★塩竃市・寒風沢島の被災レポート(4)

松島諸島を自然の防波堤にしながらも、塩釜も大変な被害にあいました。そして津波の引き潮は塩釜からあらゆるガラクタを浦戸諸島に運んできました。画像は島の海水浴場。
  
   漂着した浮き桟橋     大型コンテナやボート、漁具など

  
     こけし          医療用ボンベ

漂着物は海岸だけではありません。田んぼや倒壊家屋のガラクタの中にも潜んでいます。
だから島民やボランティアによるガラクタ回収は二次被害を受けぬよう慎重さが必要です。
医療用ボンベがあると言うことは注射針や様々な医療ごみも近くにある可能性があります。
また劇薬のビンや缶も漂着していることでしょう。うかつに動かしたり触ったりしては危険です。
ガラスの破片などいたるところにあります。台所用ゴム手袋では心もとない。作業用の革手袋が必要だと思いました。

ゴム長靴はクギを踏み抜く恐れがあります。防護用中敷きが用意できなければ安全靴か登山靴の方がマシだと思います。
島民はみな長靴ですから、防護用中敷きを行政は用意すべきでしょう。あるいはボランティア団体が寄付してくれることを希望します。

ボランティアは防塵マスクをしていますが、島民は普通のマスクしかありません。わたしが持参した防塵マスクは喜ばれました。
ヘルメットや帽子も必要でしょう。ある島の人は片付け中に落下物で頭を五針縫うケガをして自衛隊のヘリで運ばれました。今は自衛隊はいませんし、医療チームもおりません。
ボランティアは自己責任です。島民に迷惑をかけるわけにはいきません。

  
   損壊したお墓         ずれた墓石

お墓も被害を受けました。無傷のお墓は少なく、いくつかは墓石が転落し、あるいは傾いています。正常そうに見えた墓石も90°横を向いていたり、数十センチ平行移動しています。なかにはカロートに隙間があき、骨壺が見えてしまうお墓もありました。
どこも立派なお墓ですから、とても人力での復旧は見込めません。ご先祖様にはしばらく不便を忍んでいただくことになります。
わたしたちが持参した仏花とお線香はとても感謝されました。
現地を見ていませんが、日和山公園の東屋(アズマヤ)は倒壊し、「方位石」は転倒したそうです。

仮設住宅ができるまでは当分、避難所生活が続きます。
島民は力を寄せ集めて頑張っています。そんな島があることを忘れないでください。
塩釜港から船で1時間。電気と水道は近日中に復旧するでしょう。
ボランティアが来すぎてお断りという被災地域もあるそうです。寒風沢は朝一番の船で来島し、最終便で帰れば半日ボランティアは十分可能です。待ちわびています。
 
                            (被災レポート、おわり)

 

スポンサーサイト

★塩竃市・寒風沢島の被災レポート(3)

  
 壊れた樋からの天水が頼り   仮設上水道の敷設工事。

最初に救援物資が来た時、水は二人で500mlペットボトル1本だったそうです。
最近は少し余裕ができてきたように拝見しました。
それでも2か月近くたつ今でも水道水が使えないのは大変な苦労です。
上水道は市内から海底を通って島まで来ます。漁具を失い、海苔の機械が破壊され、田んぼを失い、家を流されて収入の道を断たれた島民が作業員に雇われていますが、それは幸運な人で、大部分の島民は放置されたままです。
岸壁が陥没し海水が来ている、その岸壁に沿って仮水道管が敷設されつつありました。

 
  海水浄化装置      右奥が外形は無事な下水処理場

某宗教団体から海水を浄化して飲める水にする装置が2台来ていました。ところがガソリンがないと動かない。動かす人がついていなければ動かない。ガソリンは貴重品だし、動かし方をだれも知らないために「宝の持ち腐れ」状態のようです。できた水も評判が上々とまではいかなかったのが残念です。
上水道も下水道も地下で破断されていますので、トイレが使えるようになるのはさらに時間がかかるでしょう。
なにせ重機がなく、作業員もいないのですから。
離島も山岳地帯同様に「バイオトイレ」の導入を行政は真剣に考える時期だと思います。

  
  田んぼは干潟になり      ガザミ?がいました

田んぼを守っていた堤防は2か所で決壊し、海水がなだれ込み、そのまま滞水しています。
地盤沈下により海抜0m以下になり、ここが再び水田地区として復活するのはいつの日のことかと思います。

 
 決壊した堤防。手前はたんぼ   転倒した「造艦の碑」

寒風沢では江戸末期に仙台藩によって国産の「黒船」が作られました。それを記念する安政四年の石碑が土台ごと倒れました。しかし碑文石自体は無事ですから、やがて島の復興とともに再設置されるでしょう。
その日が一日でも早く来ることを願っています。

 

 

★塩竃市・寒風沢島の被災レポート(2)

  
 「がんばろう浦戸」ポスター      船着き場付近

浦戸諸島を巡る市営汽船の窓には小学生の「がんばれ浦戸」のポスターが貼られていました。現在は復興支援船として無料です。
島の浮き桟橋は流され、船着き場付近は壊滅状況。コンクリの待合室とトイレは残りましたが使用不能。がれきで埋もれています。
臨時船着き場もなんとも危うい場所ですがここが頼りです。
  
 市営汽船と臨時船着き場        台船上に重機とトラック

自衛隊が撤収した後は再び取り残された島のようになり、ボランティアの姿も見あたりません。ボランティアの受け入れ体制も整っていないようです。
島の人たちは「生き残ってうれしかったけど、今は現実に戻り、先行きを考えると頭の中が真っ白になる」と話していました。何も考えられず、泥で汚れた家を整理するって言ったってどこから手をつけてよいのか呆然としているようです。
重機はタグボートに引かれた台船に載せられて島に来ます。寒風沢には2台しかなく、なぜか動いていませんでした。

がれきの山が撤去される予定はまだありません。だれが撤去するのか、島の人たちは自分たちの手作業で片付ける他はないのか、島だから後回しになるよねと絶望的な溜息をもらしていました。
わたしの目で見て心配なことは、これから暖かくなるにしたがって、がれきの中のウゾウムゾウの生ものが腐敗していき、不衛生になるだろうと想像されることです。消毒が必要です。
一番簡単な消毒薬は、【塩素系の液体ハイターをボトルのキャップ1杯。これを500ccのペットボトルに入れて水で薄めた液体】ですが、現地では水が貴重品です。雨水でもOKですから、雑巾を使う時や手を洗う時には役立つと思います。

 
  松が流された松島            マンホール

せっかくの松島なのに、松が津波でやられてハゲ島になってしまった島も少数ですがあります。
人家があった付近は液状化で地盤が沈下。島全体が30cm~100cmほど沈下したように思われます。

 

★宮城県浦戸諸島・寒風沢島の被災レポート(1)

 
   南(左)集落は壊滅。北(右)はカキ生産作業広場。
   国土地理院3/19航空写真より引用。4月の余震で現況はさらに悪化。

【被害概況】
人口200人前後の島。3月11日の地震の後、津波に襲われ、25戸が流され、52戸が全壊。
2名が死亡し、1名が行方不明。漁船流失50。海苔養殖施設全壊。水田全地域冠水。
16日に市の職員がヘリで来島し、被害を初めて掌握するまで孤立無援。
18日から自衛隊ヘリによる物資供給などが始まる。現在も電気、上下水道は不通。
避難所宿泊者3個所140名から現在(4/27)は1個所80名ほどに。

45日目にしてようやく新幹線が仙台まで通じ、塩釜市営汽船も島まで通うようになったので被災した島の従兄弟を激励に行きました。
「何が足りないか」というこちらの質問に、従兄弟は携帯電話で「自衛隊が運んでくれたから何でもあるから心配ない。笑顔だけ届けてくれれば良い」と言っていました。
もっとも小声で「焼酎」と付け加えることは忘れませんでしたが。

現地はがれきの山で、報道されている各地の様子と変わりませんが、TVで見るのと現場で見るのとは迫力が違い圧倒されます。
桜が咲きウグイスが鳴いているのどかな島で、今日の海は何事もなかったようにおだやかです。ヘドロと砂が堆積した畑には水仙が咲き、ネギが青々と育っていました。
自然がいつものように時間を刻み、変わらぬ営みを続けているのに対し、人間が営々として築き上げてきたものは一瞬でなくなってしまいました
こうなると人生観そのものが揺すぶられます。

一見建物は無事であったように見える家屋も内部は惨憺たるものです。
津波の気まぐれで、直撃をくらった家は跡形もなく、その隣の家は無事だったりして神様は本当に不公平です。
島の人々も内心は複雑でしょうが助け合って暮らしています。
みんなが自宅の米や味噌、野菜、缶詰その他あるものを供出し、かろうじて残った野菜を摘み取り食事は他の被災地よりはマシのようでした。
ただ水道水がなく、泥まみれの家をきれいにできない、トイレはオマルという不便な生活をいまだに強いられています。

堤防が崩れ、水田地帯は知らない人が見ればただの海岸です。地盤沈下で海水が停滞し、蟹が遊んでいました。塩水が噴き出しています。
たった1個所だけ塩水が入らなかった狭い田んぼがありました。カエルがにぎやかに鳴いていました。
ところが海水に満たされた田んぼはカエルもメダカもザリガニも消えてしまい“サイレント田んぼ”でした。あるいは車や家具、どこかの工場から流れてきた物品などなどのがれきが流入したゴミため田んぼです。
生きている田んぼ、死んだ田んぼ。その対比が衝撃的でした。

 

★姿を消した東電のエコカッパ

      
                今では懐かしいCM

誰かが何かを語るとき、その内容が正しいかは問題ですが、何を語らなかったは更に重要です。隠した真実こそが最大の問題だったりします。

画像の文章は「原子力発電も発電時に、CO2を出しません」とアピールしています。
         「原子力発電はCO2を出しません」ではないことが注目点です。
つまり原子力発電は、発電時にCO2を出さないのはある意味で正しいのです。しかし発電時以外では膨大な量のエネルギーを食い、CO2を大量にばらまいているという真実を語っていない点で悪質なCMでした。
フクシマを見れば、発電していない原発に外部電源を供給し続けなければならないことがはっきり見えてしまいましたからね。

電気の価格が原発は安いと宣伝してきましたが、それも数字のマジックです。
本来はウラン鉱石の採掘から放射性廃棄物の処理までの費用を合算して単価を出すべきです。今回のような不始末の保障も含めれば天文学的な数字になることでしょう。
人々の故郷を奪い、職と学ぶ場を奪い、人生を狂わせた責任は金銭であがなうことができません。
それでも快適な暮らしのために、自分が暮らす場所以外ならば原発は賛成ですか?

さて原発はウラン鉱石の採掘から始まります。13万tの鉱石を得るために残土が240万t発生します。この採掘と廃棄に膨大なエネルギーが消費されることは当然です。

13万tの鉱石は精錬されて190tの天然ウランが得られますが、低レベル廃棄物が13万t近く出ます。(130,000t-190t=129,810t)
ここでも大量の資材とエネルギーが消費され、大量のCO2が空気中に放出されます。

天然ウランは濃縮ウランにせねば原発で使えません。190tの天然ウランは30tの濃縮ウランになりますが、ここでも莫大なエネルギーが使われ、160tの廃棄物が出ます。

この廃棄物が「劣化ウラン」で、米軍はこれを廃棄処理するのではなく、劣化ウラン弾という戦車も貫通する爆弾に再利用し、湾岸戦争・ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、アフガニスタン、イラク戦争に使い続けています。
劣化ウラン弾は戦車内で爆発して戦車を粉砕して放射能をばらまきます。
不発弾も放射能をばらまきます。
劣化ウランを人間に無害に除染するなどという「無駄なエネルギー」を使わず、無敵の新兵器に再利用するアイデア出した人はだれなんでしょうかね。

さて30tの濃縮ウランから70億kWhの電気ができます。CO2を排出しないのはこの場面ですから「発電時にCO2を出しません」とぬけぬけとCMで自慢していました。
しかし、外部電源を消費しなければ、つまりCO2を出し続けなければ原発は制御できないのは先に述べた通りです。
さらに使用済み核燃料30tをプルトニウムに再処理するにせよ、高レベル廃棄物として処理するにせよ、またまた膨大な資材とエネルギーを消費しない限り問題は解決しません。

以上の具体的な数字は京都大学・原子炉実験所の小出裕章氏の講演(2010.4.10札幌)から引用しました。
鉱石の採掘から使用済み核燃料の廃棄まで合算すれば気の遠くなるような資材とエネルギーを投入して原子力発電がおこなわれ、それだけCO2が排出されています。

まぁともかく、人を小ばかにしていた東電エコカッパも当分は出番がないことでしょう。
東電エコカッパもそれくらいの恥はあったのですが、今度はダンマリを決め込んでいますので無責任体質は相変わらず、のようです。

 

★黒米スイーツ(ブラックライスプリン)

 
   インドネシアでは「ブブー インジン」というらしい

いすみ市の若手が集まり、地域の魅力を再発見し、都会と田舎の橋渡しをしながら新しいライフスタイルを提案している「NPO いすみライフスタイル研究所」 のスタッフから、ちょっと何有荘に寄りたいという話がありました。

都会風のしゃれたお菓子よりも、地元の黒米を使ったスイーツの方が喜ばれるだろうと思い、東南アジアの「ブラックライスプリン」をネットで調べてお出ししました。
簡単に言うと「甘い黒米お粥ココナッツミルクかけ」です。

◆ブラックライスプリン(8人分)の作り方
 1.黒米360ccをよく洗い、ザルで水切りをしておく。
 2.圧力鍋に黒米、1100ccの水で25分加圧、自然減圧。
 3.黒砂糖60gと自然塩ほんの少々を鍋に入れると甘い粥、見た目ぜんざい風になる。
 4.別鍋にココナッツミルク180ccを沸騰させ、自然塩少々を入れる。
   甘いねっとり黒米お粥に塩味の真っ白いココナッツミルクをかけて出来上がり。
 
白黒の対比と甘い・しょっぱいの対比が絶妙なのですが、ココナッツミルクの入手が面倒ならば、思い切ってヨーグルトを載せてしまうのも良いかもしれません。
黒米は日本では高価なので、半量をもち米で代替してもOKです。

エッこれなんですか?とびっくりしていましたが「オイシイ」と喜んでくれたので、レパートリーがまたひとつ増えました。
初めて作った試作品なのに試食をしていただきありがとうございました。
どなたか「いすみ市名物」として商品化してみませんか?

稲作は弥生時代から、と昔学校で習いました。ところが現在の考古学では縄文人が稲(米)を食べていたことが確実視されています。
お米には普通のコメである温帯ジャポニカ米とは別に、長細いインディカ米という種類があるのはご存じだと思います。
縄文人が食べていたのは、その中間の「熱帯ジャポニカ」であったと指摘されています。
そして黒米とは熱帯ジャポニカの一種ですから「古代米」と称しています。
東南アジアでは現在、インディカ米のほかに黒米、赤米、緑米などが豊富に生産されることを考えると、「縄文人・縄文文化」と東南アジアとは稲(米)に関して深い関係があることは間違いなさそうです。

 
 

★シャクの花

 
     湿って暗い林縁の下草

育てば高さ1mほどになり、これからが花の時期になります。
春まだ浅い頃から人参のような葉を出す「山菜」です。食べられると知らなければタダの雑草で、何有荘でも永らく雑草として堆肥置き場に直行でした。

ところがある日、満開の白い花を咲かしている場面に出会い、美しいなと思い、写真に撮り図鑑で名前を調べてみました。
あれこれ似た花がありますが、ポイントは花の形・大きさ、葉の形、茎の色・形など。これを慎重に見分けます。

図鑑で調べてみると、似た花に毒人参があるそうで、ビックリしました。
確かに外見上はそっくりです。
毒人参はソクラテスが死を強要された時に、その絞り汁を飲んで自害しました。
アメリカインディアンや日本のアイヌも絞り汁を矢じりにつけ、動物を射殺す「毒矢」にしてきた有名な毒草です。

毒人参は北海道で帰化植物として自生しているそうですが、この近辺では自生していないとのことなので、まずひと安心です。
簡単な見え分け方は、茎に赤い斑点があると言います。でもネットで調べた限りではあまり明瞭ではありませんから区別するポイントとしては不安です。
茎葉を握ってつぶしてみれば毒人参はイヤな臭い、腐臭がするとも記述されています。シャクはセリ科特有のさわやかな香りがします。香りが一番のポイントと思います。

という訳でこれは「シャク」と断定致しました。
芽生えたばかりの軟らかい葉が食べ頃ですが、今の時期の花が咲いているようなシャクでも、茎が手でちぎれるような先端の部分はおいしく頂けます。
カラスノエンドウをよりもお奨めです。
熱湯にサッと通して水にとり、絞って適当に切り、皿に盛ってオカカを載せて醤油をちょっとかけて食べればだれも「雑草」とは思わないことでしょう。まさに山菜です。
セリ科特有の味と香りがします。野ミツバにも似てオイシイですよ。

 

★スギナで悩むなら、茶にすれば良い

 
      菜園ははスギナだらけ

スギナは嫌われていますが、実は働き者です。
地面の深い所根からカルシウム、カリウム、ケイ酸などのミネラル分を吸出し、枯れてそのミネラル分を地表に蓄積してくれます。
こうして荒れた酸性の土壌はやがて長い時間の末に植物が最も成長しやすい豊かな中性土壌に変化していきます。

原因(酸性土壌)を問題にせず、スギナが生えるという結果だけを問題にするのは筋違いな話でしょう。
恐竜が暴れていた中生代からの生き残りですから、人間様が退治しようとしても簡単なことではありません。
スギナを退治するという不毛な戦いに挑戦するよりも、スギナとの共生を考えた方が気が楽ですし、前向きな姿勢です。

 Z-TOWNというサイト からの引用です。
■効能
特に、ガンや肺結核や慢性気管支炎、肺治療にはよく効くと言われますが、この場合には煎じ汁を飲みます。
また、腰湯に使うと『腎う炎』『肝臓病』『ぼうこう炎』に大変よく効くとも言われています。スギナ風呂は、ウルシかぶれのようなかぶれやかゆみなどの和らげる効果も強く、アトピー性皮膚炎などにも効果があるとされます。
■つくりかた
農薬などに汚染されていない、スギナの一番元気に伸びている時期の5~7月に、全草を採取して水洗いして天日で乾燥させておきましょう。
■スギナ茶の入れ方
普通のお茶と同様の飲み方でどうぞ。(生の葉でも干した葉でも良いです)
■スギナ風呂
スギナを一晩水につけて、次の日にそのまま沸騰させ、その液をお風呂の中に注ぎ入れます。お湯は柔らかく、お肌しっとりですよ!

庭や畑の手入れをかねて、地際でスギナを刈り取り、サッと洗って干します。
飲んでみればなかなか飲みやすいお茶です。
そのほか、乾燥スギナを粉末にしてふりかけにするという人もいます。
もちらん、お茶の出し殻は庭や畑に戻します。スギナ様に感謝して。

 

★津波の警告:飯綱寺の彫刻『飛龍』

 
      翼のある龍はめずらしい(画像はクリックで大きくなります)

江戸時代に「波の伊八」と称される名彫刻師が外房におりました。
波を彫らせたら当代随一で、「上方職人は江戸にいったら波を彫るな」と言われたそうです。
江戸には波彫刻の名人がいるから恥をかくぞという意味です。
画像は何有荘近くにある飯綱寺(ハンジョウジまたはイヅナデラ)の結界欄間にある「飛龍」です。

近頃お寺さんがJRと組んで宣伝しだしてから「天狗のお寺・伊八彫刻のお寺」として有名になり、観光バスでゾロゾロお客さんがきます。
お客さんの目当ては欄間中央の「天狗と牛若丸」。すばらしい一木造りの彫刻で技巧のサエに感心するばかりです。しかし「波の伊八」の「波」を鑑賞するならば左右の欄間にある飛龍を見るべきでしょう。

伊八は和泉が浦の波間に馬で乗りいれ、その波の寄せては崩れる荒波を馬上から熱心に観察したそうです。
この付近一帯は現在も波が大きく荒く、それゆえサーファーのメッカとしても有名になっております。
ところが飛龍の彫刻を見てみると、サーファーも恐れて海から逃げ出す大荒れの海です。すごい迫力です。つまり伊八が彫った海は太東海岸のいつもの海ではありません。

飯綱寺は元禄大地震後の巨大津波で破壊され流されました。その飯綱寺の再建本堂の欄間彫刻を依頼されたのが伊八です。
彼は1752年に外房の鴨川生まれですから1703年の「元禄大地震・大津波」の直接の被災者ではではありません。
しかし、村を襲った大津波の恐ろしさを村人から聞いて育ったことは容易に想像できることです。
巨大台風の荒波をはるかにしのぐ大海嘯(ダイカイショウ)とはどのようなものか、芸術家としての血が騒ぎます。そして彫り込んだのが「大嵐の中に跳梁(チョウリョウ)する飛龍」でした。(1816年頃)

通常、龍は翼がなくとも空を飛び、雲を呼び、雨を降らし、嵐を起こします。
しかし元禄大津波は当時の人々の想像を絶する未曾有の被害をもたらし、飯綱寺を押しつぶしました。人々はその凶暴さに恐れおののき、絶望さえ感じたことでしょう。
画像をご覧ください。凶悪な形相の飛龍が彫り込まれています。
元禄津波の凶暴さを描くには伝統的な翼のない龍では表現できず、江戸時代の常識を超えた「翼をつけた龍」でなければならなかった…。

絵画・彫刻史的には、この頃、欧州の翼を持った龍(ドラゴン)の絵画が江戸にも知られるようになり、そのアイデアを拝借したことになっています。
そうかも知れませんが、彼が彫刻家として後世まで人々に残し伝えたかったことは『巨大地震と大津波』のすさまじい破壊力であり、その後の人々の悲惨さです。
「恵みの海」はある日突然に「魔の海」に激変する。海を侮(アナド)るな。海を恐れよとノミの一振り一振りごとに死者への思いを込めて彫り込んだ鎮魂の彫刻が『飛龍』として結実したものに違いありません。
お寺の欄間の勇壮な装飾品として眺めるのではなく、伊八が後世の人々に残したメッセージとして受け止めたいと思っています。

 
 
 

★白い野バラは「紅葉いちご」

 
     下向きに咲くので裏返して撮影

かつてバブルのころに造成された土地が放置されたような斜面によく生えています。
鋭い棘(トゲ)があるのでうかつに触れない。
白い花は4~5cmで五弁。みな下向きに咲いている花は桜に似ています。
あるいは野生のバラのようにも見えますが、葉がモミジのような形です。
この正式名はバラ科キイチゴ属モミジイチゴですから、「野バラ」の一種です。
「わらべは見たり 野中のばら--」の野バラかどうかは定かではありません。

キイチゴが曲者(クセモノ)で、「キイチゴ属」を漢字で書けば「木苺属」で、栽培用イチゴや蛇苺などの「草苺」の対になる言葉ですが、モミジイチゴの実は黄色くなるので通称を「黄苺」といいます。
つまり、「木苺」の仲間の「黄苺」ということですからややこしい。

桜が咲く少し前、4月初めから咲き出し、桜が散るころに花の時期は終わりになります。
一斉に咲き、一斉に散るということはないので、桜よりは花の時期が長いけれど、もはや終盤の時期です。
この白い花が咲いている場所をしっかり覚えていると6月に「黄苺」がとれます。
つまんでオイシイ。ジャムにしておいしい。
鬱陶(ウットウ)しい梅雨の散歩も宝探しのようなものです。