★いすみ市大原、故郷の山は最上山(2)

       案内図
        大宿口の入り口にある最上山ハイキングコースの看板

標高89mの最上山山頂に小さいながら立派な最上神社の祠(ホコラ)があります。
登山口は三つ、北・東・西。
それぞれ大宿口登山口、坊谷口登山口、新田谷(ニッタヤツ)登山口と呼ばれています。
大宿、坊谷などなにやら由緒深げな名前がついているのは、おそらく房総修験道と関係があるのでしょう。
中でも東ルート=坊谷口ルートは細い登山道が岩肌を刻んで作られ、しかも苔むして歴史を感じさせる趣があります。
大原の旧中心街、昔の大原漁港からの最短の参詣ルートとしてにぎわったことが偲ばれます。

天然痘撲滅の神様は普通は疱神様(モガミサマ)といわれ、特に固有名詞がないのですが、ここは固有名詞のある神様なので驚きました。解説版に 「比比羅木其花豆美神」とあります。読めませんね。
振り仮名がふってあり、「ヒヒラギノ ソノ ハナマズミノ カミ」 とありました。

調べてみると古事記には大国主神の子孫として比々羅木之其花麻豆美神が登場します。
解説版の神様名には「之」麻」の二文字が脱落していますが、読み方は同一です。
この神様は、神様の系譜に出てくるだけの神様で、何の神様かはっきりしませんが、比比羅木とはヒイラギ(柊)のことですから、ヒイラギの化身、魔除けの女神だと考えられます。

実際に歩いてみると、そう多くはありませんが確かにヒイラギを見出せます。
ヒイラギを魔よけとして節分の日に飾る風習は今日でも細々と伝えられています。
邪悪な疱瘡も追い払う神力があると信じられたのでしょう。

となるとこの山頂の神社の創建はいつになるのか気になります。
古事記とは奈良時代の書物。
永らく秘本で世に知られるようになったのは本居宣長の『古事記伝』以後のこと。それにしても比々羅木…の神様なんて通常の人は知りません。

大原で最も古くて格式がある「上座(カミクラ)三社」と言われる瀧内神社、鹿島神社、日月神社には日本武尊伝説があり、それぞれ最上山頂から東南東、東南、南南東の位置にあります。
三つの神社からの視点が最上山に集中しており、そのことは山頂の最上神社の創建が三社と同じ頃、つまり日本武尊伝説の時代にさかのぼることを示唆しているのではないでしょうか。

大原は奈良時代の木簡に都への献上品としてアワビ゙を送ったとして知られる土地です。
その頃の大原の集落はこの三つの神社の周辺でした。
奈良時代の頃、比々羅木…の神様を信じる行者が、疾病に苦しむ大原の人々のために山頂で魔除け・疱瘡除け・疾病除けの祭礼を執行したのだと想像をたくましくするのはシロウトの歴史探訪としては楽しいことです。

以後、この山頂は疱神山(最上山)として、聖地の扱いを受けるようになり、山頂には松の大木が立ち並び、故郷の山として大原の人々の精神的な支柱となってきました--。

      ♪ 最上山 松は緑に 塩田川 流れは清し…。    (大原中学旧校歌)

ウサギ追いし彼の山…。最上山に野ウサギもまだいるはずですが、訪れた日にはキョンが不気味な声で鳴いていました。
山頂の松は枯れ、これもまた時代の流れなのでしょう。

なお山頂の最上神社は、真東にある山裾の八坂神社に明治44年に合祀されました。
八坂神社は通称・寄瀬の天王様で祭神はスサノオ。
ヒイラギ…様、オオクニヌシ、スサノオ、いずれも出雲系の神様です。
スサノオ、オオクニヌシは医療の神様ですから、八坂神社にヒイラギ…様が引き取られたのは誠にふさわしい場所をえたものです。

≪ハイキングルート地図≫
 最上山地図

           途中の道標                山頂の最上神社
     案内標識 山頂神社



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★春の桑田里山ぐるーり散歩 

里山地図


地域の産直店「土楽の里」から里山散歩の企画を持ち込まれ、それではと協力しています。
先日スタッフと下見に行きましたが、里・山・池ありのいい所だなぁと改めて感じます。

 ①集合場所は「土楽(ドウラク)の里」。新鮮野菜やその他。駐車場はこちら。トイレ。
 ②前玉神社参道。杉並木の心鎮まる道です。残念ながら今年はスミレが少ない。
 ③前玉(サキタマ)神社・小御嶽(コミタケ)神社はまさにパワースポット。
 ④桑田大堰(第1堰)の堤防上を歩き、眺めは抜群。
  第2、第3堰への水辺の道は深山幽谷の風情。近くにこんな場所があるのかと驚く。
 ⑤桑田里山の会が切り開いた尾根筋の道。アップダウン、ちょっとしたハイキングです。
 ⑥アジサイが植栽された桑田里山のメインロード
 ⑦不要竹材・木材で手作りした「傘亭」=休憩所。トイレあり。
 ⑧ビオトープ。東京サンショウウオのオタマがみられる。
 ⑨会が植栽したアンズの花咲く段丘を眺める農道
 ⑩昔ながらの田舎道。途中、不思議な見越しの松があります。

この地域でわたしが確認した食べられる野草
ツクシ フキ  フキノトウ ツワブキ ゼンマイ コゴミ 山ウド ヤブレガサ
タラノメ  ハリギリ サンショウ  ヤブカンゾウ イタドリ  ギシギシ スイバ
ノビル アカザ ミツバ クレソン セリ シャク タンポポ スミレ タネツケバナ
ナズナ ハハコグサ ヨモギなど

毒草もあります。ヤマトリカブト ウラシマソウ ヒガンバナ ヤマウルシ クサノオウ
絶滅危惧種の貴重な生物もいますがマムシもいます。ここは公園ではありません。

今の時期にしか味わえないヤブカンゾウのぬたなど現地で振る舞おうかと考えています。
「春の野に若菜摘む」という昔ながらの感覚は現代人にとっても十分通用するし、素敵なものです。
花見で酔っぱらうよりもずっと素敵です。

「土楽の里」=いすみ市岬町桑田80  スタッフブログはこちら→●
新鮮野菜がおいしいく、スーパーとは比べものにならないのは採りたてだからでしょう。



 

★423年前の炭化玄米を拾う 


    米の大きさは現代と変わらない

年に数回、ハイキングクラブに誘われ、散歩程度の山歩きに参加しています。
今回は地元の「万木城周辺ハイキング」でしたから気楽に参加しました。
画像は城の米蔵跡地で今でも発見される当時の焼けて炭化した玄米です。

万木城の米蔵が消失したのは天正18年(1590)、423年前のことでした。
小田原城を包囲した秀吉は、手薄になった関東の北条支配地に武将を差し向けて平定します。
房総攻略を命じられたのは家康の部将・本多忠勝で、まるで無人の野を行くように北条方の城を次々と攻め落とし、さすがの万木城もこらえきれず落城しました。
ちなみに、関東で唯一落城しなかったのが、“のぼうの城” として昨年有名になった埼玉県の忍城で、石田三成の水責めに持ちこたえました。

万木城方は落城に際し、腹いせに米蔵に火をつけたようです。敵に食料は渡せない!!
万木城に入城した本多忠勝が発した書状がいくつか残されています。
その中には秀吉に兵糧米の補給を要請している書状もありますから、占領したのは良いが、占領軍を養う兵糧にはだいぶ困ったことがうかがえます。

その焼けた米を見ていると、時代のなせる業とはいえ、当時の人々が命をかけて戦っていたのは何のためなのか。やはり平和が一番だと思います。

歩いた道はかつての城兵が脱出したルートで、今は小鳥の散策の道として整備されています。
5月の晴れた空の下、戦禍におびえることなく山道を歩いていると、パワーあふれるおば様たちの豪快な笑い声が響いています。
健康の秘訣は体を動かすことと笑いあうことにあるなとつくづく思います。

ついでに
先日のプロ野球選手師弟の国民栄誉賞の式典はいただけませんでしたネェ。
始球式で審判(阿部首相)が96番の背番号のG軍ユニホームを着ていました。
審判ならば審判の服装にしなくちゃね。まるでG軍の宣伝と憲法96条改正のプロモーションの場になってしまいました。
96条の次は国防軍だと公言しています。戦争も辞さぬということでしょうか。
目的のためには手段は選ばぬ、利用できるものは国民栄誉賞でも何でも利用する、という演出は“美しい日本”の品性とは程遠い――と思います。

 

★夷隅川河口の旧河道散歩(2)

  
   かつて夷隅川本流だった三軒屋川から太東崎を望む

出発点は(1)の「ビラそとぼう」隣の「B&G海洋センター」の駐車場、または(2)の海岸駐車場を利用します。
海岸をずっと南下する道は広々として清々しいすばらしい道で、戦前の文人たちに愛された海岸というのも納得です。
太平洋の荒波と黒潮が作りだしたこの広大な砂浜は、裏手に三軒屋川があるため細長い砂浜となっており、「砂州」というめずらしい地形を構成しています。

(3)の海岸を和泉浦といい、(5)は日在浦といいますが(4)には名前がありません。
江戸時代の夷隅川河口はこの(4)の辺りで、河口が現在のように直線化した時に閉鎖されて陸地化されました。海岸を歩いているとまったく気づきませんが、サイクリング道路が曲がっていることで場所の確認ができます。
おそらく海岸を持たない江場土地区の悲願から旧河口を江場土地区に編入したものでしょう。
この海岸を走るサイクリング道路は今は砂で埋まり、自転車の通行はほぼ不可能。自然の力に人間が対抗するのは大変だと思い知らされます。

(5)の海岸に入ると岬町地区は終わって大原地区となります。さらに南下して赤い旗印が立っている小路を内陸に入ると玉前(タマサキ)神社がひっそりと建っております。
この神社の由緒は上総一の宮玉前神社と同じですが、祭礼は「大原裸まつり」の一員であり、一宮の祭礼には加わりません。
太東崎から大原漁港までの約5kmの広大な砂浜を眺めると、九十九里浜とは銚子から大原までだと地元の人が主張するのも理解できるような気がします。

来た道を戻り、「三門駅へ」の標識を入ると(7)「水門跡」という小さな橋があります。
この橋を渡って進み、左に少し折れると(8)森鴎外の別荘「鴎荘」があります。
R.MORIの表札があり、鴎外の三男・類(ルイ)さんに引き継がれましたが類さんも亡くなり、今はお孫さんの別荘なのでしょうか。当時の面影は古井戸だけだそうです。
鴎外はここで『高瀬舟』『阿部一族』『妄想』などを執筆したとされています。

鴎外は別荘から太平洋を見に出かけるときに小舟を使ったとありますから、当時この小さな橋はなかったことになります。
この水門橋の前後は三軒屋川(画像)で、明治のころの夷隅川本流であり、河口はさらに南(大原寄り)にありました。したがって鴎外は太平洋を見るためには三軒屋川を小舟で渡らざるをえなかったのです。

三軒家川は今は袋小路となり夷隅川の入江となりましたが、地元の人は今でもこの入江を三軒屋川と呼んでいます。
川の淡水と海の塩水が混ざりある汽水域で様々な動植物が見られる自然豊かな潟=ラグーンですが、流木やごみが散乱しているのは残念なことです。

鴎荘から直線道路に戻るとまもなく (9)梅屋庄吉 の別荘跡地となります。孫文の辛亥(シンガイ)革命を援助した庄吉の15000坪の別荘地は分譲地になってしまい昔の面影はありません。

海岸から三門駅方面へまっすぐ続くこの細い道は、かつてのトロッコ軌道跡です。海岸で採れた砂鉄を三門駅北側にあった砂鉄工場に運ぶためのものでした。先ほどの水門跡の小橋もそのために建設されたと思われます。
この軌道跡の道をさらに進んで、小川が流れる小道を右折して少し行くと空き地の中に(10)井戸があります。
この古井戸がいすみ銘酒「木戸泉」のルーツだそうですが確認しておりません。
訪れた時は正月らしく輪飾りがかけられておりました。

井戸に挨拶してからさらに進み、細い十字路を右折して海岸方向に向かうとここが海岸段丘であることに気づきます。海に向かって景色が開け、前方は和泉浦の松林で手前が江ノ原グランド。その間に三軒屋川があるはずですが葦原で見えません。
坂道を下る途中に宮清水地区の人々が祀る水神様の小さな祠(ホコラ)があります。

今はグランドになっている場所は元砂浜地帯でその先、三軒屋川が海水浴場だったそうです。
川と名付けられても実態は潟ですから海の干満に連動し、水位が1mも上下しますので「海」と考え、そう表現することもおかしくはありません。
砂浜にはハマボウフウがいたるところに生えており、熱い砂を避けるためにハマボウフウを踏みながら歩いたと土地の老人が語ってくれました。

江ノ原グランドから出発地点までは田畑の中に家がポツポツと建つ道を歩いて戻ります。
地図を見ると道路が屈曲して不自然です。不自然なところが岬町和泉に属し、数百年前は夷隅川(三軒屋川)の河川敷だった場所が長い年月で陸地化した所と思われます。

出発から到着までキョロキョロ・ウロウロしながら歩いて2時間。スタスタ歩けば1時間半の歴史地理散歩でした。

★房総にだってイワタバコ 

 
   清澄寺付近の崖にはえている

 山道をせっせと歩かないで、チンタラよそ見しながら歩いていると思わぬところで美しい花に出会って得をした気分になります。

イワタバコは目立たない花で、日の当たらぬ湿った崖や水の滴る岩壁にはえています。小さな星形の花はいかにもすずやかに思えます。
葉の形がタバコの葉に似ており、しかも岩場に生えるのでイワタバコの名前がありますが、もちろんタバコの代用にはなりません。
こんな崖でどうやって種族を増やしていくのかと疑問になります。調べてみると細かい根を岩盤に這わせて隙間があると根付くそうです。

場所は清澄寺近辺。清澄寺の黒門を過ぎると両脇に市営駐車場があります。お寺に向かって右側に「関東ふれあいの道」の道標があり、東大演習林の中を元清澄山へのハイキングコースとなります。林道ですから歩きやすい道で15分も歩けば左側の崖がイワタバコの群落地です。
この日はあいにく雨模様で、おまけに濃いガスがかかり、せっかくの展望はまったく望めません。それで林道往復の散歩だけになりました。
さらに不幸なことに山ヒルに取りつかれました。大したことはなかったけれど、山ヒル対策はしておいた方がよろしいと思います。

川崎にいるときは古都・鎌倉によく行きました。鎌倉は花の都でもあります。この時期はアジサイ寺が有名ですが、建長寺や東慶寺のイワタバコはそれは見事なものです。たぶん手入れが行き届いているのでしょう。
イワタバコの群落を「満天の星のごとく」と言います。鎌倉と比べると清澄は自生ですからずっとワイルドですが、一つ見つかれば、あぁあそこにも、ここにもと見つけることができてうれしくなります。
鎌倉に行かないでもイワタバコに出会える、それが今回の収穫でした。