★春の野草――コケリンドウ発見

コケリンドウ
           近くの竹林にて。花の直径は1円玉より小さい

秋のリンドウは鮮やかで人目を惹きますが、春咲くリンドウはどれも小さく、山道を歩いていても見逃してしまいがちです。
画像のコケリンドウ(苔竜胆)はとりわけ小さく、一見するとイヌフグリのような花なので、
うっかりすると踏みつけてしまうでしょう。

東京ではすでに絶滅し、神奈川、埼玉、群馬、栃木でも絶滅危惧種。かろうじて千葉県は準絶滅危惧種ですから、千葉県でも山野で見かけることはほとんどありません。
知人から種を分けてもらい育ててみて、こんなに小さな花だと、何有荘のような雑草だらけの庭では毎年花咲かせるのは難しいなと思っています。

画像のコケリンドウはジャングル化した竹林をタケノコが採れる竹林に整備して丸3年。
日差しが竹の株下に射すようになり、埋没していた種から発芽して開花したようです。
あちこちに自生して咲いていました。
たぶん、暗すぎても明るすぎても、乾燥しすぎでも湿りがちの土地でも自生するのは難しいのかもしれません。

タケノコを掘りに行き、思わぬ目の保養をいたしました。


 
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★初詣巡り――いすみ市の出雲大社

出雲大社
    国吉神社境内に立派な出雲大社がある

国吉神社境内が見違えるほどキレイサッパリに環境整備されたのに伴い、今までちょっと見過ごされてきた出雲大社も大変目立つようになりました。

それにしても、なんで出雲大社がいすみ市にあるの?
その疑問に答える以下のような看板が新設されていました。(改行、筆者)

幕末の作田村に斧嶽(ふがく)と号する人並みすぐれた怪力と才知の持ち主がおり、その怪力ぶりは米俵二俵を背負い、両手に一俵ずつさげて持ち、口に一俵をくわえて持ち歩いたと伝えられる程でありました。
長州征伐の際、幕府軍の目付役となった村の領主は、強力無双の斧嶽を従者に選び、一行が島根県の出雲大社へと到着した際、折しも大祭の奉納相撲が催されており、斧嶽はその相撲に加わり無敵の強さを示し、出雲大社の千家宮司は斧嶽を見込んで神璽(みしるし)を授けまつらせました。
故郷に帰った斧嶽は仮殿を設け篤く信仰し、その後、信者は日増しに増え、ついには諏訪神社(現在の国吉神社)の隣に明治二十四年に神殿を完成させ翌年には盛大な遷宮式が行われました。
 

文中、不祥な語句を調べてみました。

作田村――今は中川町の一部になっている。
米俵――60kgだから、背中に120kg背負い、左右の手に60kgずつ。口に60kg。計300kg。
    オリンピック超金メダル級のとんでもない怪物が地元にいたもんだ。
長州征伐――1866年の第二次長州征伐。石州口は長州の圧倒的勝利に終わる。
村の領主――大多喜藩主大河内正質だと思う。当時、幕府の若年寄。
        戦後処理で長州に向かう途中での大社参拝か。
        1868年の鳥羽伏見の戦いでは幕府軍総責任者。
千家宮司――第79代千家尊澄(センゲタカスミ)。千家・北島両家が出雲国造。大社の行事を仕切る。
      両家はあまり仲良くないようだ。
      80代千家尊福は明治5年、出雲大社教設立。一方、北島家は出雲教設立。
      いすみ市の出雲大社には「上総教会」との表記がある。

幕末からの尊王攘夷運動で、伊勢のアマテラスばかりが脚光を浴びると、オオクニヌシを祭る出雲大社は危機感を抱きました。
現世のことはアマテラス、あの世のことはオオクニヌシ。二柱の神は同格だと主張しましたが、国家神道ではアマテラスを最高位としてしまいました。

文明開化で日本の伝統が打ち捨てられることにも危機感を抱き、積極的に国民の中に布教し始めました。
いすみ市の諏訪神社境内に出雲大社が設立されるのは、このような時期です。

諏訪神社の神様は建御名方(タケミナカタ)で大国主の子ども。武神。
今はオオクニヌシと一緒に、親子そろって同じ敷地に鎮座ましましています。

長く複雑な歴史のある出雲大社ですが、今日ではすっかり穏やかになり
境内には 『縁結びの神、福徳の神』 とありました。
一般庶民にとっては、幸せをもたらす神様--だと思います。



★初詣巡り、いすみ市夷隅町苅谷の国吉神社

巫女さん
   ちょうど巫女さんの舞いが行われていました。

近隣の神社の中でも国吉神社は由緒ある神社で、時折、雅楽を伴った舞楽の舞いや近在の神楽囃子によるお神楽が奉納されたりしています。
正月3日のこの日は厄払いの祈祷が行われていました。
かわいい巫女さんでした。

大化の改新で上総国が誕生する前、外房の中央部、夷隅郡や長生郡は出雲系の首長が治める伊甚(いじむ)国でした。
その国府があった場所が苅谷の近くの国府台(こうのだい)ではないか、と言われています。
つまり1400年ぐらい前のいすみの中心地でした。

――伊甚国造は大和の朝廷から伊甚特産の珠を見せろと命令されたのに、期限に遅れ、尋問にかけれそうになると、あわてて皇后の寝所に紛れ込んでしまった。伊甚国造は命乞いのために屯倉(みやけ=御料地)を奉ったと『日本書紀』(安閑記)にあります。

この話が本当にあった話だとすると、伊甚国は陰謀にはめられて領土を召し上げられたような感じがしないでもありません。
その領土没収の勅使を迎えるための仮屋が置かれた場所を、今は苅谷というそうです。

苅谷にある国吉神社は昔は諏訪神社と言って、出雲系の神様(タケミナカタ)を祭っていました。
明治になってから大規模な神社の統廃合が行われ、近在の多くの神々がここにまとめて祭られるようになります。
多くの神々を祭ったことから社名は、国吉という地名にちなんで国吉神社になりました。

どんな神々が祭られているかを下の一覧表にしてみました。興味ある方はご覧ください。
有名無名、ずいぶん様々な神様が村人によって信仰されてきたのだと驚きます。

現代社会では、それぞれの神様の名前を知っている人はほとんどいません。
一括して 「神様、今年もよろしくお願いします」 ですまします。それで良いと思います。

神社裏手には大きなイチョウの古木があり、市の天然記念物に指定されています。
以前はこのギンナンを拾いに来ましたが、最近は近くのイチョウの木で採集しています。
久しぶりに国吉神社を訪れましたら、駐車場が広がり、地には玉砂利が敷き詰められ、清潔なトイレまであって驚きました。

氏子さんから甘酒の接待を受けました。
いすみ鉄道国吉駅の近くでもあり、いすみ鉄道やいすみ市の支援を受けて何とか地元を盛り上げようとする活気を感じた初詣でした。

***ご祭神一覧***

天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)
伊邪那岐命(イザナギノミコト)
伊邪那美命(イザナミノミコト)
健速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)
木之花咲耶比売命(コノハナサクヤヒメノミコト)
石凝姥命(イシコリゴメノミコト)
素佐男命(スサノオノミコト)
日本武命(ヤマトタケルノミコト)
月夜見命(ツキヨミノミコト)
建御名方命(タケミナカタノミコト)
大山祇命(オオヤマヅミノミコト)
大山咋命(オオヤクイノミコト)
誉田別命(ホンダワケノミコト)
神皇産霊命(カミムスビノミコト)
高皇産霊命(タカミムスビノミコト)
天底立命(アメソコタチノミコト)
宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)
水波能売命(ミヅハノメノカミ)
宇気母智命(ウケモチノミコト)
伊豆母姫命(イズボヒメノミコト)
天之狭土神(アメノサヅチノカミ)
天之狭霧神(アメノサギリノカミ)
天之闇戸神(アメノクラトノカミ)
大戸惑子神(オオトマトイコノカミ)
国之狭土神(クニノサヅチノカミ)
国之狭霧神(クニノサギリノカミ)
国之闇戸神(クニノクラトノカミ)
大戸惑女神(オオトマトイメノカミ)


 

★2020オリンピック サーフィン会場は釣ケ崎海岸

釣ケ崎
     釣ケ崎海岸から釣ケ崎を望む

外房海岸はどこも波が荒く、水際からすぐ水深が深くなるので子どもも遊べる安全な海水浴場は意外と少ないのです。
その波の荒さがサーフィンには適しているようで、2020東京オリンピックのサーフィン会場に選ばれたのが画像の釣ケ崎海岸。
何有荘から車で10分。いすみ市と隣接した一宮町の海岸です。

台風22号の直後でしたから大波が押し寄せていました。
サーファーはさすがに誰もいませんでした。
周囲の広大な防風林が駐車場や観覧席に造成されるようですが、今のところその気配はまったくありません。
知人のサーファーショップのオヤジは「全く関係ない」と言っていました。

この海岸はもともと上総一宮の玉前(タマサキ)神社の祭典会場で、9月の例大祭の折は近隣の神輿が集結して海岸線を走り回る勇壮な「上総十二社祭」の浜降り神事の場所です。それを示す大鳥居も立っています。
その日以外はサーファーの天下で、サーファーの間では有名な海岸で、サーフショップも多く、何有荘周辺にもサーファーさんがたくさん移住して住んでいます。

≪釣ケ崎、その名前の由来は神話≫
画像奥に見える釣ケ崎は古事記・日本書記にある「海幸彦・山幸彦神話」に由来しています。
海幸だか山幸だかが釣りをしていた岬だそうです。

海幸彦から借りた釣り竿の釣り針を魚に食い逃げされて困惑した山幸彦はいくらあやまっても海幸彦から許しが得られない。
そこへ不思議な老人が現れて竹で作った特殊潜航艇で山幸彦は竜宮城へ行く。乙姫様と仲良くなったが、ふと地上が恋しくなり地上に戻る。
地上に戻る山幸彦に乙姫は妊娠していることを告げる。大嵐の日に地上に行くから、海岸に出産小屋を建てて待てと命じる。ただし出産時は小屋の中を見てはいけないと釘をさす。
ところが山幸は小屋をのぞいて出産シーンを見てしまう。
そこで見たものは古事記によれば大きなサメ。日本書記によれば龍の出産。
恥をかかされたと怒った乙姫は海に帰り、地上と海との通い路を閉じてしまう。
しかし、乳飲み子を地上に残したことを気にした乙姫は妹を地上に送り、養育させる。


この乙姫様の名前が豊玉姫。妹の名前が玉依姫。
何有荘地元の中原・玉崎神社のご祭神が姉の豊玉姫。上総一ノ宮の玉前神社のご祭神が玉依姫。
同じタマサキ神社でも漢字表記が違うし、ご祭神も違う。
地元ではタマサキの本宮は姉さんを祭る中原の玉崎神社だと主張しているけれど、妹神を祭るタマサキが上総一宮の称号を得ています。

妹神の方が格が上になった理由はたぶん、妹神は成人になった赤子と結婚して神武天皇の生母となったからでしょう。
姉神様は神武から見れば祖母に当たるわけで、それよりは神武の実母の方が「天皇制」の論理の中では 格上に祭られたのではないでしょうか。

いずれにせよ神話の話。
しかも、その本来の舞台は南九州と目されています。
それがなぜ房総半島、上総で語られ、祭られている?
たぶん、海の神を尊崇する部族が黒潮に乗ってこの近辺に移住し、開拓したからでしょう。

わたしは、こちらに移住してきてサメなども初めて実物をしげしげと見る機会がありました。
サメって赤ちゃんを産むんです。胎内に赤ちゃんがいるのです。
そんな実体験が神話の背景にあると思います。
つまり サメ出産の「古事記」の記述の方が古代人の原話に近く、龍出産の「日本書記」は漢文体文書ですから、中国風の文飾がなされたと思われます。
天皇家の先祖はサメから産まれ、妹君もサメでしょうから、サメと交わって神武が生まれたという神話より、龍から産まれた方がカッコイイ。権威がある。

釣ケ崎は太東埼と一続きで、地元の民話では「太東の旦那」と称される化け物のような大きなサメが棲息していたと伝えられています。
岬の先は岩礁地帯で遭難が頻発した海域で、そこを通過する船は帆をたたんで太東の旦那に敬意を表さねば遭難したといいます。
そんな危険な岬ですから、神話上の人物が釣りをしていた岬「釣ケ崎」と命名されたのでしょう。

「物語」に由来する地名やら名所やらは全国各地地にあり、南房総では「南総里見八犬伝」にちなむ伏姫が愛犬ハチとこもった洞窟が観光名所になっておりますし、熱海の海岸には「貫一・お宮」の松があり、銅像が建っています。

釣ケ崎もそのような命名の一つと言えますが、いすみを開拓した古代人が故郷から持ち込んだ神話の一部を懐かしみ、ここで生きていこうと名付けた岬の名前だと思うとなかなか感じるところがあります。

姉姫様、妹姫様、そして子孫の神武にいたるまで、海神一族が年に一度集う上総十二社祭りの祭典会場に 2020年には世界の若者・サーファーが集まるとは神様たちもきっと思いもよらぬ出来事でしょう。



 

★おたち祭――いすみ市長者町の天神社

おたち祭
   なかなか立派な神社です。

旧暦10月を「神無月 カンナヅキ 」というのはご存じだろうと思います。
この月に島根県、出雲大社に全国の神々が集まって、諸事万端、とりわけ男女の縁組などを相談するのだそうです。
それで出雲では反対に旧暦10月を「神在月 カミアリヅキ 」というそうです。

それじゃ地元には神様がいなくなるのかと不安になりますが、その期間は出雲出身の神様、えびす様ががっちり留守を守ってくださるので心配ありません。

えびす様は本来、漁業・大漁の神様です。大黒様(農業の神様)と一緒に並んでいることが多く、右手で釣り竿を担ぎ、左手で鯛を抱えた姿で良く知られています。
やがて商売繁盛、招福の神様として全国的にメジャーな神様に進化しました。
いすみ市でもいくつかの商店はその時期に「えびす講」と称して特売を行っております。

さて「おたち祭」とは神様が出雲に出立する日の祭礼で、そんな祭りがあるとはこちらに居を構えるまで知りませんでした。
神話に出てくる豊玉姫を祭る地元の玉崎神社でも「おたち祭」が行われます。
でも、天神社は平安時代の菅原道真公が神様(天神様)になった神社ですから、道真公も出雲に行くのかなぁ、などと思ったりしますが、深く考えないことにしましょう。

10月31日が「おたち祭」なのは、11月が旧暦の10月に相当するからでしょう。
出雲では伝統に従って旧暦で神々の集いの行事が執行されます。
今年は、旧暦で閏(ウルウ)五月というのがあったので五月が2回ありました。つまり1年は13カ月。旧暦10月1日は11月18日です。例年より約半月、後ろにずれました。

出雲大社の西の海岸、稲佐の浜で11月27日19時から「神迎え」の神事が始まります。
この時期の19時はもう真っ暗。海岸ですからひどく寒いことでしょう。
旧暦では10月10日。19時とは、晴れていれば上弦の月が南の空に見えるはずです。

全国の神様が稲佐の浜から続々と上陸して出雲大社に向かいます。
稲佐の浜とはアマテラス一派がオオクニヌシに国を譲れと強談判した現場ですから、何か本当は深い意味があるのかななどと思いますが、とりあえずパス。

この時期、強い偏西風で荒れた海の中から南国育ちのウミヘビ、龍蛇(リュウジャ)様が打ち上げられることがあると言います。
龍蛇様の実体はセグロウミヘビという毒蛇です。腹は金色縞模様で、波間にキラキラ光るそうです。これは龍宮からの使いの神様として大切に扱われました。
  Pelamis_platura,_Costa_Rica[1]  画像元ウィキペディア
蛇が神様というのは縄文時代からの信仰ですから、出雲神事の起源の古さを思わせます。

オオクニヌシの国造りの相棒であるスクナヒコナが常世の国(トコヨノクニ)に行ってしまい、困惑するオオクニヌシの前に海の彼方から光り輝く玉がやってきて、奈良の三輪山に祭れば国造りは成功すると請け合います。その正体はオオモノヌシ。
でも、もしかすると龍蛇様かもしれませんね。海から来た光る神様ですから。そして三輪山は蛇が神様です。

御柱祭で有名な諏訪大社の神様はタケミナカタで、アマテラス一派に反抗して敗れ、諏訪に逃げ込んだ出雲の神様。本体は蛇だと言われています。蛇は縄文時代は神様でした。

そして、いすみ市刈谷の国吉神社のそもそものご祭神は、そのタケミナカタです。
出雲系の神様は全国各地にたくさんいたんだなぁ、と思います。
その神様の年に一度の里帰りが、神在月・神無月なのです。