今が旬?ミョウガの収穫

   

茗荷(ミョウガ)には格別な思いが二つあります。
学生時代に毎日のように通った駅が東京の丸ノ内線・茗荷谷駅でした。江戸時代は茗荷の産地だったそうです。ミョウガという単語に学生時代を反射的に思い出します。
勤めてからは、信州に職場旅行をした時、地産大豆と湧水で作った豆腐に茗荷が薬味にのっていました。その鮮烈な味が今でも忘れられません。
退職後、茗荷は是非とも自給したかった作物の一つです。

ところが茎葉は大きくなっても、なかなかお目当てのミョウガを収穫できません。
ミョウガがどうやってできるかも知らなかったのですから当然と言えば当然です。
先日、偶然にミョウガを発見しました。
地面からほんの少し顔を出していました。探すとあちらこちらに。
30個ほど収穫でき、家内はホクホク顔で幸せでした。梅酢漬けにするそうです。
今晩はもちろん豆腐の薬味、そしてオムレツの添えとして出てきました。

ミョウガは初夏の味と思っていましたが、それは都会向けの促成栽培だったのですね。放任の自然栽培では9月が旬だと初めて知りました。
ミョウガの成長具合を確認するためにはヤブ蚊との戦いになります。それが嫌で、植えたきり放置されていました。
旬がいつかも知らないので、初夏の頃にヤブ蚊を払いながらいくら探してもミョウガが見つからないと嘆いたのは愚かな話でした。

ミョウガを食べ過ぎると物忘れするとか、アホになるとか言われていますが、まったくの迷信です。むしろ脳の活性化になるそうです。
なぜそのような迷信が生まれたのか、少し調べましたが判りませんでした。
“お釈迦様の弟子の某は物忘れが激しく、自分の名前さえ覚えられない。その弟子の死後、埋葬された墓にミョウガが芽生えた”という話が流布していますが、無知な人をからかうために生まれたもっともらしい作り話でしょう。
インドでは遺体を埋葬したり墓を建てる習慣などありません。

家庭菜園の旬の野菜を旬に食べるというこの上ないゼイタクを味わえるのも定年退職(正確には定年前退職)をした結果であり、毎日が日曜日であるからです。
若い子育て世代の人々にもこのような時間的な余裕を政府として法的に保障すべきです。だって人生が生き生きとしてきますよ。それが日本の活性化に繋がるのではないでしょうか。

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キクイモの花が咲いている

   
        キク科ヒマワリ属

高さが2~3mにもなりますので、隣家との境界に塀代わり・目隠し代わりになるように一列に植えています。
菊のような花が咲き、根にショウガのようなイモをつけるのでキクイモと言います。

北米インディアンが育てていた作物で、ヨーロッパに渡り世界中に広まりました。
小さなイモしか採れませんが、まったく手間いらずの作物で、主として飼育用作物だったそうで、別名がブタイモ。

このイモが注目されたのは、第一次世界大戦、第二次世界大戦で欧州の農業が疲弊し、飢饉の恐れがある時に人間様の食用に転用され、様々な料理が工夫されました。
しかし、農業の復興とともに貧乏人の田舎料理としてさげすまれ、やがて忘れられ、野の花としてかろうじて生き延びてきました。

キクイモが再び注目されたのは最近のことです。今や一種のブームになっているようで、いすみ市でも「奇跡のキクイモ」などという講習会が行政の主導で開催されました。休耕田にキクイモを植えようと言うキャンペーンのようでした。

その理由はイモでありながら食べても絶対に太らない。それは主成分に澱粉を含まないからです。主成分のイヌリンは多糖類で、消化によってオリゴ糖類になり、これは善玉菌の食料となり腸内をきれいに掃除してくれるそうです。
もっとも注目された点は「天然のインシュリン」とよばれ、血糖値を正常に近づけ、糖尿病を予防する効果が医学的に確かめられたことです。
事実、家内の友人のご主人は劇的に数値が改善し、今やすっかりキクイモのファンになっております。

イモができるのは11月になってから。上部がみすぼらしく枯れた頃、太い根っこを掘り上げるとショウガのようなイモが続々と採れます。
採り残された「こぼれイモ」から翌年のキクイモが芽生えてきます。一度植えると退治するのが難しそうですが、退治する必要もないので連作しております。

日当たりさえ良ければ無肥料・無農薬・無耕耘でも勝手に育つ優良作物で、わたしに似合いの作物です。
 

炭火焼きで黒こげサンマ

   

ロースターやグリルで焼けば見栄え良く焼けるサンマですが、「今時、最高のゼイタクは戸外での炭火焼きだよ」――で、やってみました。
こんなはずではなかったのですが、ご覧のように見事な黒焼きができました。

サンマの正しい焼き方・炭火焼きは「遠火の強火」が原則です。炭が赤い炎を出して燃えている時はまだサンマを載せるのは早い。
炎がおさまり、炭の表面に白い灰が目立つようになってから焼き始めるのが良い。
遠赤外線でじっくり・ほっくり焼ける――はずでした。

焼き方の腕が悪いことを棚上げにして、原因を考えると
サンマから滴り落ちてくる油の処理を間違えたことにあります。
予想を超えた油の量で、これが炭火に落ちてボウボウと炎がたちます。(画像)
これで真っ黒になりました。少々の煙と炎こそサンマの炭火焼きの醍醐味ですが、大火事みたいになっては困ります。

網ごとサンマをカマドからはずして滴り落ちる油を地面に吸わせれば良かったのでしょうが、ひんぱんにはずすのもせわしない。
あるいは、もっともっと炭火の火勢を落としてから焼くべきでした。
前回は油受けのある『魚焼き網』を使ったので、炎を消すのも簡単でした。
今回の網はスケスケですから油がストレートに炭に落ちて大変なことになりました。油受けのある『魚焼き網』を使った方が楽でしょう。

真っ黒焦げのサンマでしたが、アツアツを大根おろしと醤油をつけて食べれば、昔懐かしサンマの味で、虫の音を聞きながら秋の夕食を楽しみました。
余分な油を落として焼いた炭火焼きの秋刀魚(サンマ)は最高です。
 
本日9月23日は秋分の日。秋の前半と後半を分ける日で、いよいよ秋の夜長を実感することになります。お墓参りもすませました。
旧暦では7月を初秋、8月が仲秋、9月は晩秋といいます。本日は旧暦の8月5日ですから、今は秋のど真ん中にいることになります。
次の十五夜を「中秋の明月」といい、来週の週末、10月3日(土)がその日です。
宮勤めをしている時は月を眺める余裕もありませんでしたが、退職するということは素晴らしいことです。ススキを飾って明月を眺めるのことを今から楽しみとしております。

 

自作のピューレでミートソース

9/16日付の自作のトマトピューレをちょっと指に付けてなめてみました。
オーッ、スバラシイの一言です。
トマトのエキスがぎっしり詰まっています。
塩味なのにトマトの甘さが際だちます。これがトマトピューレの味なのでしょう。
家内はニコニコ顔で自慢気です。
それで家内が作った一品が、スパゲティーミートソース。

ミートソースの具は冷蔵庫にあったオムレツの具の残りをピューレで和えたもの。
これにキッチンバジルを混ぜました。つまり、残り物のリメーク。
リメークだと知らなければ、これもまたなかなかの一品です。
もともとイタリアの家庭料理ですから、気取った料理ではありません。

こりゃトマトケチャップなど当分は必要なさそうです。

 

初めての手作りトマトピューレ

   
         これでトマト4個分

ご近所様から無農薬の大きな完熟トマトをいただきました。
何有荘でもミニトマトやオランダトマトを栽培し、手入れもしないのにどういうわけか豊作で、あちらこちらに配っているほどです。
でも、頂ける物はどんなものでも感謝して頂くことがポリシーですから、「ワーッ助かります」とか何とか言っちゃって家内が受け取りました。

切って見ると空洞のない、身がぎっしりと詰まったトマトで、さすがプロです。
ウチはとたんにトマト大尽になってしまったので、家内がピューレを作りました。

◆トマトピューレの作り方は簡単です。
   1.良く洗い、ヘタを取り、ざく切りにする。
   2.ホウロウ鍋で30分程、木べらでつぶしながら煮込みます。
   3.裏ごしして種・皮を除いて再び鍋で煮込みます。塩少々投下。
   4.ややねっとりしてきたら出来上がり。
   5.煮沸消毒したビンに入れ、冷えたら冷蔵庫で保管

参考にしたサイトはhttp://oisiso.com/html/memo/tomato_puree.html

トマト大4個がビン半分少々になってしまいました。それだけピューレは中身が濃いということなのでしょう。
出来上がってから感想を聞くと、裏ごしが一番気を遣うとのことでした。
わたし思うんですが、最初から皮を湯むきしてしまえば楽なんじゃないですか?

そうしたら、そうしているサイトもありました。そこでは湯むきしてミキサーにかけ裏ごしするそうです。それから煮詰めるのだと書いてありました。
こちらの方法がずっとラクチンですね。
http://www.aic.pref.gunma.jp/e/nousankakou/158.htm

都会生活ではトマトピューレを作るなど考えもしませんでしたが、田舎暮らしをすると「余ったトマトをどうするか」は真剣な問題です。
昔の人はピューレにすることによって新鮮なトマトが手に入らない冬から春を乗り切ったのでしょう。

 

葛(くず)の花

   
          下から順に咲いていく

 萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなえし また藤袴 朝顔が花
                               万葉集 巻八 山上憶良

葛の花があちらこちらで咲いています。秋の七草の一つでありながら、これほど嫌われている植物もめずらしい。
大型の豆科植物で、ツルをどこまでも延ばして這っていきます。
途中にからめる樹木があるとこれ幸いとまとわりつき、覆い尽くしてしまいます。その傍若無人振りが嫌われる理由でしょう。
少しは遠慮しろよ、と言いたくなります。

葛は大変役に立つ植物で、風邪をひいた時に葛湯を飲んだ記憶があります。
川崎大師や東京の池上本門寺の名物はくず餅で、わたしも好きです。
ところが現代ではくず餅に葛粉は使っていません。小麦粉の澱粉を発酵させて使っているそうで、今や葛粉は超高級和菓子の原料になってしまいました。

葛粉の他に昔は、和漢薬の葛根湯(かっこんとう)、葛の繊維で織った葛布、ロープ代わりなどに大変役に立ちました。
現代ではわざわざ葛を原料とするまでもなく他の製品に取って代わられ、役立たずで邪魔者のクズになってしまったのは気の毒なことです。
今でもツルを使ったリースやカゴ作りなど、ほそぼそと利用されてはいますが…

どんな荒れ地にも育ちますので、フィリピンではピナツボ火山の爆発で草一本生えないほど荒廃した土地の緑化作物として日本のNPOが植栽しています。
ところが北アメリカでは高速道路ののり面の緑化植物として日本から輸入された葛が猛威を振るい、今や嫌われ者だそうです。

人々に感謝され、あるいは嫌われる葛ですが、その花は豆科ですから、なかなかしゃれた美しさを持っています。
秋の七草ですから、ちょっとした生け花に利用できますネ。
葛の花をほぐしてよく水で洗い、酢の物にするとか天ぷらにするとか聞きますが、
まだわたしは食べたことがありません。

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)

   
        別名が彼岸花
こちらでは道端でもあぜ道でも彼岸花が咲き始めました。
先週はほんの少しだったのに今週は4分咲きぐらいでしょうか。来週のお彼岸には満開になることでしょう。
お彼岸に咲く華麗で繊細な花で、極楽浄土に咲く花とも言われています。
だれもその現場を見たことはないはずですが…。

♪赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ) 阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る
 濡れて泣いてるじゃがたらお春 未練な出船の あゝ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る

双葉あき子さんだったですかね。戦後生まれのわたしが戦前の歌をどうして知っているのかわかりませんが、彼岸花を見るとこの歌を思い出します。

若い人たちは、マンジュシャカ と発音するのでしょうか?
山口百恵さんの『曼珠沙華』(作詞:阿木曜子。作曲:宇崎竜童)では
♪ マンジューシャカ 恋する女は マンジューシャカ 罪作り

阿木曜子さんはマンジュシャゲの原語、サンスクリット語ではmanjusaka ということを意識したそうです。だからマンジュシャカ。

華をケ(ゲ)と発音するのが呉音、カと発音するのが漢音。
古い日本語というか、慣れ親しんでいる漢字の発音は呉音で、遣隋使・遣唐使によってもたらされた新しい漢字の読み方を漢音といいます。
随や唐の時代の発音なのに漢音というのが不思議ですが…。
漢音が日本では正式とされ、官公庁で使用されましたが庶民にはちと煙たい。今で言えば役所や大企業が日本語を使わずに英語を使うようなものでしょうか。

曼珠沙華はマンジュシャゲと発音することが庶民の間では広く受け継がれ、
マンジュシャカと「正式に」発音するのは一部の仏教関係者に限られていました。
阿木曜子さんは「曼珠沙華の正しい読み方」を披露したのではなく、原語を忠実に音写しただけなのですが、本当は何と読むのかというくだらない論争に巻き込まれたのは気の毒なことです。

球根にも花も、そして後から出てくる葉にも毒があります。
昔、土葬した遺体を野生動物に掘り起こされないように墓地の周囲に植えました。
それで「お墓の花」の印象が強く、死人花(しびとばな)などと嫌う人もいます。
最近では「縁起が悪い」と信じる人は激減し、元々そんな迷信のない欧州でカラフルに品種改良され、リコリスというしゃれた名前で出回るようになっています。

 

アオサギ

   
        夕日に赤く染まるアオサギ

何有荘前の池には多くの水鳥が集まります。その中でもアオサギは隣の池の竹藪に巣があり朝夕によく見かけます。わたしたちはアオサギさんと隣同士。近所つきあいをしようと思っても相手は警戒して、なかなかシャッターチャンスがありません。

羽を広げると1.8mぐらいあり、日本のサギの仲間では最大。首をS字に曲げてかなり迫力のある飛び方をしています。
首を伸ばしているとやや凶暴な顔つきで、首を縮めているとゴイサギと見間違えるような姿です。
じっとして動かないことが多く、風景の一部と化しているのは、エサである小動物をあざむくためにでしょう。目的の小魚やカエルが射程距離に入ると電光石火の早さでクチバシを突っ込んでエサにありつきます。それは素早いものです。

昔はどの地域にも大型の鳥がいました。
食物連鎖の上位に属する彼らの姿が各地から消えたのは、彼らの生存を保障するだけの小動物が開発により各地から消えたからに他なりません。
ここはまだ開発が進んでいませんから、彼らにとってはエサが豊富で貴重な生息環境です。

空を飛ぶ大きなアオサギや華麗なシラサギをたくさん身近に見られることは都会人には驚きです。
一時期、大規模な開発計画がありましたが、バブルとともに消え去りました。
埋め立てて大型バス駐車場になるはずの池にアオサギの巣があることを計画者は知らなかったのでしょう。
計画が実現していればアオサギは追い出されました。豊かな自然環境こそが貴重な観光資源である――と地元の人はまだ理解していないようです。

蛇足:
アオサギのアオとは青=blue という意味ではありません。
古代日本語のアオは灰色、はっきりしない色という意味です。
赤・黒・白以外はどれもアオでした。
アオサギの羽の色はgrey グレー、灰色ですからアオサギと言います。
日本語の誕生時期は確定していませんが、すごく古くからこの列島でアオサギの名前で親しまれていた鳥だということがわかります。

 

ニラの花

   
       3枚が本物の花弁で残り3枚は苞(ホウ)だとか

9月になると庭のニラの花が咲きます。なかなか精緻で美しい。これもまた夏の終わりを告げる白い花です。
あぜ道や道端のあちらこちらにも雑草と一緒に無造作に白い花が咲いているので
「こんな所にもニラが生えていたのか」と初めて気づきます。
自動車に乗っていたのでは気づかないでしょう。田舎ではニラは雑草の仲間のようなものと言えます。

昔々、野菜は畑で栽培するものではなく、野に摘みに行き採集してきました。
そんな歌が万葉集にあります。ニラ摘み作業を歌った東歌。
                                  (万葉集14-3444)
   きはつくの 岡のくくみら 我れ摘めど 籠にも満たなふ 背なと摘まさね
                         
きはつくの岡(地名)のククミラ(ニラの古名)を摘んでいるけど、なかなか籠いっぱいにはならない。(それなら)あなたの彼氏と一緒に摘みなさいヨ――という女性たちの掛け合いの歌です。
女性たちは昔も今も仕事をしながらおしゃべりをし、冗談を言いあうのが得意のようです。

年に何度刈り取られても、元気に葉をのばして食卓を豊かにしてくれたニラですが
この時期は花茎を伸ばし、つぼみをつけ、そして花を咲かせています。
葉は固くなり普通はもう食べません。その伸びたつぼみ付の茎を切り取って調理する方法があるそうで、「花ニラ」料理と言います。
花ではなく、つぼみ+茎なのに「花ニラ」というのが不思議と言えば不思議です。
「ハナニラ」という植物とは別物。まぎらわしいネーミングですネ。

信州などの田舎料理ですが、れっきとした中華料理素材でもあります。
調べてみるとベトナムでも食材として利用するらしい。
調理はおひたしや天ぷら、炒め物、餃子、ぞうすいなど。油炒めはシャキッとした歯ごたえがあり、ほんのり甘いということです。
『肉花ニラ野菜炒め』なんぞ、きっとオイシイだろうと思います。

庭のニラでは数が不足ですから、万葉集のマネをして家内を誘い秋の空、花ニラ摘みにでも行ってみましょうか。

  

S池の蓮の花と実の話

   

東京や神奈川など都会地であっても大きな公園へ行けばハスの花を見ることができます。有名どころでは上野不忍池、町田市薬師池公園、鎌倉八幡宮、小田原城跡公園などいくつもあります。
その見頃になるとTVや新聞などに紹介され多くの見物客が訪れます。

ここ、いすみ市ではそのような有名公園はありません。
しかし農家の蓮池はいくつも見ることができます。大規模ではないので自家用でしょう。蓮池も蓮の花も地元の人には見慣れた風景なので大騒ぎする人は誰もいません。

わたしが蓮の実の採集地としているS池は農業用ため池であって、蓮は農業用でも観光用でもありません。だから誰も見物に来ません。
近くの浅間池にあった蓮がなぜか全滅した後で、このS池で繁殖するようになりました。最初は池の片隅に咲いていましたが、最近は全域に広がり、それは見事なものです。

蓮の実は花の中央の『花托(かたく)』という部分にできます。花托から種が抜けるとハチの巣のようにも見えます。蜂の巣→蜂巣→ハス、というように変化してハスというのだそうです。蓮は中国語。蓮という漢字をハスと訓じたものです。

蓮の実を取るにはまだ緑色の若い花托が手頃のようです。農産物直販所でもこの手の花托が1ツ50円で売りに出されていました。
花托から実をはずすのに手間取りますが、殻をむいて果実を取り出すのは簡単ですし、果実はそのまま食べられます。

花托は薄茶色からしだいに濃い茶色に変化していき、もう枯れたといえる濃い茶色の花托は飾り物・オブジェとして最高です。
その時期の実を花托からはずすのは簡単ですが、固い殻をむくのが大変で、ナイフか包丁で殻を傷つけてからむかねばなりません。
大きな果実が得られます。果実の前後を切り落とし、真ん中の緑の芽を楊枝で押し出します。この芽が苦さの主因。芽がなくなるとデンプン質だけが残り美味となります。
芽が抜けた果実は大きな白いジュズ玉のような感じがします。

蓮の実の殻は固いので何百年も何千年も地中で生きていくそうです。それが有名な古代ハスで、発見して育成した大賀博士にちなんで大賀ハスとも言われています。
埼玉県行田市の古代ハスはそれとは別で、土木工事中に発見されたそうです。
さてS池のハスは古代ハスなのか?
古代ハスであるという人もいます。確かに近所の栽培用のハスとは異なり、古代ハスに似ていますが、わたしにはまだ確信がありません。