを作ろうと考え、しっかり身支度しました。
手で触ってポロッと落ちる実を取ります。しっかりついているのはまだ未熟。
1cm程度の実ですから大量に集めるのは苦労します。

◆モミジイチゴジャムの作り方
 1.収穫した実を塩水に10分程度つけて虫を追い出し、水道水で良く洗う。
 2.重量比、4割程度の砂糖を加えてよく煮込む。これでOK。
        
        ソーラークッカーで煮込みました

ツブツブ感が残ります。それがワイルドで良い。裏ごしをかければ上品になるけれども量が減ってしまいます。
せっかく苦労しても出来上がり量がほんの少しでは悲しい。

モミジイチゴは「木いちご」といい、実が黄色いので「黄いちご」とも言います。葉が一見するとモミジの葉に似ているので「モミジイチゴ」が正しい和名。
同じ木いちごの仲間にはラズベリーやブラックベリーなどがありますが、モミジイチゴは野生ですからタダなのが気に入っています。生でも十分おいしいですよ。

春に目星をつけていた自生地の大半は先日の一斉草刈りで消えてしまいました。
住民の手で一斉草刈りが行われて環境が整備されることはうれしいことですが、何もかもカットしてしまうのは惜しい気がします。
たとえば灯台に来るハイカーがちょいと摘まんで食べられれば、豊かな自然が残る地として印象深い思い出になることでしょう。
先日は小学生の団体が登っていました。先生に山野草の知識があり、子どもらに試食させたならば良い経験になり、将来は自然保護の担い手に育ってくれるでしょうに残念なことです。

  

★野イチゴ利用法

 
    正しくは蛇苺(ヘビイチゴ) 

野イチゴの仲間はなかなか識別が難しい。とくにヤブヘビイチゴとの区別は慣れないと難しいけれど、特に区別する必要はありません。
どちらもイチゴと同じような形の黄色い花が咲き、赤い球形の実が実ります。

毒イチゴだなんていわれる時がありますが、近縁種も含めて毒などありません。
ただ少しも甘くなく、酸っぱくなく、苦くなく、つまり味がありません。
それゆえ、「せいぜい蛇が食うイチゴ」という命名です。

ところが見た目はおいしそうですからジャムにする人もいるようです。
ジャムにするには「甘さ・酸っぱさ・ペクチン」の三要素が必要ですが、残念ながらどの要素もありません。
ジャムにするならば砂糖を加え、レモンを加えればできますが、それがヘビイチゴジャムと言える味になるかどうかは知りません。

何有荘ではグランドカバー代わりにしています。もっとも有益な利用法は焼酎漬けでしょう。
ブログ友達の「独楽子さん」から教えてもらいました。

いや、飲むのではなく、虫刺されの薬です。虫なら何にでも効くようです。
密閉できる小瓶に半量程度入れ、ホワイトリカーを入れ、実の赤い色が抜けて白くなったら(液が茶色になったら)使えます。おばあちゃん伝来の昔からの知恵だそうです。
何有荘でも見習って常備薬として今年も1瓶作りました。

ところでイチゴの花は白い花だとはご存知ですよね。
野イチゴの仲間はどれも黄色い花ですが、中には白い花の野イチゴ(シロバナヘビイチゴ)もあるそうです。わたしは見たことがありませんが、これは甘いそうです。
そういえばワイルドストロベリーも白花ですね。これも食べられます。
つまり白花のイチゴは食べられる。黄色花はウマクナイ――と覚えておくと良いようです。

  

★シドケの天ぷら

  
   左=シドケ 右=天ぷら

このシドケは自分で採集してきたのではなく、ご近所様から頂いたものです。
若い奥様の実家が東北で、幸いにも被災地ではなく、ご夫妻のために送ってきたもののようです。
何有荘でカモミールの花摘みをしている時に奥様が通りかかり、お誘いし、たくさん収穫できたのでそのお礼ということでしょう。
「田舎」では時々、このような物々交換があるのがいいですね。

シドケは山菜として人気があり、高級料亭の食材にもなります。しかしホウレンソウみたいなものだろうとか、どうせ山から取ってきた葉っぱだからと思われ、人によってはその価値がわからない人もいるようです。
もちろん、若奥様はカモミール以上の価値があると踏んで持参したのでしょう。
物々交換としては何有荘がもうかったような気がします。
でも、もともと物々交換とは主観的価値の等価交換ですから、まぁそれで良しとしましょう。

まだ新鮮でしたから、さっそくお昼の天ぷらになって胃に収まってしまいました。
山菜を天ぷらにするときはあく抜きをしないことが多い。
シドケも良く洗って水を切り、衣を薄くつけて、低温でカリッと揚げるのがコツです。
今日みたいに初夏のような暑い日にはソーメンに天ぷらが似合います。
柔らかくてシャキシャキし、苦みもなくてやや甘みがあるのでまさに山菜の味です。こういうのを食べていれば寿命が延びるというウワサも信じられそうな気がしてきました。

里山ではよく似たヤブレガサを保護しているけれどシドケはまだ見ていません。
ヤブレガサは葉の表面に毛が生えていますがシドケに毛はありません。
今回、味を覚えてしまいましたから、今度はじっくり探してみることにしましょう。
ご馳走様でした。ありがたや、ありがたや。

 
 

★ナメクジから守られたイチゴ

 
    今春は寒かったので収穫が遅くなった

地植えのイチゴは元気だけれど、実が赤く熟すと人間様とナメクジとどちらが先に食べるかという競争になります。
ちょっと油断すると先手を取られてしまいます。傷が浅ければ、もったいないからその部分を切り捨ててよく洗って食べてしまうなんて大胆なことも「田舎」にいるとできるようになりました。

毎年それでは能がないので、今年は「籠城作戦」を実施したら大成功でした。
イチゴを鉢植えにします。これをお城に見立てます。
お城の周りにお堀があれば敵(ナメクジ・ダンゴ虫、アリ)は侵入できません。
鉢底皿に水を満たしますが、根腐れすると困るので、小皿を伏せ、その上に鉢をのせました。水に浮かぶイチゴ城の雰囲気です。

お堀に毒薬を仕込んでおけば完璧です。
毒薬とは台所用液体洗剤。ちょっと入れておけば近寄りません。
こうしてイチゴ城のイチゴは守られました。
夜毎に見回りする面倒と、収穫してナメクジの食い跡を探す手間から解放されました。

この作戦はプランターに種をまいたときにも使えます。
プランターをお城にするには下駄をはかせる考え方です。適当な発泡トレイを二つ用意して水で満たし、中に小型レンガを置きます。その上にプランターを置く。
これでナメクジ・ダンゴ虫は近寄れません。

ただし敵もさるもので、鉢底や地中にもぐって身をひそめていますから、孤立した水城内部にも敵がいることがあります。安心していると夜中に被害を受けます。
数日間は割り箸を使った「テデトール」作業が必要です。
捕獲した敵は「液体洗剤入り水風呂」に収監すれば、確実に昇天します。

ナメクジの駆逐、駆除、退治は必要ですが、皆殺しにするのは無理ですし自然の摂理に反します。
ナメクジが近寄れない工夫をすればそれで良いのじゃないかと思っています。

  

★原発はいらない(2)断遮利・ダンシャリ

  
OMコントロールパネル(屋根棟(ムネ)温62° 左=室温22° 右=外気温26°)

「断遮利・ダンシャリ」とは「断熱・遮光・利風」の略で、「断捨離」のマネをしてわたしが勝手に作った造語です。
何有荘では「断遮利」でエアコン知らずの生活をしています。
真夏でも室温は外気温より4~5℃低いので必要ないのです。

*外断熱で太陽熱をカットし、熱が室内に入り込まないようにしています。
*グリーンカーテンやスダレ、農業用遮光シートなどで建物を遮光しています。
*「利風」は風を利用することで、夏場をしのぐ最大のポイントになります。

空気は動かなければよどんで汚れます。流れれば風となります。
朝の空気は爽やかで、夜風は涼しい。
昼間でも室内に風が通れば、熱気がこもることはありません。
それは古いお寺の本堂や昔からのわら葺民家と同じです。

何有荘の屋根はOMソーラーシステムで、屋根の下に空気の層があり、昼間は熱せられ上昇した空気を棟からファンで強制排気しています。
フライパンのように熱せられた屋根の熱が建物本体に直接伝導するのを空気の流れで防ぐ断熱システムといえましょう。
夜になると屋根は放射冷却で急激に冷えてきます。その冷えた空気を室内に取り込むシステムもありますが使っていません。窓を開放して夜風をよんだ方がずっと効果的ですから。

一般家庭の電気料金の25%を占めるのがエアコン代で、昼間に限れば電気使用量の50%にもなります。
電力ピークに全家庭がエアコンを一斉にやめれば節電節電などとうるさく言われることはありませんし、原発停止が続いても何ら問題ありません。

そうはいきませんね、実はエアコンがなければ熱中症になってしまうような住環境こそが問題なのです。
石油ショックの記憶が薄れた頃に建設された最近のオフィスビルやマンションは電力を大量に消費することが前提となっています。
コンクリは蓄熱体なのに夏の日差しにはまったく無防備で、しかも窓は“はめ殺し”で風が入らず、室内の空気を温め続けています。
まるで温室の中で夏を過ごせと言わんばかりの生活環境を強いられています。
またトタン屋根1枚やスレート屋根の家も過酷な住まいで、いくら窓を開けても熱気がこもっています。

真夏に青森の三内丸山遺跡を訪ねた時のことでした。復元されたわら葺の巨大な建物の内部は涼しく、隣の資料館はコンクリとガラスでできた明るい近代的な建物ですが、エアコンがかかっているのに暑苦しかった。
縄文時代の方がよっぽど快適な住環境だと思ったものです。

電力に頼って不自然な暮らしをするよりも、風の通る家に住む方が心地よい。
分厚いワラ屋根は強力な断熱装置だった。畳や土壁は湿度の調整装置だった。
先人の知恵を生かして、生活の仕方・暮らし方を変えれば電力消費量を劇的に落とすことは十分に可能です。

※ OMソーラーハウスは冬場が真骨頂。太陽熱で暖く、暖房器具知らずの家ですが、その話は別の機会にしましょう。