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★野鳥も夏モードに代わり、元気に動き始めました。

雉
     道路脇に出てくるオスのキジ。近くにメスもいるはずだ。

昨日は5月5日(木)。たまたま旧暦の4月5日。そして立夏。夏の始まりとされます。
家の前の大正堰に何百羽といた冬鳥が少しずつ姿を消し、今はカルガモとハシビロが数十羽。代わりに夏鳥のツバメが水面を飛んでいます。
寒い冬の終わりを告げるのがウグイスで、そのまま大騒ぎで夏の間ずーと山間で鳴いています。

そのウグイスに負けずに大騒ぎする夏鳥が芦原で鳴くオオヨシキリです。
先日初めてその声を聞き、今日はこちらの芦原にも進出して騒いでいます。
このオオヨシキリをわたしは「ゲゲッチ」と名付けています。
スズメほどの大きさですが、本当に大声でゲゲッチ、ゲゲッチと縄張り宣言をしています。
この声を聞くと今年も夏が来たなぁと感じます。

空を見上げるとヒバリが飛んでいます。「揚げひばり」という言葉がありますが、高い空の一点にホバリングしてピーチクパーチク鳴いています。
この様子を初めて見て、美空ひばりという芸名に納得がいきました。ところが先日は高い美空ではなく、田んぼの上をツバメと競うようにすごいスピードで走り回っておりました。餌取りなのでしょう。

渡りをしない留鳥にも恋の季節があり子育ての季節があります。当然のことながらそのステージごとに生活の仕方が変わります。
こちらに越してきて驚いた鳥にコジュケイがあります。鳩より少し大きくウズラぐらいでしょうか。何に驚いたかというと、その鳴き声です。
どう考えても「チョットコイ、チョットコイ」と大声で叫んでいるように聞こえます。近くの山の中に潜んでいますが、平地の草藪にもいます。野道を歩いていて突然、足下から飛び出した鳥がいて驚きました。
それがコジュケイの親子で、飛んで逃げるのは苦手のようです。急ぎ足で走り去りました。
夜中に「ヒーィ ヒーィ」と鳴いているのは何だろうとずっと思っていましたが、これもコジュケイだと知りました。
チョットコイとゲゲッチ、そしてホーホケキョが今の時期の三大役者です。

さて画像は3月のキジ。キジも留鳥で今の時期もオスメスのカップルでうろうろしています。
キジは日本の国鳥でお札にもデザインされていますが、いすみ市を代表する鳥でしょう。人の姿を見るとそそくさと隠れますが、車には警戒心を持ちません。目の前を悠然と通り過ぎていきます。
草原(クサハラ)で卵を見つけたらキジの卵でしょう。
ケーンケーンという縄張り宣言が5月になってもまだ聞こえます。

さてさて、旧暦4月は卯月で、卯の花の季節です。今年の卯の花の開花は遅れています。
そのせいでしょうか、ホトトギスの初音はまだです。
ホトトギスのテッペンカケタカという鳴き声が聞こえたら、もう本格的な夏になったといえるのでしょう。

 
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★山菜の王者――タラの芽の天ぷら

山菜天ぷら


果物や野菜など自然の恵みの豊かないすみ市でも、山菜、野草となるとそう簡単に見つかるわけではありません。
そうなると庭に山菜の木を植えれば、手っ取り早く心置きなく賞味できます。
タラノキは冬場は枝葉を落としてまるで鉛筆のような棒になっていますが、暖かくなるとその先端に枝葉の芽を出します。それが美味であり、貴重品です。
画像のタラの芽はそのような知人の庭のからの差し入れです。

タラノキはびっしりとトゲが生えており、取り扱い要注意。ところが天ぷらにするとそのトゲが全く気にならず、タラの芽のおいしさを賞味できます。
天ぷらって不思議な調理ですね。何が不思議かというとその第1は野草や山菜のえぐみがきれいに消えてその本来の味が際立ちます。また、ご飯にもソバにもうどんにも合います。さらにお酒ならビール焼酎ウイスキーに日本酒にと何でも合います。
普通は天つゆか塩でいただきますが、この日はとろろ汁でいただきました。これもまた良しでした。お試しあれ。

★今年も初焼きタケノコ。バンザーイ !!

焼きタケノコ
    小さなタケノコは皮付き焼きタケノコにしました。

サクラは満開だけど、寒かったり急に暑かったり今年は天候が定まりません。
昨年の記録ではもうツバメが訪れていたのに今年はまだです。タケノコも今年は生育が遅れています。

タケノコは足の裏で探せとは地元の名人の話。まだ姿を見せぬタケノコを地面をすり足気味に踏んで見つけ出す特殊技能の持ち主です。
わたしたちも教えを受けてまねするのですが、師匠が5、6本「あったよ」と言う間にわたしたちはせいぜい1本見つけられれば良い方。場数の違いでしょうかね。

タケノコは暗い地面から明るい空間に顔を出すと急速にアクを生産し苦みが増します。
それは害獣に「食べてもわたしはマズイよ」と教え、身を守る自然の摂理のようです。
従って地面からすっかり顔を出したタケノコを収穫してもその身はエグイ。
都会の人が食べるタケノコがあく抜きが必須なのは収穫してから時間がたったからです。
半日でも過ぎたら念のため、あく抜きはした方が良いと思います。

地面から掘り出したタケノコはアクがないので直後なら刺身でもいけます。
焼きタケノコなら収穫後6~9時間程度ならアクなしの絶品料理を味わえます。
外皮を数枚はぎ、縦に2分割。魚を焼くロースターで十数分。味付けは自家製白味噌+庭の柚子+自家製みりん。
薬味に乗せた山椒はまだ今年の芽吹きが遅く、ほんの申し訳程度でした。

晩のご飯は焼きタケノコにタケノコご飯。若タケ煮。タケノコのお吸い物。
田舎暮らしの醍醐味とはまさにこの時でしょう。
初物はタケノコ自身が柔らかく甘みが感じられるのです。歯がない老人でもOKの柔らかさです。
ソラマメもトウモロコシも収穫直後に焼いて食べるのが最高の味だと思っています。
☆がいくつも並んだレストランなんて知らないけど、私たちには田舎の味で十分幸福です。

さて、そのちょっとだけ顔を出したタケノコでもイノシシはめざとく見つけます。
地面を掘り起こしておいしい所を食い荒らして逃げていきます。地面は穴だらけ。
みんな頭を痛めています。
イノシシに先を越される前に掘らなくちゃね。

★時しあればこぶしの花も開きけりーー詠み人知らず

  kobusi.jpg
         桜の開花がまだかと話題になる頃、人知れずコブシの花が満開となる

万葉集には150種を超える植物が登場し、一番多いのは梅でも桜でもなく、萩の花141首だそうです。
そしてコブシの花はというと、どうも一首もなさそうです。
それどころか、古今和歌集から新古今和歌集までの八代集と言われる平安時代から鎌倉時代までの八種類の勅撰和歌集の中でコブシの歌はありません。
勅撰集になり損ねた続詞花集(ぞくしかしゅう)にわずか1首。しかも詠み人知らずだそうです。

それが表題の歌。
   「こぶしの花を人のもとにつかはすとて」という詞書があり
   時しあればこぶしの花も開きけり 君が握れる手のかかれかし  詠み人知らず

歌の意味は難しくありません。
時が来ればコブシの花は咲く。あなたのじっと固く結んだ手もそうだと良いのに…。
固く結んだ手とは、何があったか固く閉じた心という意味でしょう。

もちろんわたしがそんな歌を知るわけもなく、『辛夷の花』(葉室麟 徳間書店)の中で印象的に述べられており、良い歌だなと思ってちょっと調べてみたわけです。
小説は隣り合った武家屋敷の過去がありそうな男女の心のふれあいの物語ですが、男が女に辛夷の花の枝に上記の歌を書き付けて贈る場面がありました。
現代人にも読みやすい歌だったので はじめは葉室さんが自分で勝手に書いた歌かと思いました。
でも違いました。続詞花集掲載の由緒ある歌 だったのです。
さすが葉室さんは作家だけあって, 何でも読んで知っているんですね。
しかも「こぶしの花を人のもとにつかはすとて」という詞書きそのままにストーリーを仕立てています。

葉室さんの小説は主人公が凜とした心根の持ち主ですから、こちらも思わず背筋を伸ばしたくなる印象深いものが多い。残念ながら2017年に亡くなってしまい、もう新作を読む機会はなくなりました。
残念です。


★雑草にだって春は来るし、花は咲く

ホトケノザ
   草の名前はホトケノザ(仏の座)。シソ科に属し、小さな花は華麗で複雑。

ギリシャ神話では冥界の王ハーデスに連れ去られた春の女神ペルセポネが許されて地上に現れると地上は春になり,一斉に花が咲くのだとか。
日本の古い信仰では山に潜んでいた田の神が山から里に下りると桜が咲き、田植えの季節になるそうな。

ここ数日は急に暖かくなり、女神が来たごとく一斉に花が咲き始めています。
ホトケノザというと春の七草を思い出す人が多いと思いますが、全くの別種。
あちらは七草がゆに利用する「コオニタビラコ」で黄色い花。こちらはごらんの通りピンク系紫の花。

はびこるので雑草とされ田んぼ耕作者やガーデニング愛好者からは嫌われており、食用にはなりません。
別にたいした悪さをするわけではありませんが、たいして役立つわけでもありません。
しかし、厳しい冬を過ごした昆虫たちにごちそうを提供しています。
チョウチョや蜂、昆虫たちが甘い蜜を吸いに来ます。それだけで地上に存在価値があるでしょう。

かなり複雑で独特の形をした花は下部が筒状で、上部は上下に分かれており、「唇形花冠(シンケイカカン)」と言うのだそうです。
フード状になった上唇の下、その内部に雄しべが隠されており、橙色の葯(やく)という花粉だまりが見える。
           おしべ
蜜を吸いに来る昆虫は、上下の唇の奥、筒状になった部分の奥にある蜜を吸うべく奮闘する。体中が花粉だらけになるが、それで雌しべに花粉がついて受粉する。
それがホトケノザと昆虫の五分五分の取引。ウィン・ウインの関係ということでしょう。

神様が仕組んだシステムなのか、それとも大自然に内蔵されたシステムなのか。実に巧みです。
それに引き換え、人間が仕込んだ仕込みは実にアワレです。
11年たっても原発の核燃料は取り出せない。放射能汚染水はたまる一方で、山野の放射能は知らぬふり。
しかも誰も責任を負っていない。死者が出て居住地・ふるさとを追われたのに…。
補償金も税金だから自分で保証する訳でもない。任せておけば良い。気楽なものだ。

「自然に帰れ」とは18世紀のフランスのジャン・ジャック・ルソーの言葉。
人間が作り出したシステムより自然のシステムの方が何倍も優れていて、誰も困らない。

一人の愚か者の命令で、相互に何の面識も恨みもないロシアの若者がウクライナの若者を殺す。
そんなことは誰だっておかしいと思う。だけどそれが社会システム。
人類が生み出した仕組みなら人類が変えることもできるはず。

だって江戸時代もソ連も消えたのだから、嫌なことはイヤダ。おかしいことはオカシイ。そう言おう。
そして、ちょっと肩の力を抜き、野の花を見て勇気をもらおう。