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★河津桜も満開

金毘羅堂
      江場土の金毘羅堂の河津桜、堂上左右にシビ(鴟尾)が飾られている

国道128号線、江場土信号近くの金毘羅堂に立っている看板には「日本三大金毘羅堂」と表示してあります。
四国の金毘羅様が1番で2番3番は聞いたことがないので、この表示が正しいかどうかは知りません。
地元の人は昔から3番相当だと誇らしげに思ってきたのでしょう。

画像のように黒塗りの社殿に赤い柱、大きな屋根にはシビが載っています。
シビとは屋根の上、左右の端の飾りで、通常は鬼瓦、お城ではシャチ(鯱)が飾られますが、奈良時代の由緒ある寺院では画像のようなシビが飾られていました。
現存する建物では鑑真和尚ゆかりの唐招提寺、あるいは東大寺の大仏殿が有名です。
再建された建物では薬師寺の金堂、興福寺の中金堂、平城宮跡史の大極殿や朱雀門などにシビが載っています。

つまり大変格式のある棟飾りで、本家本元の香川県の金毘羅様の社殿にもシビは見当たりません。
それだけ地元の人の尊崇を集めた金毘羅様だったのでしょう。
外房は漁師さんが多く、漁業の守護神として金毘羅様は篤く信仰されました。

不思議なことにここ数回「梅の寺」として紹介している日蓮宗の大栄寺の本堂にもシビが飾られています。
ここも河津桜が満開でした。
紅梅か河津桜か、ちょっと見には区別がつきがたいのですが、慣れれば見分けがつきます。
花の色は紅梅が濃い、枝ぶりは梅が勝り河津桜は大きく広がる、花の大きさは河津桜が大きいなど。
それはともかく、この寺ではシビを飾っている理由。
今度、ご住職に会ったらお伺いしてみようと思います。

京都、鎌倉の社寺でもシビは見当たりません。
明治にできた平安神宮は平安京大極殿がモデルとかで、シビが載っています。これは例外ですね。
奈良の都から遠く離れた外房に、シビのある寺社が二つもあるって、ちょっとしたミステリーです。
      大栄寺 大栄寺本堂のシビ



 
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★初詣、長生郡白子町の白子神社

白子神社
     正面の月星紋のついた幔幕がすぐ目についた

日月紋は源頼朝時代に房総を支配していた千葉氏の家紋として知られています。千葉氏と言うよりも千葉氏が信仰していた妙見様の神紋と言った方が良いかもしれません。いすみ市を含め房総では妙見信仰が広まっています。

この神社に注目したのは平成29年10月、新聞の片隅に61年ごとの式年開帳が白子神社で行われたという記事がありました。しかも白子神社は正一位だと。
名もなき地方の神社(失礼!)が正一位とは驚愕です。京の加茂神社、奈良の大神神社、春日大社などと同等の最高位です。上総国一宮の玉前神社でさえ正四位上ですから五階級も上位。

白子神社がある白子町の「南白亀川」も以前から気になっていました。南白亀なんて誰も読めません。「なばき」と読みます。
和銅6年(713年)5月に「諸国郡郷名著好字令」が出されます。全国の地名は良い漢字2文字で記せという法令ですが房総ではあまり浸透しなかったようです。江場土(えばど)とか東浪見(とらみ)など初めて出会った時は困惑しました。南白亀も何か意味のある単語なんだろうと気になっていました。

いすみ市海岸やサーフ会場になった一宮そして白子海岸など房総の海岸はウミガメの上陸産卵地です。
この神社は元々、1048年に出雲系の大己貴(オオナムチ)神を祭ったのが最初で、1126年に海岸で白亀に載った白蛇が見つかった。驚いた村人が神様としてこの神社にまつり白子神社と称するようになったといいます。

    玄武 手水舎にある「亀に載った蛇」の彫刻

白子とは私の常識ではタラの精巣なのですが、外房でタラの精巣は似合わない。白亀・白蛇のことだと納得しました。
神社の南側を流れている川だから南・白亀・川なんですね。でもなぜ南白亀=なばきと発音するのでしょうか。当時の村人の発音だったのかどうか、白亀伝説以前からの単語だったのではないかというかすかな疑問が残ります。

白子町の神社だから白子神社なのではなく、村落合併に際して白亀郷12ヶ村の総鎮守・白子神社にちなんで白子町となったともわかりました。

亀と蛇の組み合わせは玄武という北の神獣を連想させます。(東=青龍、南=朱雀、西=白虎)
この神社の元々の神様オオナムチは後に大国主と称され、大国主は仏教の大黒様と同一視されます。
「子の大黒」といって大黒様は子(ネ)=北を守護します。亀蛇の玄武は北の守護神です。
北の空にある世界の守護神こそ、世界を支配する天帝。北極星こそ具体的な姿を見せる天帝でこれが妙見様です。
妙見様は北極星であり、北辰(北斗)であり、いつでも巡り変化する世界の中であって不動の真理を示します。
こうして古いオオナムチ信仰は白亀・白蛇の出現によって妙見信仰、天帝信仰に進化したのでしょう。

江戸時代になると、家康は日光東照宮として江戸城の真北に鎮座し江戸を守ります。
つまり妙見信仰・天帝信仰と家康信仰が結び付きます。
正一位になったのは宝永5年(1708年)。富士山が噴火し、お陰参りが始まり、幕藩体制に揺らぎが生じます。
正一位という最高位に任命された理由はわかりませんが、そのような世情と関係あることでしょう。

明治になると世界を支配する天帝は、妙見様や東照宮にとって代わり天皇になります。
この神社からも多くの若者が兵士として出征したことでしょう。
現代では天皇から離れ、「房総随一北辰大帝白子大明神」と称しています。
それでいいのではないかと思います。
本当の話かどうかは問題ではなく、そう信じて村人は暮らしてきたという事実が大切です。
車で30分。初詣でに行って良かった。いろいろな事がわかりました。
今年は良いことがありますように!!

補足
神社の雰囲気はお寺の本堂を思わせます。かつての神仏習合時代の姿を留めているのでしょう。
本殿の外壁彫刻は見事です。信仰の厚さと財の豊かさがしのばれます。

小さな祠にオモダル(面足)様がイケメンとして祀られていて驚愕しました。天地創造に際し、はじめの神はアシカビ(葦牙)という成長力の象徴、いろいろ継いで六代目がオモダル。地表面が満足にできた意味とされています。そして7代目が皆さんご承知のイザナギ・イザナミ。だから直前のオモダルだけを信仰する人々などいるわけないと思っていたのに、この地にはいたのですね。驚きです。

八幡社の祠もありました。通常の神々のほかに「木の花咲くや姫」が添えられていたのが驚きです。富士山・浅間山信仰と八幡信仰がどのように結びつくのでしょうか。

いろいろ謎解きが面白い神社でした。





★今年は上総の玄関飾りを半分自作で飾ってみました

しめ縄

明けましておめでとうございます。
地元いすみ市の伝統的な正月飾りは「鳥居型」というしめ縄を飾ります。
ひょんなことから、地元農産物の直販店では暮れに販売していることを知り、買い求めてみました。
たぶん、地元農家のじいちゃんの小遣い稼ぎ、内職かと思われます。

ウラジロは山で探せばあるでしょうが、見つからないので買い求めました。ユズリハは近所で採集。
紙のシデは自作、ダイダイはミカンで代用。まぁ画像のようになんとか見られる姿に仕上がりました。
おそらくウラジロは「心の裏は正直で正しい」ことの象徴でしょう。腹黒いの反対です。
正月に当たり、ずるいことは考えず、正直に生きることを表明したものでしょう。

正月飾りにウラジロが選ばれた背景には神君と尊敬された徳川家康の兜が一役買っているのではないかと思っています。
         107701393[1]    画像元『歴史プラス』

戦国時代の武将の兜は敵味方の中にあっても目立つように派手な飾りが多い中で、シダの飾りとは実に地味な存在です。
家康愛用の鎧兜は幾種類も伝承されており、中には派手で大げさな兜もあるのですが、晩年に愛用した画像のシダの葉をあしらった兜が一番有名なようです。
シダは歯朶と書き、歯は年齢を意味することがあり、朶は枝の意味で子孫繁栄を意味する、つまり長寿長命・子孫繁栄をの願いを込めてこの一戦(関ケ原や大阪の陣)に使用したと言われています。
豊臣を根絶やしにして徳川の天下を盤石にするためはまだ死ねぬ、長生きせねばならない、という覚悟の兜だったという説は納得がいきます。

神君家康にあやかってどこにでもある歯朶が江戸庶民に愛され、中でもウラジロが正直の象徴として庶民の生き方・倫理観にフィットしたのでしょう。
シダ植物は松や竹と同じように常緑で、永遠の平和と繁栄の象徴として選ばれたとするならば、混迷する世界情勢の中で日本が誇るべき伝統的な正月の祝い方なのだと思います。

 

★テンノーさんのお祭り

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      小雨降る中、何有荘前を地元のミコシが繰り出した。

地元では7月になるとテンノーさんのお祭りがあり、ミコシが繰り出します。
いすみ市岬町和泉地区という小規模の集落の祭礼です。

テンノーさんというと、現代人は天皇さんのことか思いますが、それは明治以後の話であって、日本の多くの地域で古くからテンノーさんとは天王さんのことでした。
天王さんとは牛頭天王(ゴズテンノー)の略称で、天皇家の祖先とされるアマテラスオオミカミ(天照大神)から追放されたの弟のスサノオノミコト(須佐之男命)のことです。
神話のスサノオが仏教と混ざりあって牛頭天王になりました。

牛頭天王を祀る最も有名な神社が京都の祇園社であり、1か月にわたる盛大な祇園祭の神社です。
今日も祇園祭の山鉾巡礼が報道されていました。
祇園社は明治になって八坂神社と強制的に名称変更されました。

神と仏を厳密に分離する政策で、仏教的な色彩が残るゴズテンノーという単語が天皇テンノウと紛らわしいので排除された結果です。
地元の小さな祇園社もこの時に八坂神社に改称されたのでしょう。
でも地元の人は今でもテンノーさんの祭りといっています。

隣の大多喜町の鎮守、夷隅神社も旧称は牛頭天王社でした。房総ではこの時期、祇園祭と称する江戸時代から盛大になった祭礼が各地で行われています。
博多祇園山笠や岸和田のだんじり祭りも牛頭天王がらみの祭りです。

つまり、旧暦の6月になると日本各地でテンノーさんのお祭りが執行されます。
この時期は、高温多湿の時期となり、洪水被害も多発します。
テンノーさんに“疫病退散”・“災害防除”を祈願してきたのでした。

今朝の新聞に元G党幹事長が選挙演説で「日本は天皇の国」と発言したとありました。
天皇の代替わりを政治的に利用しようとしたのでしょうか。
庶民が圧倒的に支持したのは天皇さんではなく、テンノー(天王)さんでした。
神代の昔からテンノーさん(スサノウ)を偉大な神として全国各地の庶民は信じてきたという事実は重い事実です。

 

★春の野草――コケリンドウ発見

コケリンドウ
           近くの竹林にて。花の直径は1円玉より小さい

秋のリンドウは鮮やかで人目を惹きますが、春咲くリンドウはどれも小さく、山道を歩いていても見逃してしまいがちです。
画像のコケリンドウ(苔竜胆)はとりわけ小さく、一見するとイヌフグリのような花なので、
うっかりすると踏みつけてしまうでしょう。

東京ではすでに絶滅し、神奈川、埼玉、群馬、栃木でも絶滅危惧種。かろうじて千葉県は準絶滅危惧種ですから、千葉県でも山野で見かけることはほとんどありません。
知人から種を分けてもらい育ててみて、こんなに小さな花だと、何有荘のような雑草だらけの庭では毎年花咲かせるのは難しいなと思っています。

画像のコケリンドウはジャングル化した竹林をタケノコが採れる竹林に整備して丸3年。
日差しが竹の株下に射すようになり、埋没していた種から発芽して開花したようです。
あちこちに自生して咲いていました。
たぶん、暗すぎても明るすぎても、乾燥しすぎでも湿りがちの土地でも自生するのは難しいのかもしれません。

タケノコを掘りに行き、思わぬ目の保養をいたしました。