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★首都圏直下型地震と通電火災「断ボール」

漏電遮断器
    赤いボール(約500g)が地震で揺れて落ちるとブレーカーが落ちる。

NHKが4日連続で近々訪れるであろう首都圏直下型地震の特集を組みました。
NHKだからきっと無視するだろうなと思っていた通り、首都圏直下型地震での重大な危険についてはあっさりと無視し、国民に知らせませんでした。

① 首都圏には核施設が8ヵ所もある。放射能汚染拡大の心配はないのか?
   ◎再稼働をめざす茨城県の東海第二原発
   ○川崎市川崎区浮島町:㈱東芝原子力技術研究所 非均質型臨界実験装置
   ○川崎市川崎区浮島町:㈱東芝研究炉管理センター 非均質型原子炉
   ○川崎市麻生区王禅寺:東京都市大学原子力研究所 固体均質型原子炉「TRIGA」
   ○川崎市麻生区王禅寺:日立エンジニアリング(株)王禅寺事業所 非均質型原子炉
   ○川崎市麻生区王禅寺:(株)日立製作所 電力・電機開発研究所 王禅寺分室 非均質型臨界実験装置
   ○横須賀市長坂:立教大学原子炉「RUR」(TRIGA 2型炉(100kW)研究炉
   ○神奈川県横須賀市内川:(株)グローバルニュークリアフュエルジャパン(核燃料棒製造)
   ――その多くが現在廃止措置決定済みです。十分な対策が行われていると信じるほかありません。

② 横須賀の米軍原子力空母とその基地はどうなっている?。事実上の治外法権地帯です。

③ 東京湾の埋め立て地(液状化地帯)の火力発電所11ヵ所。
   ――液状化でアウトになったら関東地方はブラックアウト。原始時代に戻ります。
   東京都に品川火力、大井火力/神奈川県に川崎火力、東扇島火力、横浜火力、南横浜火力、横須賀火力/
   千葉県に千葉火力、五井火力、姉崎火力、富津火力

⓸東京湾の埋め立て地のLNG貯蔵基地(液化天然ガス=火力発電の主燃料)4ヵ所
   ――爆発、火災になったら?
      東扇島、南横浜、袖ケ浦、富津
  
⑤ 東京湾の埋め立て地の石油コンビナートタンク数は合計5660基
   ――石油が東京湾に流失し炎上したら東京湾は火の海となり、燃え続けるでしょう。
    川崎横浜臨海区:2141基、横浜根岸区:291基、横須賀久里浜区:17基
    京葉臨海北部:227基、京葉臨海中部2922基、京葉臨海南部:62基
 
3.11東日本大震災で、気仙沼湾は津波により破壊された燃油タンクから大量の重油が流出して火の海になりました。遠く離れた千葉県市原市の石油コンビナートでもタンクが揺れて炎上しました。
首都圏直下地震になっても、東京湾のタンクが全数無事だとはとても信じられません。

自助、共助そして公助といいますが、果たして国は市民の生命・財産を守るための施策(公助)の努力をしているのか、万全の対策をしっかりお願いしたいと思います。

せめて市民は自分で生命財産を守り、被害を広めないように努力せよとNHKは言います。
そんなささやかな努力が画像の通電火災防止の「断ボール」です。
揺れが収まった後で思わぬ通電火災を防ぐために、震度5以上で赤いボールがボール受けから転げ落ち、ひもでつながったブレーカーが落ちて電力が遮断されるというものです。
運よく、首都圏直下でも生き延びたら、少しは役に立つのではないかという自己満足みたいな何有荘の地震対策です。

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★台風19号は未来を暗示する

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  米航空宇宙局(NASA)よる航空写真(列島を覆いつくす大きさ)

米国に来るのは台風ではなくハリケーン。その最大規模のハリケーンはレベル5。
米国は今回の台風19号を評してレベル外、レベル6ともいうべき規格外の大きさ・強さだと断じていると日本でも報道されていました。
上陸する直前まで中心気圧は915ヘクトパスカルという本年の最大規模でした。
気象庁も予想降雨量は1958年の狩野川台風を上回ると警告していました。
そして予告(予報)通りの大変な降雨量で、懸念された河川の決壊、土砂崩れが起きました。

ではどうすれば良かったのでしょうか。

1. ハザードマップで浸水、土砂、津波高潮などの予想被災地域かどうかの確認。
2. 近くの河川の増水状況の確認。
    『ハザードマップポータルサイト』 http://disaportal.gsi.go.jp/
    『川の水位情報』はwww.river.go.jp/kawabou/ipAreaJump.do?gamenld=01-
     どちらも『川の水位情報』から確認できます。
     ただし、どちらも鵜呑みにするのは危険です。
    3.11の大川小学校の場合、浸水地域ではなかったのに津波に襲われました。
    現在のハザードマップが絶対正しいとは保証できません。
3. やはり、ひどくなる前に避難所へ避難するのが正しいのでしょう。  
    今まで大丈夫だったから今回も大丈夫よと根拠のない予想で逃げ遅れた人が多数出ました。
4.自動車も多数やられました。少しでも高台に避難させておくのが良いでしょう。
    水、食料、乾電池などの事前準備は言わずもがなです。
5. 被害補償はどうなるのか、途方に暮れている人が多いと思います。
   我が家の場合、屋根の一部、戸袋、天窓がやられましたが、火災保険で全額保証されました。
   火災保険は、オプションで風水害、家財、地震などが付加できます。
   その分掛け金も多くなりますから財布と相談です。

21世紀になり大規模災害が多くなりました。大規模災害が常態になるかもしれません。
国連の「温暖化対策サミット」でスウェーデンのグレタ・ トゥーンベリさん(16)が涙ながらに気候変動が緊急事態にあると訴えていました。
トランプ氏のように地球温暖化などフェイクだとせせら笑う人もいますが、被害を受けるのは逃げ場のない庶民であり、未来を担う若者たちです。

庶民の生活を守るための災害対策予算を抜本的に増やすのが大人の使命でしょう。
そのような施策を為政者に求めていきたいと思います。


★ようやく屋根の仮補修

補修
      緑色のシートを張ってくれた

記録的な暴風の台風15号から1週間たったけれど、いまだに電気水道が不通で、電話、携帯、ネットもつながらない地域もあるといいます。
被災地の今日はまたひどい雨。どんなに不便・不安な事か、早急な救援が届くことを祈ります。

我が家は翌日に業者と連絡を取りましたから、なんとか早めに雨=屋根対策がとれました。
ブルーシートというけれど、緑色やグレーのシートもあります。厚さも様々で、厚手のシートだと防水性が高い。
屋根にかけられたのは緑の厚手のシートでした。本格的な補修がいつ頃になるのか、それまで、なんとかしのいでもらいたいものです。
この費用は火災保険から出ます。かけていてよかったと思います。

従来、三日間は自力で生存できる非常食を自宅で用意などといわれてきましたが、すでに1週間を超える現実があると思えば、間近だと伝えられる首都直下型、房総沖地震の時なども数週間にわたって救援は来ないと考えておく必要があるでしょう。
情報もなく、不安の中で過ごすことを強いられます。
困ったもんだ。

みんなが油断した。
1、気象庁は夜間の暴風を予想し、明けたら景色が変わっていると話していた。確かに景色が変わったが、予報時は切迫感がなく、緊急性が感じられず、ひとごとのような語り口であった。
気象予報士やテレビアナも同様。中心気圧の異常な低さからもっと話しかけることがあったのではないか。

2.政府は内閣改造などの真っ最中で、気楽な構えであった。

3.千葉県は各自治体と連絡が取れないのを嘆くだけで、現地に人を派遣したのは4日後であった。

4.市民は三日分の水、食料を用意していたかどうか。
  台風が来ると予告された時点で、水と食料、電池、ガソリンなど事前に用意しておくべきでした。

5.携帯が通じない、TV、ラジオ、ネットも通じないなどと誰も考えませんでした。
  でも北海道ブラックアウトの経験から、その関係者たちは予想がついたはずです。

古いことわざに“ドロ縄”、泥棒をとらえてから縛る縄をなう、という意味ですが、今回の事態はすべてが後手後手、泥縄式の対応であっったと自戒せずにはいられません。

 

★長者町の天神社では紅梅・白梅が咲き始めた。

紅梅
白梅3

受験生に絶大なる人気を誇る天神様(天満宮)は菅原道真(スガワラミチザネ)を祀っています。
菅原家は代々学問で朝廷に仕えた家柄ですが、道真は今や学問の神にまで出世しました。
しかし、天神様と呼ばれるようになったのは残酷な理由があります。

当時の朝廷は藤原氏が実権を握り、天皇といえども思い通りの政治ができません。
下級役人だった道真を見出して側近にまで引き上げたのは宇多天皇でした。
藤原氏をけん制して天皇権力を確立するためにです。
藤原氏は道真を遣唐大使にして体よく追放しようとしますが、逆に道真の建言で遣唐使じたいが中止となります。(894年)

宇多は息子の醍醐に天皇位を譲り上皇になって天皇をバックアップします。
天皇の権威があった醍醐の時代を理想としたのが、のちの後醍醐天皇ですが、それはまた別の話。

若き左大臣藤原時平は、年上で学も弁もたつ右大臣道真を無実の罪を着せて太宰府に左遷します。(901年)
その時の歌が

   東風(コチ)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(アルジ)なしとて春な忘れそ

道真の屋敷は梅の花屋敷として有名でした。屋敷を去るにあたって、花が咲いたら香りだけでも東風に乗せて西の太宰府に送れと梅の老木に話しかけたのでした。
太宰府で失意のうちに病没したのが903年。

道真追放の一員であった藤原定国が41歳で急死したのが906年。908年には藤原菅根が落雷直撃で死亡。
道真のタタリだと朝廷でウワサされ、翌909年、首謀者時平は39歳の若さで狂死。
913年には一味であった源光(ミナモトノヒカル)が底なし沼で落馬。遺体発見されず神隠し。

923年、醍醐天皇の皇太子であった保明親王が21歳で急死。次の皇太子になった保明親王の息子は5歳で病死。次は醍醐天皇がターゲットかと恐れられ、天皇は太宰府左遷を取り消し、道真を右大臣に復し、正二位を追贈しますが、台風・洪水・疫病と天変地異は収まりません。

930年、ついに皇居清涼殿に落雷、炎上。多数の死傷者を出します。中でも道真の監視役であった藤原清貫(キヨツラ)は落雷の直撃でむごたらしい死にざまでした。
惨状を目撃した醍醐天皇はショックで寝込み、三か月後に崩御。

すざましい道真の怨霊(オンリョウ)だと人々は恐れ、道真を雷を操る天神様だど敬うようになります。
こうして太宰府の天満宮、京都の北野天満宮など道真を祀る天神様信仰が広まります。
やがて人々の信仰を集めるようになったためか、天神様の怒りは収まり、学問の神様に昇格していきます。

なお首謀者時平の弟であった忠平は道真に同情的であり、道九州の真に励ましの手紙を送っておりましたので祟られておりません。この後、忠平は摂政・関白に出世し、一族が藤原氏をリードすることになります。天神様の加護があったということでしょうか。
人々はそう信じたことでしょう。

 

★討ち入りは西暦に直せば1月30日

忠臣蔵
    忠臣蔵のクライマックス場面

元禄15年12月14日はもちろん旧暦表記です。明治以来の西暦に直せば1703年1月30日のことでした。
2月1日が東京圏では中学入試日です。今頃の時期になると忠臣蔵と雪の入試を思い出します。
この時期は東京でも雪が舞うことが多い。今日は晴れだけど、すごく寒い日です。

赤穂浪士の吉良邸押し込み殺人事件は忠臣蔵として日本人の心性に大きな影響を与えました。
庶民は圧倒的に浪士の味方で大喝采だったことは史実のようです。

時は犬公方の綱吉の時代。人間よりも犬の方が大事なのかと幕政に対する不満が鬱積していました。
そこへ浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介は無罪――不公平じゃないか。幕府を恐れず主君の仇討とは近頃見かけぬ立派な行いだと幕政批判は一層高まりました。

この事件は今でも謎が多いのです。内匠頭は何に怒ったのか――賄賂を断ったから意地悪されたと歌舞伎は演じ、観客は浅野ひいきにぐっと傾きました。でも裏付け資料はありません。
浅野・吉良の確執の原因を浅野は一切を黙秘し、吉良は思い当たらないとしたので、今日でもそれは不明です。

わたしが不審に思っているのは、浪士たちが無事本懐を遂げ、泉岳寺まで凱旋行進をしたことです。
幕府は不満分子である浪士たちの動向をつかんでいなかったのでしょうか。信じられません。
幕府は仇討を黙認しただけではなく、むしろ援助したと考える方が理にかないます。

吉良邸が丸の内から本所に強制移住させられたことは浪士にとってラッキーでした。
川向うで蔵屋敷と空き地が多く、幕府の警戒が緩い地域です。
上野介は身の危険を感じ、実の息子が婿入りした米沢藩邸に入り浸っていた――吉良邸にはめったに帰らなかった――それなのに14日は在宅とどうして知りえたか――大高源吾の手柄ということになっていますが、それは本当か?

事件後、吉良家は領地没収、当主の吉良義周(18歳)は高島藩お預け、座敷牢状態で21歳で病没。
つまりお家断絶。

幕府は吉良家を見殺しにすることで幕政批判を回避する、これで喧嘩両成敗になったでしょう、文句あるかという状態を作り出したのが本当の事情じゃないかと思っています。